(静岡市葵区の賤機(しずはた)山山頂)

今日は何の日 6月20日
静岡大空襲。B29・137機が静岡市に空襲。死者1952人
静岡大空襲(は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明にかけて、アメリカ軍のB-29爆撃機137機により旧静岡市(現在の静岡市葵区・駿河区)の市街地が受けた空襲である。マリアナ諸島から飛び発ったアメリカ軍第314航空団のB-29大型戦略爆撃機137機は伊豆半島波勝崎付近から本土上空に侵入、伊豆半島上空を北上し、富士山手前上空で旋回し静岡市上空に向かうが、一旦静岡市街上空を通過し、御前崎上空から再び静岡市街上空へと向かった。3時間余りの爆撃で投下された焼夷弾は13,211発被害は死者1,952名余、負傷者5,000名余、焼失戸数26,891戸に上ったこの静岡大空襲を含め、旧静岡市は1944年(昭和19年)暮れから終戦迄に合計26回の空襲を受けている昭和20年(1945年)3月に東京大空襲(10日)、名古屋大空襲(12日)、大阪大空襲(13日)、神戸大空襲(17日)と日本の大都市を破壊したアメリカ軍は、その後、地方主要都市に目標を移した。アメリカ軍資料によると選定は昭和15年(1940年)国勢調査の人口に基づくものであり、静岡市は15番目であった同年4月7日の空襲により、住友金属及び三菱重工の両軍需工場は機能を停止していた空襲時、西伊豆一帯や沼津市、富士市辺りからは駿河湾越しに静岡市街が真っ赤に燃えているのが解ったと云う。
また、山を挟んだ榛原地域などからも静岡市街上空が真っ赤になっているのが見えたと云う。
空襲の後、丸焼けになった静岡市街に米軍機が飛んできて、「早く降伏すれば贅沢ができる」の文字と、御馳走の写真が刷られたビラ(伝単)をばら撒いた。
B-29爆撃機は、富士山を目標に本土へ飛来してくるので、静岡県特に駿河湾沿岸域は、警戒警報や空襲警報がひっきりなしに鳴ったという。また、空襲以外にも駿河湾に進入した米軍艦の艦載機グラマンが、数機編隊で次々と駿河湾沿岸地域へ飛来し、機銃掃射や波状攻撃を行った。工場や港は勿論、農作業中の人達なども狙われ、生産活動は停止。多くの市民が犠牲になったにもかかわらず、軍の命令で被害情報は全て秘密とされた
毎年6月19日前後の週末、賤機山山頂において慰霊祭が行われている。この際、亡くなった静岡市民の霊を慰めるだけでなく墜落したB‐29搭乗員の慰霊も併せて行われ、日米関係者が出席する合同慰霊祭となっている
昭和20年6月19、20日の静岡大空襲で犠牲になった市民と、空中衝突して墜落死したB29の搭乗員を供養する「静岡空襲日米合同慰霊祭」が7日、静岡市葵区の賤機(しずはた)山山頂で営まれた。42回目となる今年の慰霊祭では、長年、私費で慰霊祭を主催してきた僧侶、伊藤福松さんや医師、菅野寛也さん(80)らの取り組みに対して、米国政府から友好の印として「ハナミズキ」が贈られた。
慰霊祭には、在日米軍横田基地や自衛隊静岡地方協力本部の関係者や市民ら約200人が参列。菅野さんや来賓として出席した田辺信宏静岡市長、ロナルド・ヘイズ元米太平洋軍司令官らが、ハナミズキを植樹した。田辺市長は「静岡市長として初めて慰霊祭に参列したのを光栄に思う」とあいさつした。
日米関係者のあいさつの後は、静岡市民の犠牲者を弔う観音像に日本酒が、B29の搭乗員の慰霊碑には搭乗員の遺品の「黒こげの水筒」を使ってバーボンウイスキーが献酒され、参列者が手を合わせた。菅野さんは「長年続けてきたのが形になった。伊藤さんが一番喜んでいると思う」と話していた。
The ceremony commemorates the events of June 20, 1945, when two B-29s collided above Shizuoka City. The entire crew from both aircraft perished along with more than 2,000 Japanese citizens in the densely populated city. Even though war was underway between the U.S. and Japan, Fukumatsu Ito, a Japanese farmer, respectfully buried the American Airmen alongside the Japanese citizens and erected two monuments atop Sengen Hill in their honor.
Upon arriving at Sengen Shrine in Shizuoka, Airmen walked up the hill with fellow patrons to visit the monuments.
Dr. Hiroya Sugano, the host of the ceremony, gave welcoming remarks.
"Hate cannot be eliminated by hate," Sugano said. "We must not forget there are sacrifices of both countries behind today's peace. I believe that promoting mutual understanding, friendship and good will can avoid many troubles between countries, even a war."
Following Sugano's address were remarks by Seiji Takai, an inspector for the Committee of the Survivors of Shizuoka City; Lt. Col. James Hackbarth, 374th Operations Support Squadron commander; and Col. Takayasu Yamashita, Shizuoka Base, Japan Air Self-Defense Force commander.
"We gather here as friends and allies to remember those who lost their lives, and the benevolence of one man," Hackbarth said. "The actions of Itoh-san serve as an example of the potential for compassion that exists in all of us. Let us continue to strengthen the bond our two great nations share and ensure harmony and freedom for future generations."
After the remarks, Hackbarth and Yamashita presented flowers at the base of each shrine.





























