「PC-9801」が未来技術遺産に登録されました:今日は何の日?2016年9月6日、



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2016年9月6日、「PC-9801」が未来技術遺産に登録されました:今日は何の日?

初代モデルが重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録されたのが、2016年の今日です。重要科学技術史資料は、失われてしまいがちな技術の歴史を残すため、産業技術史資料情報センターによって選定/登録、所在調査、系統化研究などが行われているもの。2008年度から登録が開始され、初年度には「カシオミニ」、「H-IIロケット7号機」などが登録されました。2016年度に登録された「PC-9801」は、16bit CPUとなるi8086互換のμPD8086を搭載したPC。グラフィックは640×400ドットで、640×200ドットだったPC-8801シリーズを大きく上回る解像度となっていました。なお、FDDは内蔵されておらず、メモリーも128KB、漢字ROMも非搭載と、後年のモデルと比べると見劣りしますが、当時は必要なものは別途増設して使うというのが当たり前の時代でした。PC-9801シリーズは制御用に使われることも多く、場所によっては今でも現役で動いているほどです。昨年の7月には、ゆりかもめ開業時から使用していたPC-9801NS/Rがついに引退になった、というTwitterへの投稿が話題になりました。

ゆりかもめ公式お知らせ@yurikamome_info
設備メンテナンスで使用していたパソコン(写真)が引退しました。25年前のノートパソコン「PC-9801」で、開業から使用していました。持ち運びには苦労しましたが、安全・安定運行を陰から支える、頼れる一台でした。おつかれさまでした。

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【PC9801 販売店 ミシマ】


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【PC9801 販売店 ミシマ】PC-98いまだ現役 在庫1000台の修理販売ビジネスに迫る(静岡県伊豆の国市)
2020/07/15(水)
昭和から平成の始まりにかけて国内市場を席巻し、「キューハチ」と呼ばれ親しまれたNECの名パソコン「PC-98」シリーズ。リモートワーク隆盛のいまも、根強いニーズがあるという。トラブルに困ったユーザーが駆け込むという専門店を訪ね、いまだ現役の老ハードを取り巻く状況を探った。PC-98は、NECが1980年代から販売していた16/32ビット機。当時としては高精細なグラフィックや優れた日本語処理を武器に、ピーク時の国内シェアは少なくともビジネス向けで8割、個人向けで5割以上あったとされる。
しかし、90年代中ごろからは、米マイクロソフトのウィンドウズOSに対応した世界共通規格の「PC/AT互換機」が台頭。PC-98は、国内向けに特化した独自のソフトや規格が足かせとなりシェアが急落し、2000年の「PC-9821Nr300/S8TB」が最終モデルとなった。ところが、今でもオークションサイトには数千件の出品があり、工場の生産ラインやインフラ管理の現場では、いまだ現役で稼働し続けている。東京の臨海部を走る新交通「ゆりかもめ」の公式ツイッターは今月2日、長らく業務に用いていたノート型のPC-98の引退を報告。1995年の開業から25年間、設備メンテナンスで使い続けていたといい、その長寿ぶりにフォロワーからは多くの反響が寄せられた。
■「キューハチでないと駄目」
そんな隠れたニーズに応え続ける専門業者の一つが、「PC-98のミシマ」(静岡県伊豆の国市)だ。約1000台をストックして整備・販売するほか、修理や買い替えの相談にも応じている。代表の井口智晴さん(38)が15年ほど前、すでに他店でPC-98の扱いが大きく減っていたのに気づき、古いマシンに特化した事業を思い立ったという。ミシマでは、1日当たり数件ほどの販売・相談がコンスタントにある。壊れたマシンを抱え「生産ラインが止まった」と飛び込んでくる新規の客は後を絶たない。バブル経済期に設備投資された工場では、設計時点でPC-98をシステムに組み込むことが多く、設備を丸ごと入れ替えない限りPC-98を使い続けざるを得ない。長年ノートラブルだったシステムが突然動かなくなり、「分かる人間がもう社内にいない」と、お手上げ状態で相談してくる現場責任者も増えているという。
 工場以外でも、社内の経理システムで使い続ける経営者や、楽曲制作の機器として愛用し続けるミュージシャンなど、「キューハチでないと駄目」とこだわる得意客が少なくない。井口さんは「仕方なく使い続けるというよりも、『このパソコンでないと良い仕事ができない』と、愛着を抱く人が意外と多い」と印象を語る。
 井口さんによると、今よりも高価だった当時のパソコンは本体ケースや基板が頑丈で、配線や部品の組み付けも丁寧だったため耐久性に優れ、消耗部品の交換といったメンテナンスを続ければ比較的長持ちするという。ただ、内蔵型ハードディスクドライブや拡張ボードなど、PC-98専用の機器や補修部品の流通量はどんどん減っていて、在庫の確保が難しくなっている。

