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2022年03月

ウクライナ軍が捕獲したロシア軍 P-168-5UTEおよびR-187P1無線機

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Rー168ーSUTE



R-168-5UTE, ELINT and EW equipment,R-168-5UTE VHF車両無線機は、連隊-大隊-中隊レベルの指揮統制ネットワークで通信を提供することを目的としています。

操作の種類:

  • FMテレフォニー;
  • 音声暗号化を備えたFMテレフォニー。
  • データ転送。

動作モード:

  • 固定周波数(単一周波数シンプレックス、二重周波数シンプレックス);
  • 周波数ホッピング(FH)(単一周波数シンプレックス);
  • 適応通信(単一周波数シンプレックス、二重周波数シンプレックス);
  • 8つのプリセット周波数で受信をスキャンします。
  • 雑音の抑制;
  • 再送信;
  • 無線データ入力デバイス(光インターフェースを介して)または外部コンピューターからの手動または自動の無線データ記録。
  • 緊急無線データ消去;
  • 会議、アドレス、トーンコールの受信/送信。
  • 8つのプリセット周波数での動作。
  • 経済的受容;
  • 電話からのリモートコントロール。
  • RS-232Cインターフェースを介した外部コンピューターからの操作制御。
  • オペレーターの行動の音声情報提供者。
  • ダイアログモード;
  • 自動化された組み込みテスト。
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R-187P1


R-187P1
動作周波数範囲: MV範囲27 ... 220 MHz、 UHF1範囲220 ... 520 MHz 動作周波数グリッドステップ: MV範囲1; 6.25; 8.33; 12.5; UHF1範囲25で25kHz ; 250; 500; 1000 kHz 1つのバッテリーからの製品の連続動作時間:BA PAKD.563511.001の場合は少なくとも6時間、BA-12 PAKD.563511.005の場合は少なくとも12時間、送信/受信/デューティ受信時間の比率は1:1:9 。 トランシーバーの寸法:195×70×40mm以下。 マイナス30〜プラス55℃の動作温度範囲 マイナス50℃〜プラス55℃の制限温度範囲


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Russia Struggled to Capture a Ukrainian Town. Intercepted Radio Messages Show Why








第2警備隊モーターライフル師団が2台のR-149MA3コマンド車両(通常のBTR-80ではない)を失ったことも示しています。これらは私たちが失ったと記録した最初のものです。 1つは破損しており、2つ目はRP-377VM1妨害装置を備えています
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RP-377VM1ジャマー

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現代のロシア軍車両用のRP-377VM1妨害装置、1/35トランペッター01594 BTR-80、01595 BTR-82、Takom 2082 Typhoon-K、Meng VS-003 Tigr、VS-008Tigr-Mに修正。Zvezda 3668 Tigr、3683Tigr-MとリモートコントロールタレットArbalet-DM。

RP-377VM1は、ロシアの最終世代の電子戦システムであり、人員、コンボイでの運転中、および駐車場の位置での人員、車両を保護する目的で、無線制御の即席爆発装置(IED)に対する保護を提供するために開発されました。鉄道のローリングストックを保護するためにも。これは、シンプルな操作と高い戦闘効率を提供しながら、最小のサイズ、重量、および電力消費要件を備えた車載ジャマーシステムです。RP-377VM1は、BTR-80 / 82 APC、Typhoon-K(К-63968、К-53949)、Tiger and Rys(Iveco LMV)などのさまざまなタイプの軍用車両に搭載されています。このシステムは、シリアでの作戦中にロシア軍の機械化された部隊によって広く使用されており、国内のさまざまな軍事演習でも見ることができます。


レビュー

-VHF送信機。
-UHF送信機;
-VHFアンテナモジュールの6つの要素。
-UHFアンテナモジュール;
-VHFアンテナの2つのセグメント。
-サポートフレームの4つの要素。
-アンテナを取り付けるための2つのバインド。
-3つのアンテナマウント。
-アンテナケーブル;
-システムを車両に取り付けるための4つの拡張機能。



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ロシアのZALAKYB「神風」ドローン

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ロシア「静かな飛行で標的を精確に爆破する神風ドローン」

ロシアの軍事企業のZALA Aeroが開発した攻撃ドローン「KYB」をロシアの当局が国外へ輸出することを発表した。

ZALA Aeroが開発した「KYB」は3キログラムまでの爆薬が搭載可能。時速130キロで30分の飛行が可能。攻撃イメージの動画も公開しており、垂直に上空から標的に突っ込んでいき破壊する様子を伝えている。また同社では飛行試験も完了しているので、購入したらすぐに使用できる。

この攻撃ドローン「KYB」の特徴の1つは静かに飛行することが可能なこと。地上の標的にされる人間が攻撃ドローンに気がついて避難できないようにしている。つまり地上にいる人間は目視やレーザーなどでしかドローンが近づいてきていることに気が付くことができない。「KYB」が静かに上空からやってきて、標的に向かって垂直に突っ込んできて爆破されてしまう。静かに上空からひっそりとやってくることも重要で、ドローンは商用でも軍事用でもバリバリと大きな音を立てて飛行していると敵にすぐに察知されやすく攻撃する前に迎撃されて撃墜されてしまう。

攻撃ドローンは「kamikaze drone(神風ドローン)」、「Suicide drone(自爆型ドローン)」、「kamikaze strike(神風ストライク)」とも呼ばれており、標的を認識すると標的にドローンが突っ込んでいき、標的を爆破し殺傷力もある。日本人にとってはこのような攻撃型ドローンが「神風」を使用されるのに嫌悪感を覚える人もいるだろうが「神風ドローン(Kamikaze Drone)」は欧米や中東では一般名詞としてメディアでも軍事企業でも一般的によく使われている。

「神風ドローン」の大群が上空から地上に突っ込んできて攻撃をしてくることは大きな脅威であり、標的である敵陣に与える心理的影響と破壊力も甚大である。また、ドローンはコストも高くないので、大国でなくとも大量に購入が可能であり、攻撃側は人間の軍人が傷つくリスクは低減されるので有益である。


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ZALA KYB「神風」UAV
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«KYB-UAV»







ロシアのオルラン-10偵察UAV


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ロシアのOrlan-30偵察UAV
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新しいロシアのLastochka-M無人航空機
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ウクライナ軍のLeleka-100モデルUAV

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「コウノトリ」としても知られる民間企業DeViRoのLeleka-100、無人航空機システム(UAS)は、ウクライナ軍によって正式に導入された3番目の国内開発UAS技術

1つ目はウクロボロンプロム防衛産業グループのVATKorolevMeridianが製造した2019年6月に就航したSpectator-M1で、2つ目は2020年4月にAthlone-Aviaが製造したA1-SMFuryでした。

ウクライナ軍は、2021年5月11日に、注文番号114のLeleka-100無人航空機の使用を承認しました。ウクライナ軍は、テスト目的でこのシステムをすでに受け入れており、そのデモを行う機会もありましこれまでに300を超えるユニットが配備されており、Leleka-100およびA1-SM Furyは、ウクライナの兵役で最も一般的に利用されているUAVです。UAVパイロットと諜報機関からの肯定的なフィードバックのおかげで、Leleka-100は2015年以来、ウクライナ軍当局によって非公式に利用されていると報告されています。ドンバス地域のウクライナ軍もこれらのUAVをかなり利用

2020年5月、チェルカッスイ地域の国境警備隊はLeleka-100UAVを使用して国境探査と監視訓練を実施しました。「何年にもわたって、レレカは最後通牒ドローンシステムの地位を獲得してきました。

このシステムの主な利点は、高度な慣性航法であり、GPSを使用せずに過酷な条件で操作を実行できます。電気光学および赤外線の電荷をシステムに追加できます。最も過酷な状況でも、昼夜を問わず、継続的なインテリジェンス、監視、および偵察を提供します。ドローンは、陸上および海上での民間および軍事作戦の両方で使用

同社によれば、ドローンシステムは耐風仕様もあり、最大風速20m/sの状況で利用できる。ビークルの飛行半径は55キロメートルで、1.5時間から3.5時間空中に留まる

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米国から供給されたウクライナのAN / TPQ-49軽量迫撃砲レーダーがマリンカ#Donetsk州のDNR軍によって捕獲

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AN / TPQ-49軽量カウンター迫撃砲レーダー(LCMR)

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AN / TPQ-49軽量カウンター迫撃砲レーダー(LCMR)システムは、敵の射撃を感知し、部隊に警告して対応できるようにします。AN / TPQ-49カウンターファイアレーダーは、回転しない電子的に操作されるアンテナを使用して、継続的な360度の監視と3DRAMの位置特定を提供します。その完全な方位角範囲により、315平方キロメートルの監視エリア内の別々の場所から発射された複数のラウンドを同時に検出および追跡できます。また、360度未満をスキャンするように構成することもでき、より頻繁な更新レートで集中的なセクターカバレッジを提供します。




動作周波数Lバンド
検出範囲> 10 km
原点の精度5kmで75m
方位角カバレッジ360°
標高カバレッジ0〜30°
システム重量68 kg / 150 lb
システムサイズ直径1.25m/4フィート×高さ1.25m/4フィート
電力要件1,200 W、110/240 VAC 50/60 Hz、24 VDC




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【図解】ウクライナとロシアの主な兵器
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ロシア車両:BMP-2 IFV、152mm 2S3 Akatsiya SPG、Tigr-M IMV、
および通信/コマンドトラック。

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ドネツク州のパブロ・キリレンコ知事は、同駅に命中したのはクラスター弾を搭載した「トーチカU」短距離弾道ミサイルだったと述べた。
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第4親衛戦車カンテミロフスカヤ戦車師団オープンデー2017-パート2


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(第二次世界大戦以降の機器の例)



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(第二次世界大戦以降の機器の例)


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二つの変種とKRUS StreletsインテリジェンスとRatnik歩兵戦闘システムの変種で(AFVクルー個々の保護キット6B48 Ratnik-ZK、コントロールと通信システム)


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(Ratnik歩兵戦闘システムは、偵察用とKRUS Strelets知性、制御および通信システムとAFVクルー個人と第二の変異体保護キット6B48Ratnik-ZK)


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(AFV乗組員個人保護キット6B48 Ratnik-ZK)

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(NRS 6P25特殊スカウトナイフとNR-2スカウトナイフ)

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(NRS 6P25特殊スカウトナイフとNR-2スカウトナイフ)


