ポツンと一軒家
山原無線中継所(静岡市清水区山原)

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昔は電電公社専用のロープウェイで通勤してました
ロープウェイの運転もやらされました
山原堤に発着駅がありました
昭和27年より東京~大阪間のNHKおよび民放5社のTVを中継しており
静岡の各TV局にも映像を分枝しており事件ニュースを
東京のキー局へ送る仕事をしてました

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山原無線中継所 概要・歴史

山原無線中継所(やんばらむせんちゅうけいじょ)は静岡県静岡市清水区にある無線施設。

1953(昭和28)年11月15日に運用開始。元々はテレビの無線中継を主たる目的とする施設だったという。

当時日本で2箇所しかなかった電電公社の専用ロープウェイが設置されており、山麓と山上の間、約1200mを定員12名の搬器が約12分で一日平均7往復していた。

1982(昭和57)年1月にふもとから山上局舎に至る道路が完成したため廃止。1983(昭和58)年3月に撤去された。

山原無線中継所自体は現在もNTTドコモや新聞社専用無線、海上保安庁の設備として使用されており、廃墟ではない。

2棟の現役電波塔の他に旧中継所が残されている。2017年頃まではもう1棟電波塔があったらしいが、解体され土台のみとなっている。

専用ロープウェイの遺構としてアイドルホイール(滑車)が見られるが、鉄柵により近づけない上、2019年現在、草木が繁茂し視認が難しくなっている。付近には記念碑が設置されている。

同地付近は富士山・第二東名・日本平・駿河湾・清水港、と名所を一望することができ、日中の展望や夜景を望む人気のスポットとなっている。

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もう1つの電電公社専用ロープウエイ
 己斐ロープウェイ。電電公社己斐無線中継所専用のロープウェイ
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大茶臼山・山頂 1955年(昭和30年)に竣工したNTT己斐無線中継所。
畑峠を経由する車道整備が完成するまでは己斐ロープウェイがあって


部屋の整理してたら
昔の写真が出てきた昭和50年(1975年)頃の
山原無線中継所のテレビ調整室(昭和28年1953年開局)
NHK総合・教育とSBSとSUTと静岡朝日の5局だけだまだ静岡第一テレビが
開局してない時代だつたまた静岡に東京12ch(TV東京CX)系列は静岡では開局できなかつた
この山原より静岡の各放送局までSTLの11GHzで伝送していたが豪雨のとき
降雨減衰で回線が中断して(いま電々回線が故障中)ですとのテロップがよく流れた
その後 山原局から静岡曲金局に変わり同軸ケーブルで各放送局まで伝送したが
季節変動調整などがあつた道路工事などで同軸中断障害があり大事になつたこともあつた
いまはデジタルとなり光ケーブルで伝送している
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部屋の整理してたら その2
昔の写真が出てきた昭和50年(1975年)頃の
名古屋東山無線中継所のテレビ調整室と機械室
まだ真空管の時代だつた
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部屋の整理してたら その3
昔の写真が出てきた昭和45年(1970年)頃の
天城無線中継所にて(当時下田無線中継所勤務)
11GhzT2-1方式500mWクライトロン11V651/652(伊東~天城~下田)中継函 
天城トンネル上の無線局いまは廃局した
天城峠前の茶屋の親父にはお世話なつた思いでがある
昔天城トンネルを訪れたら踊り子像の横に銅像になつていて涙が流れた
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降雨時におけるアンテナの電波減衰について
昔昔・・・日本にまだ衛星通信も無い時代に電電公社においてのマイクロ多重回線の周波数は2GHz帯・4GHz帯・6GHz帯を用いて通信していたが回線需要の逼迫で新しい周波数を使う必要に迫り昭和40年代(1965年)に郵政省に11GHz帯の周波数申請し11GHz方式のT2-1やT2-2方式など導入した私が始めて入社し勤務した伊豆の伊東無線中継所にも初めて導入されたこのルートは熱海~丹那~伊東~天城山~下田の伊豆半島を中継する多重電話回線でした当時11GHzは反射型クライストロン11V-651/652のリぺラー直接周波数変調で500mWで4mのパラボラアンテナで約20Km中継で多重回線電話480回線を3システム合計1500回線を伝送するものでしたがいざ運用を始めると集中豪雨が降ると回線が途切れて伊豆半島が通信孤立状態が多発しました・・いまでは子供でも衛星放送(11GHz)で集中豪雨で映像が切れることは知ってますが当時はある程度は雨による電波減衰は想定してましたが降雨量がどのくらいのときに回線が切れるかと研究して回線が切れたときの降雨量を気象台にそのつど問い合わせた結果10分間降雨量が10mmをこすと回線が切れるこ事を発見して報告した記憶がありますそのことと送信出力が500mWで小電力も問題ではと提言しのも記憶してます この送信クライストロン11V651/652で受信用局発クライストロン11V54は当時は非常に高価(私の初任給の半年分)で寿命も約1年(送信出力半減で取替え)でしてしかもクライストロンの自励発信器であり空洞共振器を調整して周波数を合わす必要がありまた480回線も変調かけるため帯域内の特性(微分)を6MHzP-Pでフラットに調整する必要があり調整を山上の中継所ではなく有人局(伊東・下田)で調整してこの無線機を取替えるのですが特に天城山中継所は有名な伊豆の踊り子の天城山トンネルの上あり道が険しいので地元の強力に他のみ無線機を担ぎ上げていました・・その天城トンネルの前には移動の茶店がありここで弁当や飲み物を買って天城無線中継所に登りました・・何十年か前にこの天城トンネルを訪れたら伊豆の踊り子像の横に茶屋の叔父さん(伊藤さん)の銅像がありました・・・おもわず涙が出てきました・・もう天城無線中継所はありません・・そのごNTTは15GHz帯 22GHz帯 26GHz帯と開発していきましたが降雨減衰で悩されスモッグでも切れることがありました
昔昔のお話でした
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丹那無線中継所