そのためミシマでは近年、最新のウィンドウズPC向け機器を加工・流用した代替品の開発に力を入れる。井口さんは「工場の担当者にはパソコンに不慣れな若い人も多い。現代ならではのニーズに沿った提案をしていきたい」と話している。

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【米軍の核サイロ】では未だにフロッピーディスクを使っている

米軍の核サイロでは未だにフロッピーディスクを使っている
2014.05.01
米空軍の秘密核サイロにCBSが単独取材を許され、国民を代表して中を覗いてきました。下の動画がそれ。報道特集番組「60ミニッツ」で放映されたものの一部です。地下核バンカーはなんにもない荒野の真ん中にあります。実際には農場で、すぐ隣では牛や馬が草を食んでいます。建物自体は三角屋根で、核サイロって言われないと、パッと見た感じ普通の農家。ヘリで案内してくれた軍の人によると、近所の牧場主は別に嫌がることもなく誇りに思っていて、不審な動きがあると「トヨタのトラックがうろうろしてて怪しい」ってすぐ通報してくれるんだそうですよ。鉄格子のエレベーターで地下に降り、狭い通路を前かがみになってLesley Stahl女史が胸を高鳴らせていざ潜入してみると、そこにあったのは…
・核ミサイル弾頭直結の制御ルーム。'60年代建造
・核スイッチを回す人はそんなに年長でもなくて、大卒とかの若造
・別の場所にもスイッチがあって、なんだかんだで核ミサイル発射には最低4人必要
・基地内のカンニングやドラッグの不祥事の後だが、若者は任務に献身的
・古いトイレ
・古い核ミサイル
・古い基本フレームワーク。要修理
・5.25インチよりまだ古い'70年代の8インチフロッピーディスク
さすがアメリカの国防は盤石ですね…。
source: 60 Minutes via Verge

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米軍、核兵器のシステムでフロッピーディスクを使うのをやめる予定