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NRS 6P25特殊スカウトナイフとNR-2スカウトナイフ)

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(NRS 6P25特殊スカウトナイフとNR-2スカウトナイフ)


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(NRS 6P25特殊スカウトナイフとNR-2スカウトナイフ)


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(PB 6P9サイレントピストル)


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(近代化されたアサルトライフルASM Val 6P30M)


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(近代化されたアサルトライフルASM Val 6P30M)



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(近代化されたアサルトライフルASM Val 6P30M)



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(近代化された狙撃ライフルVSSM Vintorez 6P29M


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(近代化された狙撃ライフルVSSM Vintorez 6P29M)


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(近代化された狙撃ライフルVSSM Vintorez 6P29M)


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(近代化された狙撃ライフルVSSM Vintorez 6P29M)


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(近代化された狙撃ライフルVSSM Vintorez 6P29M)


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(近代化された狙撃ライフルVSSM Vintorez 6P29M)

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(近代化された狙撃ライフルSVDM)



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(近代化された狙撃ライフルSVDM)


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(12.7mm近代化された狙撃ライフルASVK Kord-M 6V7M)


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(12.7mm近代化された狙撃ライフルASVK Kord-M 6V7M)



443
(12.7mm近代化された狙撃ライフルASVK Kord-M 6V7M)


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(PKM機関銃)



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(PKM機関銃)


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(PDU-4距離計)



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(ポータブル偵察レーダーSBR-5M 1L111



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(120mm 2S12サニ迫撃砲)



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Р-105М(R-105Mラジオ)




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Р-143(R-143ラジオ)



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Р-159М(R-159Mラジオ)




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Р-158(R-158ラジオ)



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(R-168-5KN-Kラジオ)



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Р-168-5УН-1(R-168-5UN-1ラジオ)


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Р-168-1К(R-168-1Kラジオ)


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Р-187П1Азарт(R-187P1アザートラジオ)



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Р-187П1Азарт(R-187P1アザートラジオ)



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Р-323М(R-323M受信機)


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Р-438М(R-438Mラジオ)




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Р-438Н(R-438Nラジオ)



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(Krab-IM地雷原制御装置)


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能登半島沖不審船事件


 能登半島沖不審船事件(のとはんとうおきふしんせんじけん)は、1999年平成11年)3月23日に発生した北朝鮮不審船による日本への領海侵犯


件と、その逃走時に生起した
海上自衛隊および海上保安庁による追跡行の一連の行動を指す。日本海不審船追跡事件(にほんかいふしんせんついせきじけん)とも称される。
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事件の推移

端緒

最初に特異な兆候が発生したのは1999年3月18日のことであった。北朝鮮の諜報員が使用する無線局「A-3」に変化が発生。この兆候は、電波による情報活動(シギント)を任務とする自衛隊情報本部電波部、警察庁警備局の外事技術調査官室(通称「ヤマ」)、また、日本や韓国に駐留するアメリカ軍の情報機関などによって傍受されたものとみられている。

端緒は他にもあった。翌日の3月19日には北朝鮮・清津にある工作船基地から工作船が出航した旨の衛星情報が在日米軍司令部経由で情報本部に寄せられた。また、北朝鮮が「日本にある重要なブツを持ち込む」との情報が韓国の情報機関国家情報院(NIS)から公安調査庁(PSIA)に寄せられたともいわれる。しかし、この時点では差し迫った脅威があるという情報がなかったことから特に対策はとられなかった。

事態が急展開したのは3月21日であった。この日の22時ごろ、日本海能登半島東方沖の海上から不審な電波発信が続けられているのを各関係機関が一斉に傍受した。さらに、深夜には「A-3」にも異常がみられたという。これらの情報を踏まえ、3月22日15時に海上自衛隊舞鶴基地から護衛艦はるな」(第3護衛隊群直轄艦)、「みょうこう」(第3護衛隊群所属)、「あぶくま」(舞鶴地方隊所属)が緊急出港した。法的根拠は防衛庁設置法に基づく「調査・研究」とした。同時に警察庁から日本海側各県の警察に対して沿岸の警戒強化を呼びかける「KB(KOREAN-BOAT)参考情報」が発せられた。

不審漁船の発見

海上自衛隊八戸航空基地から飛び立って海上を捜索していたP-3C対潜哨戒機が、翌3月23日6時42分、佐渡島西方18キロの日本領海内に「第一大西丸」と記された船を発見[4]。9時25分、能登半島東方64キロに「第二大和丸」と記された船を発見した[2]

などの不審点があったことから[3]、これらの船名を漁協に問い合わせたところ、第一大西丸は既に廃船、本物の第二大和丸は兵庫県沖で操業中である事が判明し、海上自衛隊による追跡が始まった。また、航空自衛隊が情報収集のため、三沢基地所属のE-2C早期警戒機を海域上空に派遣した。

追跡

11時30分に海上保安庁新潟航空基地を飛び立ったS-76Cヘリコプター「らいちょう1号」は、不審船を写真撮影するとともに船舶電話を使って呼びかけ(朝鮮語英語日本語による)を行ったが、不審船からは何の反応もなかった。海上保安庁では、特殊警備隊(SST)を大阪からヘリコプターで「ちくぜん」に搬送し、待機させた。日没前には「はるな」艦載ヘリが不審船を撮影し、航空自衛隊小松基地に着陸して防衛庁へ画像を電送。これが初めての画像電送装置の実戦使用になった。

日本海側の各警察に出されていた「KB参考情報」は、さらに重要度が高い「KB情報(例の不審船は明らかに北朝鮮工作船である。警察は沿岸地域を厳重に警戒せよ。の意)」に変更される。警察は、人気のない海岸での工作員の密入国や、「土台人」が工作員を待ち受けたりしないよう、海岸沿いの警戒を強化した。

威嚇射撃

海上保安庁は、巡視船艇15隻および航空機12機を動員し、追跡は夜までおよんだが不審船は停船せず、挑発するように逃走を続けた。18時10分には首相官邸別館にある危機管理センターに官邸対策室が設置された。

19時になると不審船は24ノットに増速、19時30分には28ノットとなったため、巡航速度が不審船に比べて遅いPC型の「はまゆき」「なおづき」が引き離され始めた。その報告を受けると、川崎二郎運輸相は威嚇射撃を許可し、第九管区海上保安本部(新潟)に通知した。

20時過ぎ、第九管区海上保安本部長が海上保安庁法第二十条に基づく威嚇射撃を指示。「みょうこう」から照らされたサーチライトが光る中、20時頃より「ちくぜん」が「第二大和丸」の傍の海上に向かって20mm機関砲曳光弾50発を発砲、1953年ラズエズノイ号事件以来46年ぶりとなる警告射撃を行った。20時24分と21時1分ごろには、「はまゆき」も13mm機銃で計195発を射撃した[2]。また、「第一大西丸」に対しても、「なおづき」が9丁の64式小銃で1,050発(うち曳光弾が500発)もの威嚇射撃を行った。不審船は威嚇射撃に反応したためか、35ノットに増速して逃走。燃料不足もあって「はまゆき」「なおづき」は追跡を断念、また、速力差もあり、20時14分には「第一大西丸」、21時12分には「第二大和丸」が巡視船のレーダー探知距離外に離脱した。

特に「第一大西丸」は護衛艦「はるな」のみの追跡となった。官邸対策室ではこれを受けて海上警備行動発令へと傾いたが、再検討の結果、官邸は追跡打ち切りの方向へと向かっていた[7][8]

謎の停船

「第一大西丸」は、一時的に追手との距離が開いたために、日本側が追跡を断念したと見たのか、23時47分に突然停止。その報告を受けて野呂田芳成防衛庁長官は海上警備行動の発令を決断した。

手続きとして、翌3月24日0時30分に川崎運輸相より野呂田防衛庁長官に「海上保安庁の能力を超えている」との連絡があり、0時45分に持ち回り閣議が開かれて海上警備行動を承認、0時50分、自衛隊法第82条に基づく初の海上警備行動が野呂田から自衛艦隊司令官および各地方総監あてに、海上における警備行動に関する海上自衛隊行動命令(海甲行警命第16号。11.3.24 0050)として発令された。

初の海上警備行動

吉川榮治第3護衛隊群司令(後に海上幕僚長)に現場指揮が命令され、第2航空群に爆弾投下命令が出された。「みょうこう」をはじめとする各護衛艦は、海上自衛隊発足以来初のROE(交戦規定)となる野呂田防衛庁長官名の命令書「部隊の取るべき措置標準」を受け取り、はるな及びみょうこうは2隻に対して無線及び発光信号にて停船命令を実施、その後1時19分から4時38分にかけて搭載速射砲で25回35発(みょうこうが第二大和丸に対し13回13発、はるなが第一大西丸に対し12回22発、砲側射撃)の警告射撃を実施した。3時20分から5時41分にかけ、上空から八戸のP-3C 3機が、巨大な水しぶきにより水の壁を作り、水の力で不審船を停船させるため、150キロ対潜爆弾12発(のべ3回各機4発ずつ)を投下する警告爆撃を行った。上空には海上自衛隊岩国航空基地所属のEP-3電子戦機在日米海軍のP-3CとEP-3も飛来していたが、航空自衛隊には警備行動への参加が発令されず、P-3Cと監視中だったE-2C早期警戒機は、護衛の戦闘機無しで不審船上空を飛びまわった。そのため、爆弾を搭載したP-3Cが現場に到着すると、不審船からの地対空ミサイルによる攻撃を防ぐため、現場判断で、爆弾投下を行うP-3Cと不審船の間に、監視目的で飛行していた無防備のE-2C僚機が割り込み、命懸けで盾となる飛行を行うなどの混乱が起きた。

防空識別圏境界が近づくと、ロシア政府から不審船追跡におけるロシア側海域通過の許可が下りた。同時にロシア側による不審船追跡が開始され、ロシア側からも停船命令が発せられた。後にロシア側の責任者は「この不審船が、もしもロシア領海に侵入していれば、即座に撃沈するつもりだった」と語っている。

