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2020年12月



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FAC6037嘉手納飛行場

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沖縄本島中部の嘉手納町、沖縄市、北谷町にまたがる嘉手納飛行場は、約3,700mの滑走路を2本有する極東で最大かつ最も活発な米空軍基地です。第5空軍指揮下の第18航空団のホームベースとして、防空、反撃、空輸、支援、偵察、機体整備等の総合的な役割を担っています。その他、居住地区には、学校、図書館、野球場、ゴルフ場、映画館、スーパーマーケット等、多種の米軍向け支援施設があります。また、国道58号西側の嘉手納マリーナ地区は、米軍人等の福利厚生施設となっています。
同飛行場は、3市町の振興開発の妨げになっているばかりでなく、航空機騒音により住民生活へ悪影響を与えています。
なお、平成8年12月のSACOの最終報告において、嘉手納飛行場におけるMC-130航空機を、平成8年12月末までに海軍駐機場から主要滑走路の北西隅に移転することが合意されたことに伴い、同年12月中旬までに海軍駐機場から約2,500m離れた滑走路北西側への移転が完了しました。そのほか、SACOの最終報告では、海軍の航空機(P-3C)についても、現在の海軍駐機場から、主要滑走路の反対側に移転することが合意されていますが、まだ実現していません。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:嘉手納町(字水釜、字兼久、字嘉手納、字屋良、字野国、字国直、字東、字野里)沖縄市(字諸見里、字山内、字森根、字白川、字御殿敷、字宇久田、字大工廻、字嘉良川、字上地)北谷町(字伊平、字浜川、字上勢頭、字下勢頭、字砂辺)那覇市(字宮城)
  • (イ)施設面積:19,855千m2
  • (ウ)地主数:11,450人
  • (エ)年間賃借料:26,961百万円 (平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:2,746人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍
  • (イ)用途:飛行場

FAC6076陸軍貯油施設

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陸軍貯油施設は、金武湾第1、第2、第3タンクファーム、天願ブースター・ステーション、桑江第1、第2タンクファーム、とこれらの貯油施設を結ぶ送油管施設からなり、うるま市、沖縄市、嘉手納町、北谷町、宜野湾市にまたがっています。

貯油施設については、うるま市の天願桟橋、キャンプ・コートニーに隣接する地域と、嘉手納飛行場に隣接する地域にあり、各種燃料を貯蔵しています。また、貯油施設を結ぶ送油管(パイプライン)は、嘉手納弾薬庫地区や嘉手納飛行場を始めとする各基地間を連結しています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:うるま市(字栄野比、字昆布、字天願、字川崎)沖縄市(字池原、字宇久田、字御殿敷、字倉敷、字大工廻)
    嘉手納町(字野國)北谷町(字砂辺、字伊平、その他)宜野湾市(字伊佐)
  • (イ)施設面積:1,277千m2
  • (ウ)地主数:1,034人
  • (エ)年間賃借料:1,304百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:100人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:陸軍
  • (イ)用途:倉庫::

FAC6064那覇港湾施設

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県都那覇市の玄関口に位置する那覇港湾施設は、那覇港の一部を成し、那覇空港にも近いことから、産業振興の適地として極めて開発効果の高い地域です。また、ホワイト・ビーチ地区に次ぐ大きな軍港です。
同施設は、昭和49年1月の第15回日米安全保障協議委員会で、移設条件付きの全部返還が合意されながら、合意から25年以上経過した現在でも返還は実現していません。なお、移設先として、浦添市が平成13年11月に受け入れを表明したことにより、現在、移設作業が進められているところです。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:那覇市(垣花町、住吉町)
  • (イ)施設面積:559千m2
  • (ウ)地主数:1,459人
  • (エ)年間賃借料:2,081百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:86人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:陸軍
  • (イ)用途:港湾

FAC6056牧港補給地区

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牧港補給地区は、浦添市の国道58号から西側の海岸までの南北3km、東西1kmに及ぶ広大な兵站補給基地です。同施設は那覇新港や卸売商業団地が所在する西海岸と国道58号に囲まれ、中南部の要路に位置するなど、地元浦添市をはじめ本県の振興開発にとって重要な空間を占めています。
なお、平成8年12月のSACO最終報告により、返還に伴い影響を受ける施設を残余の施設内に移設することを条件に約3ヘクタールの返還が示され、日米間で合意されています。また、平成25年8月31日には、北側進入路約1ヘクタールが返還されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:浦添市(字港川、字城間、字屋富祖、字仲西、字牧港、字宮城、字小湾、字勢理客)
  • (イ)施設面積:2,737千m2
  • (ウ)地主数:2,793人
  • (エ)年間賃借料:4,809百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:1,061人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:倉庫

FAC6048ホワイト・ビーチ地区

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ホワイト・ビーチ地区は、勝連半島の先端部に位置し、海軍桟橋と陸軍桟橋の2つの桟橋を有しており、第7艦隊の兵站支援港、同艦隊第76機動部隊第1水陸両用群の母港として、燃料及び物資の補給や軍需物資の積み降ろし港として使用されています。また、この施設は、原子力軍艦が休養、補給及び維持等を行う寄港地となっており、放射能汚染等の不安を県民に与えています。さらに、平成12年7月からの佐世保基地(長崎県)への強襲揚陸艦エセックスの配備に伴い、同艦の洋上訓練等の際の兵員、装備、弾薬等の補給基地として、同艦が寄港するようになっていましたが、平成24年4月にエセックスに代わり強襲揚陸艦ボノム・リシャールが佐世保に配備された後は、同艦が寄港するようになりました。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:うるま市(勝連平敷屋、与那城饒辺)
  • (イ)施設面積:1,568千m2
  • (ウ)地主数:2,045人
  • (エ)年間賃借料:1,019百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:107人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海軍・陸軍
  • (イ)用途:港湾

FAC6044キャンプ瑞慶覧

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キャンプ瑞慶覧は、沖縄本島中部の沖縄市、宜野湾市、北谷町、北中城村にまたがる広大な地域に位置しており、在沖米海兵隊基地司令部や在日米軍沖縄調整事務所が置かれているなど、キャンプ・コートニーと並ぶ海兵隊の中枢機能を有しています。また、兵器・器材整備施設や住宅地、ゴルフ場等、米軍が駐留する上でのあらゆる機能が揃った施設であり、大きく分けて、在沖米海兵隊基地司令部のあるバトラー地区、第58信号大隊が所在するバックナー地区、米軍住宅が所在するプラザ地区、兵器・器材整備施設及び各隊舎が所在するフォスター地区から構成されています。
写真では、緑に囲まれた施設とそれを囲むようにして形成された街並みから、米軍と県民との住環境の違いが一目でわかります。
なお、平成8年12月のSACO最終報告により、キャンプ桑江及びキャンプ瑞慶覧の米軍住宅地区を統合することを条件に返還が示され、日米間で合意されています。また、平成22年7月31日に泡瀬ゴルフ場の土地約4680千㎡が返還されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:北谷町(字玉上、字桑江、字大村)うるま市(字宮里)沖縄市(字山里、字南桃原)北中城村(字瑞慶覧、字喜舎場、字屋宜原、字島袋、字安谷屋)宜野湾市(字普天間、字新城、字伊佐、字喜友名、字安仁屋)
  • (イ)施設面積:5,957千m2
  • (ウ)地主数:5,147人
  • (エ)年間賃借料:8,538百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:2,404人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:兵舎


FAC6046泡瀬通信施設

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泡瀬通信施設は、沖縄市の泡瀬半島の先端部に位置し、通信業務が行われています。泡瀬漁港に近接しており、北側には中城港湾が位置します。また、同施設周辺は近年、新興住宅地として急速に宅地化が進んでいます。さらに、南側の海浜においては、中城湾港泡瀬地区開発事業(東部海浜開発事業)に基づき、海に開かれた国際交流リゾートや海洋性レクリェーション活動拠点等の形成を図るため、平成14年3月より埋め立て事業が実施されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:沖縄市(字泡瀬、字高原)
  • (イ)施設面積:552千m2
  • (ウ)地主数:690人
  • (エ)年間賃借料:668百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:4人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海軍
  • (イ)用途:通信

FAC6077鳥島射爆撃場

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鳥島は久米島の北方約28kmに位置し、島全体が演習場となっており、空対地射爆撃訓練が行われています。
同射撃場では、平成7年12月から平成8年1月にかけて3回にわたり、米海兵隊のハリアー機が訓練中、計1,520発の劣化ウランを含有する徹甲焼夷弾を誤って使用していたことが判明しています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:久米島町(字宇江城、字仲村渠)
  • (イ)施設面積:41千m2
  • (ウ)地主数:1人
  • (エ)年間賃借料:2百万円
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍
  • (イ)用途:演習場

FAC6051普天間飛行場

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宜野湾市の中央部に位置する普天間飛行場は、地域の振興開発の著しい障害となっているだけでなく、航空機騒音の発生や航空機事故の危険性など、沖縄が抱える米軍基地問題の象徴ともいえる存在です。
同飛行場は、米海兵隊第3海兵遠征軍の第1海兵航空団第36海兵航空群のホームベースとなっており、ヘリコプター部隊を中心とした航空機が配備され、在日米軍基地でも岩国飛行場(山口県)と並ぶ有数の海兵隊航空基地となっています。また、同施設には、長さ約2,800mの滑走路をはじめ、格納庫、通信施設、整備・修理施設、部品倉庫、部隊事務所等のほか、福利厚生施設等があり、航空基地として総合的に整備されています。
平成8年12月のSACOの最終報告により、同施設の全面返還が日米間で合意され、平成14年7月、「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」がその移設先に決定されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:宜野湾市(字宜野湾、字野嵩、字喜友名、字新城、字伊佐、字大山、字真志喜、字大謝名、字佐真下、字神山、字赤道、字中原、字上原)
  • (イ)施設面積:4,806千m2
  • (ウ)地主数:3,818人
  • (エ)年間賃借料:6,953百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:208人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:飛行場

FAC6080久米島射爆撃場

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久米島射爆撃場は、久米島町真泊より御願岬に通じるリーフの中間に位置し、米軍機が地上目標に向かって降下して実際の射撃は行わないで上昇していく空対地模擬計器飛行訓練が行われています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:久米島町(字奥武)
  • (イ)施設面積:2千m2
  • (ウ)地主数:1人
  • (エ)年間賃借料:0百万円    ※表示単位(百万円)に満たない額
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍
  • (イ)用途:演習場


FAC6181浮原島訓練場

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うるま市にある浮原島は、島全体が演習場となっており、日米地位協定第2条第4項(b)による一時使用施設で、米軍と自衛隊が共同使用を行っています。

1.施設の概要

  • (ア)所在地:うるま市(勝連比嘉)
  • (イ)施設面積:254千m2
  • (ウ)地主数:-(※自衛隊基地として区分105人)
  • (エ)年間賃借料:-(※自衛隊基地として区分22百万円)
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:その他
  • (イ)用途:演習場

FAC6088沖大東島射爆撃場

沖大東島射爆撃場は、那覇の南東約408kmの太平洋上に位置し、島全体が演習場となっており、米海軍による空対地射爆撃訓練場として使用されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:北大東村(字ラサ)
  • (イ)施設面積:1,147千m2
  • (ウ)地主数:1人
  • (エ)年間賃借料:民有地かつ地主が少数のため公表されていない
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の部隊及び用途

  • (ア)軍別:海軍
  • (イ)用途:演習場

FAC6085赤尾嶼射爆撃場

赤尾嶼射爆撃場は、黄尾嶼射爆撃場と同様、八重山群島の北北西約150kmに点在する尖閣諸島に属する無人島にあり、島全体が演習場となっています。
同演習場は、米海軍による空対地射爆撃訓練場及び艦対地射爆撃訓練場として使用されることになっていますが、昭和54年以降、特に訓練は行われていません。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:石垣市 (字登野城)
  • (イ)施設面積:41千㎡
  • (ウ)地主数:国有地
  • (エ)年間賃借料:-(国有地)
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海軍
  • (イ)用途:演習場

