軍用無線のブログ JA2GZU suzuki shinichi

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2020年04月

KENWOOD

株式会社ケンウッド: Kenwood Corporation)は、かつて家庭用オーディオ機器、およびカーマルチメディア機器(カーオーディオカーナビゲーションなど)、無線通信機器(アマチュア無線業務無線など)などを製造・販売していたメーカーである。ブランドステートメントは 「Listen to the Future」、本社は東京都八王子市北八王子工業団地内に所在した。

2011年10月1日に日本ビクターと共に株式会社JVCケンウッドに吸収合併されたが、KENWOODは株式会社JVCケンウッドの商品ブランドとして引き続き使われている。


長野県駒ヶ根市に有限会社春日無線電機商会として設立。当初は高周波コイル(ラジオ受信機の部品)製造からスタートした。山に囲まれ外来電波が届きにくい、すなわち非常に静穏でノイズが少ない電波環境である伊那谷で培った高周波技術がFMチューナー、無線機器の礎となっている(非常に高性能な電波暗室を所有することができた)。

1947年に商標をTRIOとし、1960年には社名もトリオに変更。 オーディオブーム全盛の頃には山水電気(破産済み)、パイオニア2015年3月2日よりホームAV機器事業は全てオンキヨーの完全子会社のオンキヨー&パイオニア(旧・パイオニアホームエレクトロニクス)へ移管)と並びオーディオ御三家とされ「サン・トリ・パイ」と通称された。尤も、1972年に創立者の春日兄弟が社内クーデターで社を追われ、アキュフェーズを設立している。

また、長年アマチュア無線や受信機を手がけてきた技術を評価され「チューナーのトリオ」とも呼ばれていた。アマチュア無線機器ではアイコム、八重洲無線(のちのバーテックススタンダード前身のひとつ)と共に、三巨頭を形成していた。日本で初めてアマチュア無線用送信機「TX-88A」を世に送り出した社である。

2008年での主力商品は、カーマルチメディア機器、家庭用オーディオ機器、無線機器であった。カーオーディオは富士重工業(現・SUBARU)や本田技研工業などに純正オーディオとしてOEM供給した。

かつては単体のラジオ受信機、携帯電話PHSコードレス電話ファクシミリ磁気テープなどの製造、音楽レコードの制作(トリオレコード)を行っていたが、業績の不振で撤退している。

オシロスコープなどの計測機器事業は1996年より子会社のケンウッド・ティー・エム・アイ(Kenwood TMI Corp.)が開発・製造・販売を行っていたが、2002年に日本毛織へ譲渡。2006年12月1日より株式会社テクシオ(TEXIO CORPORATION)に社名変更を行っている。

デジタルオーディオプレーヤー市場には、2001年初頭にWMAフォーマット対応のCDプレーヤータイプで参入。2005年にフラッシュメモリタイプで参入。当初はクリエイティブ社のOEM供給を受けていた。またのちにはMEDIA kegシリーズでリニアPCMレコーダーを発売したことがある(ただし2011年度をもって生産終了)。

かつて、TDKからOEM供給を受けて、コンパクトカセットを販売していた。


日本ビクターとの経営統合

2006年12月、松下電器産業(現 パナソニック)から日本ビクターを買収する交渉に入ったという報道がなされたが、最終的には条件が折り合わず見送った。

2007年7月24日、日本ビクターが8月10日に総額350億円の第三者割当増資を行い、2008年に持ち株会社による経営統合することを前提にケンウッドが200億円、スパークス・グループが150億円を引き受け、業務・資本提携で合意。10月1日、折半出資で技術開発合弁会社、J&K テクノロジーズ株式会社を新設。カー及びホームエレクトロニクス技術開発のコラボレーションがスタートした。

2008年6月27日、10月1日に共同持株会社・JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社(本店は横浜市のビクター本店内)を設立し、経営統合することが株主総会で承認された。ケンウッド及びビクターは9月25日に上場廃止。共同持株会社・JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社が10月1日に設立・上場され、ケンウッドは同社傘下の事業会社となった。

2011年5月13日、10月1日にケンウッドを含む3事業会社と、JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社(8月1日に株式会社JVCケンウッドに改称)が合併する計画が発表された。10月1日に予定どおり合併が行われ、株式会社ケンウッドなる法人は65年の歴史に幕を下ろした。


