軍用無線のブログ JA2GZU suzuki shinichi

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2017年01月

左から
陸上自衛隊 与那国駐屯地
米海軍 赤尾嶼射爆撃場
航空自衛隊 第53警戒隊(宮古島)
J/FPS-2(J/FPS-7へ更新予定)
【国防】与那国島で歓迎される自衛隊 ホテルや民宿は満杯、住民税も増収でミニバブルの経済効果[1/28]
日本最西端の島・与那国島(沖縄県与那国町)は、東京から約1900キロ、沖縄本島から509キロ、台湾からも111キロ、武装した中国海警艦が領海侵入を繰り返す尖閣諸島まで約150キロの位置にある。東シナ海と太平洋に挟まれた国境の島である。
 本来ならば、他国のように国境警備隊が常駐してもおかしくないが、最近まで、たった1人の自衛官すら存在しなかった。島内2カ所にある駐在所の警察官2人が持つ拳銃2丁だけが、島を守る武器だった。
 島の人口は、最盛期の約1万2000人(戦後の混乱期に3万人説もある)から減少し続け、2015年の人口は、わずか1489人。地場産業の停滞で雇用も行き詰まり、高校がないため子供の進学に合わせて一家で離島する者も多かった。これでは、いつか「海上の限界集落」と化し、尖閣諸島と同様、無人島への道を歩みかねない。
 過去には、麻薬や中国製トカレフなどの密輸、ベトナムのボートピープルが上陸する事件もあった。尖閣諸島に最も近い島として、東シナ海の覇権を狙う中国の圧力や、台湾・中国漁船の領海侵犯などを考えると、安閑としてはいられない。
 昨年3月、この与那国島に朗報が届いた。民主党政権時代に頓挫した陸上自衛隊・沿岸監視隊の配備がやっと実現したのだ。すでに島内2カ所、26ヘクタールの土地に、レーダーサイトや貯蔵庫などの諸施設、隊舎や家族宿舎も完成した。

 これまで「防衛の空白地」だった南西地域の防衛力強化の一環である。船舶や航空機を24時間監視し、尖閣諸島周辺の中国軍などの情報収集が主な任務である。隊員約160人と家族約90人が新しい住民として暮らす。島人口の約6分の1を自衛隊関係者が占めることになる。
 自衛隊の関連工事で、600人ほどの作業員も島に入り、ホテルや民宿は満杯だ。コンビニやガソリンスタンドの売り上げも増加し、ちょっとしたミニバブルの経済効果が出ている。住民税も増収となり、一部の基地反対者を除く島民たちは歓迎した。
 防衛省はさらに、防衛力を高める「南西シフト」を進めている。2018年度末までに、鹿児島・奄美大島に警備部隊とミサイル部隊を計550人規模で、沖縄・宮古島に700~800人規模で配備する。19年度以降も、沖縄・石垣島に500~600人規模の警備部隊とミサイル部隊を配備する計画がある。
 米海軍第7艦隊の司令官であるロバート・トーマス中将は「対立の激しい南シナ海を安定させる役割として、日本の自衛隊による哨戒活動に期待する」と発言している。
 この際、日米同盟をさらに強化して、尖閣諸島で自衛隊特殊部隊の訓練や、海難防止対策としての灯台建設などを段階的に進めるのも抑止力の1つではないだろうか。
 ■山本皓一(やまもと・こういち) 1943年、香川県生まれ。日大芸術学部を卒業後、渡米。出版社を経て、フリーランスのフォト・ジャーナリストに。世界各国のルポルタージュや、湾岸戦争、ソ連崩壊、北朝鮮などをカバー。近年は尖閣諸島や北方領土、竹島など、日本の国境の島々を取材する。著書に『日本人が行けない「日本領土」』(小学館)、『日本の国境を直視する1、2』(ベストセラーズ)、『日本人がもっと好きになる尖閣諸島10の物語』(宝島社)など

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自衛隊 レーダーサイト


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レーダーサイト






ガメラレーダーサイト







航空自衛隊加茂分屯基地、男鹿半島








日本のレーダーサイト
専守防衛を国是とする日本においては、いかにして奇襲に対処できるかが重要な命題であり、そのためにレーダーサイトの必要性が高まっている。航空自衛隊のレーダーサイト(航空警戒管制部隊)は、以下の通りである。レーダーサイトは、山頂又は海岸沿いといった僻地に設置されることが多く、航空救難団ヘリコプター空輸隊が三沢・入間・春日・那覇に配備されており、CH-47J大型輸送ヘリが、特に離島等のレーダーサイトへの物資補給などを行っているが、近年の交通網等の発達によりレーダーサイトも都市部へのアクセスは容易となっている。隊員を輸送するため民生品のマイクロバスなどをサイト用人員輸送車として配備している。

