今日は何の日 7月1日

1968年(昭和43年) 電電公社が東京23区でポケットベルのサービスを開始 150MHz帯でサービス開始

無線呼び出し(むせんよびだし)とは、特定の手順によって、電波で小型受信機(通信機器)に合図を送るシステムである。主に連絡を取りたい相手が持っている通信機器に情報を知らせるために用いる。日本ではポケットベル、または略してポケベルとも呼ばれる。個人需要が高く最盛期を迎えた1990年代(平成)の流行期には若者ユーザーからは更に省略され、ベルの愛称で呼ばれた。英語ではpager(ページャー)またはbeeper(ビーパー)という。台湾ではBBCALLという電気通信事業者による電気通信サービス(公衆呼出し。日本ではNTTドコモグループ及びテレメッセージ各社が提供していた)と、特定の工場やビル内などを対象に設置されたもの(構内呼出し)がある。警察無線や消防無線の受令機も広義の無線呼出しである。こちらは無線電話の音声を受信でき、全対象者に命令の一斉伝達が、また聴いているであろう特定の相手を名指しすることで簡単な伝言が出来る。2017年4月6日以降、日本では電気通信事業者による無線呼出しサービスを、2008年10月にYOZANから会社分割した「2代目」東京テレメッセージが既存の顧客へのみ提供している

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150MHz帯のポケベルのお話

昔昔・・・まだ日本に自動車電話や携帯電話が無い時代に通信手段の方法として無線呼び出し通称(ポケットベル)が開発され日本では1968年7月1日にサービスを開始しました150MHz帯で出力250Wでビル内や地下まで届くよう町の真ん中で高出力で出したため150MHz帯での他の業務無線(警察・消防・救急など)やテレビに妨害を与えましてその対策に悩まれるまして特にテレビの混信苦情にはトラップを作り各家庭のテレビに付け回り作業におわれましたまたポッケトベルは1ヶ月の販売をメーカーは発注してその納品検査にNTTの職員がメーカーに赴き(NEC川崎工場)で検査し振動試験や感度試験を終えたポケベルを受け入りして開通としてマトリックス基盤にダイオードピンを刺し開通しましたまた料金滞納などの通話停止(通亭)はこのダイオードピンを抜く作業などがありました当時のポケベルはまさしくベルが鳴るだけですその後に数字メッセージが送れるようになり4649とか5963とか送りましたね!その後に数字いがいに文字やメッセージが送れるようになりまた また150MHz帯の混信妨害で250MHz帯になりました そんなポケベルですが自動車電話や携帯電話が出来て2017年3月に消滅しました
昔昔のお話しでした


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ポケベルの歴史

ポケベルの起源は1958年に米国で開始された「ベルボーイ」サービスだそうだが、ここでは日本に限定する。
 日本でサービスが開始されたのは1968年である。1986年頃から急速に普及した。1996年にピークに達し契約者数は1,078万人(うちNTTドコモ649万人)になった。その後、携帯電話やPHSにおされて急激に減少し、2007年にサービスが終了した

ポケベルとは
ポケベルとはポケットベルの略称で、ポケットベルはNTTの名づけた愛称であり、その事業を引き継いだNTTドコモはクイックキャストと名称変更した。世界的にはページャ(Pager)あるいは無線呼び出し(Wireless call)という。

~1985年:初期のポケベル

1968年 電電公社(現NTT)、東京23区でサービス開始。
その後、全国展開、高速化が行われたが、当初のポケベルは、一般の電話からポケベルへ一方向に呼び出し信号を送るだけであり、受信者は、それを見て、近くの公衆電話から送信者へ電話をかけるという利用方法であった。すなわち、電話の着信ベル機能だけをモバイルにしたようなものである。そのため、利用者は外出の多い営業部員や経営者、医療関係者に限られていた。
1978年 回線のデジタル化
回線のデジタル化は、一般電話、携帯電話に先だってポケベルで行われた。

1985年~1996年:ポケベルの急激な普及

1985年の通信自由化によりIDO(日本移動通信)、DDI(第二電電)(いずれも現KDDI)参入。1986年から87年にかけて、各地域に新規参入しサービスを開始した。
ポケベルへのデータ送信機能
一般電話(プッシュホン)から10文字程度の数字列を送りポケベルに表示できるようになった。これはその後、カナや漢字まで使えるようになった。

ポケベルにデータを送ることにより、送信者の電話番号や用件分類を伝えることができる。すなわち、不特定多数の電話とポケベルの間のネットワークが出現したのである。
 これに飛びついたのが女子高生である。彼女らは、数字しか利用できない環境でも、「0840=おはよう」のような語呂合わせや、仲間内での略語を作り出して、かなり複雑な会話を行っていた。携帯電話での「メル友」に相当する、「ベル友」ブームが出現した。
 1996年には、ポケベルの加入者数はピークの1,078万人になった。
1996年~2007年:ポケベルの衰退と消滅

1995年からPHSサービスが開始された。PHSは、携帯電話に比べて料金が安いこと、ポケベルに比べて双方向の通話やメールができることから、急速にポケベル利用者がPHSに移動するようになった。女子高生はPHSを「ピッチ」と呼び愛用するようになった。
 携帯電話の普及も急速で、1996年にはポケベル加入者のピーク数を超え12,400万人に達した。そして、1997年には、メールサービスも開始された。