米軍、核兵器のシステムでフロッピーディスクを使うのをやめる予定。え、フロッピーディスク?
2019.10.30
アメリカで核兵器を管理するシステムは、旧式のコンピューターに頼っています。ですが国防総省は、古い技術の少なくとも一部…フロッピーディスク・ストレージ・システムをアップデートしようとしているのだそうです。IBM Series/1
2014年に書かれた60 MINUTESの記事では、核管制センターの内部について触れられており、そこで大統領から核発射命令を受けるコンピューターが、半世紀近く前に発明された8インチのフロッピーディスクを使っていることが明らかになったのでした。防衛系テック情報を扱うサイトC4ISRNETの報告では、核管制センターに緊急行動メッセージを送信する通信インフラである、戦略自動指揮統制システム(SACCS)が、フロッピーディスクを廃止しつつある、とあります。第595戦略通信飛行隊司令官のジェイソン・ロッシ中佐はC4ISRNETに対し、SACCSは「高セキュリティーのソリッド・ステート・デジタル・ストレージ・ソリューション」にアップグレードされる、と話してます。
戦略通信部は、これについて米Gizmodoからのコメントにまだ返信がないままでいます。
C4ISRNETが指摘しているように、政府監査院は2016年に、SACCSは1970年代のIBM Series/1コンピューター上で稼働しており、国防総省は「2017年会計年度末までにデータ保存解決策、ポート拡張プロセッサー、携帯端末、そしてデスクトップ端末を更新する」計画だと伝えています。
古すぎてハッキング出来ない
目からウロコかもしれませんが、実は旧式のテクノロジーを使用していることが、システムの安全性を確保するという利点があったりします。ロッシ中佐はC4ISRNETに、こうコメントしています。
IPアドレスを持たないものをハッキングすることはできません。セキュリティーを提供する時代なのです。
故障時のメンテが大変すぎる
とはいえ、古いシステムを維持するのはますます難しくなっています。ロッシ中佐いわく、SACCSのマイクロチップやマイクロボードといった構成部品が破損した場合、通常は交換部品がないため、技術者が部品を修理しなければならず、場合によっては顕微鏡で何時間もかけて部品を修理しなければならないというのです。こういった修理のほとんどは、民間の技術者が行います。ですが、それは若い作業員の中には、ハードウェアを保守するスキルを持った人がホンの数人しかいないから、なのです。
ということで、安全でありつつ面倒な旧システムを、最新でありながら面倒が少ないシステムと交換しています。ペンタゴンが言うように「高い安全性」であって欲しいものですね。
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R-1051短波受信機が設置してある・・・核攻撃指令のジャイアントトークを傍受している模様・・・スカイキング・スカイキング4875・8721・3248などVOICE暗号で核ミサイル発射

●ジャイアント・トーク・ステーション

 戦略爆撃機は、核戦争の突発に備えて一定の数が核爆弾を積んだまま、いつでも飛び出せるように待機しています。
 「核戦争開始」の警報が出て敵地に向って飛んで行くとき、最終投下指令を送るのがジャイアント・トーク・ステーションです。爆撃機はジャイアント・トーク・ステーションからの最終指令が送られなければ、核爆弾を積んだまま引き返すことになっていますから、まさに全面核戦争の引き金ともなる「最終」の指令です。

 これらの暗号名で呼ばれている通信システムによって、核戦争を指揮するといわれています。アメリカ本土から衛星通信や海底ケーブルで横田まで中継された指令を、所沢通信所(埼玉県所沢市)のアンテナから送信し、爆撃機からの応答を大和田通信所(東京都清瀬市、埼玉県新座市)で受信するといわれています。この通信システムは、司令部内にあるといわれている地球規模の指揮統制システム(GCCS)に組み込まれ、通信交換センターの建物は、周囲をフェンスで囲み、入り口は電子ロックされ窓がありません。
 米軍の世界的な通信網は、確実性を期するために①軍用の通信衛星②短波(HF)によるネットワーク③KDDやNTTなど民間機関の海底ケーブルなどを利用しています。これらの能力を向上させる近代化とともに電磁パルスに対する防護策がとられています。軍用通信衛星の中心ネットワークは、国防衛星通信システム(DSCS)です。日本では地上ターミナルが神奈川県座間市にあり、横田基地の国防通信庁太平洋分遣隊が管理・運用しているといわれ、海底ケーブルは電磁パルスの影響を受けずしかもたくさんの情報を送れる光ファイバーに更新されています。








【潜入取材】名機PC-98いまだ現役 在庫1000台専門店に迫る



昭和から平成の始まりにかけて国内市場を席巻し、「#キューハチ 」と呼ばれ親しまれた#NEC の名パソコン「PC-98 」シリーズ。リモートワーク隆盛のいまも、根強いニーズがあるという。トラブルに困ったユーザーが駆け込むという専門店「PC-98の#ミシマ 」を訪ね、いまだ現役の老ハードを取り巻く状況を探った。(北林慎也)#PC98 #9801 ※取材・記事配信は2020年7月


【PC-9801RA21】平成元年のパソコンを令和元年に開封してみる




ハードオフで買ってきたPC-9801RXの中身がすごかった!!妖夢ちゃんの「大は小に勝る!!」








大陸間弾道ミサイル(ICBM) は8インチのフロッピーデスクで動いている!!