命がけの突入計画

護衛艦「みょうこう」では、不審船に接近し立ち入り検査を行うこととなった。艦長命令により、航海長伊藤祐靖(当時1尉)を指揮官とする臨検部署(戦時国際法の海戦法規に基づく行為)が臨時に発令され、臨検要員を選出、艦内に備え付けの64式7.62mm小銃9mm拳銃が配られた。海上自衛官は、全員が小銃拳銃の射撃訓練を受けているが、当時テロ対策に必須の技術であるCQB(近接戦闘)やCQC(近接格闘)に精通する者は皆無であり、また護衛艦には防弾チョッキすらなく、代わりに隊員の持ち込んだ漫画本を胴体にガムテープでぐるぐる巻きにして対処するほかなかった。また、護衛艦「はるな」に於いても臨検部署が発令される中、第1分隊(砲雷科)が、不審船の進路上に割り込んで網(体験航海時の緑色の転落防止ネット)を投下し、海面に漂わせて不審船のスクリューに絡ませようとしたが、回避され失敗した[3]

逃走

不審船はその後も高速で逃走し、3時20分に「第二大和丸」が、6時6分に「第一大西丸」が防空識別圏を越えたため追跡を断念した。7時55分に、E-2Cが北朝鮮からのMiG-21戦闘機2機の出撃を確認。このため、各護衛艦では対空戦闘に備え、空自からは通常のスクランブル任務として小松基地からF-15J戦闘機2機が発進した。

2隻はロシア側海域を逃走していたが、途中から南西方向へ転進し、両船の位置が入れ替わった。25日の朝7時ごろに清津への入港が確認された。これをもって状況が終了し、15時30分をもって海上警備行動は終了した。

事件の影響

この事件は、自衛隊における2回目の武器使用事案(1回目は1987年ソ連空軍偵察機による沖縄本島領空侵犯時の威嚇射撃事件)、すなわち実戦経験という点で、隊の歴史上重要な事件である。この事件の後日、海上自衛隊内に強襲・臨検を任務とする特殊部隊特別警備隊(SBU)」と、護衛艦ごとに臨検を任務とする「立入検査隊(立検隊)」が編成された。「みょうこう」航海長伊藤祐靖は、初の臨検部署発動という経験を買われて、特別警備隊準備室に異動した。

追跡の際、海上保安庁の船艇の速力が不審船や護衛艦に比べて大幅に劣り、有事に対応できないことが判明したため、海上自衛隊との連携強化に加え、以降に新造される巡視船艇の能力が大幅に向上されるようになった。また、海上自衛隊も高速艦艇の整備を行った。

本事件において、海上保安官が武器を使用して人に危害を加えた場合の違法性阻却事由(免責要件)が「警察官職務執行法第7条」に定められた要件のみという状況では、不審船事案に有効に対応できないことが判明したため、2001年に海上保安庁法の改正が行われた。この改正では第20条2項において、一定の条件に限って、巡視船などが、停船命令を無視して逃走・抵抗する船舶に対して射撃し乗員に危害を加えても、海上保安官の違法性が阻却されることが明定された。

当事件後の2001年に発生した九州南西海域工作船事件においては、不審船の現認位置が日本の領海外のEEZ内であったため、改正された第20条2項の要件を満たすことができず、従来と同じく船体射撃で被疑者が死傷した場合は違法性を問われる恐れがあったが、RFS機能のついた機関砲で被疑者に危害を与えずに船体射撃を行えると判断して攻撃を行った結果、不審船は自爆し沈没した。

この事件で北朝鮮の偽装船が日本の領域で暗躍していることが国民の間にも知られるようになった。この事は、前年(1998年)のテポドン事件と合わせ、日本の世論に大きな影響を与えている。佐藤秀峰の漫画『海猿』の第5巻において、設定場所を変えてはいるが、本事件とほぼ同じ推移の物語が描かれている。また、日本財団海上保安協会が中心となって、海上保安庁公認のボランティア団体として「海守」が結成されるきっかけとなった。

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能登半島沖不審船事件





【実話】海上自衛隊、命懸けの突入命令!
特殊部隊設立の契機となった能登半島沖不審船事件とは【マンガ動画】






The Japan Coast Guard received the attack.(6:48





【ノーカット】水産庁が北朝鮮漁船との衝突映像を公開














デイビー・クロケット (戦術核兵器)


 M388 デイビー・クロケット(M388 "Davy Crockett")は、アメリカ合衆国が開発した戦術核兵器システムである。

名称は、アラモの戦いで玉砕した英雄、デイヴィッド・クロケットの名に因む。

なお、M388はW54核弾頭を含めた“核兵器”としての弾頭部の制式名で、砲システムとしての制式名はM28およびM29、発射装置(無反動砲)の制式名はM63およ
M64である。


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運用試験中のXM28(XM63)(1961年3月メリーランド州アバディーン性能試験場での撮影)


開発の経緯

第二次世界大戦後のアメリカは、ソ連戦争行為を仕掛けてきた場合、即座に戦略核兵器で報復攻撃を行うという「大量報復戦略」を取っていた。しかし、この戦略では大国間の直接戦争は抑止できても、朝鮮戦争のような、大国同士が直接戦争行為を行わない「小さな戦争」、大国の同盟国間において行われる「局地戦」は抑止することができなかった。このため、「小さな戦争(局地戦)」から「大きな戦争(全面戦争)」まで、様々な段階に対応した核兵器のバリエーションを増やすことが必要だと考えられた。

歩兵部隊が手軽に運用できる大きさの核兵器を装備することは、NATO軍に比べ圧倒的に数的優位をもっていたソ連軍に対する抑止力として大いに期待され、威力が小さくとも通常兵器と同じように使える「手軽な核兵器」の開発が急務とされた。

このような背景から1957年から1958年にかけて立案された計画は"BGADS"(Battle Group Atomic Delivery System. 戦闘群核(兵器)運送システム)と命名され、この計画は当時の陸軍参謀総長であるマクスウェル・D・テイラー大将[1]の推し進める「ペントミック師団」[2]の重要な構成要素として位置づけられた


開発

前述のような経緯からBGADS計画は高い優先順位を与えられ、1958年1月より開始された。当初は既存の無反動砲弾頭として通常の無反動砲弾薬と同じように装填・発射される「無反動砲用核弾頭」であったが、人力もしくは軽車両によって搬送できる大きさの無反動砲の弾頭のサイズの核弾頭を開発することは困難であり、また、既存の無反動砲では確保できる射程が必要とされる核弾頭の威力半径を下回ってしまうため、計画は専用の発射装置として開発する新型無反動砲を用いた外装式の弾頭に変更された。

発射装置である無反動砲は兵士が肩に担いで運用できる小型の“軽砲型(light)”と、三脚架台に載せる、もしくは軽車両に搭載して運用する大型の“重砲型(Heavy)”が構想され、ロックアイランド造兵廠英語版が開発を担当した。軽砲はXM28 、重砲型はXM29の砲システム名で開発が進められ、XM28用はXM63 4.7インチ無反動砲(XM63 4.7inch recoilless rifle)として、 XM29はXM64 6インチ無反動砲(XM64 6inch recoilless rifle)として試作品が完成したが、サイズ、重量的にXM63を個人が肩担して運用することは不可能で、XM28も地上設置もしくは車両搭載型の無反動砲として完成した。

1958年8月には"Davy Crocket"の呼称が公式のものとして決定し、同年11月には最初の発射装置(無反動砲)が完成して納入された。計画の要である小型核弾頭の開発は難航したが、1961年にはアメリカ核兵器開発の権威であるセオドア・ブリュースター・テイラーによって当時世界最小(装置総重量23kg)の核弾頭であるW54が完成し、これは即座にこの計画に応用され、1961年5月M388 デイビー・クロケットとして完成し、制式採用された。

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M29 核無反動砲システム
M388弾頭(模擬弾)を装着した状態のM64無反動砲、および砲身下に装備された37mm距測銃と三脚式砲架で構成されている
メリーランド州アメリカ陸軍兵器博物館(日本での通称は「アバディーン戦車博物館」)の展示品)



生産・配備

M388は開発が終了した1961年からただちに生産が開始され、総数2,100発が製造された。生産された弾頭および発射装置は1961年-1971年にかけて主に西ドイツに駐留する米軍に配備された。

1961年の配備開始後、射程の短いM28は段階的にM29に置き換えられ、以後は実戦装備としてはM29のみが用いられた。1962年7月7日および17日には、リトルフェラー作戦英語版の名称でネバダ核実験場で核弾頭の実射訓練が行われている[3][4]。この他、1962年から1968年にかけて、ハワイ島ポハクロア演習場英語版において測距銃を用いた射撃訓練が計714回行われており、この際に用いられたM101 20mm弾は弾頭に劣化ウランを使用していた[5]

M388は1967年8月には西ドイツ駐留軍より引き揚げられ、これ以外の配備先からも順次実戦装備より解除されて予備兵器となり、1971年には全数が退役した。冷戦終結にともない、アメリカは1991年9月ヨーロッパからの地上発射式戦術核の撤去を宣言した。こうしてM388は一度も実戦で使用されることなく全てが廃棄された。

M388の模擬弾およびM63/M64の両発射装置は2018年現在もいくつかの数が現存し、アメリカ各地にある軍事博物館や基地の資料館などで展示されている。

ドイツ連邦軍への配備計画[編集]

冷戦時代の西ドイツにおいて、アデナウアー政権1950年代後半から1960年代前半にかけて国防相を務めたフランツ・ヨーゼフ・シュトラウスは、デイビー・クロケットに大きな期待と支持を寄せ、アメリカに対して西ドイツ軍(ドイツ連邦軍)にニュークリア・シェアリング政策に基づくデイビー・クロケットの供与を希望した。

彼によれば、M388核弾頭はワルシャワ条約機構軍に対する効果的な戦力であり、その威力は1発で通常火砲の40門から50門の全力斉射に相当するため、デイビー・クロケット1基で2個ないし3個砲兵大隊を代換でき、これによりNATOの抑止力を大幅に向上させる事ができると共に軍事予算を大幅に削減でき、効率的かつ効果的な戦力の増強と軍事費の削減が実現できる、というものである。

しかし、これは事実上「東側との戦争状態に突入した場合、即座に戦術核兵器を使用する」ことと同義であり、戦術核兵器を重要な戦力と位置づけつつも「敵が通常戦力で攻撃を行った場合、まずは極力通常戦力のみで対応し、核兵器の使用は敵が核兵器を使用、もしくは使用を決断したと判断した後に決定する」という当時のアメリカの基本戦略(柔軟反応戦略)に反していた上、NATOの軍事力に占める核兵器の依存度を過度に偏重させるものであることから大きな反発を受け、最終的にはアメリカによって却下された[6]

