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三菱電機株式会社 MITSUBISHI ELECTRIC)は、日本の大手総合電機メーカーであり、三菱電機グループの中核企業。 同社は、1921年1月15日三菱造船(後の三菱重工業)より分離独立する形で設立された。


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日本の大手総合電機メーカーとしては、売上高において日立製作所に次ぐ業界2位。家電から重電、人工衛星まで幅広い製品を販売している。FA機器昇降機エレベーターなど)、タービン発電機鉄道車両用電機品、パワー半導体、人工衛星など多くの産業用電気機器で日本国内トップシェアである。

宇宙防衛分野に強みを持っており、防衛エレクトロニクス分野での防衛省契約実績は長年にわたり第1位を維持している。

LED電球においては三菱ケミカルホールディングスエアコンにおいては三菱重工業との間で事業が重複しており、「三菱パッケージエアコン」「三菱ルームエアコン」の呼称が三菱電機のエアコンのことを指す[注 1]ITS事業についてETC車載器製造販売が重複していたが、2017年重工は古野電気に事業譲渡した。ただ、地上部門では引き続き事業重複している。

既に撤退したパソコン用ディスプレイにおいてはブラウン管時代から一定の評価があり、液晶ディスプレイにおいても高いシェアを持っていた。

MISTY1KASUMIなどの開発や実装の実績による暗号化技術は世界トップレベルである。

三菱金曜会[注 2]及び三菱広報委員会[注 3]の会員企業である

沿革

  • 1968年 - 企業スローガン「未来を開発する三菱電機」を制定(日本国外向けは「ADVANCED AND EVER ADVANCING MITSUBISHI ELECTRIC」)。
  • 1985年 - CIを導入、新企業スローガン「技術がつくる高度なふれあい SOCIO-TECH」を制定。
  • 1990年 - この年の11月、当時の通信機器事業部長の発案で、AB型の血液型の社員だけを集めて「奇想天外プロジェクト」の頭文字を取った、KTPというチームを作り、アイデア・企画力に優れたAB型を利用することで、ヒット商品に結びつけようとした。[4]
  • 2001年 - 創業80周年。コーポレートステートメントChanges for the Better」を制定。
  • 2008年 - 放送・通信衛星として初の国産衛星スーパーバード7号機(C2号機)を打ち上げ。
    • 3月 - 携帯電話端末事業から撤退を発表。
    • 10月 - 売り上げ不振で赤字が続いていた洗濯機の自社生産を完全終了。
  • 2009年 - 環境ステートメント「eco changes 家庭から宇宙まで、エコチェンジ。」を制定。
  • 2011年 - 創業90周年


情報通信システム


情報機器

  • パソコン - 2016年時点は家庭用・事業者用パソコン「アプリコット」共に撤退している(家庭向けは不明・事業者向けは2012年3月に終了)、かつては「マルチ8」、「マルチ16」などと言った製品を発売し、CMには林葉直子を起用しており、同社提供の刑事ドラマ『太陽にほえろ!』でも使われた。なお、アプリコットシリーズは、Windows XP発売後NEC からOEM供給され基本的にはデザインなどはNEC機のMate、VersaProと同じである。2001年からは分社された三菱電機インフォメーションテクノロジー(MDIT)が製造や販売などを行っていた [1]
  • 「オフィスコンピュータ」という言葉は同社が発案したものであり、2016年現在でも「Entrance」という名でオフコンを生産している。
  • パソコン用ディスプレイの分野では日本最大級のシェアを持っている。現行は「Diamondcrysta(ダイヤモンドクリスタ)」とマルチメディアプレミアムモデルの「VISEO(ビジオ)」の2ラインで展開している。近年は液晶ディスプレイの開発・生産から手を引いており、2013年12月に事業の終息を発表した[27]

レーダー[編集]

映像監視システム[編集]

  • CCTVシステム - MELOOK(メルック)やRoboty(ロボティ)という名で展開。CCTV業界ではトップ3に入る老舗である。従来からのアナログシステムに加え、デジタルシステム、メガピクセルシステムを展開している。ロボティはかつてダイヤトーンの連装(オートチェンジャー)型カセットデッキ搭載のステレオコンポの愛称でもあった。