ポケベルが競争力を失った最大の弱点は、双方向ではない(ポケベルから発信できない)ことにあった。1995年に米国で「ReFLEX方式」による簡易双方向通信サービスが開始されたのだが、この双方向ポケベルは、日本では上記の理由により実用化されなかった。

ポケベル側は、漢字表示機能(1996年)、基本料無料(1999年)などの対策を講じたが、急激に加入者数は急激に減少し、2007年に最大の事業者であるNTTドコモはサービスを終了した。これにより、商用ポケベルは事実上消滅したことになり、防災分野や無線LAN環境での特殊用途に限られるようになった(3470=さよなら)。なお、PHSも2008年にサービスを終了した。


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1968年( 昭和43年)7月1日電電公社が東京23区でポケットベルのサービスを開始

無線呼び出し


無線呼び出し(むせんよびだし)とは、特定の手順によって、電波で小型受信機(通信機器)に合図を送るシステムである。主に連絡を取りたい相手の通信機器に情報を知らせるために用いる。

日本ではポケットベル、または略してポケベルと呼ばれる。最盛期を迎えた1990年代平成)の流行期には個人需要が高く、若者ユーザーからは更に省略され、ベルの愛称で呼ばれた。NTTドコモによると1996年度のポケベルの総契約数のおよその内訳は、個人が70%法人が30%であり、新規契約数のおよその内訳は、個人が95%法人が5%だったとの事である。
英語ではpager(ページャー)またはbeeper(ビーパー)という。台湾ではBBCALLという。

電気通信事業者による電気通信サービス(公衆呼出し。日本ではNTTドコモグループ及びテレメッセージ各社が提供していた)と、特定の工場やビル内などを対象に設置されたもの(構内呼出し)がある。

警察無線消防無線受令機も広義の無線呼出しである。こちらは無線電話の音声を受信でき、全対象者に命令の一斉伝達が、また聴いているであろう特定の相手を名指しすることで簡単な伝言が出来る。

2017年4月6日以降、日本では電気通信事業者による無線呼出しサービスを、2008年10月にYOZANから会社分割した「2代目」東京テレメッセージが既存の顧客へのみ提供していたが、一般向けのサービスを2019年9月に廃止。これ以降は、自治体向けの「280MHzデジタル同報無線システム」のみで利用されている。


概説

1958年アメリカで世界初のサービス「ベルボーイ」が開始された[1]。当時は、交換手に呼出番号を伝えるものだった。やがて、特定の電話番号に電話をすることで呼び出すものとなり、DTMFで電話番号やメッセージを送信できるように多機能化が行われた。

1995年9月にアメリカでReFLEX方式による簡易双方向通信サービスが開始されている。

また、1990年代後半より、電子メールや事業者のウェブサイトからの呼出しに対応したものも登場している。

アメリカでは契約者が2002年末の1410万から2005年末には830万まで減少している。中国でもサービスの停止が発表されている。無線呼出しサービスは世界的に、消滅への流れを進めている[2]

技術

単方向通信であるので受信の確認に別の手段が必要である。また、携帯電話などの双方向通信と比較して加入者の位置追跡が困難である。そのため、他のサービス地域で呼出しを受信するためには、利用者自身が位置登録を行う必要がある。

周波数帯域あたりの加入者収容能力は非常に大きい。しかし輻輳時は呼出しまでの時間遅れが大きくなる。また、小容量の電池で長時間の使用ができるように、受信機をグループ別に分け、通信時間を限定する間欠通信方式となっている。

高出力の複数の送信局から同期した信号を送信し、広いサービスエリアを確保しており、同報通信に威力を発揮する。また、高速化に伴い送信局間のより精密な同期が必要となっている。

制御装置から送信局への情報の伝送は、狭い範囲の場合有線通信や地上固定無線通信が用いられ、広域のものは通信衛星回線が用いられることがある。また、端末への伝送手段としてFM放送に重畳するFM放送ページャーが一部の国で用いられている(日本でも制度上は実施可能[3])ほか、通信衛星からの電波を直接受信し全世界で利用可能な衛星ページャーも提供されている。

使用周波数帯
  • 150MHz帯 需要の少ない地域で用いられている。
  • 250MHz帯 世界的に広く使用されている。日本のPOCSAG:最大空中線電力250W
  • 450MHz帯 一部地域で用いられている。欧州のPOCSAG
  • 900MHz帯 建築物内への浸透性が悪いため中継設備が必要になる場合がある。欧州のERMES、北米のReFLEX:最大空中線電力1kW

日本の無線呼出事業

1968年 - 1985年頃まで (黎明期)

公衆サービスは1968年7月1日に、東京23区で日本電信電話公社により150Mc帯の多周波信号方式で開始された。開始当初の契約は4,751加入で、1969年3月末では11,708件の加入申し込みがあった。1971年3月末では、申込数39,090件、契約数13,672加入。申込みに契約が追いつかなかった、当時の人気のほどが伺える。ちなみに、公衆サービス開始前の1965年10月23日に放送されたNHK総合テレビの番組『スタジオ102』では、10月23日が電信電話記念日であることから、番組内でポケットベルの試作機が紹介された。この『スタジオ102』は現在、放送ライブラリーで視聴可能である。

