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2020年07月

ラジオゾンデを追跡する方向探知機の変遷

方向探知機について

測風経緯儀は光学測器であることから雲でさえぎられる時や、霧、雨、雪等で天気の悪いときは観測ができませんでした。このため、天気に左右されることなく高層風を観測するため、自由気球に電波を発信する無線送信器(ラジオゾンデ等)を取り付けて飛ばし、これを方向探知機で追跡する方法が開発・導入されました。無線方向探知機は、常に最新の無線工学および電子技術を採り入れ進歩を遂げてきました。

このページでは、過去に高層気象台で使用した方向探知機を紹介します。

D44型最大感度式方向探知機

D44型最大感度式方向探知機は、5素子の八木アンテナと受信機が一体となっており、三脚に載せて使用します。ラジオゾンデ等の方位角と高度角は、手動操作でアンテナを上下、左右にふって、受信音が最大になる方向を探して測定します。

使用周波数は408MHzで、1948年から1952年頃まで使用しました。

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D49E型等感度式方向探知機

D49E型等感度式方向探知機は、特性の等しい4個の八木アンテナを配置し、各アンテナからの受信レベルが等しくなる方向を電波の到来方向として方位角と高度角を測定します。D49E型等感度式方向探知機は、方位角と高度角を同時に測定し読み取ることができました。

使用周波数は408MHzで、1950年から1957年まで使用しました。

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D55A型自動追跡記録型方向探知機

D55A型自動追跡記録型方向探知機は、在日米軍から1954年に自動追跡型方向探知機を譲り受けて、これをモデルに製作されました。波長の短い1,680MHzの電波を使用する方式で、パラボラアンテナを用いて指向性の向上を図り、自動追跡を可能にしています。方向探知の方法は円錐走査方式で、アンテナビームを回転させて、ラジオゾンデ等からの到来電波の等しい点をパラボラアンテナが自動的に追跡して行います。1957年から1972年まで使用しました。


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D55B2型自動追跡記録型方向探知機

D55B2型は、基本性能はD55A型と同じですが、電子部品が電子管(真空管)からトランジスタやICに変更されました。また、方位角と高度角の駆動モーターにプリントモーターを採用し、サーボ回路の性能向上を図り、追跡の安定性が大幅に改善されました。

1972年から1992年まで使用しました。

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JMA-91型高層気象観測装置

JMA-91型高層気象観測装置の方向探知機は、パラボラの前面に5個のアンテナエレメントを配置するモノパルス方式です。中央のアンテナエレメントでゾンデ信号を受信します。自動追跡は、他の4個のアンテナエレメントで受信する信号を比較し、信号強度が等しくなるようにアンテナを動かして行います。

1992年から2009年まで使用しました
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ラジオゾンデが開発される前の高層気象観測

初期の高層気象観測

初期の高層気象観測は、地上における気象観測の延長として富士山や筑波山などの高山の山頂で気象観測を行うことから始まりました。富士山は1932年から、筑波山は1902年から通年観測を開始しています。

高層大気を観測する気象台として高層気象台が設立された1920年頃は、まだ無線を使用するラジオゾンデが開発されていませんでした。このため、上空の気圧・気温・湿度の観測と風向・風速(高層風)の観測はそれぞれ独立して行われました。

気圧・気温・湿度の観測

高層気象台創設当時の上空の気圧、気温と湿度の観測は、係留気球または凧にセンサと自記記録部からなる観測器を吊るし、上昇・下降して行いました。この方法では高度約3キロ程度までしか観測できませんでした。

そこで、より高高度までの高層気象資料を得るため探測気球による観測が1923年から時々行われました。探測気球観測は、自由気球(水素ガスをつめたゴム気球)にメテオログラフと呼ばれる気圧、気温、湿度を記録する気象観測器とパラシュートをつけて飛揚し、気球破裂後パラシュートでゆっくり落下させ、この観測器を回収して記録を読み取るものです。

探測気球観測は、回収までに時間がかかることや回収できないこともあり、高層大気の構造を調べる調査研究に役立ちましたが、観測データをリアルタイムに入手し天気予報へ利用することはできませんでした。

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高層風の観測

高層風の観測は、小型気球に水素ガスをつめて飛ばし、これを測風経緯儀で追跡して、一定時間毎に方位角と高度角(仰角)を読み取って行いました。この観測方法は、測風気球観測またはパイボール観測といいます。

測風経緯儀とは、望遠鏡を水平および垂直面内で回転するように取り付け、望遠鏡でのぞいた気球の方位角と高度角を測定する測器です。

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ラジオゾンデによる高層気象観測の変遷

ラジオゾンデについて

高層気象台では、ラジオゾンデを用いた高層気象観測を1944年から定常的に行っています。ラジオゾンデは電子技術の発展と共に改良が行われてきました。

このページでは、過去に高層気象台で使用されたラジオゾンデを紹介します。

中央気象台1号型ラジオゾンデ

最初のラジオゾンデは、中央気象台1号型と呼ばれ、空ごう気圧計、バイメタル温度計と毛髪湿度計の器械的変化を送信周波数の変化に換えて測定します。

中央気象台1号型ラジオゾンデは搬送周波数変化式のため、気圧、気温、湿度に1つずつ送信器があって、地上の短波受信機もそれぞれ専用のものを3台必要としました。センサ等の収容箱には軽い桐箱が利用され、電源は注液式の電池が使用されました。


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中央気象台1号型ラジオゾンデ

モールスコード送信方式のラジオゾンデ

モールスコード送信方式のラジオゾンデの計器部はセンサ部と符号発生部で構成されます。計器部は、空ごう気圧計、バイメタル温度計および毛髪湿度計の器械的変化をペン機構で拡大し、モーターで回転する接点板上をペンが移動すると要素の値に応じた所定のモールス符号を発生する仕組みになっており、上空の気圧、気温、湿度の観測値は、このモールス符号を受信して求めます。電源は、初め注液式の電池を使用しましたが、その後注水式の電池に移行しました。

モールスコード送信方式のラジオゾンデは1949年から1981年まで30年以上に渡って使用されました。また、当初は402MHz帯の周波数を使用していましたが、1957年頃から方向探知機で自動追跡が可能な周波数1,680MHzを使用するようになりました。

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モールスコード送信方式のラジオゾンデ


エコーゾンデ

エコーゾンデは、高層風の観測精度向上のために開発されたもので、符号式ラジオゾンデの計器部と受信器および送信器等で構成されます。地上装置から発射された送信パルスを受信器で受信し、送信器からパルス電波を返信することで、電波の往復時間から地上アンテナとゾンデ間の距離(直距離)を測定します。高層風の観測は、この直距離と方向探知機の角度からエコーゾンデの位置を求めて行います。

エコーゾンデは、1962年から1981年まで、主に09時の観測時に使用されました。

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エコーゾンデ

変調周波数変化式レーウィンゾンデ

変調周波数変化式レーウィンゾンデは、計算機による自動処理が可能なゾンデとして開発されました。センサは、気圧、気温、湿度の変化を抵抗または静電容量の変化として測定し、周波数変換回路で周波数に変換され、搬送周波数1,680MHzを変調して地上に伝送されます。地上では、パラボラアンテナを用いた自動追跡型方向探知機でレーウィンゾンデを追跡・受信して、周波数を抵抗または静電容量に変換し、気圧、気温、湿度を観測するとともに高層風も観測します。

RS2-80型レーウィンゾンデ

気圧センサは抵抗接点式空ごう気圧計を、気温センサはサーミスタ温度計を、湿度センサにはカーボン湿度計を使用し、気象要素の変化をすべて抵抗の変化として測定します。

RS2-80型レーウィンゾンデによる高層気象観測は、1981年3月から1992年9月まで行われました。


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RS2-80型レーウィンゾンデ


RS2-91型レーウィンゾンデ

気圧センサは静電容量変化式空ごう気圧計で、気圧の変化を静電容量の変化として測定します。気温センサはサーミスタ温度計で、気温の変化を抵抗の変化として測定します。また、湿度センサは静電容量型高分子膜湿度計で、湿度の変化を静電容量の変化として測定します。

RS2-91型レーウィンゾンデによる高層気象観測は、1992年10月から2009年11月まで行われました。


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RS2-91型レーウィンゾンデ

RS92-SGP型GPSゾンデ

気圧センサはシリコンセンサで、気圧によるシリコン膜の変化を静電容量の変化として測定します。気温センサは静電容量式ワイヤ温度計で、湿度センサは薄膜静電容量式加熱2センサ湿度計で、2つのセンサを交互にヒーターで加熱・除湿しながら、湿度の変化を静電容量の変化として測定します。風向と風速は、GPSの測位情報から算出します。