春日無線工業 トリオ(TRIO)

昭和21年(’46年)長野県駒ヶ根市に有限会社春日無線電機商会として産声を上げ、当初、ラジオ受信機の部品である高周波コイルの製造からスタートした。
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“トリオ”の商標を使っていた同社は、その後 ’50年、春日無線工業株式会社と社名を変え、受信機の開発を始め、’52年に発売した第1号の受信機が6R-4Sである。
写真のように、Hallicrafters S-38を模倣したデザインと回路構成であり、同年に再開されたアマチュア無線や漁業無線をターゲットにしていたため、短波のハイ・バンドやモールス信号受信に対応することで、人気を集めてた。その後さらに高性能な9R-4シリーズを発売するなど、山に囲まれ放送波などの微弱な電波環境である伊那谷で培った高周波技術がFMチューナ、無線通信機器の礎となっている。

▲春日無線工業(現ケンウッド) 第1号の短波受信機 6R-4S
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1954年には9R-4と9R-42が発売される。両者のちがいは受信周波数帯で9R-42はアマチュア無線で使いやすい区分になっている。構成は高1中2で一部MT管だがGT管が多用されていた。いずれもスピーカーと出力トランスは6R-4Sと異なり内蔵されていない。4年後に改良版の9R-4Jと9R-42Jが発売されたが整流管を除いてMT管となりBFOピッチコントロールが加わった。またケースの外寸も幅以外は若干小さくなってカラーも黒のちりめん塗装からグレーに変わった。
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TRIO JR-200 通信型受信機 取り扱い説明書

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TRIO JR-500S 通信型受信機 インストレーションマニュアル

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TRIO 9R-59DS 通信型受信機 取り扱い説明書


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日本で初めてアマチュア無線用送信機「TX-88A」

TX88Aは,1960年にトリオ(現ケンウッド)からキットで販売されたオールバンドの送信機です。時を同じくして受信機9R59も発売しています。TX88Aは1年前のTX88のマイナーチェンジ版というよりは,まったく新しく設計された別物でした中身は,高周波回路としては,水晶発振またはVFOを受けての第1周波数逓倍(マルチプライヤー)に6AQ5,第2逓倍または励振(ドライバー)アンプに同じく6AQ5,終段にUY-807という構成で,CW時には入力17.5W,出力10W,また変調器としてマイク・アンプとドライバーに12AX7,ドライバー・トランスを経て,プッシュプル出力に6BQ5x2という構成で,AM時には入力25W,出力10W,電源は整流管に5U4G,という仕様です。オール・バンドという用語は普通,3.5MHzから28MHzまでのHF帯を指していましたが,当時としては画期的なことに国内で人気の高いVHFの50MHzを含む6バンドでした。電話級最大の10Wをフルに出せ,おまけに50MHzまで出れましたので,ペアの9R59(C)とともに一世を風靡し日本の標準機となりました。しかし,UY-807で50MHz専用なら大丈夫なのですが,オールバンドではロータリスイッチ周りの配線の引き回しが余分に必要なため,トラブル・メーカとなりました。ちなみに春日無線(トリオ,現ケンウッド)は戦後の5球スーパ時代が到来した時にラジオ用IFTやコイルの販売から出発した戦後のメーカですが,1954年にハム用受信機キット9R42J(K)を発売,1955年には国内初の送信機キットTX-1(UY-807,10W,3.5/7MHz)を販売しています。1956年には9R42Jの5球スーパ版,6R-4も販売。1958年には9R42Jの完成機も発売,1959年にはTX-1よりも小型のTX88(3.5MHz/7MHzの2バンド,終段6AR5)も販売しました。今日の視点で眺めてみると,C級アンプは能率の点では最も良いのですが,半面これを3段も重ねると高調波の漏洩は当たり前,しかもフィルタは終段のパイマッチ以外無く,周波数カウンタもスペクトル・アナライザも無い時代,初心者向けとしては最も難しい機械だったようです。
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TX-88A


ケンウッドの歴史解説(音声)