電話機

かつては家庭用電話機携帯電話PHSを製造していたが、2016年現在は、N-STARを用いた静止衛星電話ワイドスター)のみ製造。

  • 携帯電話 - 2008年をもって撤退[28]。これによりD705iμD705iが最後の機種となり、1983年の自動車電話納入から数えて25年の歴史に幕を下ろした。
    • NTTドコモ、J-フォン→ボーダフォン(2016年現在のソフトバンク)、ツーカーグループ、日本移動通信(IDO、現・auの関東・中部地区)に、またPHSでは旧NTTパーソナル、DDIポケット(現ウィルコム)、アステルにも製品を供給していたが、末期にはNTTドコモ向けの製品のみのラインナップになっていた。DDIセルラーグループのみ、開業から撤退まで一切供給していなかった。
    • NTTドコモ向けに発売された、ポータブルMDプレーヤーのような形でFMラジオが聞ける携帯電話「Music PORTER」など音楽機能に特化した端末、当時では珍しかったアンテナ内蔵型端末のD503iS、そして当時類のない2つのディスプレイを搭載したD800iDSや、J-PHONE(当時)向けに発売された「J-D06 graphica」のようにデザイン性を重視した端末、TU-KA向けに発売された「THZ43 Chiaro」のようにデジタルカメラを同梱し、世界で初めて撮影画像の端末でのやり取りや端末ディスプレイで撮影画像を確認できる機能を搭載するなど、特定の機能に特化した端末を多く手掛けていたのが特徴である。
    • D503i以前のモデルは独特のフリップ式だったが、D901iから、90Xシリーズと70Xシリーズの一部ではスライド式の形状を採用した。また、この機種から富士通との協業に関係して同じSymbian OSを採用した。最後のフリップ式の端末はD2101Vである。
    • D503iS以降のNTTドコモ向け端末は基本的にアンテナが内蔵型となっている(D2101Vを除く)。
    • 撤退後、パナソニックの携帯部門であるパナソニック モバイルコミュニケーションズにスピードセレクターなどの一部技術・ノウハウを提供した。結果としてP-02AP-08Aにはスピードセレクターが搭載。見た目もD90Xシリーズに似たものとなっている。
    • 携帯電話の機種についてはCategory:携帯電話端末 (三菱電機)を参照のこと


宇宙


人工衛星・宇宙ステーション[編集]

大型望遠鏡[編集]

防衛機器[編集]

放送機器[編集]

  • エンコーダ・デコーダ - 放送局で使用される映像音声伝送用の機器を手掛けている。
  • 送信機
  • SNG装置
  • デジタルマルチトラックレコーダー - 音楽録音スタジオ使用される音声収録用の機器をかつて手がけていた(PDフォーマット)


半導体・電子デバイス[編集]

  • パワー半導体の主力であるパワーモジュールは世界シェアトップ[26]

パワーデバイス[編集]

  • 整流ダイオード
  • サイリスタ
  • パワーモジュール

光デバイス[編集]

  • レーザーダイオード - 主にCDドライブやDVDドライブに使用される赤色・緑色レーザーダイオードで世界シェアトップ



1928年 - 国産初の幹線用大型電気機関車EF52形)の開発を取り纏め、日立製作所、芝浦製作所(後の東芝)、川崎造船所(後の川崎重工業)と共同で完成。日本国有鉄道へ納める

国鉄EF52形電気機関車

EF52形は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が、1928年(昭和3年)から製造した直流電気機関車である。

本項では、本形式の派生形であるEF54形及びその改造形であるEF14形についても記述する。


               


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MELCOM


MELCOMとは、三菱電機が自社製コンピュータに使用していた商標。"Mitsubishi ELectronic COMputer"から

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黎明期と科学技術計算用コンピュータ[編集]

三菱電機はBendix G-15を輸入し、その使用経験を元にコンピュータの開発に着手した。まずトランジスタ式の試作機としてMELCOM LD1を開発した。これを元に1960年、最初の製品MELCOM 1101を発表。G-15の最小アクセスコーディングを参考にした磁気ドラムメモリを主記憶とするシステムで、科学技術計算を指向していた。1101 は学習院大学をはじめとして20台が設置された。この流れを直接受け継ぐシリーズとしてMELCOM 9100シリーズがある。科学技術計算用コンピュータとして1971年まで新たな製品が投入されている。なお、LD1は大阪大学に寄贈されている。

MELCOM LD1
33ビットワード。入出力と演算の並行実行、時間のかかる乗除算と他の演算の並行実行などを実現している。
MELCOM 1101(1960年)
トランジスタ3,500個使用。33ビットワード。メモリは磁気ドラムメモリで4000ワード。後に演算高速化装置(FLORA)を追加した1101Fも製品化されている。
MELCOM 9100シリーズ(1966年)