FAC6001北部訓練場

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北部訓練場は、国頭村及び東村にまたがる本県最大の演習場であり、海兵隊の管理の下に、海兵隊の各部隊のほか陸軍、海軍、空軍の各部隊が対ゲリラ訓練基地として使用し、米軍唯一のジャングル訓練場となっています。また、同訓練場では現在、実弾射撃は実施されていません。
同訓練場一帯は、沖縄本島随一の森林地帯として、県土保全、水源かん養林の大きな機能を果たしており、また、国の特別天然記念物(特別鳥類)のノグチゲラや天然記念物のヤンバルクイナの生息地として豊富な自然環境を残しています。
平成8年12月の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の最終報告において、現在のヘリコプター着陸帯を返還される区域から北部訓練場の残余の部分に移設すること等を条件に、同訓練場の過半(約3,987ヘクタール)の返還が示され、日米間で合意されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:国頭村(字安波、字安田、字楚洲、字謝敷、字浜、字与那)東村(字高江、字宮城、字川田)
  • (イ)施設面積:78,242千m2
  • (ウ)地主数:78人
  • (エ)年間賃借料:400百万円 (平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:12人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場

FAC6082津堅島訓練場

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うるま市津堅島の西側に位置する長さ約2kmの海岸が津堅島訓練場であり、海兵隊による水陸両用の上陸訓練に使用されますが、あまり訓練は行われていません。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:うるま市(勝連津堅)
  • (イ)施設面積:16千m2
  • (ウ)地主数:国有地
  • (エ)年間賃借料:-(国有地)
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場

FAC6084黄尾嶼射爆撃場

黄尾嶼射爆撃場は、八重山群島の北北西約150kmに点在する尖閣諸島に属する無人島にあり、島全体が演習場となっています。
同演習場は、米海軍による空対地射爆撃訓練に使用されることになっていますが、昭和54年以降、特に訓練は行われていません。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:石垣市(字登野城)
  • (イ)施設面積:874千m2
  • (ウ)地主数:1人
  • (エ)年間賃借料:民有地かつ地主が少数のため公表されていない
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)軍別:海軍
  • (イ)用途:演習場

FAC6078出砂島射爆撃場


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那覇の北西約5kmに位置する渡名喜島から約km西方にある入砂島(無人島)は、島全体が演習場となっており、米各軍による空対地射爆撃訓練が行われています。入砂島ですが、施設名は出砂島射爆撃場となっています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:渡名喜村(字入砂)
  • (イ)施設面積:245千m2
  • (ウ)地主数:1人
  • (エ)年間賃借料:14百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍
  • (イ)用途:演習場


FAC6043キャンプ桑江

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北谷町の東シナ海に面した平坦地にあるキャンプ桑江には、主要施設である海軍病院のほか、各種の宿舎、学校、サッカー場等が存在します。また同施設内では、日米地位協定第2条第4項(a)に基づく共同使用により、平成10年3月、北谷町の庁舎が建設され、利用されてきましたが、毎年、人口の増加が続く北谷町では、当該施設の存在が町づくりの障害となっています。
なお、平成8年12月のSACO最終報告により、海軍病院等をキャンプ瑞慶覧等へ移設すること、また、キャンプ桑江及びキャンプ瑞慶覧の米軍住宅地区を統合することを条件に大部分(99ヘクタール)の返還が示され、日米間で合意されています。
その後、北谷町庁舎の土地を含む施設の一部(北側部分)約38ヘクタールが、平成15年3月31日に返還されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:北谷町(字桑江、字伊平、字吉原、字浜川)
  • (イ)施設面積:675千m2
  • (ウ)地主数:733人
  • (エ)年間賃借料:1,057百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:73人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:医療

FAC6010辺野古弾薬庫

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キャンプ・シュワブの北側に隣接する辺野古弾薬庫は、海兵隊の弾薬庫として使用されています。
弾薬庫の多くは覆土式となっています。写真の上側は、キャンプ・シュワブです。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:名護市(字二見、字辺野古)
  • (イ)施設面積:1,214千m2
  • (ウ)地主数:78人
  • (エ)年間賃借料:182百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:倉庫

FAC6011キャンプ・ハンセン

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キャンプ・ハンセンでは、県内最大規模の実弾射撃演習が実施されています。実弾射撃演習による原野火災や施設外への被弾等、周辺地域へ与える不安が最も高い施設の1つです。
写真手前は、金武町の中心地域、中央に見える施設には兵舎、医療施設、銀行、娯楽施設等が完備されています。
また、平成8年12月のSACO最終報告の後、「県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練」については、平成9年6月の日米合同委員会において、本土の演習場での分散・実施が合意されたことから、沖縄での同訓練は事実上廃止されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:名護市(字久志、字喜瀬、字幸喜、字許田)宜野座村(字松田、字宜野座、字惣慶、字漢那)恩納村(字恩納、字喜瀬武原、字安富祖、字大田、字瀬良垣、字南恩納)金武町(字金武、字伊芸、字屋嘉)
  • (イ)施設面積:51,099千m2
  • (ウ)地主数:3,169人
  • (エ)年間賃借料:7,583百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:576人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場

FAC6019金武レッド・ビーチ訓練場

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金武レッド・ビーチ訓練場は、金武町市街地の西端にあり、乗船訓練等に使用されています。バースには2隻の揚陸艦が停泊することができます。
また、少人数による夜間上陸訓練が行われていて、近年は海兵隊がオーストラリアの民間会社から借り上げた高速船の使用が多く見られます。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:金武町(字金武)
  • (イ)施設面積:14千m2
  • (ウ)地主数:49人
  • (エ)年間賃借料:12百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場

FAC6009キャンプ・シュワブ

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キャンプ・シュワブは、国道329号を挟んで、名護市の久志岳を中心とする山岳・森林地帯のシュワブ訓練地区と辺野古の海岸地域にあるキャンプ地区からなっています。同施設では、実弾射撃訓練や水陸両用訓練が実施されており、訓練に伴う原野火災等の事故も発生しています。
平成8年12月のSACOの最終報告により、普天間飛行場の返還に伴う代替海上施設案が検討され、キャンプ・シュワブ水域がその移設先に決定されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:名護市(字豊原、字辺野古、字久志、字許田、字数久田、字世冨慶)、宜野座村(字松田)
  • (イ)施設面積:20,626千m2
  • (ウ)地主数:752人
  • (エ)年間賃借料:2,639百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:242人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場

FAC6007慶佐次通信所

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東村慶佐次にある慶佐次通信所は、ロラン送信所として提供されていましたが、平成5年7月1日に、大半の施設が第11管区海上保安本部に引き継がれました。米軍施設としては1ヘクタールを残すのみとなっていましたが、平成27年2月27日に返還されました。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)
(ア)所在地:東村(字慶佐次)
(イ)施設面積:10千m2
(ウ)地主数:1人
(エ)年間賃借料:地主が少数のため公表されていない
(オ)駐留軍従業員数:-


2.施設の管理及び用途
(ア)管理:陸軍


FAC6004奥間レスト・センター

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奥間レスト・センターは、米軍人、軍属及びその家族の福利厚生施設として使用され、宿泊施設やレストラン等があります。写真中央には、現在使われていない軽飛行機用の滑走路が見えます。
施設の南側は、米軍基地の返還跡地であり、現在ではリゾート施設として県内外の人々に利用されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:国頭村(字辺土名、字奥間、字桃原、字鏡池)
  • (イ)施設面積:546千m2
  • (ウ)地主数:513人
  • (エ)年間賃借料:204百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:99人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍
  • (イ)用途:その他

FAC6005伊江島補助飛行場

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伊江島の3分の1を占める伊江島補助飛行場では、ハリアー機発着訓練やパラシュート降下訓練等が実施されています。また、降下訓練に伴う事故も発生しています。
写真奥の滑走路は伊江島空港、手前の2本が米軍の滑走路です。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:伊江村(字西江上、字西江前、、字東江上、字東江前、字川平)
  • (イ)施設面積:8,016千m2
  • (ウ)地主数:1,872人
  • (エ)年間賃借料:1,505百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:18人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場

FAC6006八重岳通信所

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八重岳通信所は、平成6年に大部分が返還(いわゆる「23事案」の1つ)され、現在では通信施設とその周辺の部分からなっています。通信施設であることから、演習等は行われていません。
また、進入路沿いは桜の名所となっており、県内外から多くの人々が訪れます。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:本部町(字大嘉陽、字辺名地)名護市(字勝山)
  • (イ)施設面積:37千m2
  • (ウ)地主数:2人
  • (エ)年間賃借料:4百万円
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍
  • (イ)用途:通信

FAC6020金武ブルー・ビーチ訓練場

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金武ブルー・ビーチ訓練場は、金武岬に位置しています。海陸間移動訓練のための730m長の海岸であり、キャンプ・ハンセンからの水陸出動の待機場として使用され、また水陸両用車を使用した訓練が実施されています。
なお、同訓練場は、ギンバル訓練場(平成23年7月31日返還)のヘリコプター着陸帯の移設先として、日米間で合意されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:金武町(字金武)
  • (イ)施設面積:381千m2
  • (ウ)地主数:302人
  • (エ)年間賃借料:42百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場


FAC6031キャンプ・マクトリアス

123

キャンプ・マクトリアスは、うるま市の中心部にある安慶名区の西側にあり、主に家族住宅や小学校、スポーツ施設等が整備されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:うるま市(字川崎、字西原)
  • (イ)施設面積:379千m2
  • (ウ)地主数:438人
  • (エ)年間賃借料:381百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:21人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:兵舎

FAC6032キャンプ・シールズ

124

キャンプ・シールズは、沖縄市の北西部に位置し、各種修理工場や物資集積所、兵舎、住宅、福利厚生施設等が整備されています。また、北西部は東南植物楽園と隣接し、東側は病院や集落がある。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:沖縄市(字知花、字登川)
  • (イ)施設面積:700千m2
  • (ウ)地主数:379人
  • (エ)年間賃借料:714百万円 (平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:102人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海軍・空軍
  • (イ)用途:兵舎

FAC6036トリイ通信施設

125

読谷村の南西部の平坦部に位置し、正面ゲートに大きな鳥居が立っているトリイ通信施設は、西太平洋地域における戦略通信網の最重要施設であり、陸軍第10地域支援群司令部も置かれています。また、黙認耕作地が多く存在します。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:読谷村(字渡具知、字古堅、字大湾、字大木、字楚辺)
  • (イ)施設面積:1,934千m2
  • (ウ)地主数:1,355人
  • (エ)年間賃借料:1,457百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:476人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:陸軍
  • (イ)用途:通信

FAC6021瀬名波通信施設

126

瀬名波通信施設は、現在では小規模となっていますが、かつては読谷村の西側海岸一帯を占める広大な米軍基地でした。現在は通信用の鉄塔と建物があるだけで、大部分は黙認耕作地となっています。近くには、残波岬公園やホテル、ゴルフ場などが整備され、跡地の有効利用が行われています。
また、同訓練場は、平成8年12月のSACO最終報告により、アンテナ施設等をトリイ通信施設に移設すること等を条件に大部分の返還が示され、日米間で合意されています。

1.施設の概要

  • (ア)所在地:読谷村(字瀬名波、字宇座、字渡慶次)
  • (イ)施設面積:612千m2
  • (ウ)地主数:401人
  • (エ)年間賃借料:372百万円
  • (オ)駐留軍従業員数:52人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍
  • (イ)用途:通信

FAC6029キャンプ・コートニー

127

金武湾に面するうるま市天願の北側に位置するキャンプ・コートニーは、在日米海兵隊司令部をはじめ、第3海兵遠征軍、第3海兵師団の司令部が置かれており、日本に駐留する米海兵隊の中枢機能を有しています。
主として宿舎、事務所として使用されています。施設内には、劇場、郵便局、銀行、医療機関や図書館、体育館、野球場等のレクレーション施設、教会等が完備されています。
また、当該施設の周辺は、宇堅、天願、昆布の各集落があり、近年宅地化が進行しています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:うるま市(字昆布、字天願、字宇堅)
  • (イ)施設面積:1,339千m2
  • (ウ)地主数:1,062人
  • (エ)年間賃借料:1,334百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:317人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:兵舎

