電電公社 TZ-41 

災害応急復旧用無線電話  


大都市に地震などの災害が発生した場合、通信回線確保のため開発された400MHz帯災害応急復旧無線電話方式。非常災害時に都市内の地域的孤立を防ぎ、主要加入者回線の応急復旧を目的としたもので、無線基地局を経由して移動無線機と一般加入者間、また、移動機相互間で通話ができ、接続は全自動交換方式となっている。また、避難場所などにも設置して、特別公衆電話としても利用される。

電電公社の(移動電話)

日本で携帯電話サービスが始まったのは昭和49年からです
電電公社で開発が進められていた、TZ-41方式で
ダイヤル自動通話、基地局のサービスエリアを通り過ぎ...
次の基地局に切り替わる時も、通話が途切れることがない
世界でも最先端の移動電話サービスでした、しかし、当時は、周波数に余裕がなく、
多くの加入者を受け入れることが出来ないため、中央官庁、都道府県庁、警察、向けの、
緊急時非常電話としての位置づけで運用が始められました
最初の機種は、丸型ダイヤルでしたが、写真のものは改良型で、プッシュホンになっています
バッテリーは内蔵していません、同じ大きさのアタッシュケースに単一乾電池がいっぱい詰まった
電源部を一緒に持ち運びましたこの本体だけで重量 13kgあります両手に、
電話機と、バッテリーを持って移動するのはさぞ大変だったでしょう。
一般向けの自動車電話サービスが始まったのはこれから5年後の、昭和54年からです。
アタッシュケースの中に、無線機部、余ったスペースに
アンテナ(空中線と表示)、
受話器(制御器と表示)が収納されている。
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使用状態 その1
受話器とアンテナを接続、写真には写っていませんが、本体と同じ大きさの
バッテリーからのケーブルも接続します、
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使用状態 その2
自動車電話とするときは本体をトランクに、受話器を延長ケーブルで車内へ
アンテナを屋根に付け、車のバッテリーと接続する。

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内部は、水晶制御16チャンネルで
作りは、当時の自衛隊無線機と似た雰囲気ですモジュール構造で、いくつかに分割できます。
製造  松下通信工業

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受話器(制御器)内部
鍵付きです
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災害応急復旧用無線電話<ショルダー型>(NTT) TZ-41形移動通信無線機


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 TZ-60形孤立防止無線機


市町村孤立防止用無線電話 TZ-60
まだ日本に自動車電話も携帯電話もない時代に
山間僻地で電話が不通になり通信孤立を防止するため山上無線中継所より僻地の警察や役場に配備した無線機でした60MHz帯で1Wでポータブルタイプでした自動車電話や携帯電話の
普及でサービスは廃止されましたが・・これが残っていたら3.11も活躍したでしょう


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松下製と東洋通信機製


TZ-60型孤立防止無線機とは・・


 今のような携帯電話がない頃、大規模災害発生時に主に官公庁(市役所、町役場)等のライフラインが寸断され、電話が通じなくなった場合に『最低限の通信』を確保し、『孤立化を防止する目的』から、当時の電電公社(現在のNTT各社)が構築した60MHz帯を使用した非常通信用のインフラです。



 使い方は簡単!
 単一電池9本(13.5V)で動作し、側面に格納してある1.5Mのロッドアンテナを上部のM型台座に取り付け、トグルスイッチをON・・受話器を外すと自動的に60MHz帯/10Wの「フル・デュープレックス方式」で最も近い基地局を経由し、DSA台のオペレーターさんが出てきて”つなげて欲しい一般電話番号をかけてもらう”仕組みです。
 ”使用感”は普通の有線の電話と全く同じく快適なものでした。(当時の電電公社の技術力の高さを感じられる装置でした。)
 但し、弱電界の場所から掛けると、当然「無線電話機」なので雑音や、スケルチ強切(スケルチ強制切断)の”憂き目”に遭います! Hi !  Hi !
 なので、当時、山奥などには弱電界をカバーする「サテライト中継局」なども設置してありました。

 
 官公庁に設置された本端末は週に一度接続試験を行い、接続を確認していました。
 私は「統制無線中継所」の技術者でしたので無線機械室内の「送受信機架」の施設試験を担当していました。

 昭和61年に「伊豆大島・三原山」が大噴火した際も「非常持出し書類」に指定されている「出勤簿とか施設管理台帳(プラント・レコーダー)」などと共に「電電ヘルメット」を被り、この無線機を手にぶら下げて海上保安庁の巡視船に乗り込んだ想い出があります。

 今でさえ、「いつでも・どこでも・誰とでも」気軽に話せる便利な時代になりましたが、当時はこのような「バカでかい装置」に頼り「通信の孤立化」を防止していたのです。

 しかし、60MHz帯の周波数を使用している関係上、たまに困ったことが起きました。
 それは・・「Eスポの発生」です!