このRS92-SGP型GPSゾンデの使用開始によって、これまで必要であった方向探知機が不要となり、GPS衛星による精密な位置測定が可能となりました。

RS92-SGP型GPSゾンデによる高層気象観測は、2009年12月から現在も引き続き行われています。

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RS92-SGP型GPSゾンデ


RS-11G型GPSゾンデ

気圧計は搭載しておらず、気温・高度から算出します。気温センサはサーミスタ温度計で、気温の変化を抵抗の変化として測定します。また、湿度センサは静電容量型高分子膜湿度計で、湿度の変化を静電容量の変化として測定します。 風向と風速は、GPSの測位情報から算出します。

このRS-11G型GPSゾンデでは小型・軽量化が行われており、観測終了後は従来のラジオゾンデと比べてより安全に降下します。

RS-11G型GPSゾンデによる高層気象観測は、2013年7月から2018年2月まで行われました。

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RS-11G型GPSゾンデ

iMS-100型GPSゾンデ

気圧計は搭載しておらず、気温・高度から算出します。気温センサはサーミスタ温度計で、気温の変化を抵抗の変化として測定します。また、湿度センサは静電容量型高分子膜湿度計で、湿度の変化を静電容量の変化として測定します。 風向と風速は、GPSの測位情報から算出します。

iMS-100型GPSゾンデによる高層気象観測は、2017年9月から現在も引き続き行われています。

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iMS-100型GPSゾンデ


気球を用いた高層大気の観測について

気球を用いた高層大気の観測

天気予報の精度を高めるためには、地上での気象観測だけではなく、上空での気象観測が不可欠です。また、天気予報以外に気候変動の監視にも、上空大気を継続的に高精度に観測することが必要です。

このため、気球に軽い水素ガスを詰めて気象観測器を吊り下げて空に飛ばし、地上から高度約30kmまで、気温、湿度、風などの気象要素を連続的に観測しています。この気象観測器には様々な種類がありそれぞれ観測要素も異なりますが、これらの気象観測器を総称して「ラジオゾンデ(Radiosonde)」といいます。


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空を飛ぶラジオゾンデ
一番上に気球、中央部にパラシュート、一番下にラジオゾンデ(気象観測器)がついています


ラジオゾンデの種類

現在高層気象台で使用しているラジオゾンデは、以下とおりです。

  • iMS-100型GPSゾンデ
  • RS92-SGP型GPSゾンデ
  • ECC型オゾンゾンデ

この他、過去にはレーウィンゾンデ、放射能ゾンデなど、様々なラジオゾンデを使用していました。

ラジオゾンデ観測の特徴

観測は、地上から気球とラジオゾンデを空に放つ「放球」と同時に始まります。ラジオゾンデによって観測されたデータは無線によってリアルタイムで地上の受信器に送られます。気球は少しずつ膨張しながら一定の速度でどんどん上昇し、気球が大きくなり過ぎて割れた所で観測終了となります。観測を終えたラジオゾンデはパラシュートでゆっくりと落ちてきます。観測データは品質管理を行ってから公開され、世界中で天気予報や気候監視などに利用されています。

ラジオゾンデ観測は、大気を直接観測するため観測精度が高い、鉛直方向に連続的に観測するため精密な鉛直分布がわかる、という特徴があります。このため、高い精度の観測データをそのまま使用するだけでなく、気象衛星などの他のリモートセンシング観測(間接的な観測)によるデータを較正するための基準値としても利用されていま
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高層気象観測(GPSゾンデ観測)

高層気象観測とは

毎日2回、気球にラジオゾンデ(気象観測器)を吊り下げて飛揚し、大気中の気圧、気温、湿度、風向、風速、高度を観測しています。これを高層気象観測と言います。高層気象台では、GPSゾンデと呼ばれる気象観測器を使用しています。

高層気象観測は世界各国の約800か所で行っており、世界中の全ての場所で同時刻(日本では9時と21時)に観測をしています。このほか、台風接近時などには臨時に観測を行うことがあります。

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GPSゾンデ放球時の様子

iMS-100型GPSゾンデについて

iMS-100型GPSゾンデは、気温センサ、湿度センサ、GPSアンテナ、電子基板などで構成されています。

iMS-100型GPSゾンデの性能
要素測定方法
気温 サーミスタを使用
湿度 静電容量湿度センサを使用
風向 GPS信号から算出
風速 GPS信号から算出
高度 GPS信号から算出
気圧 気温・高度から算出
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iMS-100型GPSゾンデ

RS92-SGP型GPSゾンデについて

RS92-SGP型GPSゾンデは、気圧センサ、気温センサ、湿度センサ、GPSアンテナ、電子基板などで構成されています。

RS92-SGP型GPSゾンデの性能
要素測定方法
気温 静電容量式ワイヤ温度計を使用
湿度 薄膜静電容量式加熱2センサ湿度計を使用
風向 GPS信号から算出
風速 GPS信号から算出
高度 気圧・気温・湿度から算出
気圧 シリコンセンサを使用

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RS92-SGP型GPSゾンデ

高層気象観測結果の例

下の図は、ある日の高層気象観測結果をグラフにした例です。グラフの縦軸に気圧や高度を、横軸に気温、湿度、風向、風速などの気象要素を取ることにより、上空の大気の状態を表す図を作成することができます。

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高層気象観測のグラフ例

オゾンゾンデ観測

オゾンゾンデ観測とは

気球にオゾンゾンデを吊り下げて飛揚し、大気中を上昇しながら外気を取り込み、高度約35kmまでの空気中に含まれるオゾンの鉛直分布を直接観測することをオゾンゾンデ観測といいます。この時同時に気温、湿度、風向、風速も観測しています。

オゾンゾンデ観測は、毎週1回水曜日の15時に行っていますが、雨天や強風の場合には、曜日をずらして観測を行います。

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オゾンゾンデ放球時の様子



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ラジオゾンデ (radiosonderadiosonde) とは、気球に取り付けて飛ばし、高層大気気温湿度気圧などを測定し、測定値を無線で地上に送信する装置

概要

地上にいながらにして上空、高度およそ30kmまでの気温湿度気圧などのデータを得るために、主にゴム気球にとりつけて飛ばされる無線機付き気象観測機器のことである。高層気象観測装置の一種であり、またテレメトリ装置の一種とも言える。

「radiosonde」という名称は、発明者のフランス人ロベール・ビュローフランス語版による造語で、「ラジオ」はフランス語英語等々で無線電波、「ゾンデ」はドイツ語フランス語探針のことである。英語でもradiosondeと呼ばれるのが一般的。

分類・種類

気球につけて飛ばし高層気象のデータを電波で地上に送信する装置全般を総称して「ラジオゾンデ」と呼ぶが、観測できるデータの種類などによってさまざまに下位分類されている。→#分類・種類

構成・構造

ラジオゾンデは主に計測機器、センサー類、無線送信機の回路基板電池、送信用アンテナなどから構成される。 (一般論としては)温度計湿度計はラジオゾンデから突き出たアームに取り付けられており、気圧計や無線送信機、電池などはラジオゾンデの本体内部に配置される[2]。 電池は小型の積層電池、注水電池(塩化銀電池)、リチウム一次電池が用いられる。これらは環境負荷の少ないものが選定・使用されている。なお半導体が普及する以前は、小型の真空管を用いた回路を使用していた。

ラジオゾンデによる観測の流れ

通常の流れとしては、ラジオゾンデは水素ガスなどを詰めたゴム気球につるされた状態で放たれ飛揚し[2]、1分間に 300~400mほどの速度で上昇しながら[2]、上空の気温湿度気圧などを観測したデータを無線送信機で送信する。周波数としては、403.3MHz~405.7MHzの100kHz間隔・1673MHz・1680MHz・1687MHzなどで、信号形式で送信される。それを地上で受信機を用いて受信し、データを解読・解析する。600gのゴム気球を用いた場合、約90分で上空30km程度に達すると気球の膨張が限界に達して破裂し、ラジオゾンデはパラシュートで地上に降下し[2]、観測終了。

多くは使い捨てだが、修理した方が安く上がるのであれば回収されたゾンデを修理して使用する(この場合、ケースには放出者の連絡先と「本機を拾得された方は御連絡下さい」などの文言が書かれる)。

日本[編集]

日本では、全国18箇所の気象台測候所航空自衛隊陸上自衛隊大学などの研究機関、日本気象協会などが観測を実施している。気象台・測候所では、通常1日に2回(8時30分・20時30分)飛ばしている。台風接近時などは1日に最大4回飛ばすことがある。海上保安庁では船舶から飛ばしているが、航空機から投下することもある。[3]

高層観測のためにゾンデを放球する場合、定時観測では年に1-2回、航空路誌(AIP:Aeronautical Information Publication)で告知するほか、臨時観測する場合、放球数時間前に航空当局に対して「高層観測を行うためのゾンデ放球を行う」旨の告知を行い、ノータムを流してもらうことになっている。