富士山レーダー(ふじさんレーダー)とは、気象庁1964年富士山頂富士山測候所に設置した気象レーダーとその運用システムをいう。1999年に運用を終了した。本事案は気象レーダー運用の電気技術史に残すべき顕著な事例として2000年3月IEEEマイルストーンに認定された。


概要

1959年伊勢湾台風では台風の接近と伊勢湾満潮の時刻が重なったこと(異説あり[誰によって?])で大規模な高潮被害が発生し、死者行方不明者5,000名という大災害となった。これを受けて台風被害を予防する目的で日本本土に近づくおそれのある台風の位置を早期に探知することが社会的要請となり、気象庁が対策として気象レーダーを設置することとなった。

設置場所は全方向にわたってレーダーの電波が山岳で遮られることがないという観点から富士山頂が選定された。従来から測候所として機能していた富士山測候所にレーダー棟を増設することとなった。

工事は設置場所までの資材搬入経路の確保が格別に困難なこと、設置場所の気象条件が過酷なこと、納入機器が他に例を見ない性能であることから、気象庁は取引先選定で競争入札は機能しないと判断し、公共工事としては異例の随意契約により三菱電機大成建設に発注した。設置費用は2億4千万円、着工は1964年5月であった。

現場の気象条件は過酷であるため、工事は難航した。資材の搬入も難題であった。レーダーの設置を請け負った三菱電機では、搬入をブルドーザー強力ごうりき、人力輸送のこと)、輸送用ヘリコプターの3方法を試みた。1964年8月15日にヘリコプター輸送を行い設置に成功した。最終的に、工事資材は500tを超え、そのほとんどがブルドーザー啓開道により運ばれることになった[要出典]

当時の気象庁の富士山レーダーにかける期待はきわめて高く、すでに運用されていた新潟県弥彦山島根県三坂山の山岳レーダーで用いた5.7cm波レーダーではなく、観測エリアを広範囲にわたって確保するため、途中の雨雲等による電波減衰を防ぐ目的で異例の10cm波レーダーを用いることとした。他方、波長が長くなることによるレーダー画像の分解能低下を防ぐため、使用するアンテナを当時標準だった直径3mのものから直径5mに大型化することとしている。

この富士山レーダーができるまで世界で一番高所にあった気象用レーダーはアメリカ合衆国モンタナ州にある標高2,600mの山の山頂にあったものだったので富士山レーダーは一気に1,100m以上も世界記録を塗り替えた。レドームの白いジオデシック・ドーム構造物は、設置されていた当時は富士山頂の代表的な構造物のひとつであった。

1999年11月1日、富士山レーダーは気象衛星により台風の接近を観測できるようになったことと、代替レーダーが静岡県牧之原台地牧之原気象レーダー観測所)と長野県車山車山気象レーダー観測所)の2カ所に設置されることによりその役割を終え、運用を終了した。その本体は解体撤去され、2001年9月富士吉田市に移設され、富士吉田市立富士山レーダードーム館として公開されている。

レーダードーム骨格の空輸

アンテナを保護するレドームジオデシック・ドーム構造の骨格は、様態から開発関係者や現場工事関係者らに「鳥籠」とあだ名された。直径9mの半球状ドーム骨格でパネルを貼ったのちに風速100m/秒の冬の風に耐えられる仕様で、重量620kgであった。これを現地に搬送する際に一部を分解して運搬し山頂で組み立てることは難しく、ヘリコプターによる空輸では揚力が不足することが骨格完成後に判明[注釈 1]し難工事の最後の障害となって立ちふさがった。最終的には揚力が不足している分だけヘリコプターのドアや座席など取り外して軽くし、最小限の燃料搭載で対応した。

この時に利用されたヘリコプターシコルスキー S-62は、晴天となった1964年8月15日の午前7時55分に富士宮市にある臨時ヘリポートを離陸。約18分後に骨格設置予定の富士山頂に到着。好天が災いし富士山頂上空は無風でホバーリングに適さず、ヘリコプターの操縦は困難を極めたが「置き逃げ(エスケープ)」と呼ぶマニューバで強行し、レーダードーム設置に成功した。

レーダー性能諸元

1965年の運用開始時、使用波長は2.88GHz帯(10センチ波、Sバンド)で出力は1,500kW、5m径回転式パラボラアンテナ(3 - 5回転/分)の気象レーダーで最大800km先まで観測が可能だった(雨雲域は上空10,000m以下を想定)。1978年には従来の真空管方式から半導体回路に改められた2代目に更新され、1999年の運用終了まで使用された。

