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殺人光線(怪力光線) 

かって旧日本軍の登呂研究所が開発研究していた殺人光線(怪力光線)
静岡県島田市の島田研究所で極秘裏にマイクロ波照射して研究していた
大井川発電所の電力で大出力マグネトロンにてパラボラアンテナにてマイクロ波を照射したが研究なかばで終戦となる
その末裔が島田理化工業(SPC)である
前身は日本海軍の第二海軍技術廠島田実験所。日本の超一流の科学者を総動員してマイクロ波に関する通称「Z研究」が行われていた。この研究には、後にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏も参加していた。戦後、高周波技術を平和産業に役立てようと、1946年(昭和21年)主として高周波機器、電気諸計器並びに通信機の製造、販売及び修理を目的として、島田理化工業所を静岡県志太郡島田町(現島田市)に設立した。

Z研究
海軍ではレーダーの開発が加速しないので伊藤庸二も追い詰められ,伊藤が中心になってZ研究が始まる。これは数メガワットの大出力マイクロ波を敵機に放射して,その電気機器を狂わせて撃墜しようという研究で,1944年6月に静岡県島田に研究所を設立する。

開発目的
「極超短波を発生輻射し物理科学及び生理作用を研究し,之が用兵並びに技術上における利用につきて具体案を立て以って之等の利用に用いられるべき装置を試製する。」
大出力のマグネトロンの開発を日本無線に指示して,周波数3GHz,出力500kWのマグネトロンを試作するが敗戦となる。
Z研究と同じ研究は第二次大戦前に英国でも行われた。1935年にワトソン・ワットが,マイクロ波を使用して航空機のパイロットに負傷を与えられるかどうかを問われて,科学的に計算して,「不可能である。」と回答した。これに対して同じ科学者である伊藤は科学的理由を提出できなかった。伊藤庸二は戦後この研究について『機密兵器の全貌』の中で,

「本質的に非なりしや,時期的に非なりしや」
と書いている。理論的には不可能と解っていたが,科学が,『空気』に支配されていた。

それがアメリカで開発された90GHzで10万Wである

ビーム兵器_弾丸の代わりにはマイクロ波で射抜く武器は人道的か?
http://www.youtube.com/watch?v=jtNe4rZTiAE

太平洋戦争 レーダー史
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~ikasas/index.htm

島田理化工業(SPC)
http://www.spc.co.jp/