日本から飛ばした場合、多くは偏西風に乗って太平洋上へ落下するが、季節や時間帯、地理的な影響や気象条件などにより、陸地に落下する場合もある(ただし陸地に落下することが予想される場合は、パラシュートを取り付けて飛ばしている)。過去には、八丈島測候所から飛揚されたラジオゾンデが、通常通り上空まで上昇後、再び、八丈島に落下したという事例がある。

分類・種類

レーウィンゾンデ(rawinsonde)
気圧、気温や湿度の他に風向・風速を測定する機能も持つ観測機器を特に区別する呼び方、分類法。
エコーゾンデ
測風精度をレーウィンゾンデより向上させるため、ゾンデに無線の受送信機能を持たせたトランスポンダを装備し、地上設備のパルス送信機の電波をゾンデが受信後、応答電波を発し、送受信の所要時間から直線距離を計測する装置
GPSゾンデ
ゾンデが気象データのほか自機のGPS情報をGPS衛星から取得してDGPS(相対測位方式)により誤差数m程度まで補正して、その3次元の位置情報を地上に送信し、気象データとともに高度や風向・風速を観測するもの。GPSゾンデは小型軽量化が著しくまた測風観測に必要な地上の方向探知器システムが不要になることから、近年はレーウィンゾンデに代わって主流になりつつある。18,000 m (59,000 ft)以上の高度では対共産圏輸出統制委員会(COCOM)規制の名残で大陸間弾道ミサイルのような用途への搭載を防ぐためにGPSは使用できない[4][5][6]
放射能ゾンデ
上空の放射線量を計測するもの
オゾンゾンデ
オゾン濃度を計測するもの
エアロゾルゾンデ
などのエアロゾルを計測するもの
電気ゾンデ
空中の電位差を計測するもの

なお通常レーウィンゾンデで観測できる測定量以外の量を観測する機能を持つゾンデは、総称して特殊ゾンデという。

歴史

前史

気象学において、地上気象観測と同じように重要な位置を占める観測が高層気象観測である。これからわかった高層気象の規則性は大気力学の発展を後押しし、数値予報の発達などにも大きな影響を与えた。現在においても、高層天気図は天気予報に必須となっている。

18世紀末の気球の発明の後、しばらくは上層大気の探検的な意味合いで気球が使われて発達した。気球を使った高層気象観測では、当初気球観測には人が乗って結果を記録・確認する必要があった。そのため気球観測用のゴンドラは「若い気象学者を育てるゆりかご」といわれた時代もあった。

当時高空で人間に安定して酸素を供給するのは簡単ではなく、重い人間を乗せる気球の浮揚力と人間の安全性を考慮すると、高度10 km程度が有人気球が上れる限界と考えられた。1862年にイギリスの気象学者ジェームズ・グレーシャーは、初めて高度約12kmまで気球で上がったが、その時の観測は命がけとなった。下降するために水素を放出するガスバルブを開ける曳索が、絡まったまま気球が上昇し続けたため彼は酸素不足で意識を失い、相棒の操縦士が寒さで動かなくなった腕の代わりに歯でバルブの曳索を引いてバルブを開けてかろうじて降下することができた[7]

そういった命に関わる危険性があったため、軽くて手軽な自記測定器が発明されると、軽い無人気球による観測が主流となった。しかし、自記測定器は強い日射や低温の影響など気球観測ならではの特殊な環境のため、常に正しく動作・観測するとは限らなかった。そのため、安全性やコストからはなるべく無人気球による観測を行うが、測定の信頼性の確認は有人気球で行うことも19世紀末まで残った[8]

20世紀に入ると、高層気象観測はゴム製の気球と信頼性の高い自記測定器によって、専ら無人気球で行われるようになった。それでも観測結果を得るためには、住民らの協力によって自記測定器を回収する必要があった[8]。しかし1930年前後のラジオゾンデの発明により、回収の必要がなくなり、観測と同時にリアルタイムで結果がわかるようになった。

(無線を用いたがラジオゾンデとは言い難いものとしては)1924年、米軍のen:Signal Corps(通信隊)のウィリアム・ブレア大佐は、無線回路の温度依存性を利用した素朴な実験を行った。

歴史

真にラジオゾンデと言えるもの、つまり正確なデータを観測し電波で送信した最初のものは、1929年にフランス人ロベール・ビュローフランス語版によって発明されたものであり、1929年1月7日に最初の観測が行われた。このビュローが「ラジオゾンデ」という造語も行った。1930年には、ソビエト連邦のモルチャノフ(Pavel Molchanov)は、ビューローらとは独立に気温と気圧を測定するラジオゾンデを開発して高度10kmまで測定を行った。モルチャノフのゾンデは簡便な機構とモールス符号を使った信号により扱いやすいため、直ちに標準的な方式となり、世界へと広まった[9]

規制法規[編集]

ラジオゾンデは無線局の一種にあたり、各国の電波関連法規の規制を受ける。

日本では、電波法施行規則第2条第1項第42号に「航空機、自由気球、たこ又は落下傘に通常装置する気象援助業務用の自動送信設備であって、気象資料を送信するもの」と定義し、電波型式周波数空中線電力を第13条の3の2に定めている。また、適合表示無線設備でなければならず技適マークの表示は必須である。(従前は無線機器型式検定規則による検定機器で検定マークの表示が必須であった。)なお、上記の400MHz帯の周波数は、2009年(平成21年)に高度化に伴いデジタル式を導入後のものであり、従前の型式(電波型式はアナログ、周波数は404.5MHzおよび1600MHz帯の3波、空中線電力1W以下)のものについては、2019年6月25日まで免許される。


時代とともに、歴史を創り続けてきた
明星電気のテクノロジー。

1938年の創立以来、明星電気はさまざまな分野で時代を象徴する歴史の一端を担ってきました。
日本の気象観測の歴史、宇宙開発の歴史。そこには、いつも明星電気の技術があります。
私たちはこれからも独自の技術力と革新的な製品・システムの開発を通じて、
国内外のプロジェクトに参画し、新たな時代を築き上げてまいります

1939
明星電気初のラジオゾンデ開発

ラジオゾンデ1,000個を受注。
測雲ゾンデ、測風ゾンデ、三式温湿ゾンデの製作を行いました。

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1950年製 CMO-S49B型符号式ラジオゾンデ

1948
ラジオゾンデを中央気象台へ納入

当時としては画期的なデジタル方式の
「CMO-S48B型符号式ラジオゾンデ」を開発。
中央気象台へ納入するとともに
「ゾンデの明星」と呼ばれる時代を築きました。


1952
気象ロボット、中央気象台に納入

それまでの測候所での雨量観測から、無線技術を利用した
無人観測を実現。平地とは大きく異なる山岳地域の雨量観測が可能となりました。

201
「ベビーT」ロケット
映像資料:宇宙科学研究所 ビデオシリーズより


1955
日本初ロケット搭載機器

日本初のロケット搭載電子装置としてテレメータ送信装置を開発。
FM-FMテレメータを搭載した「ベビーTロケット」の打ち上げが成功し、我が国初のロケット搭載機器のメーカーとなりました。


1964
ロケットゾンデの開発

超高層気象観測(高度60km~地上)を行うロケットゾンデを開発。
岩手県三陸町綾里(現大船渡市)の気象ロケット観測所で観測を開始。
2001年3月の観測終了までの間に1,119機の打ち上げを行いました。


1969
南極観測第11次越冬隊に参加

南極でのロケット/バルーンによるオーロラ観測を中心に活躍。
1985年の南極でのロケット実験終了までの16年間にわたり、
すべてのオーロラ実験に参加し続けました。

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南極観測越冬隊による大気球でのオーロラ観測




1974
気象庁に「アメダス」納入

わかりやすいネーミングでも話題を呼んだ「アメダス」。
雨量、風向、風速、温度、日照を無人で観測するステーションを開発し、全国約1,300箇所に展開しました。

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「アメダス」


1982
超長基線電波干渉計受信装置「VLBI」

電波望遠鏡で天体の電波源を観測し超広域測量する「VLBI」の開発に貢献。
精度の高さから年間10cm程度とされるプレート運動の検出も可能となり、地震予知の分野等に大きく役立っています。

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超長基線電波干渉計受信装置「VLBI」


1983
NASAスペースシャトル搭載

スペースシャトルを使用した日本初の実験(SEPAC)にフォトメータ、ラングミュアプローブ、フローティングプローブ波動観測装置、電離真空計、MPD(マグネト・プラズマ・ダイナミックス)、中性ガスプルーム制御装置を搭載しました


1991
計測震度計、気象庁に納入

世界初の震度計測装置を実現。震度計測は体感による観測から大きな進歩を遂げました。また、通信回線で素早い情報収集を行うとともに、テレビ等でも地震直後に震度情報が流れる等、地震災害の初動体制の確立に貢献しています

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1994
津波地震観測装置、気象庁に納入

日本海中部地震や北海道南西沖地震(奥尻地震)等の津波災害の教訓から、津波を起こす地震をいち早く検知する目的で、全国182個所に当社の津波地震観測装置が整備されました。
24時間常時全国の地震を監視することができ、地震後、約3分での津波予報が可能になりました。