 「Eスポ」が発生すると、普段つながる最寄りの基地局経由のDSA台ではなく、とんでもない地域のDSA台が出てきて”話しがとんちんかん”になってしまうことがありました・・

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今夜ほしいジャンク
旧電電公社時代の無線機「TZー60」(日本無線株式会社(JRC)製) 中古品

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60MHz帯 無線機



昭和28年3月 60MHz帯を使用したTB-1型FM送信機とRJ-1型FM受信機
1対向が配備された出力は30W位相変調で磁石式電話回線1CH収容であつた
翌年になると これを改良したTC-1型送信機とRJ-1型受信機1対向が配備され
いずれも無線通信部保全課で保守を担当した重量は実に送信機95Kg 受信機110Kg
もあり機動性に乏しかったが 1KVAガソリン発動発電機もあり
ここに災害対策無線の一歩が開始された

TZ-61 無線機

次にTC RCを小型化したTZ-61形可搬無線機が開発された
送受信部が40Kg 電源部は60Kgと約半分の重量となつた そして
昭和29年から全国的に配備され共電式及び磁石式交換台相互 交換台~加入者間などの
伝送路に使用された またTZ回線付加装置を接続することにより
自動交換機と加入者間を接続できるようになつた

TZ-63 無線機3

昭和30年には回線需要にこたえ初めて3CH収容可能TZ-63形可搬無線機が開発され
この無線機は磁石式電話に使用され非常災害時や夏季における海岸や山岳の
臨時電話回線として広く活躍した
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TZ-64 無線機

また電力事情の悪い離島やへき地など使用できる方式の開発も望まれ
昭和30年12月に送信出力1Wで直流6Vの電池を電源とする
TZ-64形可搬無線機が開発された

TZ-65 無線機

次いで昭和33年1月には山間へき地など電話架設困難な無電話地域の電話回線や
非常回線として商用電源があつて比較的近距離間用としてTZ-65形可搬無線機が
開発された重量は送信機 受信機ともに21kgと軽量で保守も容易であつた
初期のものは磁石式信号方式のみに適用されたが その後 共電式にも
適用できるようになつた

昭和33年 60MHz帯の周波数間隔は60KHzから半分の30KHzに縮少された
当初 保守の担当をしていた無線通信部で保有していた可搬無線機はTZ-63形が4対向
TZ-65が1対向であつた これら可搬無線機は昭和33年の狩野川台風
昭和34年の伊勢湾台風など相次いだ東海地方を襲った台風や集中豪雨に伴う
災害時には実力を発揮した

TZ-67 無線機

昭和34年にはTZ-64形を改良してTZ-67形可搬無線機が開発された
これは直流6Vの蓄電池によって動作し電源はサイクリックスイッチを採用し
通話のない待機時には受信機は一定間隔の休止時間をおいて受信機を周期的に
動作させる方式を採用した また受信部の大部分をトランジスタ化し電力消費量を
少なくした 重量は送受信機10kg 電源部も10kgと小型化になり
送信電力1W 運用は磁石式にも共電式にも運用できるようになつていた


昭和36年4月に名古屋中統制無線中継所が発足と同時に それまで
無線通信部が保有していた可搬無線機全部を同所に所属替えし出動範囲は

従来どおり東海管内一円とした
 

TZ-68 無線機

昭和41年7月に至り 全トランジスタ化したTZ-68形可搬無線機が実用化された
これは1CH方式の1号 2号 及び3CH方式の3号の3機種であつたが その後
2号は廃止されたこれらの装置は全トランジスタ化されたため消費電力は小さく
信頼度も高くなつている送信出力は20Wであるが送信増幅部を除くと1Wとして運用
するこが可能である 重量は極めて軽く3号の場合 送受信部5.3kg 
送信増幅部4.2Kg 端局装置16.3kgであつた