FAC6026楚辺通信所


128

通称「象の檻(オリ)」と呼ばれる楚辺通信所は、直径約200m、高さ28mの巨大な檻のようなケージ型アンテナを持ち、軍事通信の傍受施設として使用されています。
また、同施設は、平成8年12月のSACO最終報告により、アンテナ施設等をキャンプ・ハンセンに移設することを条件に返還が示され、日米間で合意されています。

1.施設の概要

  • (ア)所在地:読谷村(字波平、字座喜味、字上地)
  • (イ)施設面積:535千m2
  • (ウ)地主数:457人
  • (エ)年間賃借料:365百万円
  • (オ)駐留軍従業員数:31人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海軍
  • (イ)用途:通信

FAC6022嘉手納弾薬庫地区

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北部訓練場、キャンプ・ハンセンに次ぐ広大な面積を有する嘉手納弾薬庫地区は、嘉手納飛行場に隣接する広大な森林地帯に位置し、弾薬庫と支援施設があります。同施設は、空軍が管理し、米軍が使用する通常弾薬の貯蔵、整備を行うなど、四軍全部の任務を支援しています。
写真奥の左右には、嘉手納飛行場と読谷補助飛行場が見えます。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:恩納村(字真栄田、字山田、字塩屋、字宇加地)うるま市(字栄野比、石川山城、石川楚南)
    読谷村(字喜名、字座喜味、字長浜、字長田、字親志、字牧原、字大湾、字伊良皆、字比謝)嘉手納町(字久得)沖縄市(字白川、字御殿敷、字倉敷、字知花、字大工廻、字宇久田)
  • (イ)施設面積:26,585千m2
  • (ウ)地主数:4,669人
  • (エ)年間賃借料:10,806百万円(平成24年度実績)
  • (オ)駐留軍従業員数:287人

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:空軍・海兵隊
  • (イ)用途:倉庫

FAC6028天願桟橋

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うるま市昆布にある天願桟橋は、最大2万トン級までの船舶が接岸できる桟橋があり、主に弾薬、武器類等の搬入港湾として使用されています。

1.施設の概要(平成25年3月末現在)

  • (ア)所在地:うるま市(字昆布)
  • (イ)施設面積:31千m2
  • (ウ)地主数:10人
  • (エ)年間賃借料:14百万円 (平成24年度実績)
  • (カ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海軍
  • (イ)用途:港湾

FAC6027読谷補助飛行場

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読谷村のほぼ中央に位置する読谷補助飛行場は、長さ2,000mの滑走路と1,500mのエプロンがありますが、老朽化し固定翼機の利用はありませんでした。かつてはパラシュート降下訓練に伴う事故が相次いで起こりましたが、平成8年12月のSACO最終報告により、パラシュート降下訓練が伊江島補助飛行場に移転され、また、楚辺通信所が移設された後に返還することが示されました。その後、パラシュート降下訓練が伊江島補助飛行場に移転、実施されることとなったため、平成8年7月19日以降、同訓練は行われていません。
なお、日米地位協定第2条4項(a)による共同使用により、野球場等の運動公園や村役場庁舎等が建設されており、また、施設内の大半は黙認耕作地となっています。

1.施設の概要

  • (ア)所在地:読谷村(字座喜味、字喜名、字伊良皆、字大木、字楚辺)
  • (イ)施設面積:1,907千m2
  • (ウ)地主数:227人
  • (エ)年間賃借料:160百万円
  • (オ)駐留軍従業員数:-

2.施設の管理及び用途

  • (ア)管理:海兵隊
  • (イ)用途:演習場


U.S. Marines Participate in a Squad Competition in Okinawa, Japan • Military Training





US Marines Assault On Enemy Defense – Amphibious Assault Training On Okinawa, Japan





USMC Law Enforcement Motivation Video (Ome year in Okinawa)




[4K] Kadena Air Base Plane Spotting Featuring U.S. Air Force E-3, F-22, C-130, C-17 and KC-135





MASSIVE US Air Force Aircraft Elephant Walk At Kadena Air Base, Japan





U.S. deploy powerful F-35A stealth fighters to Okinawa’s Kadena Air Base




The American Annexation of Okinawa




Torii Station Okinawa




U.S. Marins V-22 Ospreys Arrive at Marine Corps Air Station Futenma, Okinawa




U.S. Patriot Certification takes place aboard MCAS Futenma







31st MEU Marines conduct a helicopter raid as part of a MEU Exercise at Ie Shima, Okinawa, Japan





U.S. Marines with MWCS 18 conduct ground combat at Camp Hansen, Okinawa, Japan




Marine Wing Communication Squadron 18 HF FEX




*B-Roll* Communication Marines conduct field training exercise JAPAN 10.28.2019







Marine Corps Communications-Electronics School




Marines provide communications support for joint exercise



















今日は何の日1968年(昭和43年)12月10日 三億円事件

三億円事件(さんおくえんじけん)は、東京都府中市1968年12月10日に発生した窃盗事件。通称「三億円強奪事件」。後に有楽町三億円事件練馬三億円事件との区別のため、「府中三億円事件」とも呼ばれる。
1975年昭和50年)12月10日に公訴時効が成立し未解決事件となった。

日本犯罪史において最も有名な事件に数えられ、「劇場型犯罪」でありながら完全犯罪を成し遂げ、フィクションノンフィクションを問わず多くの作品で取り上げられている

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概要

現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)府中工場従業員のボーナス約3億(2億9430万7500円)が、白バイまで用意した偽の白バイ隊員に奪われた事件である。「三億円強奪事件」とも言われているが、事件のあった日本に於いては本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。

犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること、盗まれた3億円は日本の保険会社が支払った保険金により補填され事件の翌日には従業員にボーナスが支給されたこと、その保険会社もまた再保険をかけており日本以外の保険会社によるシンジケートに出再していたことから補填された[注釈 1]ために、直接的に国内で金銭的損失を被った者がいなかったという認識[1]、ならびに被害金額2億9430万7500円の語呂から、「憎しみのない強盗」とも言われる。一方で、マスコミの報道被害を受けて後年自殺した人物や、捜査過労殉職した警察官2名が存在する。

警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となったが、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。

この事件以来、日本では多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになった。企業従業員の給与・賞与等の支給を金融機関の口座振込としたり、専門の訓練を積んだ警備会社の警備員による現金輸送警備が増加したりした。

盗まれた紙幣のうち、記番号が判明した五百円紙幣2000枚分(XF227001A〜229000A)が警察から公表された。うち「XF227278A」のみ見つかっているが、数字の一つが傾いていたことから偽札であるとみなされている

貨幣価値

被害金額3億円は、現金強奪事件としては当時の最高金額であった。これは、2014年平成26年)の貨幣価値に直すと、消費者物価指数で見れば約3.5倍の約10億円の価値に当たる

事件当時、大卒の初任給が約3万600円と言われ、2016年の初任給20万3800円と比較すれば約20億円の価値に相当する。その他、50 - 100億円の価値に相当するという意見もある。いずれにせよ、その後に起こった現金強奪事件と比べても、貨幣価値においてはいまだ国内最高である。

事件の経緯

1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届いた。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警察官約50名が周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。

4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)の現金が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。

そこへ白バイ隊員に変装して擬装白バイに乗った犯人が、オートバイに被せていたと思われるシートを後方に引っ掛けた状態のまま現金輸送車を追いかけ、現金輸送車の前を塞ぐようにして停車した。

現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「巣鴨警察署からの緊急連絡で、貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って、輸送車の車体下周りを捜索し始めた。

4日前に、支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事もあり、その場の雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。犯人は、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発炎筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。

この時、銀行員は「警察官」が爆弾から遠ざけるために輸送車を退避させたと考え、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、路上に残った発炎筒が自然鎮火した後、オートバイに詳しい輸送車運転手が残された白バイが偽物と気付いたことから、「警察官」は偽者であり現金強奪事件であることが早くも判明した。

9時50分に伊豆小笠原諸島を除く東京都全域に緊急配備が敷かれた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警視庁は要所で検問を実施したが、当初は自動車の乗換えを想定していなかった事もあり、当日中に犯人を逮捕することができなかった。
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当時の現金輸送車にはセダン型の自動車が使われていた
(写真は現金輸送車と同型の
日産・セドリック)。


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                     府中刑務所


多摩農協脅迫事件

三億円事件が起こる前、1968年4月25日から1968年8月22日まで多摩農協へ現金要求や放火予告や爆弾予告をする脅迫が脅迫状、脅迫電話、壁新聞投げ込みで計9回発生した。

この事件は脅迫日が東芝の給料日だったこと、脅迫状の筆跡が12月6日に送られた日本信託銀行への脅迫状の筆跡と同一とされたことから、多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件と三億円強奪事件の3事件が同一犯によるものとされた。

6月25日に多摩農協を脅迫する文章の中では「よこすかせんはひきょうもん」という文言が入った脅迫状を送っている。「よこすかせん」とは脅迫状を送る9日前の6月16日国鉄横須賀線大船駅で発生した横須賀線電車爆破事件について触れたと言われている。なお、脅迫状作成当時は横須賀線電車爆破事件の犯人は不明だったが、三億円事件発生1ヶ月前の11月9日に純多摩良樹をペンネームとする犯人が逮捕され、三億円事件の公訴時効直前の1975年12月5日に死刑執行された。

遺留品

犯人が残した遺留品が120点もあったため、犯人検挙について当初は楽観ムードであった。ところが、遺留品は盗難品や一般に大量に出回っているものであったため犯人を特定する証拠とはならず、大量生産時代の壁に突き当たってしまった。犯人の主な遺留品は以下の通り。

第一現場

府中市栄町3-4の府中刑務所北の学園通り、府中刑務所裏。三億円強奪事件が起きた路上。遺留品には偽白バイが残った。

ヤマハスポーツ350R1
偽白バイ。盗難日は1968年11月19日から20日。当時の警視庁で使用されていた白バイの機種はホンダ製であり、ヤマハ製の白バイは存在しなかった。元の色は青。試運転で本番までに428キロの走行履歴があった。ハンドルやシートには誤って塗装した部分をベンジンで拭いたと思われる痕跡が残されていた。
ハンチング帽
大阪市東成区の中央帽子製。第1現場で偽白バイが事件現場まで引きずっていったボディカバーの中から発見されたことから、犯人のものと考えられている。を検出すれば、少なくとも実行犯の血液型を特定できたが、楽観ムードによるものからか、鑑定に出す前に刑事同士で交互に被ることで鑑定不能にするミスを犯していた。54個が出荷され、36個の所在が判明。残り18個は東京都立川市の帽子小売店が市内の安値市で販売していたが、誰に売ったかまでは特定できなかった。
メガホン
兵庫県宝塚市東亜特殊電機製。白バイの広報用スピーカーに見せかけるために取付けられていた。製造番号から5台が出回っていることが分かり、4台まで所在を確かめた。残る1台は東村山市の工事現場で盗難に遭っており、これが犯行に使用された物と思われる。
クッキー
白バイの書類箱に見せかけていた。書類箱はカー用品店でも発売されているのに、かなり異なるクッキー缶を使用した上にガムテープで取り付けるという改造方法だったことから、お粗末な白バイ改造とされた。そのため、犯人は白バイに詳しい人物ではなく、素人でも改造できるレベルであることの根拠の一つとされた。クッキー缶のメーカーは明治商事だったが、3万個が流通していたために購入者を追及することを断念した。またクッキー缶を利用していたことから、犯人の甘党説が浮上した。
発炎筒
脅迫をする際にダイナマイトに見せかけた。横浜市保土ケ谷区日本カーリット保土ヶ谷工場製が製造した「ハイフレイヤー5」で、ガソリンスタンド等を中心に4190本売られていた。発炎筒に巻かれていた紙はNHKの『電波科学』昭和43年7月号の付録であるテレビ回路図だった。