2000
新空港気象システム「AMOS」

空港に配備されるAMOSは、空港内の気象状態を監視し、その情報を航空局、航空会社に提供しています。 航空機の安全な運行のために欠くことのできない気象観測を行っています。
※AMOS:Airport Meteorological Observing System

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羽田空港の「AMOS」視程計


2003
蛍光X線観測装置、「はやぶさ」搭載

「はやぶさ」には当社の開発した小惑星表面の元素組成を測定する蛍光X線観測装置が搭載されています。
この装置は、地表の岩石等が放射する固有の蛍光X線を測定することで、 元素の種類を特定しています。

2005
「早期地震警報システム」

鉄道総合技術研究所と気象庁の共同開発による、早期地震諸元推定アルゴリズムを搭載した「早期警報用地震計」。
その地震計を応用した「早期地震警報システム」は揺れる前に列車を停止させるなど鉄道運行の安全性向上に貢献し、その高度な技術はJR各社、気象庁に採用されています。

2007
月周回衛星「かぐや」

月周回軌道上観測と、月探査の技術開発を目的とする「かぐや」に搭載された15種類の観測機器のうち、明星電気はハイビジョンカメラなど8種類を担当。
月の起源と進化の解明に貢献しました。

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「はやぶさ」を載せて飛び立つM-Vロケット5号機
写真提供:宇宙科学研究所



2012

超小型衛星「WE WISH」

10月、当社初の超小型衛星「WE WISH」が国際宇宙ステーションから宇宙に放出され、その後順調に地球を周回し、158日間運用されました

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超小型衛星「WE WISH」


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GPSラジオゾンデiMS-100

小型・軽量化を実現したGPSラジオゾンデ「iMS-100」の販売を開始しました。安全性、運用コスト、環境負荷を大幅に改善しました。

2014
「はやぶさ2」、近赤外分光計・分離カメラなど搭載

「はやぶさ2」には、反射した赤外線を捉え、そこに含まれる物質を特定する「近赤外分光計」、衝突実験の状況を撮影する「分離カメラ(デジタル部)」などを搭載しています。「はやぶさ2」は2020年に地球へ帰還予定です


2015
POTEKA情報提供サービス開始

気象情報提供サービスを開始しました。POTEKAの観測情報により、ゲリラ豪雨や突風、竜巻などの急激な変化をいち早く検知し、迅速な避難行動などを可能にすることが期待できます。

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「POTEKA」

ラジオゾンデの歴史

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1950年製ラジオゾンデと藤原寛人(新田次郎)

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写真1:CMO-S50M型符号式ラジオゾンデ
A: 発振器部。小型無線送信器、直熱型3極管4N3を1本使用している。
B: 電池ケース。4.8V、ブザートランスで2次側出力90V~120Vを得る。
C: 計測部と符号発生機構。小型モーターの回転により、温度、湿度、気圧の変化に応じたモールス符号を発生して、発振器のリレーを制御する。


温度はバイメタルで+40℃~-80℃、気圧はアネロイド気圧計(空ごう気圧計)で1040㏔~5㏔、湿度は毛髪を使って100%~0%の範囲で測定される。測定値はモールス符号の"T, N, D, B, 6, X, U"および区別符号のlongTに変換され、周波数402MHzで地上に送信された。

符号変換部の模式図を図1に示す。オルゴール状の回転ドラムの表面に市松模様に符号を腐蝕焼付し、その表面をそれぞれの測定器指針の先端がタッチすることでモールス符号への変換が行われた。

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符号変換方式のラジオゾンデはヨーロッパで既に考案されていたが、その実用化への貢献は藤原寛人と気象研究所の技師によるものであった。 無線電信講習所を卒業し、第一級無線通信士と第一級無線技術士の資格を取得していた藤原寛人だからこそなしえたと言えよう。このモールス符号送信方式のラジオゾンデは、その後、改良を重ねながら1982年まで、実に30年以上もの長い期間にわたって使われた。 しかも1969年に完全トランジスタ化されるまでは、発信機に真空管が使われていたのである。

藤原寛人は、その後富士山レーダー建設の責任者となり、歴史に残る仕事をやりとげる。「高層観測指針」(全269頁回路図付)の序文には、

本書は高層課長〇〇技官のもとに藤原寛人技官が編集に当り、夫々各章の脚注に書いてある諸君の執筆になるものである。

と記されている。1951年は、藤原寛人が新田次郎をペンネームとして「強力伝」を執筆した39歳の時であった。 豊富な現場経験と、当時最先端の無線知識を基に、中央気象台の気象観測機器担当の中心を担う技官として活躍していたことがうかがえる。 当ミュージアムで、是非、作家「新田次郎」すなわち藤原寛人が一流の技術屋であったことを証明するラジオゾンデ「S50M型」をご覧いただきたいと思い、ここに「逸品」として紹介する。

<参考>

ラジオゾンデは、藤原寛人らの開発した符号式以外にも、常に当時の最新の通信技術、情報処理技術、電子部品を取り入れ、観測精度の向上、小型軽量化、低廉化が図られてきた。当ミュージアムで常設展示しているラジオゾンデの一部を以下に示す。「レーウィンゾンデ」とは、気圧・温度・湿度に加えてゾンデの位置を無線で追跡することで風向と風速を観測可能な装置である。「GPSゾンデ」ではGPS測位情報から風向・風速を算出する。

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写真2:三式温湿ゾンデ(波長変化方式、久保田無線電機、1940年頃)

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写真3:符号式ラジオゾンデ(モールス符号変換式 CMO-S50M、久保田気象測器、1950年)

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写真4:レーウィン(Rawin)ゾンデ(変調周波数変化式 RS2-80、明星電気、1981年)

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(第4展示室担当学術調査員 和田光弘)




南大東島地方気象台 ラジオゾンデの打ち上げ


ラジオゾンデ 放球場面


高層気象観測用ラジオゾンデ自動打ち上げ(釧路)

石垣島地方気象台 ラジオゾンデの放球シーン 高層気象観測




気象台「空を見るの やめます」 機器の進歩で詳細な観測可能に




海で拾ったラジオゾンデの分解 Decomposition of radio sonde picked up in the sea



いばキラPeople!/水戸地方気象台【2014.5.2】


















(東京ローズ)戦場の花 東京ローズ~謎の謀略放送 女性アナウンサーの正体~


東京ローズはもはや伝説の女性である。アイーバ戸栗郁子、日系二世で開戦の五ヶ月前、仮パスポートで来日し戦争で帰れなくなる。同盟通信からの日本放送協会へ、運命の糸は彼女を悲劇のヒロインへと仕立て上げる。19年3月、参謀本部の要請で対敵放送「ゼロアワー」がスタートし、スタッフの一員になる。

戸栗はニュースを避けジャズの合い間にアドリブで声をのぞかせる。「○○船を沈めた」という内容だが、声が魅力的だったため、たちまち米軍将兵のアイドルになった。女性アナウンサーは交代勤務だった。物資のない20年夏「古いレコードでご免なさい」と放送したら、B29が神奈川県下に小包を投下、中には「東京ローズ」へのプレゼント」と書いたカードといっしょに新曲レコードが出てきた。

終戦後の21年5月、連合軍に逮捕されたが釈放され、帰国旅券を申請、帰国後反逆罪に問われ、禁固10年の判決を受け6年余服役、31年に出所しサンフランシスコでつつましく余生を送っている。

女性アナは9人もいたのに、どうして彼女が東京ローズと断定されたのか。サンフランシスコ連邦地裁の審理でも、彼女は肝心の点に触れると沈黙を守り、真相はナゾに包まれたままである。第二次大戦後の米本土の対日感情と、マスコミのスクープ争いが東京ローズをつくりあげた-との声さえ聞かれるのある。

(「ハム半世紀」香山晃著 p.106~107 電波実験社より抜粋) 絶版  



東京ローズ(とうきょうローズ、英語: Tokyo Rose)は、日本軍第二次世界大戦中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称

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プロパガンダ放送

「ゼロ・アワー」

日本政府は太平洋戦争中、「ラジオ・トウキョウ放送(現在のNHKワールド・ラジオ日本)」で、イギリス軍やアメリカ軍、オーストラリア軍をはじめとする連合国軍向けプロパガンダ放送を行っていた。捕虜から家族宛の手紙の紹介等をしていた。

1942年昭和17年)2月に軍当局の発案で、連合国軍捕虜ラジオ放送の専門家を使う事にし、元オーストラリアABC放送のアナウンサーで、オーストラリア兵捕虜のチャールズ・カズンズ少佐、元アメリカのフリーランスアナウンサーで、アメリカ兵捕虜ウォーレス・インス大尉、レイズ中尉らを参加させた。チャールズ・カズンズ少佐は当初拒んだが、最終的に承諾した。