現在はTZ-68形のみが運用されてる なお東海におけるTZ-68可搬無線機の
56年度末における配備数は1号が6対向 名古屋中統制無線は2対向である
3号が86対向(内 名古屋中統制無線は8対向保有)である
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TZ-60 無線機

孤立防止用無線
昭和43年5月16日の十勝沖地震を契機とし災害時における非常連絡及び公衆通信の
重要性が再確認された結果打ち出されたもので 災害の恒久対策の一環として計画され
平時から孤立化の危機のある全国の中小都市町村の電話局 町役場その他の公衆危機関は
無線機を設置して置き 災害時にいつでも近くの中心局まで連絡が確保できる
孤立防止用無線方式を導入されることになつた


本方式は まず九州通信局管内で商用試験を行うこととなり 
昭和44年8月から昭和45年3月までの間に実施されたこの結果をもとに全国に拡張された
無線基地局は原則としてマイクロ中継所 船舶電話基地局などの無線中継所に設置するが
これだけでは全国どこの端末機にも電波を到達させることは無理なので 不感地帯に対しては
サテライト局を設置して救済する サテライト局では基地局からの受信電波を検波した後
60khz以上離れた周波数に変換して出力1wで再送信する検波中継方式を採用している
そして商用電源の受電が困難なところが多いことから電源には亜鉛酸空気湿電池が採用されている
この電池は液状の電解液を使用し安定しているが約1年で取り換える必要があり40個分の
電池とその電解液を人力で運搬する作業は大変な仕事である しかし近時になつてだんだんに
太陽電池に取り換えつつあり今までの電池取り換えの苦労が解消されるよういになつた

この孤立防止用無線のシステムは1つの無線chを多数の移動端末機で使用する いわゆる
多数共同電話の形態をとっているので同一基地局エリア内または同一中心局内で 
ある移動機が通話中の場合は他の移動機は通話できない

東海でこのシステムの運用開始は昭和46年6月からである保守は基地局 サテライト局に
ついては無線中継所がまた端末機については電話局で行っており方式全体の技術援助
統制を無線中継所が担当している

市町村孤立防止用無線電話 TZ-60
まだ日本に自動車電話も携帯電話もない時代に
山間僻地で電話が不通になり通信孤立を防止するため山上無線中継所より僻地の警察や役場に配備した無線機でした60MHz帯で1Wでポータブルタイプでした自動車電話や携帯電話の
普及でサービスは廃止されましたが・・これが残っていたら3.11も活躍したでしょう
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TZ-403形移動通信無線機


一般公衆通信回線が風水害 地震などにより被災した場合の非常回線用として
また夏山 冬山など季節による臨時回線用として従来60MHz帯可搬無線機が
利用されてきたが電話回線網がおお束化 即時化などによつて充実されるに伴い
収容通話路数の増加が強く要望され400MHz帯を使用した
TZ-401形可搬無線機が昭和35年に実用化された

この方式は可搬無線機 空中線 TZ-401形端局装置(12CH)
TZ-402形
端局装置(24CH)などを組みあせることによよって
12CH~24CHの電話回線ができる外TZ-402形群接続用品を用いて
既設 有線搬送回線を群のまま救済も可能である 本方式に使用される
可搬型搬送装置8KHzはセパレーションの12CH用の簡易型と4KHz
セパレーションの24CH作られたが一般には24CHが普及した

TZ-401形可搬無線機は大型であり機動性に若干問題があつた
その後の半導体技術の進歩によりトランスタ化を進めることなり昭和41年度に
試作を行い 翌年度に送信管以外を全部トランジスタ化をした
TZ-403形2号送受信機が実用化された これはTZ-403形1号送受信装置
の可搬型である

トランジスタ化に伴って小型軽量化(従来の重量の2分の1) 信頼度の向上
保守の軽減(バンド内 周波数無調整で変更できる)使用電源の拡大
(DC21V 48V AC100V 200V)が図られた
送信部は5Wと50Wの出力が出せるようなつている外 5Wまではトランジスタ化
であり50Wは真空管を使用しているが放熱に考慮が払われており冷却ファンは
不要とした 重量は約40Kgとなつている 運用時の周波数変更を容易にするため
各装置に割り当てられる主1波 予備2波の周波数を水晶ユニットの交換と
50W送信出力段の微調のみで所要規格が満足できるように設計されている