TS-990が出来るまでケンウッド山形工場




Building the TS-990 at JVCKENWOOD Yamagata | JVCKENWOOD








Ham Fair Tokyo 2019 KENWOOD Booth【ハムフェア東京2019 ケンウッドブース】




ハムフェア2013 ケンウッドTS-990プレゼンテーションステージ  | JVCKENWOOD




Special interview with the developer in charge of the TS-990 | Section 4: Operation | JVCKENWOOD




TS-990開発責任者 スペシャルインタビュー 操作編 | JVCKENWOOD




TS-990開発責任者 スペシャルインタビュー 送信・ディスプレイ編 | JVCKENWOOD




TS-990開発責任者 スペシャルインタビュー 受信部編 | JVCKENWOOD





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TRIO  6R-4S





TRIO  6R-4S




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TRIO  9R-4J




TRIO 9R-59



TRIO 9R-59




TRIO 9R-59 REPAIR



TRIO 9R-59D






TRIO 9R-59D







KENWOOD RADIO






HAM RADIO  ELECRFT YAESU ICOM KENWOOD

 


KENWOOD COMMUNICATION






1972年に創立者の春日兄弟が社内クーデターで社を追われ、アキュフェーズを設立

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春日無線 KA-43SEⅡキット
 



FM真空管ラジオ 春日無線電機商会 AF-252





真空管ラジオ 春日無線電機商会  5M-24








真空管ラジオ 春日無線電機商会  5M-22







2016年12月21日をもって設立70周年を迎えました


ケンウッド設立70周年記念モデルとして、「TRIO」ロゴを冠し70台限定発売

HF / 50 MHzトランシーバー「TS-590SG70」を発売

~フロントパネルに「エレガント クリスタル ブラック」の特別仕上げを採用~


株式会社JVCケンウッドは、ケンウッドブランドより、ケンウッド設立70周年記念モデルとして、「TRIO」ロゴを冠し、特別仕様としたHF / 50 MHzトランシーバー「TS-590SG70」を9月中旬より、70台限定(要予約)で発売します。予約は、7月24日から9月6日まで、当社無線機商品の取扱い販売店にて受け付けます。

【ケンウッド設立70周年記念モデルについて】

当社が展開する「KENWOOD」ブランドを生み出した旧 株式会社ケンウッドは、昨年、設立70周年を迎えました。本機は、これを記念して発売する限定商品(数量限定70台)です。「KENWOOD」ブランドの前身である「TRIO」時代より、長くアマチュア無線を楽しまれているユーザーの皆様に親しんでいただいた「TRIO」のロゴを本機限定で、フロントパネルのバッジに採用した特別仕様となっています。



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ラジオの修理、組み立て販売からはじまった旧株式会社ケンウッドは、前身である旧有限会社春日無線電機商会の創業から、昨年2016年12月21日をもって設立70周年を迎えました。現在の「KENWOOD」ブランドの前身である「TRIO」ブランドの時代より、オーディオ製品や無線機などのブランドとして、ユーザーの皆様に親しんでいただいてきました。

アマチュア無線商品においては、なかでも1966年に当社初のHFオールバンドSSBトランシーバーとして発売した「TS-500」をファーストモデルとする“500番台シリーズ”は、無線機の基本性能である送受信機能の向上を図るとともに、コンパクトさ、使いやすさの充実等、ブラッシュアップを重ねてきた「TRIO」ブランドのアマチュア無線分野の代表的な製品であり、多くのユーザーの皆様から好評を得てきました。

このたび、ケンウッド設立70周年を記念するとともに、「TRIO」時代からご愛顧いただいてきたユーザーの皆様への感謝を込めて、特別仕様の限定モデル「TS-590SG70」を発売します。

本機は、好評の現行モデルHF/50MHzトランシーバー「TS-590SG」(2014年11月発売)をベースに、「TRIO」ロゴをフロントパネルバッジに採用し、フロントパネルを高級感ある「エレガント クリスタル ブラック」仕上げとしたほか、限定シリアルナンバーを付与しています。さらに、購入者全員に、ケンウッド設立70周年記念特製コールサインプレートも進呈します。