富士山頂レーダー基地建設

標高世界一の気象レーダー「富士山レーダー」大成建設
社内報「たいせい」2001年6月号 「社史探訪」より

標高3,776mの富士山頂に気象レーダーを設置すること、それは気象関係者にとって長年の悲願だった。富士の山頂に気象観測施設を設置すれば、レーダー探知半径が広がり、南方洋上から接近してくる台風を早期に発見できるようになる。そうすれば、昭和34年、死者・行方不明者5,101名を出した伊勢湾台風のような甚大な被害を未然に防ぐことができるからである昭和38年2月、レーダー設備を担当する三菱電機(株)と当社では、気象庁によるレーダー設置工事受注に向け、頂上の剣ヶ峰から東京の気象庁までレーダー電波が届くことを実証するための調査を行った。また、剣ヶ峰の地盤がレーダードーム建設に適しているかどうかを測量・調査する必要もあった。スケジュールの都合上、厳寒期の調査となったが、真冬の富士山は雪はもちろん強風による危険性も高い。
高山病にもかかるので、よほどの物好 きでなければこの時期に富士山に登ろうとする者はいなかったしかも、昭和38年というのは、全国的に雪の多い年で、アイゼンをはいて山に登るだけでも困難な上、竜巻が同時に3,4個発生することもあり、まさに命がけであった。厳冬期の調査を決行
高山病と闘いながら完成 調査が終わり、設置場所の標高、緯度・経度、探知半径、送信出力といずれも当時世界一となる気象レーダー設置が可能なことが実証されると、当社グループが富士山レーダー建設工事を受注。すぐさま工事にとりかかった資材の運搬のためにブルドーザー用道路をつくったが、型枠などの大きな資材や生コンクリートなどを運ぶために、ヘリコプター(11人乗り4機、 33人乗り1機)も活用した。しかし、富士山頂付近は乱気流が渦巻く危険地帯で、ベテランのパイロットですら決死の思いで操縦桿をにぎったという富士山頂は気圧が低く、酸素は地上の約7割。高山病にかかると、脳に酸素が届きにくくなり、脳が手足に指令を出しても、実際の体の動きが異なってしまう。そして常に頭痛がする。さらに雷が、この世のものとは思えないほどすさまじい音で落ちる。したがって、かなりの賃金を得ていても、作業交代のために一度下山すると二度と戻らない作業員が多かったという。そのため、延べ10日間以上働いた作業員の名を銅板に刻み、後世に残すことを約束し、工事は進められたのである山頂で作業ができるのは、比較的気候の穏やかな6月末~9月中旬まで。雷雨や強風により昭和38年の実労働日数は約30日。しかし翌39年は天候に恵まれて工事が進み、この年にレーダー棟は完成した。これだけの悪条件ながらも、けが人は一人も出なかった時を経て、昭和52年に気象衛星「ひまわり」が打ち上げられた。さらなる高精度の観測が可能になり、平成11年11月、富士山レーダーは老朽化もあって、その役割を終えることになった(現在富士山測候所で計測は続行中)新田次郎著『富士山頂』は、当時、気象庁測器課長で、この工事のリーダーであった新田氏が、工事の苦難の様子を描いたもので、昭和45年に石原裕次郎主演で映画化もされています
大成建設OBに聞く
「つくるんだ」ただその一念で
なにしろまともに登山もしたことがないのに、いきなり真冬の富士でしたからね。高山病に苦しみながら測量しましたが、口で説明してもあのつらさは伝えきれるものではありません。工事が始まり、ヘリで山頂に向かうときなど、激しい気流に巻き込まれてヘリが墜落しそうになり、死を覚悟したこともありました。私はとにかく「つくるんだ、つくらなきゃいけないんだ」という一心で、文字通り命をなげうって工事に取り組みました。この工事を経験して、自然に対する畏敬の念も芽生えました。大自然に対しては人間はちっぽけなものであり、謙虚になると自然はよく見えてくる、教えてくれることを体験しました。

私もそうですが、この工事にかかわった人の中には毎年富士山に登る人も多いと聞いています。建設会社の社員として、社会に役立つ施設をつくったことは私の大きな自信となりました。工事に従事した社員および作業員の皆さんに、あらためて感謝の気持ちを表したいと思います。

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1966年 - 日本初の人工衛星を開発。TRWから受注しインテルサットIII号へ搭載する