磁石
発炎筒を現金輸送車の下部にくっつけるための磁石2個。「マグネットキャッチ」と呼ばれる建具部品を分解したもの。発炎筒には線で巻きつけられていたが、線と比較して透磁率が悪かったため、磁力が充分に働かず発炎筒は現金輸送車にくっつかずに地上に落下してしまった。大平製作所が製造し、4万3240個が流通していた。
新聞紙
メガホンは、白ペンキで2度塗装されていた。捜査に行き詰まっていたある日、上の塗装がはがれた部分に4mmほどの新聞紙の紙片が付着しているのを発見。地道に新聞紙を調べたところ、1968年12月6日の『産経新聞』13版11面朝刊婦人欄の「食品情報」という見出しの「品」の字の右下部分の一部であることが判明した。紙片の分析の結果、紙は愛媛県伊予三島市大王製紙の工場で作られた物と判明。なお一部情報で「インクの具合、印刷状況から輪転機を特定し、その新聞が配達されたのが三多摩地区であることまで絞り込めた」という報道がなされたが、間違いである。
配部数は13,485部、販売所数は12か所。住民の転出入が激しかったことや、新聞を購読する家が頻繁に変わっていたことから捜査は難航。2年掛かりでやっと販売所を特定できたが、時既に遅く「順路帳」(配達先の住所録)は処分された後であり、この方面での捜査は徒労に終わった[1]

第二現場

東京都国分寺市西元町3-26の国分寺史跡七重の塔近くの本多家墓地の入口、武蔵国分寺跡クヌギ林。現金輸送車であるセドリックが乗り捨てられていた場所。遺留品にはセドリックが残った。事件直前に第二現場で濃紺のカローラが目撃されていたことから、犯人はここで、濃紺のカローラに乗り換えたと思われた。逃走車の乗換えを想定していなかったことが、初動捜査で犯人を捕まえられなかった遠因となった。

第三現場

府中市栄町、明星高校近くの空地。犯行前に偽白バイをカバーで覆って停めていた場所。犯行前から無人の偽白バイがエンジンをかけっぱなしのまま置かれていたのが目撃されている


レインコート
濃紺。蛙脱ぎ(裏返しながら脱ぐことの通称)した状態のままで残されていた。
事件翌日に公開されたが、一般層からの反応がほとんどなかった。10年前に製造されたもので、製造した会社は1958年時点で倒産していた。
この遺留品は様々な情報が錯綜し、すぐに粗末に扱われた。重要な遺留品と認定されたのは事件から3年後のことで、レインコートにはソデ裏にアイロンがかけられた跡があり、また内エリに「クリーニング」のタグの跡を示す白い糸があった。しかし、捜査が遅れたためにこれ以上の発見はなかった。
第1カローラ
緑色のカローラ、ナンバープレートは「多摩5め3863」。府中市栄町2-12の空き地で発見。盗難日は11月30日から12月1日。半ドアでワイパーは動いたまま、窓は開けっ放しであった。

第四現場

東京都小金井市本町団地駐車場。第二現場で乗り換えたカローラが、乗り捨てられていた場所。事件から4か月後に判明。遺留品にはカローラと空のジュラルミンケースが残されていた。現金をジュラルミンケースから取り出し移し変えた場所がこの現場である可能性が高いが、団地駐車場という人目につきやすい場所であるため移し変えた場所は別の現場であるという異説もある。しかし団地内の他車も捜査したところ別件の盗難車が複数台発見され、大量の現金を扱うにせよ車両放棄にせよ団地内では他人への関心が薄いことを突いたとする犯人像を補強した。

第2カローラ
現金を奪った犯人が、現金輸送車から乗り換えた濃紺のカローラ。ナンバープレート(多摩5ろ3519)から「多摩五郎」のコードネームがつけられた。事件直前に第二現場で目撃されており、事件直後にこの情報を知った警察はこの車の行方を追っていた。車は盗まれたシートカバーで覆われていたため発覚しにくかった。事件から4ヵ月後、小金井市本町4-8の本町住宅B1号の西の空き地で発見された。残された車の中には、空のジュラルミンケースが入っていたことから、犯行に使われたことが特定された。なお、「第2カローラ」は自衛隊航空写真より事件翌日から団地駐車場に存在したことが判明している。
ケースの
ジュラルミンケースに付着していた泥を精密検査した結果、警視庁科学検査所の鑑定では現場から4km離れた国分寺市恋ヶ窪の雑木林土壌と、農林省林業試験場の鑑定では第二現場の土壌が近似していると分析した。この為恋ケ窪付近にアジトがあると見て、徹底的に捜索したが成果は出なかった。
ホンダドリーム
1968年11月9日に盗まれたオートバイ。白バイの車種であるため、犯人は当初このオートバイを偽白バイに改造しようとしたと思われる。盗難後の走行距離が60キロメートルと短い。持ち主によるとこの個体はノッキングしやすい不具合があったという。犯人は試運転でその不具合に気づいたため、別の個体を入手して白バイに改造したと推理された。
3台の盗難車
第2カローラ以外にも盗まれて小金井市の団地に放置された盗難車が3台(プリンススカイライン2000GTブルーバード・プリンススカイライン1500)存在した。車は盗まれたシートカバーで覆われていたため発覚しにくかった。1971年(昭和46年)、工学者の額田巌は、警察の依頼で遺留品の鑑定を行い、2台のカバーシーツの結びを比較した。その結び方が異なるため、ブルーバードを盗んだのも三億円事件の犯人だとすれば、この事件は複数犯であると結論している[3]
ギャンブル関連品
盗難車プリンススカイライン2000GTの中に競馬専門誌2部とスポーツ紙、府中の東京競馬場近くの喫茶店のマッチ平和島競艇のチラシが残されていた。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。そのため、犯人像としてギャンブル愛好家説が浮上した。
女性物のイヤリング
プリンススカイライン1500の中から発見された。車の持ち主に覚えが無いことから、盗難犯の所持していたものとされた。犯人グループに女性の存在が浮上した。

脅迫状

銀行に送りつけられていた脅迫状の切手唾液の痕跡があり、B型の血液型が検出されている。また、脅迫状は雑誌の切り貼りで文字を作っていたが、その雑誌が発炎筒の巻紙に使われた雑誌と完全一致したことから、脅迫状を送った犯人と現金強奪犯が同じであることが明らかになった。

多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件の両事件で送られてきた脅迫状の文面の特徴として以下の特徴があった。

  • 「ウンテンシャ」「イマ一度の機会」など特定の業種が使う言葉を使用
  • 語句と語句の間を分ける「わかち書き」の使用
  • 強調点に「●―●―●」という記号の使用
  • 「オレタチ」「我々」などの複数犯を思わせる記述
  • 「コン柱オキバ」など電話関係者の業界用語の使用
  • 多摩農協職員の車のナンバーを特定している記述

2つの雑誌

脅迫状と発炎筒には『電波科学』と『近代映画』という2つの雑誌が使われていた。捜査機関は2つの雑誌の読者の性向を絞って犯人を捜査。しかし、2つの雑誌の読者の趣向は両極端であり、これらの雑誌を置いている書店に聞き込みをしても、2つの雑誌を併読している読者は皆無であった。

その後の捜査で、『電波科学』の読者にとって一番重要だった「配線図」のページが犯行に使用されていたことから、本来の読者であれば違うページを使用したと推理し、捜査撹乱のために全く無作為に2冊の雑誌を購入して犯行に使用したものと結論して、捜査を打ち切った。


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捜査

モンタージュ写真による捜査

12月21日モンタージュ写真が公表された。しかし、これは通常のモンタージュ写真のように顔のパーツを部分的につなげて作成されたものではなく、事件直後に容疑者として浮上した人物(後述する立川グループの少年S)が犯人に似ているという銀行員4人の証言を根拠とした上で、少年Sに酷似した人物の顔写真をそのまま無断で用いたものであった。なお、捜査本部は実行犯を間近で目撃した4人の銀行員たちを刑事のふりをさせてSの通夜をしていたS宅に招き、Sの顔を面通しをさせて、4人全員がSが実行犯に「似ている」または「よく似ている」と答えている。

後に4人の銀行員は事件3日後の12月13日に銀行内での内輪の報告では警察の聴取とは異なり、犯人の人相記憶に一貫した説明ができなかったり、漠然としていて顔や形の説明ができなかったり、1人は車の窓の柱が邪魔になって実は犯人の顔を見ていなかったと語っていたこと等が判明したことなどから、現金を強奪される際に「キーを差し込んだまま逃げた」「通報が遅れた」というミスを犯した責任感に加えて「犯人の顔も覚えていない」では許されないという重圧から証言に大きなバイアスがかかっていた可能性が浮上した。また、後の警察の補充捜査で、4人の銀行員の目撃証言について4人が同室で証言させられたことで他の銀行員の意見に引きずられやすい雰囲気の中で調書が作成されたこと等の問題点が浮上している。

本来「このような顔」として示す程度のモンタージュ写真を「犯人の実写」と思い込んだ人が多く、そのために犯人を取り逃がしたのではないかという説もある。また、モンタージュ写真を見せて取材をしていた記者が捜査本部に「家にモンタージュ写真を持って男が話を聞きに来たが、その男が写真に似ていた」と通報されるなど、モンタージュ写真の公開によって膨大な情報提供が寄せられたことが却って捜査を混乱させたという指摘がある。

1971年に「犯人はモンタージュ写真に似ていなくてよい」と方針を転換、問題のモンタージュ写真も1974年に正式に破棄されている。しかし、その後も本事件を扱った各種書籍などでこのモンタージュ写真が使用され続けており、犯人像に対する誤解を生む要因となっている。

なお、これらの経緯が初めて明らかになったのは、『文藝春秋』1980年8月号における小林久三近藤昭二の共筆による記事によるものである。

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ローラー作戦

事件現場となった三多摩地区には当時学生が多く住んでいたことから、一帯にアパートローラー(全室への無差別聞き込み)を掛けた。警察において被疑者とされた者の数は十数万人に及んだ。事件現場前にある都立府中高校に在籍した高田純次布施明の名前もあった。もっとも、2人とも事件とは無関係であることが後に判明した。

なお事件自体が、当時盛り上がりを見せていた学生運動の摘発を目的とする強引な捜査の口実として捏造されたとする陰謀論も存在する。

その他の捜査

通常の事件と同様に遺留品などから検出された指紋の照合も行われていた。しかし、上記の通り遺留品はどれも大量生産されていたものだった影響から、照合する指紋の量が多すぎたことや、指紋の照合をした警視庁鑑識課の指紋係員がわずか3人と少数だったため大した効果は得られなかった

警察は事件当時に盗まれた3億円のうち、番号がわかっていた500円札2000枚分(100万円分)のナンバー(XF227001A~XF229000A)を公表した。

犯人像

事件当時から「単独犯説」と「複数犯説」が唱えられ、目撃者や脅迫状に書かれた文面、遺留品などから様々な犯人像が浮上した。ただし、「複数犯説」については以下の通り否定的な見解がなされ、一般的には「単独犯説」が主流である。

  • シートを引きずったままの偽白バイで犯行に及ぶなど、複数犯であれば考えにくいミスをおかしている。
  • 共謀者がいれば実施されていたであろう、逃走の成功を左右しかねない対向車を排除する措置が犯行現場の周辺で執られていない。
  • 手に入れた大金の配分を巡る争いが行われた形跡がない。


立川グループ

事件当時、立川市内で車両窃盗を繰り返した非行少年たち。その中でも、以下のメンバー2人が捜査線上に挙げられている。

少年S

立川グループのリーダー格。事件当時は19歳。

状況証拠
  • 「車の三角窓を割り、ドアの鍵を開けてエンジンとスターターを直結する」という車の窃盗手口が同じ。
  • 地元出身で土地勘があり、車やバイクの運転技術が巧み[1]
  • 1968年3月に立川市のスーパーで「発炎筒をダイナマイトに見せかけた強盗事件」を起こした仲間と親しい
  • 父親は白バイ隊員で、白バイに関する知識が豊富[1]
  • 親族以外のアリバイが不明確。
  • 事件前に東芝や日立製作所の現金輸送車を襲う話をしていた。
反証
  • Sの自宅に徹底した家宅捜索が行われたものの、入手したはずの現金が一切見つかっていない。
  • 事件前日の夜、新宿で飲酒していたとされ(後述)、単独犯であった場合は複数の車両を使った犯行を朝にできるとは考えにくい。
  • 血液型はA型であり、脅迫状の切手のB型とは異なっていた。
  • 脅迫状の筆跡と一致しなかった。
  • 多摩農協脅迫事件の脅迫状が投函された8月25日、まだ少年鑑別所に収容されていた。
その後