大陸間弾道ミサイル(ICBM) ミニットマンIII 発射訓練・核ミサイル地下サイロ





SKYKING SKYKING DO NOT ANSWER




US Skyking E.A.M. on shortwave October 16 2019






3.司令部としての機能

 横田基地の南西部、国道16号線と五日市街道の交差点に面して、サプライ・ゲート(第5ゲート)があります。
 このゲートから入って左側奥に、3つの旗がひるがえっているのが見えます。これが第5空軍司令部と在日米軍司令部の置かれている建物なのです。
 地上2階地下3階の建物で1973年から関東計画によって日本政府予算でつくられたものです。この建物の地下部分は、核攻撃を受けることを想定した核シェルターになっています。米軍のシェルターの基準のなかで最大の重要度をもつ「EWO(緊急戦争作戦)シェルター」と呼ばれるものです。その任務は核攻撃で横田が壊滅的な打撃を受けても、米軍が核戦争をすすめるために必要な最低限の要員を生き延びさせるためのものなのです。
 司令部には、全世界軍事指揮統制システム(WWMCCS)の作戦室があると言われています。これは、大統領を中心とする国家安全指揮機関(NCA)に情報を伝え、全世界の米軍部隊を指揮する根幹です。基地司令部は、近代化、設備強化にともない91年から3期にわたって建物の増改築工事を「思いやり予算」ですすめ、1996年10月完成予定です。横田基地は、さまざまな指揮通信機能が集中する戦争の司令部なのです。

在日米軍司令部
日本に駐留する米軍の行動、作戦から米兵のモラルに関することから日米防衛関係に影響をもつ事柄の調整に至るまでの責任を負っているのが在日米軍司令部です。この司令部が横田に置かれています。
 在日米軍は4万7千人で洋上部隊と家族を含めると10万人を大きく越えます。基地は、140ヶ所、総面積10億2929万平方メートルとなり大阪市や名古屋市よりはるかに広く東京23区の半分ほどになります。
 在日米軍は空軍、陸軍、海軍、海兵隊の4軍の編成になっていて地球的規模で活躍する米軍のアジア・太平洋のキーストーンの役割をもっています。
 陸軍は、神奈川県座間市に、太平洋地域全体の後方支援を行う「第9戦域陸軍地域司令部」、在日米陸軍司令部が置かれています。
 海軍は、世界最強の艦隊である第7艦隊の本拠を横須賀に置き、空母キティーホークほか多数の戦闘艦の母港ともなっています。1995年中東を作戦エリアとした「第5艦隊」所属の潜水艦司令部も新設されたと言われています。横須賀には核巡航ミサイル・トマホークを搭載した原子力潜水艦もたびたび入港しています。
 長崎県の佐世保にある、米海軍佐世保基地には強襲揚陸艦「ベロウッド」など4艘の強襲揚陸艦が配備されています。95年には掃海艦「ガーディアン」「パトリオット」が常駐化するなど強化がすすんでいます。
 海兵隊は、沖縄に第3海兵遠征軍、岩国に第1海兵航空団を置き、アメリカ本土以外では唯一の海兵水陸両用軍を構成しています。もともと米海兵隊には3つの水陸両用軍しかなく、そのうち一つは米本土東海岸に、もう一つは西海岸に配備されていて、最後の一つが、日本に配備されているのです。
 海兵隊の任務は海軍の艦隊に乗って他国に上陸し、戦うこと、そしてそれを独自の航空部隊が援護することです。すなわち、最初から他国への侵略を目的とした部隊で、防衛的性格は一かけらもありません。そんな部隊の配備を日本は受け入れているのです。海兵隊による実弾射撃演習は、沖縄、東富士などで強行されています。演習地の本土移転は、演習規模を拡大し、海兵隊の固定化をはかるものです。