電波法令上は、信号報知業務と呼ばれ、「信号受信設備(陸上を移動中又はその特定しない地点に停止中に使用する無線設備であつて、もっぱらその携帯者に対する単なる合図としての信号を行なうためのものをいう。)と信号報知局との間の無線通信業務」とされ、単に音響を発する為の信号を送出するだけのものだった。送信局は信号報知局と呼ばれた。

1978年には、加入者の増加とともにより250MHz帯のFSK変調200b/sのNTT方式のサービスが開始された。

初期の利用者の多くは、業務上で外出の多い営業職管理職経営者であり、電子音による呼出音が鳴るだけのため、呼び出されたら出先の公衆電話から事務所へ確認の電話を入れるという使用法だった。1978年には自動車電話がサービス開始されたが、料金が非常に高額で、ポケットベルが唯一の個人向けの移動体通信だった。


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ポケットベル B型 RC11。日本初のポケットベル。1968年製。未来技術遺産(重要科学技術史資料)第00087号。逓信総合博物館所蔵。


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ポケットベルM型


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ポケットベルA型


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ポケットベル B型RC11
2013年度 重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)に登録



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ポケットベル充電器





1985年頃 - 1991年頃まで(発展)

通信自由化

1985年通信自由化により、電波法令上では、無線呼出業務と改称され、「携帯受信設備(陸上(河川、湖沼その他これらに準ずる水域を含む。)を移動中又はその特定しない地点に停止中に使用する無線設備であつて、専らその携帯者に対する単なる呼出し又はこれに付随する信号を受けるためのものをいう。)と信号報知局との間の無線通信業務」とされ、音響のみならず文字その他の情報も送出できるものとなった。信号報知局は無線呼出局と改称された。


高速化と低料金化

1986年には150MHz帯の割当ては全廃され、250MHz帯のみとなった。更に1987年に400b/s、1989年に1200b/sへと高速化が行われた。

1987年以降は、各地域に設立された地場資本中心の新規参入事業者がPOCSAG方式で事業を開始して競争が激しくなった。そのため、ポケベルの利用料金は安くなり、販売ルートもスーパーマーケットコンビニエンスストア鉄道駅売店などに広がった。個人での契約も出現し、子供に持たせる親も現れるようになり、親子関係の希薄化・非行問題との関連が指摘され始めている。

また、電電公社のポケットベル事業は1985年成立のNTTを経て1991年にNTTドコモグループに移管された。

一方、1988年から1989年にかけては、日本移動通信DDIセルラーグループ(いずれも現在のKDDIau事業)の自動車電話や携帯電話への新規参入があった。しかし、まだその料金は一般の市民には高額であり、依然として業務でポケットベルを携帯させられていた従業員も多かった。


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ジャンク 動作未確認 日本電気 無線 送信機 アンプ 4点セット 超重量

日本電気TC-11形L号250WPA盤HPA-1194 1972年7月製 製造番号362号
日本電気TC-11形低中圧電源盤HPA-1531 1973年9月製 製造番号504号
日本電気TC-11形単相高圧電源盤HPA-1355 1972年7月製 製造番号362号
日本電気TC-11形高調波ろ波器 1977年7月製 製造番号489号
詳細は不明です

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ポケベル150MHz帯送信機TC-11
5F60R PowerAmplifier
お宝画像ありました
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1992年頃 - 1996年前半まで(隆盛)

数字送信の開始によるポケベルブーム

1987年にはプッシュ信号(DTMF)により数桁の数字を送れる機種のサービスが開始され、受信者が表示された電話番号(ナンバーディスプレイ機能を利用できた訳ではなく、メッセージ送信者が電話番号を数字メッセージとして打ち込む事により、受信者がその打ち込まれた電話番号のメッセージを受け取ったの意味)に電話をかけることが出来るようになり、業務での効率的な利用が可能となった。また、1990年代に入り個人契約でメインユーザーの一角になりつつあった女子高生を中心に、例えば「14106」=「アイシテル(愛してる)」というように、数字の語呂合わせでメッセージを送る一種の言葉遊び1992年頃から流行し始め、1990年代中盤には個人対個人で他愛ないメッセージを送りあう道具として急速に普及し、頻繁に利用された。伸び悩んでいた個人契約数が一気に伸び始めたのはこの頃からである。

数字で送り合うメッセージには、日本語の方言も存在し、関西九州の一部地域では「1410」=「アイシトオ(愛しとお)」というような使い方もされた。東海では「86] 10 [10- 4106 0U3」=「パルコデカイモノシテルマユミ(パルコで買い物してる 真由美)」というように、[、]、-、Uという記号も五十音の一部として活用する数字と記号が入り混じったメッセージが主流であり、地域毎に特徴があった。