事件から5日後の1968年12月15日、父親が購入していた青酸カリで自殺を図る。この死について、周りの人間は「Sは自殺するような人間ではない」と口を揃え、さらに青酸カリが包まれた新聞紙からは、父親の指紋しか残されていなかったため、疑問視する声が強い。

1968年の12月21日、Sに酷似したモンタージュ写真が公開されたものの、警察はSを「シロ」と断定した。

その劇場型犯罪に相応しいインパクトからドラマや小説でこの説が取り上げられることが多いため、「警官の息子犯人説」は世間に広く知られることとなった。

少年Z

立川グループのメンバー。事件当時は18歳。

状況証拠
  • 事件後に乗用車を購入したり、会社経営をするなど金回りがよくなっていた。
  • その他、少年Sの上記3つと同じ理由。
反証
  • 血液型はAB型であり、脅迫状の切手のB型とは異なっていた。
  • 脅迫状の筆跡と一致しなかった。
その後

公訴時効寸前の1975年11月、別件の恐喝罪で逮捕されるが後に釈放された。

ゲイボーイ

以下K。少年Sと交際があったゲイボーイ。事件当時は26歳。

親族を除き、事件当日のSに関する証言をした唯一の人物。Kの証言は、事件の2〜3日前から前日にかけて新宿の自宅マンションで夜を過ごし、明るくなった朝8時頃に自宅を出るのを見送ったと証言した。ただし、朝8時というのは時計を見ていたわけでなく冬における外の明るさで判断としており、雨が降っていたが傘やレインコートを貸した記憶がなかったなど、曖昧な点があった。

Kの証言では初めてSと会ったのは事件の20日前なのに夏(少なくとも4か月程度前)に一緒に旅行に行った時に撮影された少年Sの写真を飾っていたことなど不可解な点があった。さらに事件1年後に、外国に移住して、ゲイバーを開店したり、再び日本に戻った時には日本では自宅マンションや2軒目のマンションを購入したり、事件7年後には実家に豪邸を建てたりなど、明らかに金回りがよくなっていた。

もしKがSと共犯であれば、Sが鑑別所にいる間の脅迫書を出すこと、事件関連の30代の男に関する目撃証言や電話の声の証言、第4現場の盗難車に残されていた女性物のイヤリングにもつながる。

警察は捜査を進めるも、Kを「シロ」と断定した。Kは急に金回りがよくなった点について「外国のパトロンがついた」と述べている。

府中市の運転手

府中市に住む運転手であった容疑者は、事件当時は25歳。住まいや過去の運転手の仕事から各現場の地理に精通していること、血液型が脅迫状の切手と同じB型、タイプライターを使う能力を持っていること、友人に送った手紙が犯行声明文と文章心理が似ていること、モンタージュ写真の男と酷似していることなどから12,301人目の容疑者候補として浮上。しかし、脅迫状の筆跡が異なっており、金回りに変化がないことから、警察は慎重に捜査をすることとしていた。

発生から1年後の1969年12月12日、『毎日新聞』が本人の顔と本名をモンタージュ写真にFの顔を合成するなどして犯人視する報道を展開。このため警察が逃亡を防ぐとの名目で別件逮捕新聞各社も「容疑者聴取へ」などと実名報道で書き立てる。ところが、本人が場所を記憶違いしていたながらも事件当日に就職面接を受けていたアリバイが報道を見た会社の面接担当者からの連絡で証明され、完全なシロとして釈放された。

しかし、警察に容疑者として逮捕されたうえに、新聞各社が犯人扱いで学歴、職歴、性格、家庭環境まで事細かく暴露。このため本人は職を失い一家は離散。さらに、その後も真犯人の見つからない中で、「三億円事件の容疑者として逮捕された」との世間の偏見と、事件に関するコメントを執拗に求めるマスコミ関係者に悩まされ職を転々とし、2008年9月に自殺した

日野市三兄弟

東京都日野市電気工事会社を経営する三兄弟。事件当時は上から31歳・29歳・26歳。大きなガレージ風の物置がありオートバイの偽装のための塗装がしやすいこと、次男がオートバイマニアの不良グループに属していたこと、看板店の営業経験があり塗装技術があること、事件前に発炎筒がつけられた車を購入していたこと、兄弟の一人が事件前にハンチング帽を被っていたことが怪しいとされた。しかし、車の発炎筒やハンチング帽が事件のものと異なること、事件の4日後に借金していたことなどが判明。その後も警察は日野市三兄弟を捜査するも事件と結びつかなかった。

不動産会社社員

不動産会社社員。事件当時は32歳男性。事件前に金に困っていたが事件後に金回りが良くなったこと、東芝府中に勤務経験があること、姉が東芝府中に12年勤務していること、自動車の運転が巧みなこと、モンタージュ写真の男と酷似していることが怪しいとされた。しかし、事件当日に杉並区から神奈川県横浜市に車で行く途中で非常検問にひっかかったことからアリバイが出てきたこと、金回りの変化については不動産売買で1600万円を入手したことが明らかになったことから容疑者から外された。

会社役員

以下P。三億円事件から13年前の1955年に銀行員1人を仲間にしたり仲間の1人が刑事を装うなどして、東京都千代田区にある銀行の現金輸送車を襲う計画を仲間3人と実行。この事件ではすぐに逮捕されたものの計画性や発想が三億円事件と類似するものであった。Pは出所後に刑務所の中で知り合った友人に「今度は1年がかりで大きなことをやる」と豪語。三億円事件発生後に土地や住宅や外車を購入して金回りが良くなったため、容疑者として浮上。しかし、金回りに関しては、不動産会社から合法的な資金提供を受けたことが判明した。ハワイへ移住しマンション暮らしをしていたことがわかった。後にハワイで病死した。

自称三億円事件犯人

時効成立後、三億円事件犯人を自称する人物が何人か登場している。テレビ等で事件が取り上げられることが多いのが原因で時期は事件発生時と同じ12月に集中している。

なお、当時の担当刑事によると事件の際に発炎筒が通常通り点火しなかったが、犯人は通常とは異なる手法で発炎筒を点火させていることが遺留品から判明している。またジュラルミンケースには現金・ボーナス袋のほかにある特殊な「モノ」が入っていたという。発炎筒の特殊な点火手法やジュラルミンケースに留置された「モノ」は一般発表されておらず、捜査関係者と真犯人しか知らないはずである。


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1975年昭和50年)12月10日に公訴時効が成立し未解決事件となった


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三億円事件にせまる




“戦後日本最大のミステリー” 「府中3億円事件」から50年







三億円事件 53年目の真実! 犯行現場を犯人の目線で徹底取材





【戦後最大の未解決事件】3億円事件 事件発生の経緯の謎(前篇)




【戦後最大の未解決事件】3億円事件 疑われた容疑者達の謎(後編)
















スッポンの芹さん3億円事件







1968年(昭和43年)


1968年(昭和43年)出来事

  • ■メキシコオリンピック開幕
  • ■グルノーブルオリンピック開催(冬季)
  • ■川端康成氏 ノーベル文学賞受賞
  • ■小笠原諸島日本に復帰
  • ■3億円強奪事件
  • ■日本のGNP、アメリカについで第2位に
  • ■郵便番号制度実施
  • ■石原慎太郎 青島幸男 横山ノックなどタレントが議員に
  • ■日本初の超高層ビルである霞が関ビル完成(高さ147メートル)
  • ■週刊少年ジャンプが創刊
  • ■深夜ラジオ、オールナイト・ニッポン開始
  • ■M 7.9の十勝沖地震が発生、太平洋各地に津波
  • ■テレビ静岡が開局
  • ■日本人が初めて南極点に到達(村山雅美隊長率いる第9次越冬隊)
  • ■大気汚染防止法、騒音規制法施行


1968年(昭和43年)流行語

  • ■ゲバ (ドイツ語の「ゲバルト」の略で権力に対する実力闘争のこと)
  • ■五月病 (五月の連休明けの頃から多くなる大学新入生の無気力状態)
  • ■サイケ(サイケデリックの略)
  • ■失神 (女性のエクスタシーを意味する)
  • ■ズッコケル (ザ・ドリフターズのヒット曲「ズッコケちゃん」からの流行語)
  • ■ハレンチ (かっこいい、いかす、ニクい、などの意味で使われた)

1968年(昭和43年)ヒット曲

順位曲 名歌手名
1位天使の誘惑黛ジュン
2位三百六十五歩のマーチ水前寺清子
3位花の首飾りタイガース
4位伊勢佐木町ブルース青江三奈
5位エメラルドの伝説ザ・テンプターズ
6位ブルー・ライト・ヨコハマいしだあゆみ
7位愛の奇跡ヒデとロザンナ
8位好きになった人都はるみ
9位グッド・ナイト・ベイビーキング・トーンズ
10位受験生ブルース高石友也


1968年(昭和43年)洋画ランキング

順位タイトル名配給収入
1位卒業3.0億円
2位猿の惑星2.8億円
3位続・夕陽のガンマン 地獄の決斗2.6億円
4位2001年宇宙の旅2.6億円
5位アンナ・カレーニナ2.6億円
6位暗くなるまで待って2.2億円
7位カスター将軍2.2億円
8位華麗なる賭け2.1億円
9位女体の神秘2.1億円
10位ドリトル先生不思議な旅2.0億円







ピンキーとキラーズ  「恋の季節」








22 - 全共闘 日大闘争 東大闘争 - 1968





日本初の劇場型犯罪を起こした男 金嬉老 1-3




【懐かCM・1968年】 TOSBAC-1100D 【50年前のコンピュータ】





【懐かCM・1968年】IC時代を開く東芝




60年代~70年代家電CM集




茨城県映画『パトロール-交通巡ら隊員の記録-』
(1968年(昭和43年度)制作)







【速報】「はやぶさ2」のカプセルが地球に帰還。快挙達成


 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が投下した小惑星りゅうぐうの石が入るカプセルは
6日午前4時ごろ(日本時間午前2時半ごろ)、大気圏に突入し、着地点のオーストラリアの砂漠めがけて落下、地球に帰還した。

カプセルは大気圏で燃え、火球として目視された。中身の小惑星試料を回収できれば初代に続く快挙。
6年間で約52億キロを飛行した探査は完了を迎える。

JAXAによると、カプセルは6日午前4時17~27分(日本時間午前2時47~57分)、
オーストラリア南部ウーメラ近くの砂漠に着地とみられる。

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【速報】はやぶさ2カプセルを発見 JAXA、豪の砂漠で 地球帰還

2020年12月6日 05時04分

還探査機「はやぶさ2」から分離された小惑星リュウグウの岩石が入っているとみられるカプセルが、日本時間6日午前4時47分ごろ、オーストラリア南部の砂漠で発見された。カプセルの中にリュウグウの岩石などが確認されれば、初代の「はやぶさ」に続き、小惑星の物質を地球へ持ち帰ることに成功したことになる。はぶさ2は5日午後2時半、高度22万キロでカプセルを分離した。カプセルは6日午前2時28分ごろに大気圏に突入し、豪州上空で流星のような火球となって輝いた。その後、高度10キロ付近でパラシュートを開き、約30分後に着地したとみられる。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の津田雄一・はやぶさ2プロジェクトマネジャーは「美しい大気圏突入でした。我々も感動しています」と語った。JAXAのメンバーが、地上から観測した光跡や、カプセルから発せられる信号を頼りに位置を特定。ヘリコプターで上空から付近を探し、砂漠に着地しているカプセルを見つけた。AXAによると、6日朝からカプセルの回収作業に当たる。現地でカプセル内部のガスを採取・分析し、ガスが確認されればリュウグウの物質が入っている可能性が高いという。カプセルは早ければ8日に日本へ到着する。今月下旬から内部の物質の確認作業が始まる。 カプセルには、打ち上げ前に国内外から募集したメッセージやイラスト、氏名計約25万件を記録したメモリーチップも搭載されている。