日本への配備[編集]

デイビー・クロケットは世界各地のアメリカ軍基地に配備されたが、日本でもアメリカ合衆国統治下の沖縄(「アメリカ合衆国による沖縄統治」の項参照)に配備されていたことが、1999年にアメリカの環境保護団体NRDC英語版(Natural Resources Defense Council. 天然資源保護協会)が公表したアメリカ国防総省の核兵器配備先リスト[7]によって確認されている。

構造

デイビー・クロケットは無反動砲W54核弾頭を内蔵したM388弾頭を外装式に装填し運用する外装式砲弾システムである。発射に用いる無反動砲は口径4.7インチ(120mm)のM63と6.1インチ(155mm)のM64の2種類があった。

砲本体の重量は、M63が185ポンド(約84kg)、M64が440ポンド(約199.6kg)、M388弾頭は尾部に4枚の安定翼のついた全長31インチ(約78.75cm)、最大直径11インチ(約28cm)の紡錘形有翼砲弾で、重量は76ポンド(約34.5kg)である。兵士たちは、その外観からM388弾頭を“原爆スイカ(atomic watermelon)”と通称していた[8]

M63/64共に砲自体の構造はガス噴射式の無反動砲で、砲身は線条のない滑腔砲で、発射薬は側面に多数の孔が空いたケースに収められており、点火・燃焼すると一段太くなった薬室内に燃焼ガスが一旦充満した後に砲尾の噴射口からノズルを介して噴射されることで反動を相殺する方式である[9]

弾頭は外装式のものを"launching piston"もしくは"spigot cylinder"の名称の分離式尾筒の一種を用いて発射する特殊な形式で、曲射専用の発射方式と併せ、無反動砲というよりは軸発射式迫撃砲(spigot mortar)に近いものであった。装填は砲口から行われ、発射薬を装填した後に尾筒を挿入、尾筒に弾頭を装着して装弾完了となる。発砲すると発射薬の燃焼ガスによって尾筒とその先端に連結された弾頭が撃ち出され、発射後尾筒は分離して弾頭部のみが目標地点に飛翔、設定された所定の高度で炸裂する。

M63には20mm、M64には37mmの単発式測距銃(スポッティングライフル)[11]が備えられ、この銃は弾頭と同様の弾道を描く曳光弾を発射した。

なお、デイビー・クロケットの用いる弾頭にはM388核弾頭の模擬弾や訓練弾を除けばそれ以外の種類がなく、この砲システムは核弾頭専用である。開発初期には通常の無反動砲としても用いることができるよう、通常弾(榴弾対戦車榴弾など)の開発も準備されたが、滑腔砲身のため低速の有翼弾頭では命中精度が低く、また、装弾方式が外装式に変更されたことと、現実の運用は大仰角による間接射撃専用となることが決定したため、通常弾の開発は棄却されている。

運用

デイビー・クロケットは3人の砲員によって操作され、ウィリス M38またはM151 1/4トン 4輪駆動車に搭載され運用される。4輪駆動車の他、特に重量のあるM29システムはM113装甲兵員輸送車もしくはM116“ハスキー”装軌式貨物運搬車に搭載されても運用されたが、M113およびM116に搭載された場合には、射撃は車両から降ろして地上で三脚砲架に載せた状態でのみ行われた。

発射装置であるM63およびM64は車載もしくは地面に三脚で設置して運用する。両砲共に構造的には水平弾道で直接射撃を行う「直射砲」ではあるが、核砲弾運用時には破壊範囲を最大にするために最適高度で弾頭を空中炸裂させる必要上、射撃時には角度を調整して野戦榴弾砲迫撃砲のように大きな仰角をつけた状態となり、発射した砲弾が曲射弾道を描く「曲射砲」として照準・発砲される[10]。M63の最大射程は1.25マイル(約2,011 m)、M64は2.5マイル(約4,023 m)である。

W54核弾頭の核出力は可変式で、調整範囲は0.01ktまたは0.02kt(TNT火薬10/20トン相当)[12]であった。弾頭の威力は主に強烈な放射線の効果によるもので、低出力の設定でも、核弾頭は150メートル以内の目標に対し即座に死亡する強さの放射線(10,000レム(100シーベルト)を超える)を浴びせる。放射線強度は400メートル離れていてもほぼ死亡するレベル(およそ600レム(6シーベルト)に達する。

核弾頭の発射前にはまず測距銃を発射し、弾道と風向・風速を確認、目標に対する弾頭の炸裂最適高度を算定する手順となっていた。なお、発砲時の砲口爆風および無反動砲ゆえの後方噴射と、射程距離が短いために核弾頭が炸裂した際の影響が発射地点に及ぶことを避けるため、撃発は砲から離れてリモコンスイッチで行い、砲員は発射後直ちに塹壕もしくは遮蔽物に身を隠すことが指示されていたが、放射性物質を含む爆風の飛散等を考慮すると、防護装備を着用していたとしても砲員を放射線障害の危険から完全に保護できていたかは疑問である


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1962年7月17日、リトルフェラーI作戦において炸裂したM388弾頭の発生させたキノコ雲。雲は目標地点(爆心地)上空の高度11,000フィート(約3,353m)に達した。


各型および構成装置

M28
軽量級短射程型。M63 4.7インチ無反動砲、20mm測距銃、照準器、三脚架もしくは車載用砲架およびその他付属装備で構成される。
M29
重量級長射程型。M64 6.1インチ無反動砲、37mm測距銃、照準器、三脚架もしくは車載用砲架およびその他付属装備で構成される。
M388
W54-2 核爆発装置を内装した外装式弾頭。弾頭威力および爆発高度はそれぞれ2段階に調整できた。
W54-2
核弾頭。爆発威力は0.01ktまたは0.02kt(TNT火薬10/20トン相当)[12]の選択式。
XM1117
信管。
M2 launching piston/spigot cylinder
M64無反動砲用の分離式尾筒。
M101 Spotting Round
M63無反動砲に付属する20mm測距銃で用いる有翼砲弾。弾体に劣化ウランを使用している。
M76 ZONE I
M94 とも。短距離(540-1,900m)用の発射薬(装薬)。
M77 ZONE II
長距離(1,700-4,000m)用の発射薬。


M65 280mmカノン砲


M65 280mmカノン砲アメリカ陸軍戦後1953年から1963年まで運用していた野戦重砲核砲弾射撃を任務としアトミックキャノン原子砲 Atomic Cannon)と呼ばれた。1955年4月から1962年12月まで、西ドイツ、韓国、沖縄に配備されていた

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M65 280mmカノン砲


概要


陸軍のピカティニー・アーセナルにて1949年から開発が開始された。当初は口径240mm程度で検討されていたが、核兵器の小型化に限界があり、口径280mmとなった。1953年から配備が開始されている。

M65は自力移動はできず、砲の前後にはコンチネンタル製AO-895-4ガソリンエンジンで駆動する2両の特製トレーラー「M249」「M250」を連結し移動を行なった。移動状態から射撃状態への変更は約15分かかり、移動状態への変更も同程度の時間を要する。

1953年5月25日ネバダ核実験場にてW9核砲弾の実射を伴う核実験(アップショット・ノットホール作戦グレイブル実験)が国防長官統合参謀本部議長列席のもとで実施された。核砲弾の実射試験はこの1回のみである。

M65は20門が生産され、ヨーロッパ韓国沖縄に配備された。敵の目標とならないために、設置位置は頻繁に変更された。

1955年10月25日宜野座キャンプ・ハーディーで試射をおこなった際、100メートル先の松田小学校の児童4人が衝撃で飛び散ったガラスが突き刺さり怪我をする事件がおこった[2]。また普天間飛行場でもM65を射撃していた米軍の記録写真が公文書館に残されている[3]米国国防総省によると、沖縄には1955年12月から1960年6月まで配備されていたとある[4]

配備核砲弾は1952年からW9が用いられ、1955年から1957年にかけて改良型のW19に更新された。W9およびW19は両方とも80発が生産されている。

核兵器の小型化やミサイル搭載などによりM65は旧式化したが、1963年までは配備されていた。



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1953年に行われたアップショット・ノットホール作戦グレイブル実験。M65 280mmカノン砲で発射。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。



要目


  • 重量:83.3t
  • 長さ:25.6m
  • 幅:4.9m
  • 高さ:3.7m
  • 操作人員:5-7名
  • 口径:280mm
  • 射程:約30km
  • 使用核砲弾:W9W19


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普天間地区で発射準備作業中の280mm原子砲 (1956年7月17日)





MGR-3 (ロケット)リトル・ジョン

MGR-3 リトル・ジョンLittle John)は、アメリカ合衆国の地対地核ロケット(弾)である。リトル・ジョンは、ヘリコプターによる運搬を可能にするために同じ地対地核ロケットであるMGR-1 オネスト・ジョンよりも小型・軽量であり、空挺強襲作戦に用いられることを目的としていた。また、空挺部隊に戦術核攻撃能力を持たせることを意図していた。オネスト・ジョンと同様に、核弾頭と通常弾頭の両方を搭載できるようになっていた。1957年8月から少数が部隊に配備されたが、小型にしすぎてしまったために空挺以外の用途に応用できず、オネスト・ジョンよりも早い1969年8月には退役した。

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M34牽引式発射機上にあるMGR-3A リトル・ジョ


開発

アメリカ陸軍武器科1953年5月MGR-1 オネスト・ジョンを基にした、お互いに重なり合う射程を持つ核ロケット兵器ファミリーの研究計画を立案した。「ジョン・ファミリー」は、中距離射程のオネスト・ジョン、短距離射程のオネスト・ジョン・ジュニア及び長距離射程のオネスト・ジョン・シニアを含むことになっていた。ダグラス・エアクラフトはオネスト・ジョン・ジュニアの技術研究を開始し、それが後にリトル・ジョンとなった。

短距離システムのための技術研究は、ダグラスとの基本研究開発契約で進められ、1953年から1954年までの間に短距離システムのためのいくつかの異なる構成を検討したが、それらのほとんどは最終的なリトル・ジョンの設計や特徴に採用されることはなかった。