数字のメッセージは「724106」=「ナニシテル(何してる?)」「4510」=「シゴト(仕事)」、「106410」=「テルシテ(TELして)」「114」=「イイヨ(良いよ)」のように半ば定型文的な使われ方をされたイメージがあるが、上記の東海の例のように複雑な日常会話レベルのやり取りを一部のユーザーは行っており、解読には暗号や五十音の語呂合わせの数字の共有、互いの行動傾向や趣味等を深く理解している必要があった。数字の暗号や語呂合わせはキャリア・地域・世代・グループ間で差があり、ある程度は共通の使い方はされたものの、全く知らない同士が複雑なコミュニケーションを取るのは不可能だった。


ポストバブル期の社会風俗の象徴

社会に与えた影響も大きく、1993年に製作されたテレビドラマ『ポケベルが鳴らなくて』や、同名の主題歌がヒットし、さらには最盛期にかけて特定時間帯の輻輳によるメッセージ配信の遅延、発信用公衆電話の酷使による故障が相次ぎ、事業者は対応に追われるようになった。ブーム期の頃はテレビドラマ漫画などでも、女子高生を象徴するアイテムとして頻繁に登場した。その理由は、1993年に女子高生ブームが到来し1992年頃から東京の一部女子高生の間でブームになっていたポケベルとそれをメッセージコミュニケーションツールとして使う彼女達の姿をマスメディアが頻繁に取り上げたためである。その影響を受けてブームが全国的に波及し、女子高生ばかりでなく男子高生や大学生や若い社会人まで個人の利用者層を伸ばした。バブル時代まではサラリーマンのビジネスツールでしかなかったポケベルは、若者の出先でも気軽に連絡を取れるツールやコミュニケーションツールとして活躍するようになり、1996年の最盛期には個人契約が加入数の大多数を占めた。その背景には個人の自由に使える連絡手段を求める当時の若者からの需要があり、携帯電話の所有コストは高かったため、コストの低いポケベルへ流れたのが一つの大きな理由と考えられる。また、メッセージが直ぐに届く即時性、個人間の秘匿性の高いやりとり、多くの人と繋がる事のできるネットワークの広さ、時間帯を気にせず使える気軽さ、返したい時に返信すれば良い負担の軽さ、要件をストレートに伝える短い文もポケベル人気を支えた。

1995年には無線呼出業務の定義が「携帯受信設備(陸上移動受信設備であつて、その携帯者に対する呼出し(これに付随する通報を含む。(中略))を受けるためのものをいう。)の携帯者に対する呼出しを行う無線通信業務」となった。

1996年(最盛期):文字送信も可能へ

数字だけでなく、カタカナアルファベット絵文字のフリーメッセージが画面に表示できて着信メロディに標準対応したタイプをテレメッセージ各社は1994年から、NTTドコモグループは1995年に投入。なお、ドコモは1991年より一部機種が有料オプションでカタカナ等のフリーメッセージに対応していたが利用者は少なかった。

誰でも読めるカタカナのフリーメッセージに対応した事でメッセージでの会話の幅が大きく広がり、ポケベル人気は更に上昇した。センティーA・センティーB(ドコモ)やモーラ・テルソナ・アーキス(テレメッセージ)等、カナのフリーメッセージに対応した機種の中には品切れになる程の物もあった。定型文のみの対応ながら、漢字まで画面に表示できるタイプもドコモ・テレメッセージ共に1995年に登場し、1996年には事業者によるが標準機能として30桁の数字(カナで14文字)をメッセージとして受信できる機種が発売された。また、加入者の増大に対応するためFLEX-TD方式の導入が開始された。最盛期の1996年6月末には、約1077万件の加入者があった。

カナのフリーメッセージ入力には「ポケベル打ち」というコード入力が必要で、一種の特技として電話機のテンキーで高速にこれができる人はユーザーから崇められ、テレビ等のメディアで驚きを持って紹介される事もあった。この頃ポケベル・ルーズソックスプリクラ手帳は女子高生の三種の神器と呼ばれる事もあり、女子高生のマストアイテムとしての地位を確固たるものとしていた。しかし、地方に目を向けるとポケベルは、自分自身が使った事が無いので得体が知れない、自分もポケベルはおろか携帯電話も持っていないのに子供にはまだ早い、非行に走るかもしれない等の理由から親世代からの評判は総じて良くなく、親から許しが出ないので持ちたくても持てず、あるいは周りで所有者が少なかったため実際にブームを感じる事無く非所有に終わる者も多かった。また、地方の山間部等のエリアは無線呼出局が未整備である場合も多く、ポケベル自体が使い物にならないという場合もよくあった。

ポケベルにメッセージを送るために公衆電話に行列ができたり、メッセージを送り合う会った事もない友達、若しくは日常生活で面識が薄くともポケベルでは頻繁にコミュニケーションを取る友達を表したベル友という言葉が流行した。対面コミュニケーション機会の減少による若者の人間関係の希薄化を危惧する声も多く、ポケベルのメッセージを送るための家庭電話の使い過ぎによる高額請求、偽造テレホンカードの過度な流通、ポケベルによるイジメや嫌がらせ、ポケベル依存症、学校生活の妨げになるとして教師が学校内の公衆電話を使用禁止にしたりメッセージを送れないように♯ボタンを接着剤で固定するなどの問題も噴出していた。