はやぶさ2カプセルを回収 地球帰還、豪砂漠に着地 JAXA発表
2020年12月6日 07時50分
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は6日、小惑星リュウグウの石などが入っているとみられる探査機「はやぶさ2」のカプセルを、オーストラリア南部の砂漠で回収したと発表した。カプセルは中の気体を現地で採取する予定で、その後日本へ送られ、物質の有無を確認する。カプセルには探査機から切り離す際に使う火薬などが残っている可能性があり、JAXA関係者は防護服を着て回収。回収は、リュウグウの試料が入っていると思われるカプセルの本体部分で、大気圏へ突入するときの熱から試料を守ったヒートシールド(耐熱カバー)も今後回収を目指す。はやぶさ2は5日午後にカプセルを分離。カプセルは日本時間6日午前2時半ごろに豪上空の大気圏に突入し、同午前4時47分に豪南部・ウーメラ近郊の砂漠に着地しているのが見つかった。



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「はやぶさ2」のカプセルが大気圏に突入したことを確認し、
管制室で運用メンバーらと喜ぶ津田雄一プロジェクトマネジャー(右)=2020年12月6日午前2時29分、JAXA提供

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「はやぶさ2」のカプセルが大気圏に突入し、
オーストラリアで観測された火球=2020年12月6日、JAXA提供



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「はやぶさ2」のカプセルが大気圏に突入し、
オーストラリアで観測された火球=2020年12月6日、JAXA提供


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           カプセルの分離と新たな旅路

カプセル回収完了! 12月6日はやぶさ2 カプセル再突入・着地から発見まで

2020年12月6日12:33(日本時間)更新J

JAXA 小惑星探査機はやぶさ2プロジェクトチームは、日本時間2020年12月6日8時03分にはやぶさ2の小惑星試料コンテナの入ったカプセルを搭載したヘリコプターがオーストラリア現地本部へ到着したと発表した。現地でも午前中にカプセル回収を終え、回収班は6日中にカプセルの清掃作業と、小惑星の物質がガス化した可能性のある気体の回収作業を行う予定だ。はやぶさ2プロジェクトチームの久保田孝教授によれば、6日中に作業を終えてカプセルを運搬容器に納め、7日中にオーストラリア出発、最速で8日中にカプセルの日本到着を目指すという


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オーストラリア回収班本部では、QLFと呼ばれる施設内でカプセル内のガス回収を試みる。回収装置の外観。クレジット:JAXA





はやぶさ2のカプセル日本到着 砂を採取できたか確認へ

小惑星探査機「はやぶさ2」が豪南部に送り届けたカプセルが8日、チャーター機で日本に到着し、相模原市の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙科学研究所に運ばれた。豪州で7日に行った初期分析では、カプセル内部からガスが採取された。リュウグウ由来かどうかは判別できなかったが、砂に含まれる有機物から出た可能性があるという。砂が採取できている期待が高まっているカプセルは7日夜、豪南部のウーメラ空港からチャーター便で飛び立ち、8日朝に羽田空港に到着した。トラックに積み替えられ、午前10時半ごろに宇宙研に着いた。正門前には天文ファンら約50人が詰めかけ、「おかえりー」と大きな声で出迎えた。国中均所長や津田雄一プロジェクトマネージャら職員も総出で大漁旗を掲げて見守った。宇宙研は今後、真空にした分析装置のなかでカプセルを開封し、砂が採取できているかどうかを確認する。0・1グラム以上が目標とされている。
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JAXA「はやぶさ2」地球へ帰還、目標地点はテントウムシ?
2020年12月6日、小惑星探査機「はやぶさ2」が地球に帰還します。宇宙航空研究開発機構(JAXA)が14年12月に打ち上げてから6年、長い旅路を経て、探査機が地球に戻ってくるのです。成果物は小惑星Ryugu(リュウグウ)のサンプルを収めたカプセル。その回収ミッションでは、ドローンや人工知能(AI)なども投入される予定です。18年6月、はやぶさ2は小惑星リュウグウに到着しさまざまな探査を実施しました。中でも注目を集めたのが、衝突装置の銅板(ライナー)をリュウグウの表面に打ち込んで人工クレーターをつくり、そこから噴出したサンプルを採取するといった新たな取り組みでした。『はやぶさ2、小惑星リュウグウに銅塊打ち込みクレーター生成、新たな探査手法を確立』の記事によると、人工クレーターから噴出した物質を採取することは、宇宙放射線などによる変性、いわゆる「宇宙風化」の影響が小さいサンプルが入手できるという点で重要だとあります。これらのサンプルを別途採取した表面のサンプルと比較すれば、「小惑星という天体が時間推移でどのように変化するかという科学的知見が入手できる」からです。

はやぶさ2、小惑星リュウグウに銅塊打ち込みクレーター生成、新たな探査手法を確立
しかし、このサンプル採取のために行うタッチダウン(着陸)において、プロジェクトチームは大きな壁にぶつかりました。『牙をむいたリュウグウ、はやぶさ2に正念場』の記事によると、18年10月、JAXA宇宙科学研究所(ISAS)「はやぶさ2」プロジェクトチームプロジェクトマネージャの津田雄一氏は、「一度、はやぶさ2プロジェクトは立ち止まろうと思います」と言いました。同記事によると、岩石にぶつけず、はやぶさ2を安全にタッチダウンさせるための目標地点が、なかなか見つからなかったというのが大きな要因だったそうです。この困難をどう乗り越えてタッチダウンを成功させたのか。その試練の数々については、日経クロステックの特集記事『世界初のミッションに挑戦、はやぶさ2の軌跡』をご覧ください。その後はやぶさ2は、地球に帰還してサンプルの入ったカプセルを届けるミッションへと移りました。そして20年12月5日、探査機からカプセルを分離。カプセルは同月6日に大気圏へ突入し、パラシュートで地上に着地する予定です。目標のエリアはオーストラリアのウーメラ地区です。着地の際には、周辺で待ち構えている回収隊がカプセルから発信されるビーコンなどを頼りに探索して回収するという手だてになっています。今回は、カプセルの探索にドローンの活用も予定しています。カプセル着地予想エリアを飛行して搭載カメラで撮影。その画像をAIで分析してカプセルを発見するのが狙いです。探索のために用意したヘリコプターが飛行困難になった場合や、ビーコンなどでは発見できなかった場合のバックアップとして対応する方針とのことです。
はやぶさ2最後の山場、6度の軌道修正でカプセルを地球へ2020年12月6日(日本時間、オーストラリア時間)にオーストラリアのウーメラ地区に向けてカプセルを再突入させる――。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機「はやぶさ2」の地球帰還の日程がコロナ禍の中で決まった。カプセル回収は、はやぶさ2プロジェクトにとって最後の山場だ。初代「はやぶさ」と違い、はやぶさ2では探査機本体は再突入させない計画。帰還の精度を上げるには地球の近くでカプセルを本体から分離した方が良い。だが、探査機本体を地球の重力圏から離脱させるためのエネルギーを節約するには、地球からなるべく離れたところでカプセルを分離したい。そのトレードオフを天秤(てんびん)にかけながら最終的なカプセル分離のタイミングを決めることになるという。カプセルの再突入に向けた軌道修正は、20年9月中旬から始まる(図1)。カプセル分離後、探査機本体を離脱させるまでに、合計6回の軌道修正を計画する。最初の軌道修正は地球から3700万kmの地点で実施する「TCM(Trajectory Correction Maneuver)-0」。イオンエンジンを使って軌道修正する。このTCM-0でイオンエンジンはいったん役目を終える。
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「はやぶさ2」概要

小惑星探査機「はやぶさ2」(Hayabusa2)は、「はやぶさ」(MUSES-C)の後継機です。その目的は、C型の小惑星「Ryugu」(リュウグウ)を探査し、サンプルを持ち帰ること。

C型小惑星には、その構成物質に有機物や水が含まれていると考えられています。地球誕生の謎に加えて、海の水の起源や生命の原材料となった有機物の起源を探る、それが「はやぶさ2」が目指していることなのです。

多くの“世界初”に挑戦したミッションが「はやぶさ」ですが、「はやぶさ2」では、「はやぶさ」の経験を活かして小惑星探査技術をより確実なものにすることを目指します。それと同時に、人工クレーターの生成、深宇宙での高速通信、新規の観測装置など、新しい技術にも挑戦します。

「はやぶさ2」は、2014年12月3日に打ち上げられ、小惑星到着が2018年。そして2020年末に地球に帰還する予定です。


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「はやぶさ2」主要諸元

質量約600kg
打ち上げ2014年12月3日13時22分(H-IIAロケット26号機)
軌道小惑星往復
小惑星到着2018年
地球帰還2020年
小惑星滞在期間約18ヶ月
探査対象天体探査対象天体 地球接近小惑星 Ryugu (仮符号 1999 JU3)
主要搭載機器サンプリング機構、地球帰還カプセル、光学カメラ、レーザー測距計、
科学観測機器(近赤外、中間赤外)、衝突装置、小型ローバ
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「はやぶさ2」が探査する小惑星「Ryugu」(リュウグウ)

「はやぶさ2」が探査するのは「Ryugu」(リュウグウ)という小惑星で、その大きさは900m程度、地球に接近する軌道を持つ地球接近小惑星(NEO)のひとつです。

小惑星イトカワはS型に分類される小惑星でしたが、「Ryugu」はC型に分類されます。小惑星は、太陽系が誕生した時やその後の進化の情報を持っていると考えられています。地球などの大きな天体では、原材料は一旦溶けてしまったので、それ以上昔の情報にたどりつけません。

一方、現在発見されているだけで数十万個にもおよぶ小惑星や彗星の多くは、それぞれが太陽系内で生まれた時代と場所の記憶を比較的良くとどめています。こうした天体を探査することで、太陽系がどのように生まれ、どのように進化してきたのか、また私達のような地球生命の原材料が宇宙空間でどのように作られ、変化してきたのかについて、知ることができるのです。

この小惑星の仮符号は「1999 JU3」、2015年10月に「Ryugu」(リュウグウ)という名称がつけられました。
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はやぶさ2“分離カプセル” 夜空に輝く光…地球に帰還
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カプセルの中身を分析する研究者「太陽系の起源に迫りたい」
2020年12月6日


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5時35分探査機「はやぶさ2」のカプセルの帰還が確認されたことを受けて、カプセルの中身を分析する研究チームのリーダーで、高知県南国市にある研究所の研究者は、「研究者にとって最高の宝箱だ。太陽系の起源に迫りたい」と意気込みを語りました。探査機「はやぶさ2」のカプセルは、6日午前2時半ごろ地球に帰還したことが確認されました。カプセルには、小惑星「リュウグウ」の砂が入っているとみられ、サンプルは研究チームに分配され、分析が進められることになっています。高知県南国市にあるJAMSTEC=海洋研究開発機構高知コア研究所では、サンプルの研究チームのリーダーを務める伊藤元雄主任研究員が、インターネットで配信された帰還の様子を見守りました。チームのほかのメンバーもオンラインで見守るなか、カプセルが大気圏に再突入し、火球となっている様子が映し出されると、歓声と拍手が湧き上がりました。そして、「本当に帰ってきましたね」とか、「これから頑張りましょう」などと語り合っていました。この研究チームでは、国内有数の分析機器を駆使して、再来年の夏ごろまでに分析結果を発表したいとしています。伊藤主任研究員は「研究者にとって最高の宝箱が帰ってきたんだなと感慨深いです。サンプルを正確に分析しようと数年前から準備を進めてきたので、さまざまな視点から太陽系の起源に迫りたいです」と話していました。




【小惑星探査機「はやぶさ2」帰還!】
今から6年前の2014年12月3日。JAXA(宇宙航空研究開発機構)によって小惑星探査機「はやぶさ2」が鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられました。
この「はやぶさ2」の非常用電源として搭載されたリチウムイオン電池の端子部に、京セラのファインセラミック部品とメタライズ技術が生かされています。
メタライズとは、金属を主成分とする薄い層をセラミックスの表面に形成し、これを加熱して相互に接着する技術。これにより、異種材料を強固に接合することが可能になり、超高真空空間を作り出す高い気密性が確保できます。
そして、12月6日の未明、小惑星「リュウグウ」の砂が入っているとみられるカプセルが地球に帰還しました。
今回「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星の砂からどんな分析結果が報告されるのか、楽しみですね(^_-)-☆
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「はやぶさ2」カプセル 地球に帰還





「はやぶさ2」カプセル分離に成功 地球帰還へ JAXAが実況(2020年12月5日)




「はやぶさ2」地球帰還 実況ライブ【カプセル分離・退避マヌーバ】12/5(土)13:30





「はやぶさ2」カプセル分離成功、あす未明 大気圏突入へ






「はやぶさ2」カプセルが大気圏突入、地球に帰還 JAXAが実況(2020年12月6日)




天羅万象「さあ!“はやぶさ2”帰還」(4)(2020年12月4日)




「はやぶさ2」12月6日帰還!カプセル着地の豪でも期待高まる【あさチャン!】




はやぶさ2 生命の起源を探る旅 [NEC公式]




「はやぶさ2」快挙に歓声 「ホッとした」(2020年12月6日)





「はやぶさ2」投下のカプセル回収 オーストラリアの砂漠で発見




一筋の光...“カプセル”回収に成功 小惑星のかけらは? JAXA会見
【はやぶさ2関連のニュースまとめ】






「はやぶさ2」カプセルJAXAが回収 簡易分析へ(2020年12月6日)





「はやぶさ2」カプセルをオーストラリア砂漠地帯で回収 
(2020年12月6日放送「日テレNEWS24」より)








はやぶさ2のカプセルがJAXAに到着







「はやぶさ2」カプセル到着 小惑星の砂は?