1954年8月アメリカ合衆国陸軍省はオネスト・ジョン・ジュニアの安定した要求仕様を承認し、陸軍陸戦軍長にシステムの正式な軍用性能を準備するよう指示した。リトル・ジョンの軍用性能は、陸軍省によって1955年6月に承認された。レッドストーン兵器廠は、1954年8月からシステム設計の研究を開始し、1955年2月には、完全なリトル・ジョン・システムのために予備設計研究を開始した。

1954年12月。アメリカ陸軍武器科長官房局 (OCO) は、オネスト・ジョン・ジュニアとしてよりもむしろリトル・ジョンとして知られている新しい兵器システムの開発に対する計画の骨子を設定し、1955年6月14日にリトル・ジョン計画は、正式に確立された。計画遂行の主な責任は、レッドストーン兵器廠に割り当てられた。ダグラスがオネスト・ジョンの開発に絡む契約の所有権条項を固定料金の相当な割増をせずに受け入れるという問題を抱えていたため、レッドストーン兵器廠は同社から許容できる提案を得ることができず、同兵器廠は計画の全体的な技術管理監督を行っただけでなく、システムの主契約者の役目をも引き受けることになった。

陸軍幕僚は1955年8月、陸軍武器科長に17.35 in(440 mm)弾の研究をやめ、より小さな直径約11.5 in(292 mm)の核弾頭を搭載するためにリトル・ジョン・ロケットを開発するように命じ、440 mm(17.35 in)のリトル・ジョンは1955年9月9日に公式に中止され、計画はより小型のロケットの開発へと方向修正した。更にリトル・ジョン計画は、1956年1月に臨時システム(イントリム・システム、フェイズ1)及び最適システム(オプティマム・システム、フェイズ2)の2つの段階に分割された。


臨時型リトル・ジョン

臨時型リトル・ジョンの開発は1956年1月に始まったが、1955会計年度の最終四半期にはいくらかの予備研究が終わっていた。この時期の差し迫った目的は、空挺作戦のために臨時の核搭載兵器を開発することであり、精度よりむしろ早急な配備に重きが置かれた。また、フェイズ2リトル・ジョンもフェイズ1と平行して開始された。

レッドストーン兵器廠は1956年2月、エマーソン・エレクトリック・マニュファクチャリング社に設計、開発及び20セットの弾体構成要素と1956年9月1日まで1ヵ月あたり24セットの率で構成要素を生産するのに十分な工作機械類の製造に関する213,688ドルの契約を与えた。飛行試験プログラムの実現可能性段階は予定より3ヵ月早い1956年7月に始まったが、アメリカ国内の全国的な鉄鋼業界のストライキによってロケット・モーターの納入が6週間遅れ、大きく予定が狂うことになった。プログラムが更にロケット発射機干渉問題のために難航したことで、この遅れは更に1957年1月にまでずれ込むことになる。臨時システム用の発射機の仕様は、1956年10月にヘリコプター可搬発射機として望ましいものに修正され、臨時型リトル・ジョンの新しい軍用性能が確立された。これは、発射機に関する部分以外は1955年7月に確立されたものと同様であった。

1957年5月から1957年6月5日まで最終的な弾頭搭載の開発試験が実施されたが、結果を統計的に分析したところ、臨時型リトル・ジョンの精度が当初予測されたものよりもかなり不足することが示された。1957年7月にフェイズ1リトル・ジョンはひとまず予定通りに完成し、1957年7月16日にレッドストーン兵器廠は、臨時型リトル・ジョンの正式な研究開発リリースをしたが、当初見積られた精度を実現するために、フィールド-タイプ改造の可否を決定するための調査を実行できるよう最初の部隊配備を遅らせた。精度に関して軍用性能に示された最小限の要件を満たすことができなかったため、1957年7月26日から1957年8月23日まで臨時型リトル・ジョンの複合エンジニア・テスト-ユーザー・テスト・プログラムが実施されたが、やはりシステムはT317E1弾頭を搭載するのに十分な精度がないことが判明した。これらの試験は、リトル・ジョン精度問題の主な原因を特定することに成功し、修正案が決定されたが、改造は承認されなかった。

1957年8月に第101空挺師団がフェイズ1リトル・ジョン・ユニットを初めて受領したが、臨時型リトル・ジョンは戦術使用のためには決して配備されず、部隊訓練目的のためだけに使われた。その3年後の1960年9月29日にフェイズ1リトル・ジョン・プログラムは終了した



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最適型リトル・ジョン

フェイズ2は、期間30ヵ月、見積り額210万ドルのプログラムとして計画されたが、最終的には54ヵ月と3,760万ドルにまで膨れ上がった。フェイズ2の目的は、精度の改善、システムの軽量化、モーターの改良、2種類の弾頭運搬能力と自走式発射機を持つ最適システムを開発することであった。フェイズ2リトル・ジョンは、核弾頭及び通常弾頭の両方を最小射程3,500 ydから最大射程20,000 ydに到達させることができる自由飛行ロケットであることになっていた。しかし、弾頭の詳細仕様が1956年12月に固まるまで、この時期にほとんど開発は進展しなかった。





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XM47

運用

フェイズ1リトル・ジョンは、1957年8月ケンタッキー州フォートキャンベルの第101空挺師団に初めて導入され、1958年前半まで送達は続いたが、大陸軍司令部 (CONARC) はその後、当該兵器システムが一般的な部隊使用に不適当であると判断した。臨時型リトル・ジョンは、最適型(フェイズ2)リトル・ジョンが使用できるようになるまで、訓練と戦技開発のために保持され、実戦部隊には配備されなかった。

1960年8月には使用可能なXM47 臨時型リトル・ジョン・ロケットの数が合計67基になった。その内訳は、Blue Grass Ordnance Depotの戦時備蓄用の42基、第101空挺師団が保有する10基、MGM-23 ホークの目標としてホワイトサンズ・ミサイル実験場に割り当てられた3基である。残りの12基は軽微な欠陥のため、戦時備蓄で保持されることも、部隊訓練で用いられることもなかった。

1961年1月及び3月に最初のフェイズ2リトル・ジョン大隊2個が活動を開始した。同年11月には、フェイズ2リトル・ジョンは日本に返還される前の沖縄にあった第57野戦砲兵連隊第1ミサイル大隊に最初に配備され、1961年のうちに7つの戦術リトル・ジョン部隊が配備されたが、1966年11月の時点でわずか4個部隊で運用されているにすぎなかった。1966年12月に2つのリトル・ジョン部隊は南太平洋に配備され、残り2つはアメリカ合衆国本土 (CONtinental United States, CONUS) で展開された。その3年後の1969年8月、リトル・ジョンは、陸軍の標準装備の目録から外され、その運用を終えた。


333
XM51

仕様

MGR-3A

出典:Designation-Systems.Net[1]

  • 全長: 4.41 m (14 ft 5.7 in)
  • 翼幅: 0.60 m (1 ft 11.75 in)
  • 直径: 0.32 m (12.5 in)
  • 発射重量: 353 kg (779 lb)
  • 速度: M 1.5
  • 射程: 3.2 - 18.3 km (3,500 - 20,000 yd)
  • 機関: ハーキュリーズ XM26 固体燃料ロケット・モーター
  • 弾頭
    • W45核弾頭(核出力:1 - 10 kt)
    • 高性能炸薬弾頭


MGR-1 (ロケット)


MGR-1 オネスト・ジョンHonest John)は、アメリカ合衆国初の核弾頭搭載地対地ロケット(弾)である。想定された主な用途は戦術核攻撃であったが、核弾頭の代わりに通常の高性能炸薬弾頭を搭載することもできるように設計されていた。当初の制式名は基本型がM31、改善型がM50であった。

オネスト・ジョンは、1951年6月に初めて試験され、1954年から在欧米軍に配備された。当初は臨時的な配備を予定していたが、運用が簡単で即応性が高かったことから、地対地誘導ミサイルが次々に代変わりしていく中、30年弱にわたって運用され続け、アメリカ陸軍では1982年に退役した。


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トラックのM386発射機上にあるMGR-1A オネスト・ジョン。


開発

基本型オネスト・ジョン

オネスト・ジョンの開発は、1950年5月にアメリカ陸軍武器科長官房局 (Office, Chief of Ordnance, OCO) が、レッドストーン兵器廠に特殊用途の大型野戦ロケットの予備設計研究に関する責任を割り当てたところから始まった。1950年の秋から大型野戦ロケットの予備設計作業が始まったが、コスト削減と開発期間短縮の手段として、まだ使える在庫資材の最大限の使用が議会の決定によって規定されていた。1950年9月、陸軍武器科長は大型野戦ロケット計画を陸軍省プライオリティIAで確立し、その翌月には初期設計研究が完了して大型野戦ロケットの実現性実証モデル5基の組み立て作業が進行中であった。OCOは、1950年10月26日に予備研究のためにダグラス・エアクラフトと契約し、同年12月には、すべての関係部局と契約者の活動の調整を含む技術監督をレッドストーン兵器廠司令官へ移した。また、それと同じ時期に大型野戦ロケット計画は当時のレッドストーン兵器廠司令官オルガー・N・トフトイ准将によって「オネスト・ジョン」という名称を与えられた。

1954年の春、オネスト・ジョンは、臨時のシステムとしてヨーロッパに配備された。これは、アメリカ合衆国初の戦術核兵器であった。1954年6月1日、最初の8つのオネスト・ジョン中隊の配備が完了した。

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M289発射機上のMGR-1A (M31) 基本型オネスト・ジョン。

改善型オネスト・ジョン

1954年11月、アメリカ陸軍はオネスト・ジョン精度改善プログラムの開始を認可し、1955年前半からレッドストーン兵器廠とダグラスは、公式にオネスト・ジョン改善プログラムの研究を開始した

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M386発射機上のMGR-1B (M50) 改善型オネスト・ジョン。


MGM-52 (ミサイル)

MGM-52 ランスLance)は、熱核弾頭および通常弾頭による火力支援に用いられるアメリカ陸軍の移動式短距離弾道ミサイル・システムである。ランスは、1973年からMGR-1 オネスト・ジョン・システムおよびMGM-29 サージェントの後継を務めたが、冷戦終結後の1992年に速やかに退役した。退役後、余剰となったロケットは、対ミサイル・システムの目標として使用されるために一部廃棄されずに保有され続けた。