また上記のベル友のように、当時の女子高生達(コギャル)を中心に様々なポケベルに関する略語が生み出され、下記のベル番やベルナン等、一般ユーザーにも広く利用される略語もあった。

  • ベル番(ポケベルの電話番号
  • ベルナン(当てずっぽうのポケベルの番号にメッセージを送りナンパする、又はされる)
  • シカベル(ポケベルにメッセージが入ってもシカトする、又はされる)
  • 空ベル(ポケベルは鳴ったがメッセージが何も入っていない)
  • イタベル(イタズラ目的でポケベルにメッセージを送る、又はメッセージが入る)
  • ウザベル(うざったい相手からポケベルにメッセージが入る)
  • 鬼ベル・ガンベル(頻繁にポケベルにメッセージを送る、又はメッセージが入る)
  • ベルフレ(ポケベルフレンド。ベル友と同義語)
  • ケツ番(メッセージの最後=ケツに入力する数字の番号。自分の名前やニックネーム等を初期のポケベルのような数字の語呂合わせにして入力した。主に東海で利用された略語)

1992年のブーム初期から1996年の最盛期にかけて数字のメッセージまたはカナのメッセージでポケベルをコミュニケーションツールとして利用し、個人ユーザーの中核をなした1970年代半ば辺りから1980年生まれぐらいまでのポスト団塊ジュニア世代を指してポケベル世代という場合がある。ブーム期にドコモのポケベルのCMのイメージキャラクターを務めた葉月里緒奈は1975年生まれで、広末涼子は1980年生まれである。

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1996年後半 - 1998年(衰退)

1994年に携帯電話端末の買切り制導入、同じく1994年に携帯電話の新規参入第二弾のデジタルホン(現ソフトバンク)とツーカー(現KDDI)両グループの事業開始、さらに1995年10月に各PHS事業者の事業開始となった1996年以降は携帯電話事業者同士、そして携帯電話事業者とPHS事業者のシェア争いが本格化した。安価だったPHSに対抗するため携帯電話の本体代や料金プランが急速に低下。これに伴い特に若い社会人の間でも携帯電話の普及が本格的に始まると、1996年6月にピークを迎えていたポケベルの加入者数は緩やかに減少し始める。ただ、この時点では携帯電話、PHSがつながりにくく、通話可能でも電波が弱い、通話が不可能なエリアも多かったという弱点もあり、ポケベルと、携帯電話あるいはPHSの2台持ちという兼用の仕方も見られた。ポケベルと携帯電話やPHSの一体型も発売されている。1996年にドコモが新人だった広末をCMに起用。広末人気が爆発的に上がったものの、ヘビーユーザーであればあるほど所有コストがかさむFLEX-TD方式対応の新シリーズのポケベルの販売は期待された程ではなかった。さらにポケベルの顔とも言うべき存在になった広末が大学に進学する1999年に、そのまま携帯電話のCMに起用する皮肉な結果になる。この頃ドコモはFLEX-TD方式対応のインフォネクストポケベルを発売しており、カナで49文字までのメッセージを受信できる機種もあった。しかしビジネスユーザー向けである事と、短文に慣れていた若者の個人契約者にはそこまでの文字数は必要ではなく支持を集められなかった。

買切り制が導入された1994年からは法人契約のポケベルの解約が増加。1992年のブーム初期から最盛期の1996年にかけての爆発的な個人契約増加の裏では、医療機関を除き一般企業のポケベル離れが年々進んでいた。

1997年は首都圏の女子高生や女子大生間、地方の学生間を中心にブームは継続中で、この頃には一部の中学生までブームは波及していた。6月のドコモを皮切りに各携帯電話事業者がショートメッセージサービス機能が内蔵された携帯電話を1997年末にかけて次々と発売。メインユーザーの内の高校生層を除く10代後半から20代前半の若者が急速にポケベル離れを起こし始め、最後の流行期となった(同時に中高生を除いてPHS離れが始まり1997年10月以降はPHSの加入者数は減少する)。

1998年当初は全国的に見ると、高校生層を除く10代後半から20代前半の若者の主たるコミュニケーションツールとして、ポケベルは携帯電話と拮抗していたものの、加速度的なポケベル離れは止まらず、携帯電話はその利便性の高さからポケベルを敬遠していた層にも受け入れられた。一方で現役中高生に関しては1998年中もポケベルはまだ主要な地位を占めており、在学中に親から携帯電話を買い与えられたり、ポケベルから携帯電話へ乗り替えたりする例はそれほど多くはなくPHSの普及も進んだものの、この年(1998年3月)に高校を卒業した者は進学や就職を機に携帯電話へ乗り替えたり携帯電話の新規購入をするのが一般的になっていた。

このように1996年後半から1998年のポケベル衰退の原因は法人契約が携帯電話端末の買切り制導入と低価格化により携帯電話へ移行し減少した事と、個人契約は1996年後半から1997年前半は携帯電話の低価格化によりメッセージコミュニケーションに重点を置かなかった主に若い社会人層や一部大学生層が携帯電話(一部はPHS)へ移行し、1997年後半から1998年内はメッセージコミュニケーションを必要とした主に大学生層や若い社会人層が携帯電話へ、一部高校生層がPHSや携帯電話へ移行したためである。わずか2年半程で大多数の若い社会人と大学生の個人ユーザーを携帯電話に奪われ、ブームを牽引した高校生の個人ユーザーもPHSや携帯電話に食われ始めたため、更なるユーザー数の増加を見込んで設備投資を行っていたポケベル事業者の経営は圧迫された。加入者数は1996年12月末に1045万、1997年12月末に825万、1998年12月末に452万と推移している。