第5空軍司令部

 第5空軍は、ソ連崩壊前は、フィリピン以北・ハワイ以西の北西太平洋全域の空を作戦空域としてきました。ところが、ソ連が崩壊してからは、アラスカからパナマ、カンボジア、インドネシア、中東まで地球のほぼ半分を作戦エリアとしています。この司令部が横田です。第5空軍司令部は、アメリカの抑止力政策に貢献し、万が一その抑止力が崩れた時には、空中作戦を行うため戦闘機の提供と軍事空輸支援を行います。
 このため、青森県三沢基地に配備されているF16戦闘機部隊、沖縄の嘉手納基地のF15戦闘機部隊などを含め、戦闘機約130機、電子偵察などを任務とする偵察機10機などハワイに司令部を置く太平洋空軍のなかでも戦闘機や戦術輸送機をもつ実戦部隊で構成されています。これは、北朝鮮の「核疑惑」に対する軍事制裁を詳細に検討し、横田基地を朝鮮半島有事の空輸拠点とすることを公言しているアメリカの姿勢の表れです。
 1994年、横田基地では朝鮮半島に向かう銃を背負い完全武装した兵員が大型輸送機に乗り込む姿が目撃され、基地周辺は事実上の戒厳令がしかれ昼夜問わず機動隊が基地の警備をするなど物々しい事態に包まれました。

自衛隊を意のままに

在日米軍司令部のもう一つの顔が自衛隊との関わりです。安保条約第5条にもとづく自衛隊との共同作戦をすすめています。自衛隊の統合幕僚会議事務局と在日米軍司令部の間では、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」にもとづき日米共同作戦研究やシナリオづくりがすすめられてきました。これらは政府や防衛庁が極秘としてきた「日米共同作戦計画」の具体化を協議する自衛隊と在日米軍の常設機関の共同防衛研究をすすめるための「日米統合委員会」や日米両兵力の一体化をめざす「共同相互運用性調整委員会」などで検討されたといわれています。
 これらと平行して、84年陸・海・空の自衛隊を一本化し指揮するための中央指揮所(六本木防衛庁内)がつくられ、同時に横田基地司令部内に米軍の中央指揮所も設置されました。自衛隊の中央指揮所には米軍が、米軍の中央指揮所には自衛隊が連絡将校を置いています。このように、アメリカの戦争行動に自衛隊が無条件で参加する態勢づくりがすすめられているのです。

日米共同作戦体制と新防衛庁建設


1994年横田基地で行われた指揮所演習で、自衛隊は米軍が湾岸戦争時に実際使った「戦闘シミュレーション」を使って訓練をしています。
 96年1月15日から2月2日にかけて横田基地で行われた「日米共同統合指揮所演習」は、的に占領された日本海の隠岐島に陸上自衛隊の空挺部隊や海上自衛隊が米軍の支援のもとに「敵前上陸」し、奪回するというシナリオでした。共同指揮所演習は今回で10回目ですが年々規模内容ともにエスカレートしています。また、96年の指揮所演習では、在日米軍司令部が自衛隊と「共同使用」されました。これは、日米共同作戦で不可欠な「共同作戦調整所」の機能を演習したものと考えられます。これらは、アメリカの戦争行動に自衛隊が参加するという「共同宣言」の先取りの動きです。
 1988年当初から指摘してきたとおり新防衛庁建設と首都圏自衛隊基地の再編強化計画は、日米共同作戦を担い、実戦できる体制づくりです。すでに新防衛庁がつくられる市ヶ谷基地には、全国の自衛隊を指揮するための様々な司令部中枢施設がつくられています。これらは、住民の移転反対を押し切って急速にすすめられています。
 1996年防衛庁接地法の改正で、「新防衛庁」には、これまで陸上・海上・航空の各幕僚ごとの情報組織を統合幕僚に一本化する「情報本部」の設置が計画されています。これにより総定員1582人という最大の情報収集・分析機関となります。