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ポツンと一軒家
浜石無線中継所(静岡市清水区由比阿僧)

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ポツンと一軒家
高草無線中継所(静岡県藤枝市)
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ポツンと一軒家
粟が岳無線中継所 静岡県掛川市倉真

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ポツンと一軒家
自衛隊 美保通信所
鳥取県境港市にある防衛省の電波傍受施設である。通称は象の檻。
大型円形アンテナのほか32本のアンテナがある。傍受している内容は、
北朝鮮、ロシア、中国の軍などの通信で、アメリカ軍への情報提供も行う
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ポツンと一軒家
美保飛行場は境港市にある飛行場(空港)である
航空自衛隊美保基地(JASDF Miho Airbase)民間航空機の共用飛行場314万平方米の
敷地に2500m(07/25)の滑走路を、航空支援集団第3輸送航空隊があり隷下に
第403飛行隊と第41教育飛行隊が置かれC-2輸送機と、T-400
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ポツンと一機
F104ジェット戦闘機が屋上にある会社(ハセガワ)
T3練習機もあるね(静岡県 焼津市 八楠 3-1-2

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ポツンと一機 
永野自動車 静岡市葵区富沢
航空自衛隊 練習機 T-34A

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ポツンと一機 
F86fジェツト戦闘機が屋上にある菅野病院(静岡市葵区瀬名)

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コラム~屋上の飛行機について~

屋上のF 86Fセーバージェット機は、東京オリンピックの五輪マークや、万国博のEXPO-70等の飛行機雲を画いた有名な航空自衛隊のブルーインパルスの同型機であります。
退役后、アメリカへ返還される事になっていましたがアメリカ国務省の御好意で零戦愛好会へ貸与されたものです。
この飛行機の正面に日米戦災犠牲者の慰霊碑がある賤機山の山頂が見られます。

毎年この慰霊碑の前で行っている日米合同慰霊祭が縁となって、米国国務省ヘーグ長官マンスフィールド駐日大使の御理解を得てここに保管できる様になったものです。
このような訳ですので、この飛行機を日米親善のシンボルとして大切に保存したいと思います。

零戦愛好会 会長 菅野寛也



















静岡県無線漁協無線局 JFG

静岡県漁業無線局は、大正10年に我が国の最初の漁業用無線電信施設として、清水市の静岡県水産試験場内に、漁業無線局清水電信所として開局しました。大正14年には焼津漁業無線局が日本最初の民営漁業無線局として開局し、続いて昭和5年に御前崎漁業無線局が発足しました。
 昭和43年3月に輝かしい伝統と幾多の功績を持つ3つの漁業無線局が合理化と所属船の漁業活動の助長、漁業者の生命・財産の保全を使命とする漁業無線通信の機能を十二分に発揮させるために組織合併を行い、翌44年4月に現在地に静岡県漁業無線局として開局し、漁業・公衆・漁業公共通信業務を行い、現在に至っています。
 