2018年
静岡空襲犠牲者日米合同慰霊祭 6月23日(土曜)
静岡市葵区の賤機(しずはた)山山頂
太平洋戦争末期の静岡空襲で犠牲になった市民と、墜落した米軍爆撃機B29の搭乗員を追悼する日米合同慰霊祭が23日、静岡市葵区の賤機山で営まれまう地元遺族や在日米軍関係者ら約150人が黙とうをささげ、平和への誓いを新たに します






20日は静岡浅間山神社の裏山で
日米合同慰霊祭にいつてきました戦後70年
当時B-29が2機が空中衝突して23名の米兵が死亡
これら敵国の戦士者を手厚く慰霊してきました















静岡空襲75年「歴史消さぬ」 日米慰霊祭、思いつなぐ
(2020/6/21 07:15)
太平洋戦争末期に米軍の爆撃により多数の死傷者を出した静岡空襲。75年が経過した20日、犠牲になった市民と墜落した米軍爆撃機B29の搭乗員を追悼する日米合同慰霊祭が静岡市葵区の賤機山で営まれた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で例年は参加している米軍側の参加はかなわなかったが、関係者は「ともしびを絶やさないように」と平和への思いを新たにした静岡空襲では2機のB29が爆撃中に空中衝突し、市内に墜落。搭乗員の米兵23人が犠牲となった。慰霊祭の会場の賤機山山頂には日米二つの慰霊碑が立つ。僧侶伊藤福松さん(故人)が建立し、敵味方の分け隔てなく死者を弔ってきた伊藤さんの思いをくみ、長年にわたり慰霊祭を主催する医師菅野寛也さん(86)=同区=は空襲当時、小学6年生。やけどを負いながら火の海を逃げた記憶をたどり、「75年前の歴史を消してはいけない」と強調する今年で48回を迎えた合同慰霊祭には、遺族や自衛隊関係者ら約30人が参列し、慰霊碑に静かに手を合わせた。米兵の遺品の焼け焦げた水筒でバーボンウイスキーを慰霊碑にかけたり、日本酒を供えたりして冥福を祈った伊藤さんの孫の岩崎糸恵さん(71)=同区=も毎年、慰霊祭に出席している「祖父の死後は菅野さんが引き継いでくれ、日米交流が続いている」と回想する。菅野さんはこの日のあいさつで、何度も感謝の言葉を口にした。コロナ禍での慰霊祭の継続に「当初は自分一人でと思っていたが、たくさんの人たちの後押しを受けた。次の世代につながなくては」と先を見据えた
水筒に入ったバーボンウイスキーを慰霊碑にかける参列者=20日午後、静岡市葵区の賤機山

うきうきプロジェクト
好天に恵まれ、48回目の合同慰霊祭が賎機山で執り行われました。今年は、私達やマスコミ関係者も皆さんで、黒こげの水筒の献酒をさせていただくことが出来ました。
うきうきプロジェクトも音楽を通して平和の祈りを捧げていきたいと思います。
あす20日は静岡浅間山神社の裏山で
日米合同慰霊祭です
コラム~屋上の飛行機について~
屋上のF 86Fセーバージェット機は、東京オリンピックの五輪マークや、万国博のEXPO-70等の飛行機雲を画いた有名な航空自衛隊のブルーインパルスの同型機であります。
退役后、アメリカへ返還される事になっていましたがアメリカ国務省の御好意で零戦愛好会へ貸与されたものです。
この飛行機の正面に日米戦災犠牲者の慰霊碑がある賤機山の山頂が見られます。
毎年この慰霊碑の前で行っている日米合同慰霊祭が縁となって、米国国務省ヘーグ長官マンスフィールド駐日大使の御理解を得てここに保管できる様になったものです。
このような訳ですので、この飛行機を日米親善のシンボルとして大切に保存したいと思います。
零戦愛好会 会長 菅野寛也



米兵遺品で日米犠牲者悼む 真珠湾78年、静岡の医師
2019/12/7
【ホノルル共同】太平洋戦争の戦端を開いた日本軍による1941年12月7日の真珠湾攻撃から78年を迎えるのを前に、医師菅野寛也さん(86)=静岡市=が米兵の遺品を用いて長年続ける慰霊祭が6日朝、米ハワイ州真珠湾で行われ、米退役軍人や新潟県長岡市の高校生を含む日米の生徒ら約100人が参加、戦争で亡くなった日米の犠牲者を悼んだ菅野さんは「毎年ここに来るのが元気の源。来年も戻ってきたい」と述べた。長岡市の高校2年石積栞さん(17)は「友好的な式典に感動した日本や海外、戦争について知るきっかけにもなった」と話した真珠湾攻撃で米側は約2400人が死亡した静岡空襲で戦死したB29搭乗員の黒こげの水筒にヴァーボンウィスキーをいれ真珠湾そそぎ供養した
米退役軍人らと一緒に日米の犠牲者を供養する菅野寛也さん(左から2人目)=6日、米ハワイ州真珠湾(共同)