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MGM-140 ATACMS


MGM-140 ATACMS(Army Tactical Missile System)は、アメリカ陸軍地対地ミサイルの1つである。米ロッキード・マーティン社により製造されている地対地ミサイル(Surface-to-surface missile、SSM)。アメリカ陸軍を中心に使用されている。M270、M270 IPDS、M270A1といったMLRSHIMARSから発射される。地対地ミサイルではあるがシーカーを変更して対艦能力を付加することも検討されている


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『失敗・珍兵器 No.30』核無反動砲 デイビー・クロケット【東北ずん子・琴葉茜 ボイロ解説】






M388 Davy Crockett Operational Test




W-54 Davy Crocket Test Fire (Tiny Nuke)




The Davy Crockett, U S Portable Nuclear Bomb





M388 Davy Crockett Nuclear Projectile




M388 Nuclear bomb testing - Davy Crockett





M38A1 Jeep with M28 Davy Crockett nuclear recoilless rifle detail walk around video




Atomic Cannon Sequence in HD






The 280mm Atomic Cannon - Nuclear Artillery Test





M65 Atomic Cannon "Atomic Annie"






These Atomic Bomb Tests Used U.S. Troops as Guinea Pigs





U.S. Army Atomic Bomb Blast Effects - 1959 Atomic Bomb Explosion Test Footage




Atomic Alert (1951) Elementary Version





Survival Under Atomic Attack 1951 NUCLEAR BOMB SHELTER FILM 29180 HD




ATOMIC BOMB TEST IN NEVADA w/ JC PENNEY MANNEQUINS 34512





1950年代の市民防衛放射性降下物シェルター用品フィルム29072




BBC 核攻撃の時の予定原稿(日本語)






人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢 ~世界が終わる10のシナリオ~ 1/4




人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢 ~世界が終わる10のシナリオ~ 2/4




人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢 ~世界が終わる10のシナリオ~ 3/4






人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢~ 世界が終わる10のシナリオ~ 4/4
























 ミズホ通信   MIZUHO

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ピコシリーズmx-6
ミズホ通信(ミズホつうしん)は、かつてあったアマチュア無線機器メーカーである。 本社は東京都町田市。 社長は高田 継男(たかだ つぐお)(JA1AMH)で、トリオ(現JVCケンウッド)の9R-59(受信機)、TX-88A(送信機)の設計者であった。 事業内容はアマチュア無線用の小出力無線機や関連機器、それらのキットの製造・販売を行っていた。
目次
概要
同社はFB-6Jという50MHz帯のAMトランシーバーのキットを設立時に販売したのが最初である。その後受信用アンテナなどを販売し、更にはDC-701などの短波トランシーバのキットなど、受信はCW、SSB、AMも可能だが送信はCWのみという特徴的なものであり、後にMX-6、MX-15などのハンディHF/VFHトランシーバーキットも手がけていた。これらはピコシリーズと呼ばれ、超小型トランシーバーとして広告を出していた。MX-6は50MHz帯のハンディトランシーバーとしては当時トリオのTR-1200、松下電器のRJX-601などがあったが、ピコシリーズはこれらより半分以下の大きさであり、送信出力もQRPである200-300ミリワット程度であった。MX-15については21MHz帯のハンディトランシーバーで、当時HFトランシーバーと言えば大型の固定機が主流であっただけに目新しさもあった。後に、MX-3.5S、MX-28S、MX-14SなどのHF帯トランシーバーも発売していた。
ピコシリーズはその小さな筐体に多数の部品を詰め込んだ、ミズホ通信が誇るトランシーバーであったが、その小ささ上にメンテナンスが困難であったため、送信機や受信機の自作経験がある人でも故障すると修理に出す人がほとんとだった。当時のミズホ通信は修理などのメンテナンスにも多くの時間を割けるほどではなかったので、修理に出すと、1、2ヶ月かかることは普通であった。従ってピコシリーズはメイン機ではなく、固定器のサブ機として使う人も当時は多かった。
社長の高田自身は、これらの販売店や通信販売で流通するものは別に、1975年頃にはオリジナルの中波ラジオの組み立てキットを開発し、ハムフェアやJARLの地方支部のフェアなどで購入希望者を募り、組み立て講習会を開いた時期もあった。販売はされず流通はしなかった。その後ピコシリーズが販売されると、高田の労力のほとんどは同社のその開発に向けられていた。1980年前半くらいまではミズホ製品を扱っていないアマチュア無線機器販売店は存在しないほどの人気があった。しかしその後パソコン通信、インターネットの普及に伴ってアマチュア無線の資格取得者は激減し、アマチュア無線を辞める人が増加していった。タワーと呼ばれるアンテナ設備、一戸建てに見られた大型アンテナは次々に撤去され、自動車にアンテナを付けたモービルハムも、最近は殆ど見かけなくなった。ミズホ通信も2004年度にはピコシリーズの製造を中止し、2012年12月には廃業に至っている。
沿革
1972年(昭和47年)設立。第一号機は、FBジュニア(FB-6J)、50MHzAM真空管式トランシーバー。
1970年代中頃のBCLブームの時期にはアンテナカプラー、マーカー発振器などの受信機用周辺機器を発売。
中波用ループアンテナは形を変えながら製造を続けたロングセラーである。
1981年(昭和56年)からHF/VHFハンディトランシーバーピコシリーズ発売。
世界的にも競合製品の見られない独特の製品であった。
一時期製造を中止し、協力会社のサンテック(Jimブランド)で製造された。
1991年(平成3年)モールス符号練習機ピコモールス発売。
2004年(平成16年)11月には社員の高齢化に伴い、事業規模を縮小しピコシリーズを製造中止。取扱品目をループアンテナ、自作用部品等に限定した。
2012年(平成24年)12月に自社ホームページを閉鎖、社長の高田自身の高齢化も進み、キャリプレーションという会社を通じて廃業を発表した。その後の連絡先の確認は取れていない。サポート、パーツの手配もできないとしている。
廃業後
一部製品については、次の企業が製造・販売を引き継いだ。
中波用アンテナ関連は、マイクロ・パワー研究所
ピコモールスは、GHDキー
QP-7、QP-21(7MHz、21MHz送信機キット)は、キャリブレーションの扱い。
注意 いずれもミズホ製造品のアフターサービス(パーツの手配、修理など)は一切していない。
マイクロパワー研究所はミズホ通信の公認としてブランド名を「ミズホ通信研究所」としたサイトを立ち上げている。引き継いでいるのは前述の通りアンテナ関連のみである。ミズホ通信から回路図、部品などの譲渡は行われていないため、個人からのデータ提供を募集している。ミズホ製造品の修理、部品の手配などが可能な個人や会社も募っているが現在のところ現れていない。



 高田継男氏は1934(昭和9)年生まれ、1957(昭和32)年東京電機大学を卒業。トリオ株式会社在職時にアマチュア無線用送受信機の「9R-59」「TX-88A」の設計を手がけた。1972(昭和47)年にミズホ通信を創業、以来40年間にわたりアマチュア無線機器やキット類、BCL関連製品などの開発と販売を行い、2012(平成24)年に事業を終了した。さらに業界団体である日本アマチュア無線機器工業会(JAIA)の創設(1971年12月)にも尽力した。
 また電波新聞社の「ラジオの製作」をはじめとするエレクトロニクス入門誌への電子工作記事の執筆や、誠文堂新光社が刊行する参考書「初級アマチュア無線予想問題集(完全丸暗記)」の筆者としても知られている。CQ出版社からは「9R-59とTX-88A物語~わが青春の高一中二+807シングル」という書籍も刊行されている。
 2016年3月18日、親交があった関係者のもとへ高田氏のご家族から挨拶状が届き、2月6日に81歳で永眠されたことが判明した。なお文面には「故人の遺志により、通夜および葬儀につきましては、近親者のみで執り行いました。なお香典、ご供物等の儀は固くご辞退しておりますので、ご理解のほど、宜しくお願いいたします」と記されている。


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中波帯MOSFET無電源受信装置・新発売¥29,800・・・ ではなくて記事で製作した3台のラジオです。 非売品
CQハムラジオ別冊 QEX Japan No.11( 2014年5月19日発売 )に掲載されました。
記事タイトル:無電源MOSFET検波ラジオの製作
後継機が出来ました。 http://hotspot-tanken.club/mpl/hexa/hexa_meter.html

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オリジナルのMOSFET検波ラジオをゲルマニウム・ラジオに変更して使用。
オリジナルはCQハムラジオ別冊 QEX Japan No.11( 2014年5月19日発売 )に掲載されました。
記事タイトル:無電源MOSFET検波ラジオの製作
製作後、6年経過しました。
※ オリジナルとの相違点は、以下の通りです。
● MOSFET検波からゲルマニウム・ダイオード検波に
● バー・アンテナを180mm 1本から5本の強力型に
● セラミック・イヤホン用に3.5mmジャックを取り付け


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若干の手直しをして完成! 重さ:1305グラム( ロッド・アンテナを含むと、1340グラム )

H E X A - 2 0 2 0   中波帯 520 - 1800kHz

主 な 特 徴
● 持ち歩きが出来、一度見たら忘れないユニークなデザイン
    持ち運びが楽な様に、手提げハンドルを取り付け  
● 取り付け台は一辺が98mmの六角アクリル板( 
4mm厚 )を採用
● 高Qタイプの120 X 10mmフェライト 11本を採用 LCRメーターで選別済み 

● リッツ線を採用 1次コイル:0.04mm 200本 2次コイル:0.04mm 100本
● 簡易アンテナ・カプラを採用( 5段階切り換え )
● 磁界( バー・アンテナ )と電界( ロッド・アンテナ )検出が出来るようスイッチで切り換え
    ※隊員の今村さんのアイデアで両方使える様にしています。
● 2次コイルは結合度が違う2つを切り換え、混信低減と感度差を少なくした。
● 検波ダイオードは、ロシア製 D311X 2 と 赤色LEDを切り換え
● 検波電流を比較できるロシア製50μAメーターを装備( スルー / テスター併用 / 
200μA / 150μA / 100μA / 50μA を切り換え )
● クリスタル・イヤホン セラミック・イヤホンの他に、ハイ・インピーダンス型ヘッドホンが使用可能
     ※10kΩなどのハイ・インピーダンス型スピーカーも使用可能