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受信所と送信所  送受信所連絡有線ケーブル 各100P-600m 


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受信所および通信所

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受信アンテナ

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送信所

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送信アンテナ

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受信所施設の概要                                     


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場  所焼津市田尻1991-1  北緯 34度49分42秒 東経138度19分55秒

敷地面積1691平方メートル

建物面積鉄筋コンクリート 一部ニ階建 本館 559平方メートル
    電源室 27平方メートル 倉庫・付属建物 60平方メートル

通信鉄塔4基 30m

2.装置内容                                     
全波受信機 
11台
27MHz SSB無線電話送受信機 
1台
27MHz DSB無線電話送受信機 
2台
2182kHz 無線電話警報自動受信機 
1台
27524kHz 注意信号自動受信機 
1台
垂直タブレット6、8、12、16、22MHz
5条
水平二段タブレット東西方向、南北方向
2条
八木アンテナ電信 16、22MHz
3素子
接地空中線T型、逆L型
5条
FAX設備 
3回線
電話 
5回線
商用電源(主)単相 100V (補)3相 220V
予備電源ディーゼル発電機 20KVA 200V


送信所施設の概要                                  

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場  所 焼津市田尻2630-4 北緯 34度49分44秒 東経138度20分16秒

敷地面積 1982平方メートル

建物面積 鉄筋コンクリート高床式 158平方メートル

通信鉄塔 4基 40m

2.装置内容                                     

No.1 送信機電信・短波 出力1KW
No.2 送信機電信・電話・中短波・短波出力1KW/200W
No.3 送信機電信・電話・中短波・短波出力400W/200W
No.4 送信機電信・短波出力1KW
No.5 送信機電信・短波出力1KW
No.6 送信機電信・電話・中短波・短波出力1KW/200W
タブレット空中線3方向15条
垂直タブレット電話用2条
八木アンテナ電信用 16、22MHz
3素子
接地空中線T型、逆L型各1条
27MHz 垂直空中線送信・受信各1条
送受信所連絡有線ケーブル各100P-600m4条
商用電源(主)3相 220V (補)単相 100V
予備電源ディーゼル発電機 35KVA 220V

  出漁海域                                 

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航空自衛隊御前崎分屯基地 JASDF


ポツンとアンテナが
御前崎分屯基地(おまえざきぶんとんきち、JASDF Omaezaki Sub Base)とは
静岡県御前崎市御前崎2825-1に所在し、第22警戒隊が配置されている
航空自衛隊入間基地の分屯基地である。J/FPS-2レーダーが運用されている。
分屯基地司令は、第22警戒隊長が兼務。


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固定式三次元レーダー


J/FPS-2/2AHamaoka NPP and Omaezaki Wind Power Station Phase 1 view from Omaezaki Lighthouse.jpg11箇所日本電気製 固定式パッシブフェーズド・アレイ・レーダー。1980年運用開始。
空中線装置、送受信装置、信号処理装置、表示装置によって構成される
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多重通信装置 (OH) J/FRQ-503JASDF JFRQ-503(FRQ-8) at Iruma Air Base 20141103.JPG航空基地・レーダーサイト間等の通信に使用される、デジタル多重通信方式の見通し外通信装置。日本電気製。
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米海兵隊 沼津海浜訓練場

沼津今沢基地
沼津に米軍の基地があるって知っていますか?
沼津市は総延長47キロメートルの長い海岸線を持つ市です。西側の海岸線には千本松原が広がっています。その西側旧片浜村今沢地区に、開設以来50年を越えた米軍今沢基地がありま基地 沼津海浜訓練場-海岸から県道(旧国道1号線)までの進入路を含む陸上施設)(約2,8ヘクタール沼津乗下船及び積込積下訓練場-波打ち際から海上一帯(約1358ヘクタール)