ぶきみな諜報部隊の存在

横田基地には、電子偵察機RC135が飛来し、また諜報収集を行う任務をもつ第5航空諜報隊が配備されています。これに加え、1995年10月神奈川県米海軍上瀬谷基地から統合諜報軍団太平洋分遣隊が移駐してきました。これは、ハワイに本部をおき、艦隊海洋監視情報センター(FOSIC)を管理する部隊だといわれています。「FOSIC」は」、インド洋、西太平洋における軍艦の位置と動きに関する情報を海洋監視衛星、偵察機などであつめ総合的に分析するセンターです。

核戦争を指揮する

 横田基地には、核戦争を指揮するためのさまざまなシステムがあるといわれています。これらは勝者なき核戦争に「勝つため」アメリカが維持強化しているものです。それは、核戦争時全部隊に指令を送るための通信システムといわれています。

●ミスティック・スター

 核戦争時、大統領は、ボーイング747ジャンボジェット機を改造したE4Bにのりこみ空中から核戦争を指揮します。大統領が米軍の核戦力を掌握してE4Bから指令を全部隊に伝えるための通信が「ミスティック・スター」です。

●コマンドエスコート

 核戦争時、米太平洋軍司令官の指揮・命令とくに、EC135空中指揮機から指令を全軍に伝えるための通信ネットワークです。

●ジャイアント・トーク・ステーション

 戦略爆撃機は、核戦争の突発に備えて一定の数が核爆弾を積んだまま、いつでも飛び出せるように待機しています。
 「核戦争開始」の警報が出て敵地に向って飛んで行くとき、最終投下指令を送るのがジャイアント・トーク・ステーションです。爆撃機はジャイアント・トーク・ステーションからの最終指令が送られなければ、核爆弾を積んだまま引き返すことになっていますから、まさに全面核戦争の引き金ともなる「最終」の指令です。

 これらの暗号名で呼ばれている通信システムによって、核戦争を指揮するといわれています。アメリカ本土から衛星通信や海底ケーブルで横田まで中継された指令を、所沢通信所(埼玉県所沢市)のアンテナから送信し、爆撃機からの応答を大和田通信所(東京都清瀬市、埼玉県新座市)で受信するといわれています。この通信システムは、司令部内にあるといわれている地球規模の指揮統制システム(GCCS)に組み込まれ、通信交換センターの建物は、周囲をフェンスで囲み、入り口は電子ロックされ窓がありません。
 米軍の世界的な通信網は、確実性を期するために①軍用の通信衛星②短波(HF)によるネットワーク③KDDやNTTなど民間機関の海底ケーブルなどを利用しています。これらの能力を向上させる近代化とともに電磁パルスに対する防護策がとられています。軍用通信衛星の中心ネットワークは、国防衛星通信システム(DSCS)です。日本では地上ターミナルが神奈川県座間市にあり、横田基地の国防通信庁太平洋分遣隊が管理・運用しているといわれ、海底ケーブルは電磁パルスの影響を受けずしかもたくさんの情報を送れる光ファイバーに更新されています。

トマホーク発射

 湾岸戦争やアメリカのイラク攻撃で使われている「トマホーク」ミサイルの使用に対しても、横田基地は重要な役割を果たしています。トマホークは、「TERCOM(地図地形照合装置)」によって、実際に飛んでいる場所の地形と、あらかじめ記憶させた予定された飛行コースの地形を照合し、コースからのずれを、自動的に検出・修正することによって最大2500キロ離れた場所に誤差数十メートルで命中させることができるといわれています。そのためには、飛行コースとなる敵地の地形の詳細なデータが決定的に重要となってきます。このデータを記録した磁気ディスクをトマホーク搭載艦に運ぶのが軍急使サービスです。この軍急使サービスが、横田基地、横須賀基地に配備されているのです。