そして始まったのが「ゼロ・アワー」で、音楽と語りを中心に、アメリカ人捕虜が連合国軍兵士に向けて呼びかけるというスタイルを基本とした。1943年(昭和18年)3月から、1945年(昭和20年)8月14日まで放送され、太平洋前線のアメリカ軍兵士らに評判となった。

英語を話す女性アナウンサーは複数存在したが(同局の女性アナウンサーは4人から20人ほどいたという証言もある)、いずれも本名が放送されることはなく、愛称もつけられていなかった。アナウンサーは自らを「孤児(みなしご)のアン」と名乗っていたが、放送を聴いていたアメリカ軍兵士たちは声の主に「東京ローズ」の愛称を付けた。

「東京ローズ」はアメリカ本国でも注目され、ニューヨーク・タイムズが1944年3月20日付の記事で取り上げたほか、1946年には映画Tokyo Rose英語版』が製作・公開されるほどであった。ダグラス・マッカーサーも回想録で「東京ローズ」に言及している

アナウンサー

「東京ローズ」に該当するのがどのアナウンサーであるかは、アメリカ軍兵士からは明確に判らないままであったため、戦争開始前に太平洋上で行方不明になり、その後「日本軍に捕らわれた」と噂された女性飛行家アメリア・イアハートが「『東京ローズ』の1人として活動していた」とさえ噂されたことがあった。

終戦後、来日したアメリカ人記者達は東京ローズを、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の制止を振り切っても捜し回った。「ラジオ・トウキョウ放送」側は、アメリカの従軍記者の取材に対し、東京ローズと名乗った女性は一人もいないと回答した[2]

ところが、アメリカの従軍記者からの取材に対し、アイバ・戸栗・ダキノ(アイバ・戸栗・郁子)は、「東京ローズ」の一人であると唯一認めたため、アメリカに帰国後国家反逆罪に問われた。しかし、裁判で兵士が証言した「東京ローズ」の声質や放送内容が、戸栗のそれとは一致しないのが実情であった。

後に公開されたFBIのファイルに、「東京ローズ」の「候補」として複数の女性アナウンサーの顔写真があった

兵士が証言した「東京ローズ」は、放送期間と放送された内容や声質、およびその声紋などから、日本初の女性英語アナウンサーであるジェーン・須山こと須山芳江(1920年 - 1949年、バンクーバー育ち。「南京の鶯」と呼ばれた)である可能性が高い。須山はアイバ・戸栗・ダキノの裁判の最中、1949年(昭和24年)7月18日横浜で映画を観た帰路、アメリカ軍兵士の飲酒運転により事故死したが、日本の警察にも在日米軍にも記録が無い。

アイバ・戸栗・ダキノ

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アイバ・戸栗・ダキノ(Iva Toguri D'Aquino、日系アメリカ人、日本名・旧姓:戸栗 郁子(とぐり いくこ)、1916年7月4日 - 2006年9月26日)「東京ローズ」の1人として、もっとも著名な人物である。

生い立ち

1916年7月4日に、輸入雑貨店を経営する山梨県出身の父・遵と、東京府出身の母・ふみのもと、日系アメリカ人2世としてアメリカカリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。日本人の両親の元で生まれたものの、両親の教育方針により、アメリカ風のしつけ教育を受け、日本語の正式な教育を受ける機会は与えられなかった

来日

カリフォルニア大学ロサンゼルス校動物学を学び卒業。同校大学院在学中の1941年(昭和16年)7月に叔母・シズの見舞いのため、半年の滞在予定で来日したが、両親から「アメリカ人」として教育を受けていたため、日本人の生活様式や習慣には馴染めなかった。とりわけ彼女を悩ませたのは、アメリカには無かった銭湯での「混浴」と、アメリカの基準から見て「不衛生」な日本家屋便所であった。このため来日後、何度も両親へ「アメリカに帰りたい」という手紙を送っている。

同年12月の太平洋戦争開戦でアメリカへ戻ることが不可能となる。戦時中に2度運航された、日米間の戦時交換船によるアメリカ渡航を申請するも、米国では日系人の強制収容が始まっていて帰国は叶わなかった。

アメリカで母親は日系人収容所へ行く途中に病死していた

何度も特高警察から日本国籍への帰化の圧力をかけられたが、拒否し続けた。

孤児のアン

日本での生活のため同盟通信社愛宕山受信所で外国短波放送傍受タイピングの仕事に就く。翌1942年(昭和17年)からは日本放送協会海外局米州部業務班でタイピストとして勤務する傍ら、日本軍の参謀本部恒石重嗣少佐の下で対外宣伝ラジオ番組(プロパガンダ)のスタッフとなる。ラジオ・トーキョーにはアメリカの短波放送が聞けるラジオがあった

日本語原稿を英語のアナウンス原稿に訳す作業を業務としていたが、連合国軍兵士へのアピール性が期待され、途中の1943年(昭和18年)11月からゼロ・アワーの女性アナウンサーとして原稿を読むことになり、「孤児のアン」と名乗って曲の紹介などをしていた。それまでは3人の捕虜が番組を担当していたのをチャールズ・カズンズが起用したが、放送で密かに日本軍に抵抗していたことを打ち明けられ、DJを引き受けることになる

終戦間際の1945年(昭和20年)7月、長年同棲関係にあった、日系ポルトガル人の同盟通信社員のフィリップ・ダキノと結婚。当時ポルトガルは中立国であった。

反逆罪

終戦後の1945年8月に、昭和天皇東条英機、そして「東京ローズ」の3人のインタビューを取ることを夢として追っていたアメリカの従軍記者の一人により「発見」され、2000ドル(現在の日本円の価値で600万円程度)で独占取材契約し、録画カメラの前で自分が「東京ローズ」だと言明した。自分が「東京ローズ」であると公言したのはアイバ・戸栗・ダキノが最初で最後だったため、「唯一の『東京ローズ』」として、日米マスコミの取材合戦が過熱し、強い関心の的となった。その為独占の契約を守れず、契約金2000ドル(当時は一軒家が買える値段だった])は支払われなかった

その後、GHQに呼び出され、映画まで撮られる。しかし、米本土で「反逆者」という記事が出て反響を生む。アイバはGHQにより反逆罪(en:Treason#United States)容疑巣鴨プリズンに11か月間収監され、FBIの取り調べを受けた。釈放後は反逆罪で逮捕され、アメリカ本国に強制送還された後、最も反日感情が強かったカリフォルニア]検事から「対日協力者」としてアメリカで最も重罪である国家反逆罪で起訴された。

裁判は1949年7月5日にカリフォルニア州サンフランシスコ連邦裁判所で開始された。陪審員は全員白人[2]で、総費用50万ドル[2](7億円)というアメリカ建国史上最大の裁判となった。

弁護側は、アメリカ兵の戦意を喪失させる意図はなかった等と、否認した。弁護側の証人は、アイバが指示通りの仕事をしたと証言]し、検察側の証人として出廷した恒石元少佐も、アイバの仕事はアメリカへの反逆にはあたらないとの証言をおこなった。一方検察側は、反逆の意思の有無に関係無く、放送に参加していたこと自体が問題であると主張し、アイバが自発的に番組に参加していた点も強調した


裁判を取材していたマスコミは、アイバが無罪になると予想していたが、1949年9月29日に下った判決有罪で、禁錮10年と罰金1万ドル、アメリカ市民権剥奪などを言い渡され、女性として史上初の国家反逆罪となった[5]。アイバは6年2ヶ月の服役後、模範囚として釈放された

有罪判決については、トルーマン政権司法長官トム・C・クラーク英語版による陰謀説もある[5]

名誉回復

人種差別が合憲とされていた当時のアメリカにおいて、裁判の陪審員に問題があるなど、終始人種的偏見に満ちたものであったため、1970年代には日系アメリカ人市民同盟や在郷軍人たちによる支援活動が実り、有罪判決は疑問視されるようになった。

1976年に、裁判の証人だった元上司2人が「証言は事実でなく、FBIに偽証を強要され、リハーサルもさせられた」などと告白した記事を、アメリカ人日本特派員記者がスクープ報道した

1977年1月19日フォード大統領による特赦によりアメリカの国籍を回復した。

その後シカゴに転居し、父が創業した輸入雑貨店「戸栗商店(J. Toguri Mercantile Co.)」で、晩年まで働いていた。当初は反逆者の汚名を着せられたアイバ・戸栗であったが、晩年の2006年1月には、「困難な時も米国籍を捨てようとしなかった“愛国的市民”」として退役軍人会に表彰され、感激の涙を流している。2006年9月26日、脳卒中のため、90歳で死去。


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【東京ローズって誰?】太平洋戦争中に米兵たちを魅了した日本の女子アナ