※2020年2月19日 前面パネルにLED取り付け
 検波ダイオードに赤色LEDを追加し、D311と切り換える様に変更した。


● メインとなるバー・アンテナ

    120 X 10mmフェライトは、50mm径   2mm厚  120mm長のアクリル・パイプに収納
    リッツ線はオリジナルの1次コイルに0.04mm 200本と2次コイル100本を使用

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● 外部アンテナ用ターミナル
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たまたま幅98mmの板があった!  深緑はちょいと残念だけど、文句は言わないようにしよう

● アンテナ簡易カプラー    アンテナを1回毎にタップを切り換えて最適な受信状態にする。

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仕上がり外径 70mm     1.6mmスズメッキ線を使用  
バー・アンテナのコイル巻き方向と合わせてある

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バー・アンテナに簡易カプラーを取り付け 底板から5mmスペーサーで浮かすと丁度良い具合に

● 検波 + 出力トランス
    検波ダイオードはロシア製 D311 X 2

   出力トランスは、タムラ DP-122A 10kΩ:10kΩ-CT 巻線比1:2     ※ サンスイ ST-17Aでも同様に使用可能
     今回は、10kΩステレオ・タイプのヘッドホンを使いたいために、このトランスを採用。
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● 検波電流測定用メーター
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1987年10月製造 ロシア製 50μAメーター  98 X 70mmのパネルには、このメーターが最適です。

● フロント・パネル    割れたら2mm厚から3mm厚に変更
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98 X 70mmの大きさ
左から、10kΩヘッドホン セラミック( クリスタル・イヤホン )    検波コイル切り換え

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※2020年2月19日 前面パネルにLED取り付け
    目安として500μA以上流れるホットスポットでLEDは点灯します。

● メーターのレンジ切り換え
     スルー  X1( 50
μA )   X2( 100μA )   X3( 150μA )  X4( 200μA ) 
     X4以上はデジタル・テスターを併用して、ホットスポットでも使える。
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ロータリー・スイッチに直接取り付けて、省スペース化
※ 接触不良に悩まされないようにアルプス製を採用。 値段もそれほど高くない。
※ 分流抵抗値はメーターを接続して、プログラマブル直流電流発生器で合わせています。

● いよいよ各部を底板に取り付け開始!

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線材は色別にしているので、分かりやすい。

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アンテナ端子取り付け板と底板を固定するブロックを利用してロッド・アンテナも取り付けできるようにした。
磁界成分はバー・アンテナで、電界成分はロッド・アンテナを切り換える。
※今村さんのアイデアです。 東京ビッグサイト( ゆりかもめ 国際展示場前駅 )ではバー・アンテナでは今ひとつだけど、
   ロッド・アンテナでは強力に受信出来るスポットがあり、これが役に立つはずです。

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右側パネル:
当初、バー・アンテナとロッド・アンテナ切り換え アンテナ・カプラー / 6段階だったのを
赤色LED / D311ダイオード切り換え( アンテナ・カプラーは変更無し )に変更した。
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左側パネル:メーターのレンジ切り換え、音量ボリューム、ヘッドホン用ジャック、200μA以上の測定用端子

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後ろから見て

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パネルの舞台裏は、ごちゃごちゃしています。  その1

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パネルの舞台裏は、ごちゃごちゃしています。  その2

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配線を少し変更と、やり直して完成  手提げ用の取っ手も取り付け。
取っ手は重心に設置しているので、水平を保って移動が出来ます。

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下部アンテナ端子( 緑 )の左側のブロックに長いネジを利用して、ロッド・アンテナを取り付けられる。

641
ロッド・アンテナを取り付けた様子
● クリスタル・イヤホン、セラミック・イヤホンの他に、ハイ・インピーダンス型ヘッドホンが使用可能
    室内でも楽しめるようにイヤホン、ヘッドホン、スピーカーの3形式が接続できる。
    ※スピーカーは10kΩトランス内蔵のハイ・インピーダンス型に限る。   TOA  SC-705AM   SC-710AM  SC-730AMなど

前面パネル メーターの下に6.3
Φ  3.5Φジャックを取り付けている。
6.3
Φジャックは、10kΩステレオ・タイプのヘッドホンに接続

3.5Φジャックは、セラミック・イヤホンとクリスタル・イヤホンが使用できる。
 3.5Φジャックのみ音量が大きい場合は、ボリュームで適正な音量に設定できる。

左パネル 6.3
Φモノラル・ジャックが2つあるが、ELEGA DR-592Cが使える様にした。
                ※DR-592Cは10kΩステレオ仕様で、左右別々の6.3Φモノラル用ジャック。

※ 前面、左パネルの
6.3Φジャックには音量調整ボリューム無し。          
アクリル材料の加工などは → はざい屋   東京都葛飾区立石にあるお店です

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↓ H E X A - 2 0 2 0  MW/SPIDER兄 弟 ↓

HEXA-2020 MW     HEXA-2020 SPIDER    HEXA-2020 SW( 希望的観測で2020年内に完成させたい )
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全国・電波ホットスポット探検隊  中波帯プリセット・ラジオの製作
CQハムラジオ別冊 QEX Japan No.14( 2015年2月19日発売 )に掲載されました。
電波ホットスポットとは何だろう?  そこではどんな現象が起こるのか?
CQハムラジオとQEX Japanの共同企画で、CQハムラジオ3月号では電波ホットスポットの解説記事が掲載されました。

2018年より、全国・電波ホットスポット探検隊のURLが変更になりました。
今後の情報は、こちらから・・・http://hotspot-tanken.club/ 


お 知 ら せ

ミズホ通信研究所で取り扱っているラジオ・キットやラジオ関連部品はYahooオークションでも購入出来ます。
協力会社である( 資 )エフエーエルさんの出品です。

ミズホ通信研究所はオークションは一切行っていません。
こちらです。 
http://sellinglist.auctions.yahoo.co.jp/user/eiset

全国・電波 ホットスポット探検隊 結成1周年記念で
テレビ朝日 タモリ倶楽部に出演しました!
放映日 2016年2月12日 正確には13日AM0:20 - 0:50
電波の穴場を徹底調査!我ら電波ホットスポット探検隊」
(ゲスト:東京03・飯塚さん、角田さん)

Youtubeで見る事が出来ます。

電波 ホットスポット探検隊 タモリ倶楽部で検索してみてください。
収録に関する情報は、タモリ倶楽部・収録情報


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Western Electric製 1N84 未使用・デッドストック品 2個限定発売を開始しました。  詳細は、ここをクリック。
1953年7月製造の希少品です!

国産 本物のクリスタル・イヤホン     新品・デッドストック品入荷しました!
652
詳細は、ここをクリックしてください。

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現代版・鉱石ラジオのすすめ ダイオード検波、ちびまる子ちゃん ゲームソフト検波切り換え
世界でも例が無いAM / ワイドFMラジオ同時受信可能!  姉妹機:バカボンGO!
店頭で実際に受信した音声を聞いて、皆さん驚きます!
詳細は、
http://mizuho-lab.com/mem/radio.html

最終更新日 2022年 3月 8日

10kHz 振 動 音(10000回/秒)が 楽 し め る 可 聴 周 波 数 帯 水 晶 振 動 子 テ ス ト セ ッ ト
振動音と発振するまでの様子を体感出来る理科学教材です。
  
詳しくは、ここをクリックしてください。

40kHz / 60kHz JJY標準電波 電波時計の信号音を聞こう!  2021年2月19日654
  1. JJY専用受信機  Model JJY-4060HEXA
    40kHz JJY受信機の製作 CQハムラジオ別冊 QEX Japan No.38( 2021年 2月 19日発売 )に掲載されました。
         http://hotspot-tanken.club/mpl/jjy/40k_rx.html

    都内近郊で40kHz/60kHzを同一地点・同時受信した動画もあります。 http://hotspot-tanken.club/mpl/jjy/jjy4060.html

    倉庫整理をしていたら、長期在庫品が出てきました!  2022年2月5日
    トリオIFT/コイル   ニキシー管 
    コリンズ メカニカル・フィルター 2種など
    ● 長期在庫品リスト

    118 - 136MHz  AM 航空無線専用無電源ラジオ 製作の勧めがスタートしました。

    ● 親子で作るAM-FM DSPラジオキットのご紹介
      店主・高橋の知人が簡単に作れて楽しめるDSPラジオキットの販売を始めました。
        どうぞ、よろしくお願い致します。

 全国・電波ホットスポット探検隊  ミズホ通信研究所 U Z - K 1
    CQ出版社Webショップで販売 ミズホ通信 復刻版 U Z - 7 7 F i v e N i n e P l u s

  CQハムラジオ別冊 QEX Japan No.19( 2016年 5月 19日発売 )に掲載。
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懐かしのリグシリーズ①ミズホ通信・MK-610・DE JK1VKY





ミズホ通信 ループアンテナ+カップラー BCバンド用





MX-7S プチOH 完了【2021/04/23】




MIZUHO P-7DX CW QRP Transceiver




ミズホ通信 ベビー電鍵 BK-1s





2015/8/29 MIZUHO ピコ21




Mizuho MX-6S




MIZUHO QRP Tranciever MX-14S - 2016 CQ WW DX Contest CW




MIZUHO SX-1D preselector




500円で並三(四)ラジオ・シャーシを意味なく自作する。
なつかしのミズホ通信のラジオシャシーに思いを馳せる





MIZUHO AF-M1 修理完了【2020/06/12】





MIZUHO P-7DX CW QRP Transceiver



































Dan@Danspiun
第2警備隊モーターライフル師団が2台のR-149MA3コマンド車両(通常のBTR-80ではない)を失ったことも示しています。これらは私たちが失ったと記録した最初のものです。 1つは破損しており、2つ目はRP-377VM1妨害装置を備えています
61-62 The new pics of Mil'ky battle, near Pryluky, Chernihiv Obl also show that 2nd Guards Motor Rifle Div lost two R-149MA3 command vehicles (not ordinary BTR-80s), likely from their 1st Motor Rifle Regt. These are 1st we recorded lost. One is damaged, 2nd has a RP-377VM1 jammer
zxxccc
FNRpYzSXMAI8OEQ
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Dan@Danspiun
捕獲された第2警備隊モーターライフル師団T-72B3Mは、twt 59 pic 1(これもtwt 49-50)の距離で、車両番号が717と表示されて近くに表示されます。@ Rebel44CZh / t@Blue_Sauron
その対戦車地雷のすきに注意してください。



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ロシア軍の放棄され破壊された装備

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·暗号化されていないモトラジオを備えたチェチェンの戦闘機