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1999年 - 2019年(消滅から防災向けへ)


携帯電話は1999年2月にドコモのiモードサービス、4月に現auのEZwebの全国サービスが開始。携帯電話事業者のwebサービス開始に伴う電子メールサービスやショートメッセージサービス機能が内蔵された携帯電話が普及し多機能化していくと一般ユーザーにとってのポケベルの存在意義が薄くなり、1999年12月末には加入者数が241万件まで激減した。2000年にauがガク割サービスを開始。他携帯電話事業者もこの頃には激安プランを提供している場合もあり、高校生への携帯電話の普及が進み始めポケベルの契約数を支えた学生にとってもポケベルの魅力は全く無くなってしまった。

1999年5月、新規参入事業者で最大手だった東京テレメッセージ(初代)がシステムの高度化の設備投資の資金を回収できず会社更生法の適用を申請して倒産した。東京テレメッセージは、この後、日本テレコム主体で「東京ウェブリンク」に改称して再建した後、2001年に株式会社鷹山(現 YOZAN)が買収して「マジックメール」に再改称し、最終的に2002年に鷹山に吸収合併された[5]。また、その他の各地に設立された新規参入事業者はNTTドコモに加入者を移管し、2001年までに首都圏1都3県および沖縄本島を除き事業を停止した。

この頃から、自動販売機タクシーバス車内に端末を設置し、配信されたニュース速報や緊急防災情報、広告等を電光表示板で表示するという使われ方も行われるようになった。そのため、NTTドコモでは、それまでのサービス名「ポケットベル」を、2001年1月に、クイック(Quick)とマルチキャストから作った造語である「クイックキャスト」に変更した。

しかし、日本全国単位としては唯一ポケットベル事業を手がけるNTTドコモも、2004年6月30日に新規契約の受付を終了、2006年10月に解約金を無料にし、そして2007年3月31日でサービスを終了した。500箇所までの同報用途の代替サービスとして、iモードメールを利用した「グループキャスト」[6] を提案している。

NTTドコモグループの営業最終日である2007年3月末時点では、無線呼出しの契約数は163,227契約となった。前年同期比63.7%の減で、事業撤退に向け、前述の2006年10月に解約料を無料にしたことが考えられる[7]

YOZANは、2008年10月1日に会社分割を行い、ポケットベル事業を行う新会社「東京テレメッセージ」を設立した。その後、東京テレメッセージは2011年に無線呼出事業の将来性に目をつけたMTSキャピタルの完全子会社となり280MHz同報無線システム事業に本格的に取り組むことになった。

東京テレメッセージは同報系市町村防災行政無線を代替する安価なシステム「280MHzデジタル同報無線システム」を神奈川県茅ヶ崎市と共同開発し、2013年から稼働した。仕組みはポケットベルを応用したもので、放送内容を文字情報として送信し、受信機に内蔵された音声合成装置で文字情報を音声に変換して放送するものである。以後千葉県鴨川市岐阜県瑞浪市などに採用され、2019年4月時点で全国で32の自治体が導入している。なお東京テレメッセージの従来のサービスエリアは関東地方のみであったが、「280MHzデジタル同報無線システム」の展開を機に、2015年から福島県茨城県山梨県、岐阜県などで開局。サービスエリアを全国に拡大しており、新たな用途として活路を見出している[8]

2017年4月5日、沖縄テレメッセージは、沖縄県内のサービスを終了[9] した。以降は東京テレメッセージが南関東1都3県をサービスエリアとして、既存の顧客へのみ提供している。

2018年12月3日、東京テレメッセージは、個人向け呼び出しサービスを2019年9月30日に終了すると発表[10] した。 端末の製造終了から20年を経過して利用者も1500人を割り、地方自治体向け情報通信サービスに経営資源を集中するために個人向けサービスを廃止するということ[11] である。 利用者は主に医療関係者とされる。個人向けサービス終了後の地方自治体向け情報配信サービスでは「文字通信」を強みに「防災無線」に注力するという。[12]


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280MHzデジタル同報無線システム 震災の教訓から進化した情報伝達手段(東京テレメッセージ)