はやぶさ2 カプセル回収、日豪協力秘話





「はやぶさ2」カプセル日本到着へ 簡易分析でガス検出







日本無線株式会社 三鷹製作所 真空管 産業技術史資料



クライストロン (空胴内蔵全金属反射型クライストロン) 7V26L


143

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1957
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴レーダーに用いられるマイクロ波管の生産については、1952年、通商産業省から補助金(工業化試験)が交付され、飛躍的発展を遂げることができた。1955年には、その技術成果に対し、第2回日本工業技術展にて工業技術院長賞を受賞した。このクライストロンは空胴内蔵全金属反射型クライストロンで、測定用等に使用された。波長 6,500 - 6,950 MHz、出力 40 mW
資料公開状況非公開




計数放電管(デカトロン) DK17


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受信管 (海軍型検波電球) C3

103

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1920
種類設計図・文献
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴海軍型検波増音電球として、海軍の要求により、開発したもので、写真はその構造を示す「海軍型検波電球」図面である。この頃、海軍では真空管を電球と呼んでいた。排気は拡散ポンプを用いたハードバルブであった。高真空度三極管で、陽極電圧 60 - 100 V、フィラメント電圧 6 V、フィラメント電流 0.9 A
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送信管 (送信用真空球) TR VI

104
所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1923
種類写真
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1921年、日本無線電信電話(株)初の入力 10 Wの送信用真空球、TR Iが完成した。その後、工場を整備し、入力 100 WのTR V、入力 250 WのTR VI等の送信管シリーズの開発と生産体制が整えられた。この送信用真空球TR VIは陽極、グリッド共純モリブデンが使用されている空冷三極管である。逓信省の済州島向け送信機等に使用された。陽極電圧 3kV、陽極電流 84 mA、陰極電圧 13 V、陰極電流 4 A、増幅率 60
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受信管 (ラジオ受信用三極管) C7,C4C、C4D

105

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1924
種類写真
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1924年、ラジオ放送開始を目前に控え、ラジオ受信機用に販売されたもので、写真左から、検波用 C7、低周波増幅用 C4C、高周波増幅・発振用 C4Dの各受信管である。当時のカタログには、"感度優良にして長時日使用しうるは、欧米各国のものに比するも多くその例を見ざるところなり"とある。この頃の受信管製造技術上の問題点は、フィラメントの断線対策、エミッションの減退防止、効率の良い陰極材料の開発などであった。陽極電圧 40 - 80 V、フィラメント電圧 6 V、相互コンダクタンス 195 - 290 μS (C4C,C4D)
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送信管 (空冷三極管) U242Tg


106

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1935
種類量産品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴超短波真空管の研究を進めて行く中で、1935年、この3極真空管が開発された。波長は3.5mで出力は300Wである。これを用いて、超短波治療器"Aloka"が完成した。当時は超短波・高出力を発生する機器はなかったので、医学界に大きな反響を呼び、大きな売れ行きを見せた。製品カタログには、"超短波発振、及び増幅用三極真空管にして、陰極にタングステン繊條を用い、陽極及び格子は管腹に対して導出したものである。電極の加熱に対して安全なるよう特殊の構造を施したるを以て超短波治療機械は電気メスなどの如く出力回路の電気的状態が常に一定ならず刻々調整を要し為に電極に加熱される機会多きものに特に賞用される。”とある。陽極電圧4kV、許容陽極損失500W、相互コンダクタンス4.5mS
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送信管 (バルクハウゼン・クルツ振動管) US80B


107

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1935
種類量産品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1931年以来、マイクロ波真空管の研究を進め、1935年に完成したものがこの波長 65 cm、出力 8 Wの、いわゆるBK振動管である。当時としては、画期的なマイクロ波真空管であり、世界的な記録として、学会から賞賛された。東京工業大学が大岡山-筑波山間 80 kmの遠距離通信実験に成功した際の送信機にも使われた。格子電圧 400 V、格子電流 250 mA、格子入力 100 W
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マグネトロン (8分割橘型陽極マグネトロン) M2

108
所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1937
種類写真
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴日本無線(株)ではバルクハウゼン・クルツ振動管研究の後、マグネトロンの研究を続け、当初は2分割陽極磁電管及び4分割対称直結マグネトロンの研究を行った。その中から、波長 30 cmで出力 10 Wのもの、波長 1.8 mで出力 700 Wのものなど多数が試作された。この8分割橘型陽極のM2マグネトロンは波長 20 cm、出力 5 Wのもので、当時、優秀な研究業績として評価された。
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仙台放電管 (A型仙台放電管) WK230Z

109

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1938
種類写真
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1938年、東北大学渡辺寧教授の指導により、日本無線(株)はA型仙台放電管(センダイトロン)を完成させた。この放電管の点弧は高電界電子放射を用い、必要な都度陰極点弧を発生させて動作させる水銀陰極放電管で、点弧電力の少ないことが特徴である。黒鉛陽極、水銀溜陰極、それに点弧極を設けている。また、陽極表面をアマルガム状とし、逆弧が確実に起こるようにして、整流性の無いものとしている。魚群探知器のトランスジューサーの電流制御等に使用された。最大尖頭陽極電圧 1,000 V、陽極電流 (瞬間)1,500 A、(連続)
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送信管 (空冷五極管) P256

110
所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1939
種類
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴ドイツ、テレフンケン社より導入を行って完成した空冷五極管である。制御格子が真空管の上部と下部に引き出され、小型化され、且つ、制御変調特性が良く、陽極から制御格子への反結合が極めて少なく、高い周波数帯域でも安定な動作が得られた。陽極、他には新材料のジルコニュームの粉末が塗布されており、超寿命化に貢献した。陽極失損420W、出力600W、最高周波数30MHz、陽極電流0.5A、相互コンダクタンス4.5mS
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マグネトロン (水冷式空胴型マグネトロン) M3


111

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1939
種類試作品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1939年、銅の厚板を打ち抜いて8分割橘型陽極を作ることを考案し、当時としては驚異的な波長 10 cm、連続出力 500 Wの水冷式空胴型マグネトロンM3を完成した。これが戦時中、海軍のレーダーに実用化された空胴型マグネトロンM312の前身であった。当時世界に類を見ない大出力のものであったと云われている。陽極電圧 6 - 7.5 kV、陽極電流 230 - 250 mA、磁界 680 - 750 G
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マグネトロン (水冷式空胴型マグネトロン) M312


112

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1939
種類量産品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1939年、銅の厚板を打ち抜いて陽極を作ることを考案し、当時としては驚異的な波長10 cm、連続出力 500 Wの水冷式空胴型マグネトロンM3を完成させた。これにベースなどを付けたものをM312と呼び、最初の実用マグネトロンとして、太平洋戦争中、見張り用レーダに使用された。尖頭出力 6.6 kW、波長 9.875 cm、磁界 1,000 G
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受信管 (航空機用万能五極管) FM2A05A


113

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1941
種類量産品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴第二次大戦中、海軍の航空機用無線機の万能五極管として量産されたボタンステム型のもので、独国テレフンケン社のNF-2に近い構造を持ち、機械的にも頑丈で、航空機用無線機に利用された優秀な性能を持った真空管であった。その製造には高度の生産技術を要し、そのため多数の技術者や工員が動員された。管は、ボタンステムとガスバルブを封着し、これにアルミニュームのシールド缶を被せたもので、ガラスバルブとシールド缶との間には緩衝用のゴム環をはめてある。また、シールド缶には再利用が効くよう本体にねじ止めがしてある。陽極電圧 250V,陽極電流3.3mA、カソード電流0.21A、相互コンダクタンス3mS,最高周波数50MHz
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送信管 (空冷五極管) P112


114


所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1941
種類量産品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴超短波領域まで使用できる空冷五極管である。ボタンステムで、陽極と制御格子の引き出しを管の頂部に設け、他の抑制格子、遮蔽格子、制御格子、陰極の導線をベースに設けている。中和のための装置が不要となり、変調度の深い無歪み変調が可能であった。陽極損失 12 W、陽極電圧 500 V、最高周波数 30 MHz、相互コンダクタンス 2 mS
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マグネトロン (局部発振用パルスマグネトロン) M60


115

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1941
種類量産品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴2号2型電波探信儀(レーダー)用として、送信マグネトロンM312と組み合わせ、局部発振に用いられた受信用小形マグネトロンである。外部磁石を小形にするため、偏平なガラス管球が用いられている。そのレーダーは、水上見張り及び射撃照準用として艦船及び潜水艦に搭載され実戦に初めて加わった。8分割橘型陽極構造、尖頭出力 50 mW、波長 9.875 cm、陽極電圧 200 - 240 V、陽極電流 4 mA、磁界 700 G
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送信管 (空冷三極管) S110X


116

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1942
種類量産品
製作者(社)等日本無線電信電話株式会社(現 日本無線株式会社)
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴酸化物被膜直熱型陰極を採用している空冷三極管である。陽極電圧 400 V、陽極損失 28 W、相互コンダクタンス 4.5 mS
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マグネトロン (空冷式マグネトロン) M314


117

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1943
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴機上用レーダー51号電波探信儀に使用された空冷式マグネトロンで、1943年の初め、空胴磁電管M312の8分割橘型陽極を採用した試作品が完成した。波長 10 cm、尖頭出力 72 kWで酸化物陰極を使用している。
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マグネトロン (局部発振用パルスマグネトロン) M60A


118

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1944
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴2号2型電波探信儀(レーダー)に用いられた局部発振用マグネトロンM60の改良型で、特に周波数安定度を向上させたものである。本体は8分割橘型陽極のマグネトロンで、偏平なガラス管構造であるが、それを金属管に封入し、写真のように電磁石装置に挿入する構造としている。波長 9.875 cm、尖頭出力 50 mW
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マグネトロン (水冷式空胴型マグネトロン) M312A


119

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1945
種類試作品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴水冷式空胴マグネトロンM312の改良型で周波数補正用電極を内蔵した可変周波数型マグネトロンである。陽極に近接して円板を設け、管壁に直角に周波数可変用の側板位置調整装置の端子が引き出されている。補正電極を1 mm移動させると発振周波数が約 1 %変化する。旧海軍に対し、これをレーダーに使用することを提案したが、取扱いが複雑になると言うことで採用されなかった。8分割橘型陽極構造、中心波長:9.894 cm
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受信管 (ラジオ受信機用Nシリーズ受信管) N-051、N-052、N-231、N-361、N-021


120

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1946
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴戦時中、航空機用無線機の万能管として量産していたボタンステム型のFM2A05Aを基に改良し、トランスレスラジオ受信機用に製造した"Nシリーズ"受信管である。特徴は、カソード電圧を12.6V、小形で、オクタルベースを採用し、ボタン状ステムを使用、高増幅率管にはシールドケースを被していることであった。ラジオ受信機に広く使用された。写真左より、高周波・中間周波増幅用5極管 N-051(12G-R4)、電力増幅用5極管 N-052、検波増幅用双2極3極管 N-231、周波数変換用3極6極混合管 N-361、両波整流双2極管N-021
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送信管 (空冷五極管) P250A