端局装置は従来からトランジスタ化が図られていたが 更に 小形軽量化を
図るため 固定回線用搬送端局装置に使用されているVR形通話路変換装置の
通話盤を使用してTZ-402形の2分の1のTZ-404形端局装置が
昭和43年11月 新たに開発された また従来臨時電話などに限られた
回線使用を局間中継(集中局~端局間など)に使用可能なように
TZ-400形中継装置が付加装置として昭和44年10月開発された

東海ではTZ-401形可搬無線装置は開発されて直ちに3対向が配備され
順次増加していつた
TZ-403形が開発されると順次取り換えが行われ昭和47年には
名古屋中統制無線中継所におけるTZ-403形は6.5対向となつた
昭和55年になると400MHz帯の可搬無線機はさらに小型軽量化され
全固体電子化された従来装置にたいし無線装置および端局装置とも2分の1の
重量となつた そして昭和56年から逐次取り換えがおこなわれることとなている
56年末の東海におけるTZ-403形可搬無線機の配備数は33対向
(内 名古屋中統無中は2対向)
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NTT移動無線車 TZ-403の多重(24CH)無線電話で臨時災害時を開設に活躍いたしました

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日本電信電話公社TZ-403形1号400MHz多重無線送受信装置 


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 TZ-63形非常災害用無線機


(60MHz,1対向で3回線)真空管無線機
昭和30年には回線需要にこたえ初めて3CH収容可能TZ-63形可搬無線機が開発され
この無線機は磁石式電話に使用され非常災害時や夏季における海岸や山岳の
臨時電話回線として広く活躍した
54MHz~65MHzのうち指定周波数 標準変調6rad  送信出力20W 送信管2B29
送信部逓倍数96 受信中間周波数 第一IF 12MHz 第二IF 5.25MHz 
通話数3CH 
電源 AC100V 信号方式 磁石式(16Hz~2300Hz)

TZ-68形非常災害用無線機


(60MHz,1対向で3回線)Tr式無線機
昭和41年7月に至り 全トランジスタ化したTZ-68形可搬無線機が実用化された
これは1CH方式の1号 2号 及び3CH方式の3号の3機種であつたが その後
2号は廃止されたこれらの装置は全トランジスタ化されたため消費電力は小さく
信頼度も高くなつている送信出力は20Wであるが送信増幅部を除くと1Wとして運用
するこが可能である 重量は極めて軽く3号の場合 送受信部5.3kg 
送信増幅部4.2Kg 端局装置16.3kgであつた
54MHz~65MHzのうち指定周波数 標準変調3rad(1号)1.4rad(2号)
送信出力20W 送信 2C92×2 
送信部逓倍数16(1号)36(2号)
第一IF10.7MHz 第二IF455KHz(1号)6.25MHz(2号)
通話数3CH(3号) 1CH(1号) 電源 AC100V  DC48V DC24V
信号方式 磁石式 共電式 自動式(16Hz~3850Hz)

 TS-102形非常災害用短波無線機

災害時に有線ケーブルが罹災したような場合い非常無線通信で連絡を確保するため
戦後になつてTX形の可搬型電信用無線機が配備されたが
昭和37年5月には電波法の一部改正が行われ従来の無線機は規格外外れとなるため
36年10月プレストークによるTS-102形無線機(SSB方式 電信 電話共用で
50W)に取り換えられた 周波数割り当ても6534KHz 4905KHz 
3757.5KHz 3810KHzに変更された
昭和43年になると送信機の終段管を除きトランジスタ化され SSB方式
電話機専用機となり一層小型化 軽量化された
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 TS-301形非常災害用短波無線機

この方式はいかなる災害時においても公社部内の情報連絡や 災害に関する非常連絡を
確保するため 電波伝搬上 有利な短波周波数を使用する方式である
昭和45年になつて本社および通信局へTS-301形送受信機が設置された
送信出力300W 使用周波数4MHz~12MHz SSB電話専用でプレストーク方式
である この送受信機は遠隔制御が可能であり通話は離れたところから行うことができる
各端末は本社 通信局の外 最寄りの無線中継所へ分散配置されることになつており
東海では昭和45年8月1日に通信局に 他の1台を名古屋中統制無線中継所へ配備
したが昭和52年にはこれを名古屋中央電話局へ移設した