東京ローズ」とは、太平洋戦争中に日本が連合国側に向けて放送していたラジオ番組(日本の優位性を拡張して伝えたプロパガンダ的な番組)に登場する女性アナウンサー(たち)のことを指し、米軍兵が名付けた愛称でした。

太平洋戦争を題材にした映画や小説などエンターテインメント作品や、戦争ドキュメンタリー番組で度々取り上げられているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

「ゼロ・アワー」というのが正式な番組名で「ラジオ・トウキョウ放送(現・NHKワールド・ラジオ日本)」が放送していました。1943年(昭和18年)3月に始まり、驚くことに終戦の前日、1945年(昭和20年)8月14日までやっていたようです。

番組内容は、日本軍の捕虜となった米軍兵らが連合国軍兵士に向けて呼び掛けるというのがメインだったようですが、人気だったのは、女性アナウンサーが魅惑的な声で連合国軍兵士を茶化すという「東京ローズ」の登場場面だったようです(内容にトゲがあるところから、ローズ《バラ》と呼ばれるようになったとか)。

美しい声の女性に挑発的なセリフを言われるという、女性色のまったくない当時の軍隊にとっては、送り手側の意向とは裏腹にご褒美(個人的な解釈です)になってしまっていたのかもしれません。どうあれ放送を楽しみにしていた米兵は多かったようで、G.H.Q.の最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥も番組を聴いたことがあったと記録に残っているそうです。

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Tokyo Rose




"Tokyo Rose," Tokyo, Japan, 9/20/1945 (full)



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Tokyo Rose


 



Defense Of Japan - The Big Picture



You In Japan - The Big Picture


 

Japan: Our Far East Partner - The Big Picture














3月8日は、国際女性デー(ミモザの日)

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国際女性デーにミモザの花を贈る風習は、イタリアから起こったものです。イタリアでは、国際女性デーを「FESTA DELLA DONNA(女性の祝日)」と呼ぶこともあり、男性から女性にミモザを贈ります。これが世界に広がって、ミモザの日と呼ばれるまでになったということですね。

 

ミモザの花は、男性から女性への日頃の感謝の表われです。母親や恋人、妻、友人、同僚など、周囲の女性であれば、誰にでも贈れるものですから、まさしく「女性に対する感謝」ということになります。

 



YL HAM 女性オペレーター

日本のYL第1号となった杉田千代乃さん

日本における最初のYLさんは杉田千代乃さんと言われる方で昭和8年10月16日に初めて電波を出されたということです。その時の呼出符号はJ1DNですが結婚後は鈴木千代乃さんJH1WKSとなり、神奈川県小田原市からCWなどで活発に運用されていたようです。

Chiyono Sugita J2IX Radio 昭和期 杉田千代乃さん

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日本の女性ハム第1号
   ex J2IX es ex JH1WIX 鈴木千代乃さん


 現在では女性(YL)ハムは大勢活躍されていますが、ではYLハム第1号は誰だったのでしょうか? それはなんと戦前に開局されていた杉田千代乃さん(exJ2IX)です。
 その後は結婚されて鈴木性になりましたが、昭和40年代に再び開局され活躍されました。残念なことに今ではサイレントキーになられています。
 写真は、お元気な頃の鈴木さんで、取材で小田原のご自宅に伺ったときのものです

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<芸能人ハム最新情報>NHKの朝ドラ「ごちそうさん」でヒロイン役の女優、“杏”は第4級アマチュア無線技士の資格を所持!!

月29日に終了したNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」。ビデオリサーチによると、関東地区の平均視聴率が22.3%と、前作の「あまちゃん」を凌ぐ人気だったという。そのヒロインを演じた、モデルで女優の杏(あん)が、実は「第4級アマチュア無線技士」の資格を所持していることを、本人がパーソナリティを務めるラジオ番組の中で告白。Webサイトにもその内容が紹介されている。

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この話題が放送されたのは「モデルで女優の杏が気ままに、おしゃべりをしながら、その時の気分にあった曲を選曲していく、 杏流の音楽番組です」というラジオ番組、「杏のAnytime Andante」だ。同番組はニッポン放送をキー局に、STVラジオ、東北放送、東海ラジオ放送、朝日放送、中国放送、九州朝日放送の各局で放送されている(インターネットラジオでも聴取可能)。

 今回、そのリスナーから「俳優の渡辺 謙さんの娘、杏さんも無線従事者免許を持っているそうです。局免はないようですが、ラジオで話していました」という情報がhamlife.jpに寄せられた。確かに番組の公式Webサイト(3月15日付)には、杏が語ったというアマチュア無線資格に関する下記のような話題が記載されている。

 

■アマチュア無線4級!!

 

杏ちゃんが持っている「資格」は、ダイビング、車、英検、アマチュア無線、大検などなど…。ふだん使うのは、車の免許くらいなんだそうです。

みなさんが意外に思うのは、アマチュア無線の資格でしょうか?小学校の4年生の時の夏休みに、4級の資格を取ったんだそうです。なんでも、6年生の選択授業で、アマチュア無線の資格を持っていないと受けられないものがあり、その授業を受けたくなる可能性があるのでは!? と先読みをして、資格を取得したそうなんですが、結局6年生になっても、その授業を選択することはなかったと…。

杏ちゃんは、何かと先読みしすぎちゃうクセがあるんだそうで、成人式で自分の髪で日本髪を結うために、16歳から髪の毛を伸ばしたり…。いつか大学に行きたくなるかもしれない!と先読みをして、大検をとったり…。成人式では、実際に日本髪を結うことができたんだそうですが、アマチュア無線と大検の資格は、いまのところ、取っただけ…の状態なんだそうです。

 

◇1986年(昭和61年)生まれの杏は、まもなく28歳。「小学校4年生の夏休みに取得した」と紹介されているので、約18年も前からのライセンス保持者ということになり、我々ハムにとっては何か親近感を覚える。それにしても従免の所持だけではもったいない。ぜひ開局してハムの世界を楽しんでほしいものだ。


<女優・杏さんが第4アマチュア無線技士であることが判明した、ニッポン放送「杏のAnytime Andante」の番組Webサイト


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<小渕 優子 JA1LXG


小 渕 優 子(おぶち ゆうこ)<衆議院議員>

【コールサイン】 JA1LXG

ご存じ、父親は故・小渕 恵三元首相。

父親の影響を受けて4級アマチュア無線技士

のライセンスを取得。

国会アマチュア無線クラブ会員。


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<小渕優子衆院議員(JA1LXG)も参加>JARL、6年ぶりに年末の「アイボールミーティング」を開催

また来賓として、JARL会員でもある衆議院議員の小渕優子氏(JA1LXG)が初めて出席し、次のようにあいさつを行った。その全文を紹介しよう。

 

『皆様こんばんは、ただいま紹介にあずかりました衆議院議員のJA1LXG 小渕優子でございます。本日この会が6年ぶりに開催されますことを心よりお慶び申し上げます。またお招きいただいたことを大変嬉しく思っております。

 

 ご承知かと思いますが、私の父(故・小渕恵三 元内閣総理大臣)も「JI1KIT」のコールサインを持っており、国会のアマチュア無線クラブで活動しており、皆様といろいろなご縁を持つことができ、とても喜んでおりました。
 私の父が免許を取ったのは、私が小学校に入る前だったと思います。私がもう少し大きければその時に一緒に取ってしまえばよかったのですが、まだまだ小さかったので。しかし父が一生懸命勉強していたり、アマチュア無線を使っているところを見ておりましたので、よく覚えております。
 父は当時、国会の中でも同じ関心を持つ議員と共に活動を続けていたこと、アマチュア無線の重要性をとても深く理解をしながらやっていたことと思います。そしてご縁をいただいて、私も2004年に皆様のお仲間に加えていただくことになりました。まだまだでありますので、皆様からご指導いただけますように、宜しくお願い申し上げます。

 

 昨年は私の地元、群馬県の渋川市におきましてARDFの選手権が開かれました。私は初めてこの選手権を見させていただいたのですが、素晴らしいなあと思いました。というのはアジア太平洋地域の皆様方がお越しになったのですが、本当に若い方から結構年配の方までいらっしゃって、アマチュア無線の可能性というか、幅の広さ、奥の深さというものを感じた次第であります。そしてこういう選手権が私の地元で開催をさせていただけるということが、大変これもご縁だなあと思い、嬉しく感じました。

 

 今お話を伺っていますと、組織を挙げて若い皆様方にアマチュア無線の良さを知っていただくべく、頑張ってやっていくというお話がありました。確かに皆さん携帯電話をお持ちになって、AIとかIOTとかがどんどん進んでいく中であっても、私はやはりアマチュア無線の良さや重要性を皆様方がよく理解をしていただきたいと思いますし、科学技術の普及のみならず“理科離れ”という話もありますけれど、アマチュア無線を通じて小さい頃から皆さんが関心を持っていただければ嬉しく思うところであります。

 