「KENWOOD」ブランドを生み出した旧 株式会社ケンウッドが設立70周年、また「JVC」「Victor」ブランドを生み出した旧 日本ビクター株式会社が設立90周年を迎え、当社が展開する3大ブランドは、ともに長くご愛顧いただきながら、ひとつの節目を迎えました。信頼と歴史を積み重ねてきた、この3つのプロダクトブランドを、当社の大きな強みとして、より一層強化していきます。



TS-590






HF/50MHz帯 トランシーバー

TS-890SNEW

448,000円(税抜き)

出力:100W 2アマ免許

技術基準適合証明取得機種

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448,000円(税抜き)

出力:50W 3アマ免許

技術基準適合証明取得機種


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HF/50MHz帯 トランシーバー

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448,000円(税抜き)

出力:100W 2アマ免許

技術基準適合証明取得機種






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TRIO KENWOOD TR-2200, TR-2200G, TR-2300. 2m FM ham radio transceiver アマチュア無線機 трансивер






KENWOOD TS511S v.s. TRIO TS511D Ham radio HF transceiver КВ-Трансивер





株式会社JVCケンウッド 社員の一日




JVCケンウッドってどんな会社なの??教えます!





JVCケンウッド 企業ビジョン 「感動と安心を世界の人々へ」






JVCKENWOODancing <4K short ver.>




ケンウッドCM集




JVCケンウッド、AVナビゲーションシステム彩速マスターモデル「TYPE M」発表会 #PR




Soldering, Screw Driving with UR3 at JVC Kenwood Indonesia - Japanese subs




【操作編】シャトルにケンウッド MDV-M907HDF(フローティングナビ)がやってきた!




[InterBEE2017]JVCケンウッドブース




Ham Nation - A Short Interview with Kenwood's Senior Engineering Specialist, Toshio Torii





地球の街角 ラジオ少年の夢、育んで  東京・秋葉原 19961229 W-VHS














































Just How Powerful is USA 20mm Phalanx CIWS












WW2 SPY RADIOスパイの無線機
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WW2 SPY RADIO SET DEMO (paraset) from the Secret Wireless War DVD



















Agent Radio WW2 Type 3, MK2, SOE




German WW2 Spy Tranceiver, SE109/3





SR-6 CIA "Stay Behind" Spy Radio




KYYNEL, WW2 AGENT RADIO




WW2 SPY Radio PRC-1




1950s RS-6 Spy Radio Station






Soviet SPY Radio R-353 Proton (Tutorial)








PARASET Spy Radio OSS SSTR 1 part 2 2 OSS




Strategic Service Transmitter Receiver Number I (SSTR-1)





OSS Technology Film - Joan and Eleanor.flv





WW2 German Army Radio Detection











Spy Sorge" trailer







Clip Numbers Station | Estação Radio Numerica | Estación números | Spy Radio



 

冷戦期のスパイが残した「旧ソ連の無線機」がドイツの森で発見される

2020/02/20
  • ドイツケルンの森にある地中から、旧ソ連スパイが残したと思われる「高性能無線機」が発見される
  • 無線機が埋められたのは、東西冷戦期の1989年頃で、ソ連が西側の情報を得るために準備したものと思われる

ドイツ西部のケルン近郊の森で、冷戦時代のスパイが残したと思われる「旧ソ連の無線機」が発見されました。

無線機は、昨年8月に、ドイツの考古学研究チーム(LVR)が偶然に発見したものです。

研究チームエーリッヒ・クラッセン氏は「ローマ時代の遺跡を探しているときに見つけた」と話します。同地は、かつてローマ時代の集落があった場所としても知られます。

発見以後、研究チームが無線機をくわしく調査する中で、多くの秘密が明らかになってきました。

東西冷戦期に持ち込まれた

発見時の無線機は、ネジで密閉された大きな金属製のボックスの中に納められていました。

バッテリーが切れてから、少なくとも30年は経過していますが、ボックス内の無線機や付属品は、すべて包装紙で丁寧に包まれていました。

クラッセン氏によると、「これは無線機が工場出荷時の状態にあり、一度も使われなかったことを示す」ようです。

調査の結果、無線機は、1987年にソ連で製造されたモデルR-394KM」の送受信機と特定されました。R-394KMは、「Strizh」というコードネームを持っており、これは英語の「Swift(迅速)」を意味します