 TS-102形非常災害用短波無線機

電電公社時代の非常用短波無線
昔昔・・衛星通信も無い時代に電電公社は地方通信局と本社などを結ぶ非常用の無線電話(TS-301)や地方局同士の非常用短波無線(TS-102)が配備され通信孤立時に備えていた地方通信局(TS-301)は300Wでアンテナは短波アドコックアンテナで即ざに使えるようになつていたが地方局同士の短波通信機(TS-102)50Wは常時は倉庫に保管され非常にアンテナ(ロングワイヤー)やダブレットアンテナをそのつで設営して運用していた当時はマイクロ無線中継所に配備された私が勤務した下田のこのTS-102の真空管の無線機があり月1回の定時通信時はそのつどアンテナを屋上に設営して訓練してましたとのきの思い出で・・尾鷲無線中継に新しくTS-102が配備されるので電波検査時の実通試験に尾鷲と通信せよとの命令でした周波数は3MHz~6MHzに5チャンネルありCH1-3180KHzCH2-3687.5KHz,CH3-3757.5KHz
CH4-4905KHz,CH5-5345.0KHzでしたがその電波検査時間がお昼ごろだつたと思います当時私は新入社員でしたがアマチュア無線をやつていたのでまかされましたが指定された周波数が3MHz帯であつたのでアマチュア無線の体験より昼間の3MHz帯での尾鷲との通信は困難ですと進言したが3MHz帯で試験が始まったがS1ぐらいでやつと通信できたが電波管理局から注意を受けた記憶があります このTS-102はその真空管からトランジスターのTS-102Trに更新されたが
アンテアカプターだけはかわらなかつたこのカプラーは手動でしたが3Aの高周波電流計がありこれを最大調整し使ってましたが衛星通信や自動車電話や携帯電話が出来て廃止された
昔昔のお話しでした
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TZ-151 150.25MHz 152.25MHz
JRC製 150Mc(Mhz) / FM 1W トランシーバー

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図18



業務用無線システム“TZ-161A”を開発

災害対策に向けた地上系無線システム開発の取り組み その1

近年、頻発する大規模な自然災害等により、電気通信設備も多くの被災を受けています。NTTでは、災害時においても通信手段の早期確保を図るため、何時でも出動が可能な災害対策用無線システム(地上系/衛星系)を保有しています。

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背景

 電電公社時代に“工事用車両無線”という150MHz帯を使用したアナログ方式のプレストーク通話による無線が公社内(社内)連絡用として活用されていました。1991年“TZ-151B方式”に改良され秘話機能やデータ通信が可能になりましたが、携帯電話の爆発的な普及に伴い、TZ-151Bは次第に利用されることが少なくなってきました。
 東日本大震災が発生し、NTTの電気通信設備も甚大な被害が広範囲に発生しましたが、商用電源の喪失と携帯電話基地局のバッテリー切れによって、現地の被災状況の伝達や復旧作業指示に携帯電話を使用することが困難になりました。こうした背景から他事業者ネットワークに依存しない災害に強い社内連絡用無線の重要性が再び見直されました。
概要

 業務用無線システムは、通信経路が他社網に依存しないことから、甚大な災害時にも業務用通信を確保するための手段として有望です。

また一斉同報機能等を有していることから、災害時にも作業者への効率的な連絡手段として活用できます。

今後の予定
 2013年1月にNTT東日本、NTT西日本に成果提供しており、すでに導入開始されています

1. 業務用無線システムの構成

 開発した業務用無線通信システムの構成を図2に示します。構成する装置は、無線基地局装置、車載無線機、携帯無線機、可搬型中継機と、IPネットワーク上に構成する装置として、遠隔制御装置、指令卓、位置情報管理サーバがあります。