 今、国会議員の中にもコールサインを持っている人がほかにいないかどうか、いろいろと探しております。ただ、なかなか「アマチュア無線の免許を持っていますか?」とは聞けないもので、皆様方のほうが情報をお持ちじゃないかと思うので、“この人はアマチュア無線に関心があるよ”とか、“コールサイン持っているよ”といった方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいと思います。
 国会のほうも、私が父から引き継ぎましたので、アマチュア無線に対してもより一層普及していけるよう、皆さんと共に力を合わせていきたいと思いますので、どうか宜しくお願い申し上げます。今日のご縁を大切に、また皆さんとお話しできることを楽しみにしておりますので、どうか今後とも宜しくお願い申し上げます。今日は誠におめでとうございました』

 

 さらに総務省総合通信基盤局 電波部長 渡辺克也氏があいさつを行い、その中では『今年の9月にCEPTとアマチュア無線資格の相互承認(相互運用協定)を結んだ。1アマの皆さんはヨーロッパにおいてアマチュア無線の運用や開設が円滑に対応できるようになる。これは今月12月21日に発効する予定だ』という発表も行われた。

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<小野 清子 7M3URU


小 野 清 子(おの きよこ)

【コールサイン】 7M3URU

元国会議員、東京オリンピック(1964)の

体操女子団体・銅メダリスト。

アマチュア無線のライセンスは、

比較的遅い時期に取られた。

元国会アマチュア無線クラブ会員。

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<さくら ももこ JI2EIT


さくら ももこ

【コールサイン】 JI2EIT

お馴染み『ちびまる子ちゃん』の原作者。

まるちゃんの漫画の中にも

ハムを扱っているのがある。

第133話・サブタイトル

「まる子アマチュア無線にあこがれる」の巻。
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<山崎 直子

【コールサイン】 KE5DAS山 崎 直 子(やまざき なおこ)


2010年4月5日にディスカバリーに搭乗。

スペースシャトルは2011年限りで退役、

日本人最期のシャトル搭乗者となった。

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<大橋 照子  JL1GPK

大 橋 照 子(おおはし てるこ) <上>【コールサイン】 JL1GPK

(当時)日本短波放送アナウンサーで、

現在はフリーアナウンサー。

「チェリーちゃん」の愛称で親しまれ、

BCLブームの当時のリスナーに人気絶大だった

アマチュア無線関連雑誌で、子門 真人(JI1KLK)さん

大橋 照子(JL1GPK)さんとペアでご登場して戴いた、

貴重な1ショット。
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<今井 美樹 JE6FCM


今 井 美 樹(いまい みき)【コールサイン】 JE6FCM

歌手&女優としても活躍し、

老若男女を問わず知名度は抜群。

実家(宮崎)は、オーデイオ屋を経営している。


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<たむら ぱん


たむら ぱん(田 村 直 美)【コールサイン】 不明

意外と云えば、なんと「たむら ぱん」さん。

小学生の時にライセンスを取得されている。

因みにアーティストネームの由来は、

苗字の「田村」と、仏語でウサギの意味を持つ単語

「lapin(ラパン)」を組み合わせた。

お馴染みロッテのCF「Fit's」のBGM「狼少年ケン」の

CM ヴァージョン(♪噛むんとフニャン)を手がけた事は有名。


おおおmedia
おおおおindex


<優木 まおみ JM6CRT


優 木 まおみ(ゆうき まおみ)

【コールサイン】 JM6CRT

ご存じ、知的マルチタレントとして有名。

両親がアマチュア無線の愛好家だったので、

小学校の時に資格を取得した。買い物に出かける時など、

無線機を持たされていたそうである。

父親は2級アマチュア無線技士、

母親は4級アマチュア無線技士。

ご本人は4級アマチュア無線技士のライセンスを所持。

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<大村 昆さんの奥様岡村瑤子さん

 JH3PYE


大 村   崑(おおむら こん)【コールサイン】 JH3AHQ

ご存じ上方喜劇界の重鎮。年配世代の方達には、あのオロナミンCのホーロー看板が有名。

藤村 有弘(JH1BAN)の影響を受けて、アマチュア無線のライセンスを取得。

因みに奥様も同じくライセンスを取得。コールサインは、JH3PYE。

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JI1NYO局(YL)松田百香さん(女優)


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Masaco JH1CBX(第3級アマチュア無線技士)

第3級アマチュア無線技士で「JH1CBX」のコールサインを持つ歌手

・Masacoのマキシシングル。「あなたとともに咲かせましょう」とともに、カップリングとして「むせんのせかい」と 題した曲も収録されています

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JH1PSN  東さと

東 さと(ひがし さと、旧芸名:東里東サト1981年12月5日 - )は日本女優モデルタレント歌手である。和歌山県出身、神奈川県横浜市在住。法政大学卒。クリエートジャパンエージェンシー所属。元ねずみっ子クラブメンバー。2005年ミス熱海梅の女王。第四級アマチュア無線技士。


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【募集! 有名人&著名人ハムのQSLカードを見せてください】

 アマチュア無線技士の資格を持つ芸能人、有名人は多い。親がハムだったり、兄弟がハムだったり、単純に趣味で…と、理由はさまざまだが、テレビでよく見る人物が実はアマチュア無線技士の有資格者だったりするのは楽しい。

 歌手の今井美樹(JE6FCM)は、実家が電気店を営んでいたことからハムの免許を取得したらしい。えなりかずき(7L4UPM)は両親共々アクティブなハムで、小学生のころに資格を取得。さらに大村 崑(JH3AHQ)、サンプラザ中野くん(JI1SYF)、辻 仁成(JA8PGZ)、優木まおみ(JM6CRT)などもハムだ。また芸能界以外ではマンガ家のさくらももこ氏(JI2EIT)、NHK解説委員長の柳澤秀夫氏(JA7JJN)、SF作家の野尻抱介氏(JQ2OYC)などもいる。また国会議員や県知事などにも多数のアマチュア無線家が存在するようだ。

 ぜひ、有名人、著名人のアマチュア無線家のQSLカードをお持ちなら、hamlife.jpでご紹介いただきたい。もちろん、ご本人や所属事務所からの連絡も歓迎だ。連絡は電子メールで、メールアドレスは「joho@hamlife.jp」へ。


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Ham Radio Ladies - how to invite More YL Operators to join Amateur Radio




15 Young Ladies as Ham Radio Operators - International YL meeting 2019




Ham Radio Ladies 2016




Operating positions Ham Radio Station N6TLU tour by Emi Shortwave Girl




YL Amateur Radio Operators



rsp.特別広報官 橘さおりのアマチュア無線3級への道 最終回



ライブ配信映像♪【アマチュア無線 女子部】ニコ生と無線 が夢のコラボ♡ フリラー にしよかな?!




アイコムIC-705の基本操作




IC-705専用マルチバッグLC-192のご紹介



【ハムフェア2014】<インタビュー動画・第二弾>「9月20日に東京でワンマンライブやります!!」歌手・


コールサイン  Masaco JH1CBX(第3級アマチュア無線技士)

コールサイン stayhome バージョン
チャンネル登録者数 260人
アマチュア無線をテーマに書いた曲ですが、 お家で過ごす時間が長くなった今、 重なる思いがあって 同じ空の下で繋がってるあなたへメッセージを込めました♪ 心一つに乗り越えましょう!

むこう岸  Masaco JH1CBX(第3級アマチュア無線技士)

ハムのラジオ 公開生放送


 

【アウトドア女子ヒミカコラボ】ライセンスフリー無線のコールサインを決めてデジタル簡易無線デビュー



アマチュア無線 試験編



アマチュア無線 無線運用編


 

アマチュア無線 無線局訪問編



 

「アマチュア無線関連」北海道開拓の村YL(女性)オペレーターによるアマチュア無線公開移動運用





Ladies Ham Radio Year 2012 Number 3






【無線機】山本無線でDCRを買おう!【超大物ゲスト有!】




Top 20 Ham Radio Celebrities #Shorts





















台湾軍が実弾演習公開 陸海空合同、中国念頭に防衛力誇示

2020年07月16日
台湾国防部(国防省)は16日、中部・台中の海岸と周辺海域で、定例の軍事演習「漢光演習」の一部を実施し、報道陣に公開した。中台統一を目指す中国の空軍機は6月、台湾の防空識別圏に4日連続で入るなど、周辺での軍事活動を活発化。軍事的脅威を増す中国を念頭に、大規模な実弾演習により台湾の防衛力を内外に誇示した。