280MHzデジタル同報無線システム
ポケベルは20年前にあっという間に携帯電話にとって代わられた。文字しか伝えることができない通信サービスを提供する会社は、次々と消えていった。ポケベルで使われている280MHz帯電波は、その強力さゆえに有事において拠りどころになる。10年前に、この会社は280MHz帯電波を使った地域情報配信システムを作り上げ、全国の自治体が使えるように計画した。この会社の役割は、ただ計画を実行することだけだったしかし、3.11に間に合わなかった多くの人が巨大津波の襲来を知らず家の中にいた。多くの人が原発事故のため避難しなければならないことを翌朝まで知らなかった。せっかく守ってきた強力な電波も使われなければ全く意味をなさない。それから2年、廉価な280MHz防災ラジオができた。システムも現場の発想であらゆる事態を想定して手直しを行った。3.11以降、危機管理に携わる全ての人たちの真剣さが、埋もれていた10年前の計画の実行に弾みをつけている。計画の実行を加速すべき理由がある。南海トラフ地震、原発、噴火と自治体を超えた広域災害。首都直下地震での外国人を含む帰宅困難者の安全確保。
原始的で確実な「文字通信」こそが、停電や地上回線が破断する有事に於いて、国による自治体からの情報収集と自治体への情報提供、自治体による住民への情報伝達、訪日外国人への多言語での情報提供に威力を発揮する。


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ポケベルの送信装置が「未来技術遺産」に--NTT技術史料館が所蔵

NTTは9月2日、NTT技術史料館が所蔵しているポケットベル送信装置3機種が、“どこでもつながる「ポケベル」を支えたインフラ”として、国立科学博物館の重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録されたと発表した。

 1990年代に若者を中心とした“ポケベルブーム”を巻き起こしたポケットベルは、1968年に東京都23区内でサービスを開始。最初のサービスは、特定の電話番号に電話をすると受信者のポケットベルが鳴動するだけのシンプルなものだったという。

その後、サービスの多様化や受信機の小型化などへの対応を目的に、1978年8月から200bpsデジタル信号方式によるサービスがスタート。1989年には、文字情報を送信するなどのサービスの高度化と高速化を図るため、1200bps高速デジタル信号方式が開発され、自由文の送信を可能にするなど高機能化が進んだ。

 今回、未来技術遺産に登録されたのは、サービス開始当初に使用されていた「TC-11形送信装置」と、1200bps高速デジタル信号方式で使用されていた「TC-15形送信装置」と「CE-15形A符号化装置」。ちなみに、2011年には“日本初のポケットベル端末”として「ポケットベル B型 RC11」が登録されている。

 なお、NTTドコモが展開していたポケットベルサービスは、携帯電話・PHSの普及とともに1996年の649万契約をピークに減少を続け、2007年3月末にサービスを終了している。


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NTT技術史料館の所蔵史料においては、これまでに以下の技術史料が『未来技術遺産』に登録されています。
(1) 内航船舶無線電話装置 NS-1号 JAA-333 (2010年度登録)
(2) ワイヤレステレホン(大阪万博出展の携帯電話) (2010年度登録)
(3) 自動車電話 TZ803A (2010年度登録)
(4) マイクロ波4GHz帯用進行波管 4W75A (2011年度登録)
(5) ポケットベル B型 RC11 (2011年度登録)
(6) D10形自動交換機 (2012年度登録)


ポケットベル送信装置 TC-11形送信装置

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ポケットベル送信装置 TC-15形送信装置
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ポケットベル送信装置 CE-15形A符号化装置
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IZ-260形4号アンテナ共用装置

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TR-260形送受信装置

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ポケットベル B型RC11
2013年度 重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)に登録

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【ポケットベル】遺影に「1141064」 あす終了、秋葉原駅そばでポケベル葬

2019/09/29(日)
「個人向け通信呼び出し」のポケットベルが今月30日でサービスを終える終了を前に、「みんなのポケベル葬」が29日、JR秋葉原駅そばであった。主催は東京都葬祭業協同組合仕事柄、急な連絡が頻繁な葬祭業者にとってポケベルは必携だったといい、お葬式は「感謝の気持ちを込めた」としている2時間半の催しには買い物客などを含め約300人が参加「1141064」(愛してるよ)と表示された「ポケベル」のパネルを遺影に見立て、訪れた人が次々と白いカーネーションを献花し、頭を下げた主催者の一人、協同組合青年部の前部長、渡辺幸次さん(31)によると、自らはスマホ世代そこで遺影のポケベルにどんな数字がふさわしいか、先輩らに尋ねてみると、「49106(至急テル=電話をして)」や「0840(オハヨー)」などが挙がり、最も多かったのが「愛してるよ」だったという。

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【通信】ポケベル、半世紀のサービスに幕…9月30日にサービスを終了

2019/09/29(日)
3470(さよなら)ポケベル―。「ポケットベル」の愛称で親しまれ、1990年代にブームとなった無線呼び出しサービスを、全国で唯一展開していた東京テレメッセージ(東京)が9月30日にサービスを終了する。半世紀にわたり続いたが、携帯電話に取って代わられ、通信手段としての役目を終えた東京テレメッセージは9月30日深夜から10月1日にかけてポケベル用の電波を順次止めるポケベルのサービスは、固定電話から特定の番号に電話すると、小型受信機の呼び出し音が鳴る仕組み。日本電信電話公社(現NTT)が1968年にサービスを開始した。

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広末涼子 - ドコモポケベル初CM[1996]

























NTT ポケットベル CM【 高嶋政宏】1990 ポケベル


 



無線呼び出し



NTT ポケベル CM 1987年


 