 音声通信機能は、無線基地局装置によって、無線回線を介して通信エリア内の車載無線機、携帯無線機と通信を行い、IPネットワーク上の指令卓との音声通信を可能とします。

 位置情報管理機能は、位置情報管理サーバで車載無線機、携帯無線機の位置情報を管理します。具体的には、車載無線機、携帯無線機にGPSセンサを搭載することにより、GPS衛星からの信号を受信し、自装置の位置を把握し、無線回線を介して位置情報を定期的に送信します。送信された位置情報は無線基地局装置を介して位置情報管理サーバに伝えられ、位置情報を定期的に更新しながら、遠隔制御装置に位置情報として地図上に表示することができます。

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2. 開発装置の外観

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①遠隔制御装置は、オペレータがいる場所に設置されます。

②無線基地局装置は、局舎や建物の通信機械室などアンテナに近い場所に設置されます。

③車載無線機は、車両内に設置され移動運用されます。

④携帯無線機は、作業者や屋外等の移動者が持ち運び、移動運用されます。

 (③車載無線機、④携帯無線機にGPSセンサを接続することで、位置情報を把握することが可能となります)

⑤可搬型中継機は、無線基地局装置と車載無線機及び携帯無線機間の電波伝搬距離が不足している場合、無線基地局装置の

 通話エリアを拡張するために、②無線基地局装置と③車載無線機及び④携帯無線機間に配置され移動運用されます。

3. 無線区間の諸元および通信エリア

 無線通信区間の諸元を表1に示します。無線通信区間エアインターフェースはARIB標準規格T102に準拠しており、狭帯域デジタル通信方式としてSCPC(Single Channel Per Carrier)、変調方式は4値FSK(Frequency-Shift Keying)を使用しています。無線周波数帯は160MHz帯、チャネル間隔は6.25kHzです。旧来NTTで使用されていたアナログ業務用無線システムと比較し、周波数利用効率が向上しており、同一帯域幅で3倍の通話回線を収容することが可能です


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日電製作所 V-1号 C 特殊聴話増幅器 1972年製

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企業遺産 ドコモのショルダーホン 日航機事故で緊急登板

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NTTドコモ
が発足してから25年が過ぎた。携帯電話の原型となった「ショルダーホン」をNTTが世に送り出したのが、1985年の暑い夏。当時の傍流だった開発者たちの思いが詰まったケータイはその後、誰も予想できなかった普及曲線を描く。

■超法規的措置で使用許可

85年8月15日、NTTの無線技術者だった加藤薫氏(66、現ドコモ取締役相談役)は、戦後最悪とも言われる航空機事故の現場に向かった。3日前に日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山だ。草をかき分けて登山し、山の尾根に立つと真っ黒な煙が見えた。
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「ここから先には立ち入れません」。現場捜索に追われる警官に加藤氏が差し出したのが、開発したばかりのショルダーホンだった。加藤氏は自衛隊の関係者を呼んでもらい、その場でショルダーホンが家庭の電話機のように通話できることを実演した。
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ショルダーホンの重さは3キロで一度の充電で話せるのは40分だけ。大きめの弁当箱のような箱に電話機がくっついている。ストラップで肩からぶら下げて持ち歩くが、当然ながらズシリと重い。社内では「着脱式自動車電話」と呼ばれ、あくまで持ち運べる自動車電話という位置づけだった。

それでも御巣鷹山の捜索で使われていた無線機より性能は高い。事前の性能評価では、山中に2つあった中継局を少なくとも1つにはできるという結果が出ていた。12台が捜索隊に提供され実際に使われた。

実はショルダーホンの商用化は9月に予定していた。この時点で電波利用の免許は得ていなかったが、NTTは郵政省(現総務省)に超法規的措置の適用を申請。水戸市と宇都宮市の拠点から電波を送ってつながるようにした。加藤氏をリーダーに8人を事故現場に送り込んだ。ショルダーホンは予期せぬ緊急登板でデビューした。

の6年前に日本電信電話公社(現NTT)に無線技術者として入社したのが、現ドコモ社長の吉沢和弘氏(62)だ。チューター役が加藤氏。2人ともショルダーホンの開発陣に名を連ねた。

■ケータイつくった「無線屋」

2人が次に目指したのが正真正銘の携帯だ。1年半後に完成したのが日本初の携帯「TZ-802型」だ。重さは約900グラム。当時としては画期的な小ささだった。

最も苦労したのは電波を捉えるアンテナだった。本体から引き出せる形に行き着くだけで1年ほどかかった。NECや松下電器産業(現パナソニック)など他社の技術者も訪ね歩いた吉沢氏は「自分一人では何もできないということを学んだ」と話す。