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ロシアのT-80BVM砲塔が戦車から吹き飛ばされました
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Five reasons why Ukraine has been able to stall Russian advance

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Werner Ham Radio@werner_ham·3月6日RIP OM 🥲
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今日、ウクライナ領土防衛隊は、以前はロシア軍に失われていたキットの一部を取り戻すことができました。これには、さまざまな無線機器と、最も興味深いことにST-68U空域監視レーダーが含まれますFN0gaTyWUAYqGaX
FN0gZqyWUAAeBTN
FN0gZHVXIAEw2SF



【ロシア ウクライナ侵攻】バルト海方面でGPSジャミングか「ドローン攻撃を無効化するため?」 : まとめダネ!
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#UkraineRussianWar: Newly added Russian equipment losses: 2x T-73B3 Obr. 2016 MBT (1x destroyed, 1x captured) 1x T-80U MBT (captured) 1x 120mm 2S9 Nona SPG (captured) 1x UR-77 'Meterorit' MRL (destroyed) 7x KamAZ truck (2x destroyed, 5x captured)

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ウクライナ製のLeleka-100 UAVは、最近ロシア軍によって捕獲されました。

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ロシア軍は、「信頼できるニュースや情報へのウクライナ市民のアクセスを減らす」ために、ウクライナの通信インフラストラクチャを攻撃しました。国防省は言う

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【敵味方識別】ロシア軍の車両に謎の「Zマーク」 友軍への誤射回避狙いか  「Z」「V」「O」といったバリエーションがあり
2022/03/07(月)
 ウクライナに展開するロシア軍の車両に白いスプレー塗料で記された「Zマーク」が、議論を呼んでいる。ともに旧ソ連構成国のロシアとウクライナで兵器が一部共通する中、「友軍への誤射を避けるため」(米紙ワシントン・ポスト)という見方が有力。マークの存在は、ウクライナ軍によって撃破された車両からも分かる。マークは戦車やヘリコプターにも付けられている。「Z」「V」「O」といったバリエーションがあり、所属部隊を示すという説も。ただ、関係者は「Zマークの意味は機密事項」(ウクライナ東部の親ロシア派武装勢力の元幹部)と証言しており、真相は闇の中だ。2014年のウクライナ南部クリミア半島併合に当たっては、記章のない部隊が「自警団」と称して活動した。今回はZマークが国内外でロシア軍の象徴となっている。注目が集まる中、ロシア国防省はプーチン大統領が正当化する「軍事作戦」のPRに利用。公式インスタグラムで「勝利のために」のロシア語に含まれる「Z」、「任務は完了する」に含まれる「V」だと説明したが、後付けではないかとみられている。このほか、プーチン氏が「ファシスト」と呼んで敵視するウクライナのウォロディミル(V)・オレクサンドロビッチ(O)・ゼレンスキー(Z)大統領のイニシャルという説を、ロシアの軍事専門家が唱えた。ゼレンスキー氏は、自身が「敵の一番の標的」と認めている。ロシア国営メディアが配信した写真によれば、国内にはZマークとともに「仲間を見捨てない」と記した政権支持の看板が登場した。

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「私たちは死を恐れていない」:ロシアに対して武装しているウクライナの女性
ロシアの侵略に対応して女性の新兵の数が増加したため、2014年以来、女性はウクライナの国防において重要な役割を果たしてきました。
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様々な情報が飛び交うウクライナ情勢だが、先日ウクライナにて一般人がが大きな緑のトラクターを使ってロシアの地対空ミサイルを盗んだ様子が公開され、Twitterで話題になっている。
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- 1x Su-30SM multirole aircraft (pictured)
- 1 Su-34 strike aircraft
- 2 Su-25 close air support aircraft
- 2 Mi-24/35 attack helicopters
- 1 Mi-8 transport helicopter
- 1 Orlan-10 UAV

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Abraxas Spa@AbraxasSpaPOV: you're a 🇷🇺 VDV platoon riding Aluminium made BMDs and approaching a 🇺🇦 trench
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ロシア軍によって放棄されたいくつかの「特別な」補給トラック。


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ウクライナのドローンキャンペーンは、ロシアの前進を遅らせるという初期の成功に貢献しており、ロシア軍、米国の側の予期しない弱点を明らかにしています。そしてヨーロッパの軍事アナリストは言います。

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墜落現場の画像から、撃墜された飛行機は現代のロシアの戦闘爆撃機であるスホーイSu-34「フルバック」であったことがわかります。

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ウクライナ軍によって捕獲された最初のロシアのTOS-1A熱気化MRLS

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イゴールは森に捨てられたロシア軍9K330 TorSAMシステムを発見しました。
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·ロシアのBMP-2IFVがウクライナ軍によって破壊されました。弾薬の内部爆発により砲塔が吹き飛ばされた
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BMD-2と9M113ATGM。
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2つの現代ロシアのT-72B3obr。最近#Mariupolの郊外で破壊された2016年の戦車
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ロシアが支配するドネツクの中心部での弾道ミサイル攻撃。報告されているように、9〜20人の民間人が殺され、数十人が負傷した。残骸と損傷の特徴から、9N123Kクラスター弾頭を搭載した9M79-1トーチカUミサイルが使用
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ロシアのZALAKYB「神風」ドローン
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ロシア軍「Orlan-10」偵察UAV
FN0kks7XwAMeWJ3


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:ウクライナ軍は、VDVから新鮮なBMD-4Mを捕獲し、より高度な部隊を示すさまざまな興味深い装備を備えていました。 SVDS、AK-74M、PKPペチェネグ、1PN93-2暗視装置および1PN140-2サーマルスコープ、NVゴーグルなど。特に低照度機器はまれです。
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DNR部隊は、ウクライナ軍から捕獲した武器を引き続き使用します。現在、少なくとも1つのアメリカのPSRL-1 RPG-7ランチャーが、 #Mariupol戦線の第9海兵連隊によって運用されています
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南部のどこかで、ウクライナの兵士が非常に珍しい引き裂かれた(-MDM)電子戦車両を待ち伏せして捕獲しまし
FOAOTpGXMAYp2X8
FOAOTBQXEAo-9x_


米国から供給されたウクライナのAN / TPQ-49軽量迫撃砲レーダーがマリンカ#Donetsk州のDNR軍によって捕獲されました
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ウクライナ軍が弾薬とともにBMP-1とMT-12「ラピラ」100mmAT砲を捕獲しま
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ウクライナの第25独立空挺旅団は、ロシア軍からBTR-82AとMT-LBを捕獲しました
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-BTR-D空挺APC、GAZ-233014「Tigr」IMV、MT-LBおよび1V16砲兵大隊コマンドビークル。すべての車両は比較的良好な状態で放棄されました。
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ウクライナ空軍は、防空システムを使用して#Vinnytsia州の上のミサイルを撃墜することができたと主張しました。残骸に基づくと、それは9K720Iskanderシステムで使用されたロシアの9M723シリーズミサイルであったと考えられます。
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ロシアの9K35 Strela-10短距離地対空ミサイルシステムは、今日ウクライナ軍によって捕獲されました。
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BM-21グラッドパターンMRLと補給トラック
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ロシアのBRM-1Kが最近破壊され
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ウクライナ軍は別の2S19 Msta-S 152mm SPGを捕獲しました
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ZALA KYB「神風」UAV(徘徊兵器)が本日墜落し、明らかに再び爆発しなかった
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ロシア軍から捕獲されたより多くの車両-UR-77地雷除去チャージランチャーと2S19 Msta-S152mmSPG。ウクライナ軍も同じ場所でロシアのT-72B3戦車とBTR-80装甲兵員輸送車を破壊しました
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#Kherson州でウクライナ軍に遭遇した後のロシアのBTR-D空挺装甲兵員輸送車。結果は予想されます-APCは完全に破壊されました。
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2機のチェコSTVグループLGL-7グレネードランチャー
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2台のロシアの輸送トラックが紛失/放棄されました。444
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ウクライナ作戦司令部「北」は、ロシア軍から2機の放棄されたBMP-3を捕獲した
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P-168-5UTEおよびR-187P1無線。

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このロシアのロケットはハリコフ地域の住宅を攻撃し、誰かの台所に行き着きましたが、爆発しませんでした
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ウクライナ軍の手にあるPPZR PiorunMANPADSの最初の一瞥の1つ。本質的に非常に高度にアップグレードされた9K38Iglaであるこのポーランドのシステムは、最近UAに提供され、最近のRuAFの損失の一部を説明するのに役立つ可能性があります。


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UKRAINE: クレムリンに近いロシアの局Vesti FMは、810 kHzでいくつかのテストをしながら聴こえた結果、何も聴こえなかった。
これは、ウクライナ軍の局であるArmyFM局の中波送信機の周波数です。 ドンバスの国境にあるHirnykに設置された、この送信機はロシア人が占領している地域にあります。
Taranivkaの送信機 150kw 837 kHzは現在非アクティブのようです。 Luchの549khzの400kW送信機はまだ波を立てている... Lviv Krasnoye局から放送が来ない限り:数年前、世界のラジオはミコラウブとリヴィブのダウンタウンから549kHzの周波数が放送されることを確認していた。
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ロシア軍が使用する周波数のリスト
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ドイツからの武器の配達がウクライナに到着しました🇺🇦。 1000対戦車「パンツァーファウスト3」と500スティンガーミサイルがウクライナの手に渡った。
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イギリスがウクライナにスターストリーク対空ミサイルを供与
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エストニア、対戦車ミサイル「ジャベリン」をウクライナに提供
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新しいNLAWとJavelinシステムが#Ukraineに到着しました。ありがとう!
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巡航ミサイルがVinnytsya空港を破壊しました。彼らはウクライナを空から破壊している。世界は何かをしなければなりません。


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戒厳令の規則によって開催された戦争中の結婚式。
ウクライナの公共メディアSuspilneの一般情報プロデューサーであるAngelinaKariakinaは、キエフのパトロール警察の責任者であるYuriyZozuliaと結びつきました。
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無題
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ロシア軍のタンカーの破壊された船団
ハルキウ地方




「アノニマス」ロシアで国営放送などにハッキング ウクライナの映像流す(2022年3月8日)






中国でCNNの放送遮断 ウクライナ侵攻のニュースで(2022年3月7日)












Tasting 2018 Ukrainian Military MRE (Meal Ready to Eat)








































































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