米中軍用機が台湾周辺飛行 防空識別圏に

 三軍の長である蔡英文総統は観閲後、「演習により、国土を守るわれわれの決心と努力を国際社会に見てもらう必要がある」とあいさつ。「国家の安全はこびを売って得られるものではなく、最も堅固な国防が頼りとなる。全ての兵士が防衛の核心だ」と述べ、軍人らを激励した。
 演習は13~17日の日程で実施。16日は、周辺海域に到達した敵軍が上陸を試みる場面を想定し、陸海空軍による攻撃訓練を行った。主力戦闘機のF16や経国号(IDF)をはじめ、艦艇、戦車など48種類の装備が使われたほか、軍人ら8000人以上が動員され、約30分にわたって訓練を続けた。
 一方、16日午後、陸軍の観測ヘリコプターOH58Dが北部の新竹空軍基地を離陸した際に墜落、搭乗していた軍人2人が死亡した。ヘリは漢光演習の一環で新竹で行われた訓練に参加していたという。
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漢光36号演習、戦力保守と緊急発進

中華民国国軍の定例実弾演習「漢光36号演習」は、13日午前に始まった。初日は、中共人民解放軍の軍機の侵攻を想定し、戦力の保守、領空の防衛に重点を置いた。13日早朝、F-16、IDF、ミラージュ2000などの戦闘機と、C-130ハーキュリーズ、P-3C輸送機は午前中に台湾東部、花蓮県の空軍佳山基地に移動、軍港に寄港していた軍艦も一斉に出港し、指定されたスポットに集結し待機していた。

14日は、陸海空の聯合防空作戦演習が行われ、敵機による領空侵犯が発生すると想定し、空軍のIDF戦闘機、ミラージュ2000戦闘機は緊急発進し、陸上の防空隊は陣地で戦闘訓練を行った。

漢光36号演習は7月13日から17日まで、5日間をかけて、実際の兵士による演習が行われている。兵棋演習は9月14日から18日にかけて行われる。

今年の演習では、去年に成立したばかりで、歩兵部隊、装甲部隊、砲兵部隊、軍用ドローン操縦士などで構成された「聯合兵種営」が初めて参加し、混合兵営の単独での作戦能力を検証する。なお、新型コロナウイルスの集団感染のリスクを下げるよう、演習の期間で避難訓練や交通規制は行われない。


漢光視導反登陸操演!蔡:國安非靠卑躬屈膝│中視新聞 20200716




漢光36號演習重要操演課目精華版



20200716 總統視導漢光 36 號演習「三軍聯合反登陸作戰」操演


 


戰在哪打兵在哪訓! 蔡英文視察反登陸聯合操演|寰宇新聞20200716


【完整直播】7/9 三軍聯合反登陸作戰操演 中部海灘實彈發射




漢光反登陸作戰 總統戴迷彩口罩校閱-民視新聞

 


アメリカ海兵隊が新型水陸両用車「ACV1.1」をついに正式発注

  • update:2018/6/

  • 2018年6月20日(現地時間)アメリカ海兵隊は、現用のAAV7に代わる水陸両用兵員輸送車としてBAEシステムズの「ACV1.1」の採用を決定、まずは1億9800万ドルで30両分の低能率生産を開始することになりました。さらにオプションとして204両分の発注がなされ、総額12億ドルという大規模なものとなります。
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    これまでアメリカ海兵隊で運用してきた上陸用の水陸両用兵員輸送車、AAV7は1971年から配備が始まった年代物で、近代化改修をしながら使い続けていますが、いかんせん基本設計の古さは否めず、海兵隊としては次世代の上陸作戦用兵員輸送車の採用を長年模索してきました。いくつかの計画が出ては消え……を繰り返してきたのですが、2015年に「ACV(Amphibious Combat Vehicle=水陸両用戦闘車)1.1」計画が始まり、各メーカーに提案要求がなされていました。

     この提案要求に応募したのがBAEシステムズとイタリアのIVECOの合同チームと、SAIC(サイエンス・アプリケーションズ・インターナショナル・コーポレーション)とシンガポールのSTキネティクスの合同チーム。BAEシステムズ/IVECOはイタリア軍などに採用されている8輪装甲車「SuperAV」をベースにした改良版を、そしてSAIC/STキネティクスは、シンガポール軍ですでに運用されて実績のある8輪装甲車「テレックス(Terrex)」の改良版、テレックス2を提案していました。

  • 各種テストの結果、アメリカ海兵隊はBAEシステムズ/IVECOの候補を仮採用とし、2017年に16両の試作車を発注。そこから更に15か月に亘って様々な状況で使用し、採用の可否を審査してきました。そしてこのたびの正式発注となったのです。

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  • 採用されたACV1.1は全輪駆動の8輪装甲車で、全長7.92m(水上航行用波除版展開時8.8m)、全幅3.1m、全高2.8m。最低地上高0.45mで、不整地を走破するのに重要な前方アプローチアングルが49度、後方デパーチャーアングルが43.5度となっています。空虚重量は26トン(全備重量30.617トン)で、貨物積載量は3.3トン、3名の乗員のほか13名の人員を輸送可能。アルミ製の車体で防弾性能が劣っていたAAV7と違い、装甲は超硬スチールモノコック。耐地雷座席も装備しています。また、C-130に積載して空輸も可能です。ACV1.1

  • イタリアFPT社製のCursor16インタークーラー付きディーゼルターボエンジン(6気筒16リッター・最高出力700HP/515kW・最大トルク3000Nm)を搭載し、トランスミッションはアリソン4800SPの前進7段、後進2段。最高速度は地上(舗装路)で時速105km、水上で6ノットと、水上航行時の速度はAAV7の7ノットより遅くなっています。最高登坂角は60度、横方向では30度の角度まで許容します。最大65cmまでの段差を乗り越えることが可能で、幅2mまでの塹壕を通過可能。最小回転半径は10.2mとなっています。
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    ACV1.1

  • 車両の製造はアメリカのカリフォルニア州、サウスカロライナ州、ミシガン州、ミネソタ州、ペンシルバニア州のほか、イギリスのスタッフォードにあるBAEシステムズの施設で行われます。最初の配備部隊は第1遠征海兵軍(I MEF)を予定しており、受領しての訓練開始は2020年の第4四半期、実戦体制に入るのは2023年を予定しています。

     しかしながら、AAV7は1000両を超える勢力を維持しており、全てを置き換えるのには時間がかかりそうです。AAV7は少なくとも2035年までは現役にとどまる予定とされています。

     日本は新編された水陸機動団用にAAV7を60両弱調達しましたが、三菱重工による国産水陸両用車の開発も続いています。アメリカ海兵隊のACV1.1正式発注により、これからの動向が注目されます。

アメリカ海兵隊の新型水陸両用車 指揮通信型と火力支援型の開発発注

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アメリカ国防総省は2019年6月20日(現地時間)、海兵隊向け新型水陸両用車ACVの新たなバリエーション開発と試作を行うよう、BAEシステムズに発注しました。これは指揮通信型と30mm砲装備型の2種類で、予算は6700万ドル(約71億7000万円)以内とされています。

 アメリカ海兵隊の水陸両用車AAV7の老朽化に伴い、新たに採用が決定したのがACV(Amphibious Combat Vehicle=水陸両用戦闘車)です。イタリア、イヴェコの8輪装甲車SuperAVをベースにし、BAEシステムが主契約社となって2018年6月から低能率生産が開始されています。

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 AAV7より水上での速度はわずかに遅いですが、上陸後の迅速な部隊展開を考えれば、装軌車両のAAV7より装輪車両のACVが優れているといえます。また、装甲もAAV7のアルミとは違い、超硬スチール製で乗員保護能力も高くなっています。

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今回新たなバリエーションとして開発されるのは、それぞれの任務に特化したもの。海兵隊ではMRV(Mission Role Variant)と呼んでいます。そのうちの2種類についての開発・試作が発注されました。

 ひとつは部隊の指揮統制用に、通信機能などを充実させた指揮通信型(ACV-C)。3両の試作車が発注されています。


 そしてもうひとつは、歩兵部隊への火力支援が行える30mm砲装備仕様(ACV-30)の開発設計。現在海兵隊で運用している歩兵戦闘車LAV-25とほぼ同じ仕様であり、2035年に退役が予定されているLAV-25の代替となるとみられます。

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アメリカ国防総省の発表によると、BAEシステムズで行われる開発・試作作業の85%はペンシルバニア州ヨークにある事業所、そして残り15%の作業をサウスカロライナ州エイキンの事業所で行うとされています。これらの作業は2022年9月30日に完了する予定となっています。

<出典・引用>
アメリカ国防総省 プレスリリース
BAEシステムズ プレスリリースImage:USMC

【新型】水陸両用戦闘車 "ACV" の運用テスト - アメリカ海兵隊


アメリカ海兵隊の新型水陸両用車ACV(Amphibious Combat Vehicle)の運用テスト

 


U.S. Marines Test New Amphibious Combat Vehicles





Amphibious Combat Vehicle: Check Out the Marine Corps' Next Super Weapon





NewAmphibious Combat Vehicle "ACV" - U.S. Marines and Navy



A Look Around Britain's BIGGEST Battleground • BATUS | Forces TV




JLTV | el NUEVO BLINDADO multipropósitos del ejército de los Estados Unidos











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