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AN/PRC-47
昔はこの静岡県・沼津市の今沢海岸に沖縄から海兵隊が上陸用舟艇で御殿場のキャンプ富士まで米軍の憲兵が交通整理して戦車など車両が行進してました・・1週間まえから今沢海岸に米兵がPRC-47を設営して沖縄の基地と短波で交信してたのを覗きにいきました
AN/PRC-47 2MHz~12MHz( 1KHzステップ )SSB USBのみ  100W  電源はなんと水銀BATTでした この電池のジャンクが高く売れました・・なんたつて銀ですから
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東富士演習場
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米海兵隊キャンプ富士
陸上自衛隊 滝が原駐屯地
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航空自衛隊 静浜基地
静浜基地 は、第11飛行教育団等が配置されている航空自衛隊の基地である。
基地司令は、第11飛行教育団司令が兼務。 所在地:静岡県焼津市上小杉1602
基地名の由来は旧志太郡静浜村の地域にあることから

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航空自衛隊浜松基地(はままつきち、JASDF Hamamatsu Airbase)

静岡県浜松市西区西山町無番地にある航空自衛隊の基地。以前は浜松飛行場を中心に
南・北の基地が併設されていたが、現在は統合されて一つの基地になっている。

基地司令は、第1航空団司令が兼務。

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【エアーパーク】航空自衛隊 浜松基地 広報館

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静岡県浜松市 『喫茶飛行場』静岡県浜松市西区入野町4702-16

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【YZF-R25】秘密基地みたいな喫茶店を発見!!休憩にちょうどいい場所!










































焼津ICから高草山へ




焼津ICから高草山へ つずき







粟が岳(静岡県掛川市)ハイキング2019年6月 茶文字の山




ハセガワプラモデルfeat.やいづTV





プラモデルのハセガワさんへ飛行機乗りに行ってきま~す!





[オルガンライフ]プラモデルのハセガワの飛行機に乗ってみた
焼津YouTube Clubの力で実現 F 104J T 3



























第47回静岡空襲犠牲者日米合同慰霊祭





74th Anniversary of Pearl Harbor Day Blackened Canteen Ceremony





Blackened Canteen ceremony honors fallen spirits at Pearl Harbor





Blackened Canteen Ceremony marks annual act of healing





Blackened Canteen Ceremony





VHFの歌 マイクロ波無線通信





津軽の塔~石崎無線中継所~





NTT語り部シリーズ「温故知新」①モールス通信士は語る





NTT語り部シリーズ「温故知新」③移動体通信研究者は語る





地域を支え、災害に備える無線設備





NTTグループ歴史映像 ― 1950年~ ―





NTTグループ歴史映像 ― 1970年~ ―





NTTグループ歴史映像 ― 2011年~ ―





NTT技術史料館ツアー映像「イントロダクション」





NTT技術史料館ツアー映像「歴史をたどるコース」





NTT技術史料館ツアー映像「技術をさぐるコース」





鈴鹿学園 頌歌






電電公社 鈴鹿学園寮歌





電電公社歌





鈴鹿海軍航空基地の資料




鈴鹿海軍航空隊跡 所在地は鈴鹿市南玉垣町(現在NTT研修センター正門)(近鉄白子駅より徒歩30分) ※現在は桜の森公園・鈴鹿医療科学大学白子キャンパス内にあります。
1938年、偵察飛行兵を養成する練習航空隊として鈴鹿海軍航空隊がこの地に開隊し ました。17歳と22歳前後の若者がこの航空隊で約半年間の飛行訓練を受け、各実践航 空隊に配属され、アジア・太平洋戦争へとかり出されていきました。戦争末期にはこの航 空隊は閉鎖され、「第一鈴鹿海軍航空基地」として改編され、同時に練習機「白菊」を特攻 機とする「若菊隊」が結成され、日々、特攻訓練がおこなわれ、沖縄戦の特攻隊員として 出撃した人も少なくありません。 戦後は鈴鹿電気通信学園の校舎となり、兵舎や格納庫などほとんどの建物が残されてい ました。戦争映画や映画「埋もれ木」のロケ地にも使用されました。しかし80年代より 次々と建物は建て替えられ、全国的にも貴重な3棟の格納庫も2011年に取り壊されて しまいました。現在は移築された正門と番兵塔、モニュメントなどが桜の森公園内に「戦 争遺産」として残されています。


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