121

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1948
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴小型であり、抑制格子変調特性が良く、高い周波数領域でも安定して動作する空冷五極管である。陽極や各格子電極にジルコニューム粉末を吹き付けて、使用中に放出されるガスを吸着させ、高真空度に保持することに成功したもので、動作時の温度は 600 ℃に設計されている。前身であるP250は出力 600 Wの送信5極管であったが、このP250Aは最大陽極電圧を 3 kVとし、陽極出力 1kWのものに改善してあるとともに、耐震構造を改良したものである。グリッドとプレートが陰極を中心に同軸上に配置されたラジアルビーム管(円形ビーム管(円形ビーム管)となっている。陽極損失420W、出力1kw、最高周波数25MHz、陽極電圧3kV、陽極電流0.48A、相互コンダクタンス8mS
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送信管 (空冷五極管) P256A


122


所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1948
種類写真
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴戦後我が国の送信用5極管として、船舶用をはじめ、陸上用の送信機に大量に使用されたボタンステム型空冷五極管である。陽極損失 420 W、出力 600 W、最高周波数 30 MHz、陽極電圧 2.5 kV、陽極電流 0.5 A、相互コンダクタンス 5.5 mS
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マグネトロン (多重通信用パルスマグネトロン) M112


123


所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1948
種類写真
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1949年、わが国初のマイクロ波による多重無線通信の実験が逓信省神代分室と双子山間で行われ、無事成功した。このPPM-AM方式によるマイクロ波多重無線通信装置に使用されたのがこのガラス封止パルスマグネトロンM112である。磁界がソレノイド型の外部電磁石により与えられ、陰極はトリウムタングステンの直熱型で、8分割橘型陽極を採用している。周波数 2,450 - 2,700 MHz、尖頭出力 120 W、磁界1,000 G
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受信管 (シャープカットオフ五極管) 6SJ7-GT


124

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1949
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴日本無線(株)では、1948年、GT管の試作に着手し、翌年6SJ7、6SA7、6SD7などGT管シリーズを完成、量産した。これはその中のシャーピカットオフ五極管6SJ7である。ラジオ受信機等の高周波増幅、低周波増幅、検波等に使用され、検波に使用した場合、比較的微弱な入力信号で大きな検波出力が得られた。陽極電圧 250 V、陽極電流 3 mA、カソード電圧 6.3 V、カソード電流 0.3 A、相互コンダクタンス 1.65 mS
資料公開状況非公開




受信管 (周波数変換用七極管) 6SA7-GT


125

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1949
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴日本無線(株)では、1948年、GT管の試作に着手し、翌年6SJ7、6SA7、6SD7などGT管シリーズを完成、量産した。これはその中の周波数変換用七極管6SA7である。ラジオ受信機等の周波数変換用に使用された。リモートカットオフ特性を有しており、AVCを加えた場合、比較的大きな入力でも、混変調歪みが少なく、また発振周波数が安定しているので、全波受信機に適している。陽極電圧 250 V、陽極電流 3.5 mA、カソード電圧 6.3 V、カソード電流 0.3 A、変換コンダクタンス 450 μS
資料公開状況非公開




受信管 (セミリモートカットオフ五極管) 6SD7-GT


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所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1949
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴日本無線(株)では、1948年、GT管の試作に着手し、翌年6SJ7、6SA7、6SD7などGT管シリーズを完成、量産した。これはその中の高周波可変増幅・中間周波増幅用セミリモートカットオフ五極管6SD7である。AVCを使用するラジオ受信機、通信用受信機等に使われた。比較的大きな入力信号でも混変調歪みが少なく、第3グリッドと陰極が別々に引き出してあるので、第3グリッドをアースすることにより安定した動作が得られた。陽極電圧 250 V、陽極電流 6.0 mA、カソード電圧 6.3 V、カソード電流 0.45A、相互コンダクタンス4.1mS
資料公開状況非公開





受信管 (全波整流用双二極管) 5Y3-GT


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所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1949
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴日本無線(株)では、1948年、GT管の試作に着手し、翌年6SJ7、6SA7、6SD7などGT管シリーズを完成、量産した。これはその中の全波整流双二極管5Y3-GTである。フィラメント形全波高真空整流管で、中程度の電流を必要とする交流式受信機などの電源用として設計されている。陽極電圧 1,400 V、陽極電流 440 mA、カソード電圧 5 V、カソード電流 2 A
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受信管 (全波整流用双二極管) KX-80


128

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1949
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴1948年、市場においては、ST管に対する要求も依然多いことから、日本無線(株)では6WC5、UZ42、UZ6C6、KX80なども製造をすることとした。これはその中の全波整流双二極管KX80である。5球スーパーヘテロダイン方式のラジオ受信機などに使われた代表的な全波整流管であった。陽極電圧 400 V、陽極電流 110 mA、カソード電圧 5.0 V、カソード電流 2.0 A
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受信管 (低周波電力増幅用ビーム五極管) 6V6-GT


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所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1949
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴日本無線(株)では、1948年、GT管の試作に着手し、翌年6SJ7、6SA7、6SD7などGT管シリーズを完成、量産した。これはその中の電力増幅用ビーム管6V6である。家庭用又は自動車用受信機の終段管として使用する目的で設計された。特に、高能率、高電力感度を有し、出力管としてシングル、又はプッシュプルで使用された。陽極電圧 250 V、陽極電流 45 mA、カソード電圧 6.3 V、カソード電流 0.45 A、相互コンダクタンス 4 mS
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送信管 (パルス用四極管) 3F51


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所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1952
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴PTMマイクロ波多重無線通信用パルス変調管として設計された空冷四極管である。構造は傍熱型酸化物陰極を有する空間電荷四極管で、陽極はモリブデンジルコニューム板を使用している。陽極損失 70 W、陽極電圧 4 kV、陽極尖頭電流 2 A
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クライストロン (空胴内蔵全金属反射型クライストロン) 2K25


131


所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1952
種類写真
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴レーダーに用いられるマイクロ波館の生産については、1952年、通商産業省から補助金(工業化試験)が交付され、飛躍的発展を遂げることができた。1955年には、その技術成果に対し、第2回日本工業技術展にて工業技術院長賞を受賞した。このクライストロンはその量産化に成功したレーダー用空胴内蔵全金属反射型クライストロンである。波長 8,500 - 9,660 MHz、出力 20 mW
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マグネトロン (レーダー用パルスマグネトロン) 725A


132

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1952
種類写真
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴レーダーに用いられるマイクロ波管の生産については、1952年、通商産業省から補助金(工業化試験)が交付され、飛躍的発展を遂げることが出来た。1955年にはその技術成果に対し、第2回日本工業技術展にて工業技術院長賞を受賞した。この725Aはその量産化に成功したレーダー用パルスマグネトロンの一つである。全金属型、固定同調周波数、周波数 9,345-9,405 MHz、尖頭出力 40 kW、尖頭陽極電圧 12 kV、尖頭陽極電流 12 A
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仙台放電管 (A型仙台放電管) WJ6


133

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1952
種類写真
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴A型仙台放電管(センダイトロン)であり、高周波電流を流す機能を持たせた交流点滅放電管である。高電圧・大電流に耐えられるよう、陰極を水銀プールとし、逆電流を流し、且つ、傾斜・動揺に耐えるよう陽極を銅アマルガムとし、起動を容易にさせている。交流スイッチ等に使用された。陰極の種類は水銀溜陰極で、点弧方式は点弧子型である。最大尖頭陽極耐電圧 2,500 V、尖頭陽極電流 1,000 A(パルス幅 10-50μS)
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受信管 (広帯域増幅用五極管) 6CB6


134

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1953
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴ビディオ信号増幅のために開発された広帯域増幅用高信頼性五極MT管である。テレビ受像機の高周波増幅、或いは中間周波増幅回路に使用された。相互コンダクタンスが高く、電極間静電容量が小さく、第3グリッドとカソードが別のピンに引き出してあるので、安定で高利得の増幅ができた。陽極電圧 330 V、陽極損失 2.3 W、カソード電圧 6.3 V、カソード電流 0.3 A、相互コンダクタンス 8 mS、Fm 121 MHz
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受信管 (広帯域電力増幅用五極管) 6R-P10


135

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1953
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴多重通信用に開発された広帯域電力増幅用高信頼性五極MT管である。70MHz中間周波増幅用として使われた。広帯域増幅のため、特別に大きなFm(figure of merit)が必要となり、電極構造に新しい工夫が取り入れられ、精密な微細寸法が確保されるよう設計されている。1959年に全半導体装置が出現するまで長期に亘り、多量に使用された。陽極電圧 200 V、陽極損失 6.5 W、カソード電圧 6.3 V、カソード電流 0.5 A、相互コンダクタンス 13.5 mS、Fm 162 MHz
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マグネトロン (多重通信用パルスマグネトロン) M402


136

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1953
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴初めて製作された実用可能な周波数可変全金属型マグネトロンである。最初、大阪-姫路間の国鉄マイクロ波帯PPM方式多重無線通信装置に使用された。それまでの通信用マグネトロンはガラス球に封じ込んであったが、これはレーダー用マグネトロンと同様に全金属製とし、レーダー用真空管完成の技術をそのまま活かして作られたものである。波長調整用の空胴回路を内蔵している。また、マグネットを小さくするため、陽極金属管として設計されている。12分割橘型陽極を採用、周波数 6,575 - 6,875 MHz、尖頭出力 100 W、磁界2500G
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計数放電管 (デカトロン) DC10A


137

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1954
種類写真
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴ステップ放電管、或いはデカトロンとも呼ばれ、到来する信号またはパルスを計数して読み取ることのできる冷陰極5極グロー放電管である。1950年頃、主として英国で発表された。日本無線(株)では1952年から開発に着手し、1954年にはこのDC10Aを完成させた。デジタル計測が盛んになり始めた時期であったため注目を浴びた。1個の陽極の周りに10個の陰極を円形に並べ、各陰極間に案内極を設け、負電圧を加えることで、放電電流を一定方向に誘引し、放電陰極が順次ステップするようにしてある。多数の電極を配置して、放電の位置によって情報を表示する発想は、その後のプラズマディスプレイの出発点になった。10進シングルパルス、単出力形。最高計数速度は20kbps
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サイラトロン (水素サイラトロン) 1G45P


138

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1954
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴尖頭陽極耐順電圧 3 kV、尖頭陽極電流 35 Aまでのパルス変調用水素入りサイラトロンである。水素入りサイラトロンは一般サイラトロンと異なり、水素ガスを封入し、正格子構造でパルス用に限定され、その質量の小さい水素は、酸化物陰極を損壊せずに大電流がとれ、消イオン時間が10μS程度の高い繰り返し周波数で動作させることができる特徴を有する。この管の最大パルス出力は 52.5 kWである。レーダーや線形パルス発生器等に用いられた。
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計数放電管 (デカトロン) DK14


139

所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1955
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴ステップ放電管、或いはデカトロンとも呼ばれ、到来する信号またはパルスを計数して読み取ることのできる冷陰極5極グロー放電管である。10進シングルパルス、単出力形。最高計数速度は20 kbps
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計数放電管 (デカトロン) DK17


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所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1955
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴ステップ放電管、或いはデカトロンとも呼ばれ、到来する信号またはパルスを計数して読み取ることのできる冷陰極5極グロー放電管である。10進シングルパルス、全出力形。最高計数速度は10 kbps
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計数放電管 (デカトロン) DK19


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所在等日本無線株式会社 三鷹製作所
所在地東京都三鷹市
製作(製造)年1955
種類量産品
製作者(社)等日本無線株式会社
調査機関団体平成18年度岡本主任調査員調査分
特徴ステップ放電管、或いはデカトロンとも呼ばれ、到来する信号またはパルスを計数して読み取ることのできる冷陰極5極グロー放電管である。10進シングルパルス、全出力形。最高計数速度は1 Mpps
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サイラトロン (水素サイラトロン) 3G49P


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