クラッセン氏は「おそらく無線機は、製造後すぐにソ連のスパイによって西欧世界に持ち込まれたもの」と推測します。

当時のヨーロッパは、「東の共産主義」と「西の資本主義」とに分断した冷戦時代にありました。ドイツも東西に分裂しており、無線機の発見されたケルンは、西側に位置しています。

クラッセン氏は「ソ連のスパイが、西側の情報を入手して、ソ連政府に送っていた可能性が高い」と指摘します。

無線機が地中に埋められた年代は、東西冷戦が終結する前の1989年頃のようです。

忘れ去られた無線機

調査の結果、無線機は非常に性能が高く、半径1200キロの範囲ならメッセージの送受信が可能だと判明しました。

この距離は、西側のケルンから、当時ソ連側に属していたポーランドのワルシャワに十分届く距離です。

しかし、この無線機が使われることはありませんでした。このことから、この無線機は、他に使用されていた無線機の予備だった可能性も考えられます。

結局、冷戦は終わりを向かえ、無線機はそのまま土の中で忘れ去られたのでしょう。

このまま事件は闇の中と思いきや、研究チームの調査により、無線機を準備した人物を暗示するヒントが見つかっています。

というのも、発見された無線機には、他の「R-394KM」に見られるキリル文字ロシア文字)の印字がなかったのです。その代わりに、英語で使われるローマ字が印字されていました。

これは無線機が、ロシア人のためでなく、英語話者のために作られたことを示します。この点から、ソ連が準備したものではない可能性も浮上しますが、もちろん、ソ連側があえて印字したカモフラージュとも取れるでしょう。

しかし、埋められてからかなりの時間が経過しているため、これ以上の秘密が明かされることはなさそうです。

無線機は、現在、ドイツ・ボンにあるLVR-ライン州立博物館にて展示されています。


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ゾルゲ事件で使われた無線機
ゾルゲ事件は昭和8年、(1933)ドイツの新聞特派員を名乗って東京に潜入したリヒアルト・ゾルゲ(1895-1941)により組織されたスパイ団によって収集された機密情報がソ連に送られた事件である。この組織は昭和16(1941)年10月18日に摘発されたが、関係者に日本政府中枢に近い人物が含まれていたこと、独ソ戦の推移に大きな影響を与えたところから20世紀の歴史上重要な事件である。
 収集された情報を本国に送るには、主に短波送受信機による暗号通信が使われた当館では参考文献(1),(2)により、当時使用された無線機を復元した本稿では無線機の復元を通して無線を担当した技術者マックス・クラウゼン(1899-1979)の視点でこの無線機について述べることにする送信機については鮮明な写真がなく、(写真4)に示す不鮮明な写真(1)と鑑定書の記述からその内容について検討するクラウゼンが送信した相手方はウラジオストックまたはハバロフスクといわれているが、このためには1000km以上の到達距離を実現する必要がある。
クラウゼンは大陸で活動していた頃からほぼ同じ回路図で送信機を製作している(2)。
3種類残されている回路図は細部が微妙に異なるが、基本的にその方式は小型送信管UX210を2個直列にしたハートレー回路を基本にしたアームストロング式である。
この回路は当時日本で超短波治療器にほとんど同じ回路が使用されており(11)、簡単な割に信頼性は高かったと思われる。
調書によればクラウゼンはアメリカARRLのアマチュア・ラジオ・ハンドブックを参考にしたと証言している。
この回路は発振管が整流管を兼ねるもので、B回路を直接キーイングすることでハム音を変調したA2電波を発生する。

 実際の運用では中華民国で非公式に用いられたコールサイン”AC”を使い、相手方はこれも中華民国に割り当てられた”XU”(中国の正式なコールは”XG”)、7MHz帯のアマチュア・バンドの近くの周波数を使い、暗号部分以外はQ符号を多用するなどしてアマチュアの交信に偽装していた。
鑑定書によればアンテナは発見されないように室内に張られた6mの裸線で、2階で使用したためアースはアンテナと同じ長さのカウンター・ポイズであった。
この低いアンテナ利得を補うためにUX210の規格425Vの倍以上のAC800VのB電圧をかけて無理矢理送信出力20-24W(空中線電力15-20W)を絞り出すという危険な代物で、真空管がもたないため連続で送信できたのは30分以内という。
また、この送信機の絶縁はベークライトパネルに頼り、シャーシ上のほとんどすべての金属にB電圧がかかっているという非常に危険なものである。