1987-2000 ポケベル&携帯電話CM集 with Soikll5



ポケベルが鳴らなくて OP 国武万里 1993


【テレビ】ポケベル全盛期に制作! 1993年の『ポケベルが鳴らなくて』を振り返る
2017/09/29(金)
ショルダーフォンからPHS、液晶画面付き携帯、第3世代(3G)携帯電話、そしてスマホへ……。これまで多様な進歩を続けてきた携帯型通信機器。なかでもモバイル通信の歴史において、異彩を放つ過去の遺物といえば、「ポケベル」でしょう。ポケベルことポケットベルは、完全受信型の通信端末。日本では、1968年に日本電信電話公社よりサービスが開始し、80年代後半から通信速度の高速化・低料金化が進み、利用者数が拡大。90年代に入ると、女子高生を中心に一大ブームとなり、数字を使った語呂合わせでメッセージを送るという暗号のような言葉遊びが流行します。若者の間でブームになったポケベルたとえば、「0833=おやすみ「114106=あいしてる」などの基本的なものから、「999=サンキュー」、果ては、「-015=ボウリング行こ」まで(「-0」はボウリングを意味)。今の常識から考えると、なんとも不便。けれども、手紙と固定・公衆電話しか連絡手段がなく、好きな子の家に電話しようにも、親御さんが出たらどうしよう……などとビクビクしなければならなかった時代。当時の若者にとって、気軽に持ち歩けていつでも連絡を受けられるポケベルが、いかに画期的なものだったのかは、想像に難くないというものでしょう。そんなポケベルが隆盛を誇っていた90年代前半。一つの象徴的なメディアコンテンツがつくられて、大きな話題を呼びました。それが本稿で紹介する『ポケベルが鳴らなくて』ですドラマは流行らなかったが、曲は大ヒット『ポケベルが鳴らなくて』は連続ドラマとその主題歌。ドラマでは企画担当として、曲では作詞担当として、秋元康が携わっており、いずれも1993年に製作されました。ドラマの方は、日本テレビ系列で土曜21時台に放送。
妻子あるサラリーマン役の緒形拳が、海外出張中に知り合った29歳下の旅行代理店社員・裕木奈江と不倫関係になり、そこから家族関係が破綻していくという、昼ドラライクなドロドロ系愛憎劇です。

道ならぬ恋に揺れる2人をつなぐツールとしてポケベルが活躍する同作でしたが、視聴率は平均で12.1%、最終回で13.4%と振るわず。
けれども、楽曲の方は70万枚を売り上げる大ヒットとなり、歌い手をつとめた国武万里(くにたけまり)は、同年に日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

1996年以降、急速に下火になっていったポケベル

実際、作詞:秋元康×作曲:後藤次利という「おにゃん子コンビ」によってつくられたこの曲は、一度聴いたら耳から離れない良曲。

「ポケベルが鳴らなくて 恋が待ちぼうけしてる」「早く 私、呼び出して…」など、ポケベル流行期ならではの歌詞が、なんとも時代を感じさせます。
現代版にリメイクするとしたら、「既読がつかなくて」といったところでしょうか。

この『ポケベルが鳴らなくて』だけに限らず、90年代前半のドラマや漫画などでは、度々ポケベルが若者文化の象徴として登場していたものの、1996年以降、急速にその流行は衰退していきます。…



ポケベルが鳴らなくて OP 国武万里 1993









1993年(平成5年)流行・出来事/年代流行

■ポケベルは社会に与えた影響も大きく、1993年に製作されたテレビドラマ『ポケベルが鳴らなくて』や、同名の主題歌がヒットし、さらには最盛期にかけて特定時間帯の輻輳によるメッセージ配信の遅延、発信用公衆電話の酷使による故障が相次ぎ、事業者は対応に追われるようになっブーム期の頃はテレビドラマや漫画などでも、女子高生を象徴するアイテムとして頻繁に登場した。

■携帯電話は1993年3月にNTTドコモがPDCデジタル方式(第二世代携帯電話(2G))の携帯・自動車電話サービスを開始し、世界初のデジタル携帯電話を使ったデータ通信サービス(2,400bps)を開始

■皇太子・雅子さま御結婚

■サッカーJリーグ開幕■ロスタイムの失点でW杯出場を逃す(ドーハの悲劇)

■新幹線「のぞみ」が山陽新幹線で運行開始■福岡ドームが完成■日本一の高さを誇る超高層ビル、横浜ランドマークタワーが開業

■レインボーブリッジが開通

■ウインドウズ3.1(マイクロソフト)

■インターネット (アメリカで大学や研究機関を中心にコンピュータ・ネットが生まれた)

■聞いてないよォ (「お笑いウルトラクイズ」で生まれたダチョウ倶楽部のギャグ)■コギャル (少女性を残しながら健康的に遊びなどを楽しむティーン・エイジの女の子)

■ブルセラ (女子高生のブルマー、セーラー服のこと。女子中高生が身につけていた下着などを売る店)

■どたキャン (土壇場でキャンセルすること 元来は芸能界で用いられたことば)

■リストラ (語源はリストラクチャリング(事業の再編成)だが、解雇の意味に使われた)ポストバブル期の社会風俗の象徴。



 いま整理してたら1993年(平成5年)のCQ誌12月号が出てきて26年前の広告にちょっと釘ずけ

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