( 2 ) 串木野マグロ船団と清水港

昭和30年初めから、串木野マグロ船団は清水港を基地として、三陸沖、小笠
原諸島近海、南太平洋に出漁した。清水港の他、焼津港、三陸沖では釜石港
を基地としていた。39トン型の航海日数は30日程度で基地へ戻る。
どこの港も串木野船団であふれていた。入港すると水揚げ待ち状態であり、
水揚げが終わると次の出港準備にかかる。つかの間の休みは、若者は夜の町へ
と繰り出す。船員も遠く故郷を離れ、ピストン操業で士気の低下や
市内で飲んで喧嘩沙汰や事件を起こす者もいた。入港時に下船する者も多かった。
そのため、船主は船員の確保に苦労した。39トン型の頃は漁願相撲や正月は必
母港に帰港し、その間にも帰港していた。釜石港から帰港する時はリンゴの木箱
を持って帰った。中を開けると籾殻の中に入った赤いリンゴ(紅玉)が入っていて、
この酸味が強いリンゴは何もなかった時代、家族の良い土産となった。
清水港では清水銀座『中満』の最中や缶詰会社から「みかん缶詰」を
土産に買って帰った。昭和40年代になるとマグロ船の
大型化や漁業経営の合理化のため、母港への帰港が少なくなり、
半年以上、家を留守にすることが多くなってきた。このため家族は清水港
などの入港に合わせて、会いに行くことが多くなった。
大阪まで急行寝台列車に新幹線に乗り継ぐか、そのまま清水駅まで
直行列車で行く。清水の宿泊先は「みかづき旅館」「ホテル東海(かなり後になってから)」
「三保屋旅館」「船橋」「えびす屋」で船主は「南栄館」が利用された。

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昭和44年(1969)は、39トン型マグロ漁船の転機の年であった。
1月13日(金)に第8漁吉丸の遭難などがあり、
安全操業や労務管理の問題について、漁協や船主組合、船
員組合で話し合いが行われ、マグロ船の大型化が進められた。
串木野のマグロ船は、清水港・焼津港を基地として操業していたため、本浦
船員組合では、串木野マグロ船団の漁労状況や船員の労務についての調査のた
めに、清水へ2月、3月職員の派遣を行った。4月14日(月)
、清水市では、市役所で串木野マグロ漁船団15周年記念式典
と新市場で大漁祈願祭が行われ、串木野満留市長、松元漁業組合長、冨永市議
会議長をはじめ、多くの関係者が出席した。

(3)清水港水揚げの思い出   寺田修
父の仕事の関係で串木野を離れ、特急「霧島」で清水駅に降り立ったのは昭和
33年8月27日だった。工業高校卒業後2年が経ってから(有)丸新商店に入社し
て石油部に所属し、現在に至っている。昭和44年頃は串木野のマグロ船は39トン型から
48トン型へ、エンジンは焼玉からディーゼルへの過渡期だった。焼玉エンジンでは始動性が悪
く、エアーを使い果たす船もいたが、そんな時はタンク船からエアーホースをマグロ船側に繋いで
補充した。ビンナガマグロの時期は航海日数も短く、当時の清水魚市場の岸
壁には串木野のマグロ船が2重から3重に繋ぎ、多い時は4重にも繋いで水揚げを待っていた。
そんな時は魚市場の場外までも水揚げされ、通常夜の8時から10時頃に始まる水揚げも、こ
の時期になると夕方5時頃から水揚げすることもあった。(船側では
翌朝の競り開始までにかなりの時間があったため、途中、マグロに海水を散布したりして、
鮮度保持に苦労されていたみたいだった。)

出航時間は現在の午前11時頃ではなく、飲み屋(バーやクラブ)の営業時間終了後の
午前1時頃にホステスさん達の見送りを受けて、舫いを離し出港していった光景が記憶
に残っている。小生の石油部の仕事は重油の積込みだったが、宮崎のカツオ船
と串木野のマグロ船の入港が重なる時期には、朝5時から夜10時過ぎまで、夕食抜きで
2か月間位、日曜日も無く毎日働いていた。船員さんも「イタコ1枚下は地獄
の一丁目」と言うように、大変な重労働を強いられた時代だった。
思い返せば大変な時代、先人たちの御苦労のお陰があって
、現在の「日本一マグロの町串木野」があるように思い、長い年月が経った今も、串木野の旧友
達と親交を深められることに幸せを感じている

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乗船実習報告⑪ 合同授業②(無線方位測定機)