 送信機の製作には受信機と異なり特殊な部品が多く、クラウゼンは入手の困難さを予想して電鍵(外国製)とRCA製の送信管は上海から来日するときに携帯してきたが、UX210はこれも小型送信管であるUY-807等と同様拡声器用としても使われたので国内での入手も可能であった。
鑑定書によると真空管のソケットはアメリカ製のもの、バリコンは大型(写真中央)が七欧製7枚物、中型(同左)が早川製9枚物となっているが、形状から送信用ではなく、旧式な受信用バリコンと思われる。
プレート/グリッドコイルは当時アマチュアが一般的に行ったように銅のガソリンパイプを加工して製作された。
電源フィルタ用チョークコイルも手製である。
写真には大型のトランスが写っているが、これは野路製作所製RT-182B型で、2次400V130mAセンタータップ付き、7.5V 7A(2.5Vタップ付き)という仕様である。野路製作所の資料は発見できなかったが、同時代の日本無線などの資料(10)を見ると、これに近い仕様のトランスは45p-pなどの大型電蓄、拡声器用として製造されていた。
両波整流用のセンタータップ付き巻線の両端を使うことで800VのB電圧を得ている。
また、7.5Vのフィラメント電圧は一般的でなく、2.5Vと5Vの巻き線をつなぎ、途中のタップにバイアスをかけたものと思われる。
トランスはかなり重いため携帯せず、送信場所にあらかじめ設置してあったという。捜索では2個押収されている

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コノノフ事件
コノノフ事件 ●昭和46年7月21日警視庁検挙
 この事件は、ソ遠の情報機開員とみられる
  在日ソ遠大使館付武官補佐官
   ハビノフ・E・S (当時36歳)
   コノノフ・L・D (当時38歳)
が、在日米空軍横田基地に出入りする
  通信部品販売ブローカー A
をエージェントとして米軍機密資料の収集を企てていたスパイ事件である。
 ハビノフは、米空軍機密であるF4ファントム戦闘機搭載のミサイル、レーダー等に関するテクニカル・オーダー(技術指示書)の収集を企て、米軍払い下げ通信機のブローカーとして在日米空軍横田基地に出入りしていたAに目を付け、昭和45年6月ころ、東京都内秋葉原商店街で買物中のAに言葉巧みに接近し、米軍用機器の部品を破格の対価で購入するなど急速に接近していった。
 薬局を開業して安定した生活をしたいと考えていたAは、多額の金銭に目がくらみ、徐々に高度な資料を要求しばしめたハビノフや後任のコノノフと1年間に29回の密会を重ね、約600万円の報酬を得ていた。
 昭和45年9月15日ころ、ハビノフは、米軍機密に属するファイヤーコントロールレーダー、空対空ミサイル関係部品等のテクニカル・オーダー43点の品目リストをAに手渡し、その人手を要求した。
 要求を受けたAは、生活費に窮していた知人の在日米空軍横田基地勤務の米軍人に、この品目リストとともに現金20万円、時価14万円相当のトランシーバーを与え、更に多額の報酬を約束の上、機密文書の不法人手を働き掛けた。
 ハビノフは1年後の昭和46年にソ連に帰国したが、その約1ヶ月前にAにコノノフを紹介し、引継ぎを行うとともに、スパイの誓約書に署名させた上、ソ逮との直接交信用の暗び表、乱数表、タイムテーブルのいわゆるスパイの七つ道具を手渡し、本格的スパイに仕立てヒげた。
 警視庁は、昭和46年7月21日、Aを逮捕するとともに、同年7月29日、Aと密会しようと東京都内の駐車場に現れたコノノフに対し、任意出頭を求めたが、外交特権の壁に阻まれ、コノノフは現場から去り、翌日、急きょ帰国した。Aは、昭和48年1月11日、東京地方裁判所において、刑事特別法違反で懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた。


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