「無線屋」。固定電話の会社だったNTTで、加藤氏や吉沢氏は、半ば蔑みの意味を込めてこう呼ばれていた。完全な傍流だが、吉沢氏は「傍流だからこそ面白いことができる」と考えたと言う。92年にドコモの前身となるNTT移動通信網がNTT本体から分離される際に、吉沢氏は自ら手を挙げて参加した。

加藤氏は94年に加わったが部下から冗談交じりに「左遷ですか」と言われた。当時はまだ携帯ではなく女子高生の間で人気だったポケベルでなんとかやりくりしていた。

だが90年代後半になると携帯電話が一気に普及する。99年にはネットをケータイで使えるiモードが実用化され、ドコモが爆発的な成長を始めた。固定電話は97年を境に減少に転じ、かつての無線屋が主役に躍り出た。加藤氏は2012年にドコモ社長となり、16年には苦楽を共にした吉沢氏にバトンをつないだ。

だが、2人の無線屋がトップとなった頃、ドコモは新たな試練にさらされる。米アップルがiPhoneで幕を開いたスマートフォン(スマホ)時代への挑戦だ。

■iモードの成功が足かせに

ドコモはショルダーホンを源流に日本初の携帯電話を発売し、1990年代に携帯の王者となった。99年2月、その地位を盤石にするかに思えた新サービスを始めた。ネット接続サービス「iモード」だ。

iモードはドコモの3人の社員が中心となって生まれた。その一人、元雑誌編集者の松永真理氏(62)は著書「iモード事件」で「IT革命なんてそんな大それたことは、はなから思ってもいなかった」と振り返るが、紛れもなく電話とネットが融合するモバイルインターネット時代の到来という「事件」だった

その実力は当初から認識されていたわけではない。かつての無線屋、加藤氏が初めてiモードで読んだ電子メールは、3人衆の一人の榎啓一氏(68)から届いた。液晶の画面に小さく映る字に加藤氏は思わず言った。「榎さん、こんな字読めませんよ」

加藤氏の予想を反してiモードは爆発的にヒットする。ライバルのKDDIも「EZweb」で追随する。両社の意向を受けて日本の電機メーカーが次々と開発する端末は当時、間違いなく世界をリードしていた。だが、そこに落とし穴があった。iモードは日本国内で独自の進化を遂げ、海外展開で後手に回った。

2007年、本当の事件が起きる。米アップルが「iPhone」を発売し、スマホ時代の幕が開いたのだ。iモード機にこだわったドコモは完全にスマホの威力を見誤り、最先端だった日本製の携帯はいつしか、絶海で閉ざされた生態系を持つガラパゴス諸島になぞらえ「ガラケー」と呼ばれるようになる。

12年にドコモの社長に就任した加藤氏は翌年にiPhone導入を決めた。ソフトバンクに遅れること5年。不利な契約から不平等条約とも皮肉られ、NTTグループ内からも「ドコモはアップルの代理店に成り下がった」との批判も漏れた。加藤氏も「iモードの大成功が足かせになったのは否めない」と認める。

そこで方向転換を打ち出す。スマホそのものではなくスマホの周辺で生まれる「生態系」を収益源に取り込み始めた。雑誌が読み放題の「dマガジン」や映像配信の「dTV」だ。16年に加藤氏はかつてショルダーホンの開発で苦楽をともにした吉沢氏に社長のバトンを託した。異業種と連携して生態系を育てる路線は同じ。吉沢氏は「パートナー企業のビジネス拡大がドコモの成長につながる」と話す。

「スマートライフ領域」と呼ぶ生態系ビジネスの営業利益は17年3月期に初めて1000億円を超えた。それでもまだ利益全体の12%だ。自動運転、仮想現実(VR)、人工知能(AI)搭載ロボ――。吉沢氏は20年に実用化する次世代の携帯通信規格「5G」に向け、新事業のタネをまく。かつて自らの手で生み出した携帯ビジネスでの再挑戦が始まる。

(企業報道部 杉本貴司)

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