指の形にへこんだ遺品の水筒、米兵の「最期」伝える 米機元操縦士、首相の慰霊「美しいひとときになる」
金属製の水筒は握りしめた指の形にへこんでいた。1945年6月、富士山麓の静岡県への空襲に出動した米爆撃機B29同士が空中で衝突し、墜落。23人の米兵が死亡した。そのうちの誰かの遺品だ。炎上した熱のすさまじさ、力を振り絞って握った最期が伝わる。
「水筒の持ち主はどんな思いをしていたのか。家族に自分が死ぬことを知らせたかったのかもしれない」
水筒を保管する零戦愛好会会長で医師の菅野寛也さん(83)はそう語る。
あの空襲で静岡の市街地の3分の2が破壊された。死者約2000人。敵兵の慰霊をとがめる声もあった。それでも菅野さんは「死んでしまえば敵も味方もない」と慰霊を続ける。
菅野さんは旧日本軍による米ハワイ・真珠湾攻撃から75周年を翌日に控えた6日(日本時間7日)、沈没した米戦艦アリゾナの真上に立つ慰霊施設「アリゾナ記念館」で、先の大戦による日米双方の犠牲者の追悼式典に参加した。海底の戦艦アリゾナの船影が見える。黒焦げの水筒に並々に注がれたバーボンを退役軍人らと一緒に献酒した。
菅野さんは真珠湾攻撃50周年のときからハワイを訪れている。最初は海上に建つアリゾナ記念館に定員オーバーで入れなかった。記念館まで行くボートの乗り場で「たった一人の慰霊祭」をしたのだった。この日のセレモニーは盛大だった。「感無量だ。この間、やってきてよかったなと思う」と語った。
一緒に献酒した米戦闘機P51の元操縦士、ジェリー・イエリンさん(92)は、日本を空襲するB29のエスコート役だった。B29の最大の敵は零戦。P51はB29よりも上空から、零戦の動きを見張った。イエリン氏は産経新聞の取材に「ゼロ(零戦)と6、7回戦い、少なくとも3機撃墜した」と語っている。
72年から毎年6月、静岡市の賤機山(しずはたやま)で遺族や米軍関係者らが参加して行われている合同慰霊祭に菅野さんの招待を受けて初めて参加したのは10年前。このときからイエリンさんは、山頂にある慰霊碑に黒焦げの水筒から献酒している。「私たちは『過去』。あなたたちは『未来』だ」と日米の若者に新しい時代を託す。
安倍晋三首相とオバマ米大統領が月末に真珠湾を訪れる。イエリンさんは「かつての敵同士の国の代表がともに来る。美しいひとときになると思う」と話す。
(ホノルル 中村将)







【2016年12月28日 AFP】
安倍晋三(Shinzo Abe)首相とバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領は27日(日本時間28日)、日米開戦の地となった米ハワイ(Hawaii)真珠湾(Pearl Harbor)を訪れた。安倍首相はその後の演説で、旧日本軍による攻撃の犠牲者らに「永劫(えいごう)の哀悼の誠」をささげると表明した。
両首脳は、戦艦アリゾナ(Arizona)の乗組員らの慰霊施設アリゾナ記念館(Arizona Memorial)で、1941年12月7日に死亡した米国人2400人以上を追悼して花輪を供え、黙とうした。
米国の第2次世界大戦(World War II)参戦の引き金となった奇襲攻撃から75年目の節目に真珠湾を訪問した安倍首相は、オバマ大統領とそろって行った演説で「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」と強調。また「和解の力」をたたえ、米国民の「日本に対する寛容の心」に感謝の意を表した。(c)AFP





















第47回 2019年 静岡空襲日米合同慰霊祭
Blackened Canteen Ceremony
Blackened Canteen Ceremony
Honoring the 74th Anniversary of the Attack on Pearl Harbor,
Blackened Canteen Ceremony
Blackened Canteen Ceremony
Blackened Canteen Ceremony
日米合同慰霊祭「将来へつなげていきたい」(静岡県)
Blackened Canteen Ceremony marks annual act of healing
Pearl Harbor 75th: USS Arizona Blackened Canteen Ceremony
Peace and Reconciliation Emphasized at Annual Blackened Canteen Ceremony
富士無線中継所(山頂)戦前~戦後 逓信省~郵政省~電電公社~NTT西日本 東京大空襲早期警戒(B29警戒)
本土大空襲【女子通信隊】戦時中、防空のため陸軍に女性だけの部隊があった。その部隊は、敵機の情報を司令室に伝える役割を担っていた。
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