鎌倉製作所は1968年に打ち上げられたINTELSAT以降、現在まで約50年間、国内外を問わず様々な分野の人工衛星や、その搭載機器を製造してきました。今日までに培った実績や技術を活かし、これからも世界の宇宙事業に貢献すべく邁進してまいります。
    
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産業用テレビジョン(ITV)


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所在等三菱電機株式会社 郡山製作所
所在地福島県郡山市
製作(製造)年1954
種類その他(製作所史)
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴(1)国産第1号。(2)中国電力に発電所用炉内監視用として1955年に納入。(3)以後,ボイラ水位監視用,排煙監視用,原子力発電所監視用として多数納入した。
資料公開状況


電力用Si整流素子「SR100」 SR100

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三菱電機株式会社 半導体事業本部
所在地福岡県福岡市
製作(製造)年1958
種類設計図・文献、その他(工場年史資料)
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴(1)国産初の電力用半導体。(2)従来の水銀整流器に代わった。(3)交直両用電気機関車1号車(国鉄仙山線)に搭載。・国鉄の交流電化開発で昭和30年代の初めに車載用整流器が誕生した。当初は水銀整流器であったが,保守,性能の面からこれに代わる固体(半導体)整流器の出現が強く期待されていた。・一方、半導体の分野では1950年代の初めから世界的に電力用半導体の開発が進められていた。当初電力用ゲルマニウム整流素子が先行したが三菱電機は高電力で優れた性能を発揮できると予想されたシリコン整流素子の開発に注力し,昭和34年に我が国ではじめて本格的な大電力シリコン整流素子(SR-100:150A,400V,これに続いて,SR-200:250A,400v)を実現した。・三菱電機は昭和34年交直流電気機関車(EF30形:仙山線)でSR-100の実用化に成功し引き続いて交直流電車(421系)でSR-200で適用して我が国の本格的な電力用半導体時代をスタートさせた。(注)文献:三菱電機技報・Vol.33・Vol.8(1958年8月号)P1138-P1139, より引用。
資料公開状況



国産初のIC「モレクトロン


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資料番号100210021509
所在等三菱電機株式会社 ULSI開発センター
所在地兵庫県伊丹市
製作(製造)年1961
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会




白黒テレビ「6P-125型“マイクロ6”」 6P-125


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三菱電機株式会社 AV統括事業部
所在地京都府長岡京市
製作(製造)年1962
種類量産品
製作者(社)等三菱電機 京都製作所
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴当時,世界最小・最軽量の超小型テレビ。
資料公開状況


富士山頂気象観測用レーダー装置

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三菱電機株式会社 通信機製作所
所在地兵庫県尼崎市
製作(製造)年1964
種類設計図・文献
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴1977年の気象衛星「ひまわり」の打ち上げまで,日本の気象観測を一手に引き受けた気象レーダー。
資料公開状況非公開


400MHz帯タクシー無線機「FM-17D」

       


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所在等
所在地
製作(製造)年1965
種類
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴(1)その後の標準型車載無線機の原型となった。(2)2年間で2000台を販売。(3) 後継モデル「FM-21D」は4000台を販売。


大画面カラービジョン「オーロラビジョン」 DV-44


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所在等三菱電機株式会社 AV統括事業部
所在地京都府長岡京市
製作(製造)年1964
種類量産品
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴
資料公開状況非公開




37型カラーテレビ 37C960

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所在等三菱電機株式会社 AV統括事業部
所在地京都府長岡京市
製作(製造)年1964
種類量産品
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴
資料公開状況非公開



トリネスコープ 6CT-338

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所在等三菱電機株式会社 AV統括事業部
所在地京都府長岡京市
製作(製造)年1964
種類量産品
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本電子機械工業会
特徴
資料公開状況


                 


通信用アンテナ デュアルグリッドアンテナ

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所在等三菱電機株式会社 鎌倉製作所
所在地神奈川県鎌倉市
製作(製造)年1996
種類試作品
製作者(社)等三菱電機株式会社
調査機関団体社団法人 日本航空宇宙工業会
特徴従来のアンテナの2倍の通信容量を実現するために開発された偏波共用アンテナであり衛星搭載用の国産初のデュアルグリットアンテナである。2枚のパラボラ鏡面を前後にずらして構成されていて、それぞれの鏡面にグリットが形成されている為、垂直または水平偏波のみを反射する。各々の反射鏡の焦点に一次放射器を設置することで、偏波識別度の高い共用アンテナを実現した。
資料公開状況非公開






































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