幹部の兵器管制官と空曹・空士の警戒管制員が配置されているが、主に要撃戦闘機との交信は無線機等を遠隔操作し、DCと呼ばれる防空司令所で行われている。日本のレーダーサイトには、警戒監視を行う監視小隊、レーダー・通信機器の整備・管理を行う通信電子小隊や、基地の施設管理や炊事・警備を行う業務小隊等が編成されており、常に配置に就いている。重要影響事態が突発的に発生した場合に備え、宮古島などの一部のレーダーサイトには、平素から外国の軍隊が使用中の電波を傍受・分析するための設備として「地上電波測定装置」が併設され、稼働している。現に、航空自衛隊の地上電波測定装置は、大韓航空機撃墜事件の真相解明に活躍したことがある。
北部航空方面隊 北部航空警戒管制団
稚内 第18警戒隊 - J/FPS-2(地上電波測定装置併設)
網走 第28警戒隊 - J/FPS-4
根室 第26警戒隊 - J/FPS-2A(地上電波測定装置併設)
当別 第45警戒群 - J/FPS-3改
襟裳 第36警戒隊 - J/FPS-20S・J/FPS-6S
大湊 第42警戒群 - J/FPS-5B
山田 第37警戒隊 - J/FPS-2
加茂 第33警戒隊 - J/FPS-3改
奥尻島 第29警戒隊 - J/FPS-4(地上電波測定装置併設)
中部航空方面隊 中部航空警戒管制団
大滝根山 第27警戒群 - J/FPS-3改
佐渡 第46警戒隊 - J/FPS-5B
峯岡山 第44警戒隊 - J/FPS-4
輪島 第23警戒群 - J/FPS-3改
御前崎 第22警戒隊 - J/FPS-2
経ヶ岬 第35警戒隊 - J/FPS-3改
笠取山 第1警戒群 - J/FPS-3A改
串本 第5警戒隊 - J/FPS-20S・J/FPS-6S
西部航空方面隊 西部航空警戒管制団
高尾山 第7警戒隊 - J/FPS-4
見島 第17警戒隊 - J/FPS-2(J/FPS-7へ更新予定)
海栗島 第19警戒隊 - J/FPS-2(J/FPS-7へ更新予定)
脊振山 第43警戒群 - J/FPS-3A改(地上電波測定装置「J/FLR-4」併設)
福江島 第15警戒隊 - J/FPS-4(地上電波測定装置「J/FLR-4A」併設)
下甑島 第9警戒隊 - J/FPS-5A
高畑山 第13警戒群 - J/FPS-7
南西航空混成団 南西航空警戒管制隊
沖永良部島 第55警戒隊 - J/FPS-7
久米島 第54警戒隊 - J/FPS-4
与座岳 第56警戒群 - J/FPS-5C
宮古島 第53警戒隊 - J/FPS-2(地上電波測定装置「J/FLR-4A

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・北部航空方面隊 HEAD WORK
 124.9000
・中部航空方面隊 OFF SIDE
 124.9000
 133.9000
・西部航空方面隊 DIALECT
 133.9000
・南西航空混成団 RODE RICK
 133.9000
*防空識別圏内を飛行するVFRの航空機で
 事前調整と違う飛行を行う場合。
 自衛隊訓練空域を飛行するVFRの航空機
 は各レーダーサイトに通報する。
*佐渡島以北の日本海側及び伊豆半島以北
 の太平洋側を飛行する際は124.9000MHz
 を使用する。

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左から
航空自衛隊 浜松基地
航空自衛隊 第22警戒隊
航空自衛隊 静浜基地
米海兵隊 沼津海浜訓練場

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上より
陸上自衛隊 北富士駐屯地
陸上自衛隊 北富士演習場
陸上自衛隊 東富士演習場(滝が原駐屯地)(小山 富士学校)
             (米軍第Ⅲ海兵師団キャンプ富士)
陸上自衛隊 板妻駐屯地
陸上自衛隊 駒門駐屯地
米海兵隊 沼津海浜訓練場
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米海兵隊 沼津海浜訓練場

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昔はこの今沢海岸に沖縄から海兵隊が上陸用舟艇で御殿場のキャンプ富士まで米軍の憲兵が交通整理して戦車など車両が行進してました・・1週間まえから今沢海岸に米兵がPRC-47を設営して沖縄の基地と短波で交信してたのを覗きにいきました

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AN/PRC-47 2MHz~12MHz( 1KHzステップ )SSB USBのみ  100W  電源はなんと水銀BATTでした この電池のジャンクが高く売れました・・なんたつて銀ですから

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AN/PRC-47 2MHz~12MHz( 1KHzステップ )SSB USBのみ  100W・・・4台保有してましたが・・


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ブラタモリ「築地」



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タモリ倶楽部 模型

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無題
ブラタモリ「秋葉原」真空管ラジオに挑戦!!

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ラジオ少年製の3球ラジオ 3R-STD


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「ブラタモリ」青函連絡船「摩周丸」を訪れる

NHKの人気番組「ブラタモリ」の2015年5月30日放送回で、アマチュア無線技士の資格を持つタモリの“無線愛”が炸裂するシーンが見られた。函館港に係留保存されている青函連絡船「摩周丸」を訪れ、無線通信室に案内されたタモリは、備え付けられている電鍵でコールサイン「JA6CSH」を打ったり、主送信機の内部にある真空管や水晶発振子に触れ「すごい」「おもしろい」を連発したのだ。

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電鍵を使いコールサイン(JA6CSH)を打ったタモリ(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 この日の「ブラタモリ」は青森県から北海道函館市を目指し、本州と北海道を結ぶ鉄道の歴史を学ぶというテーマの回だった。番組後半、函館駅の近くにある函館第二岸壁に係留保存されている旧・青函連絡船「摩周丸」(函館市青函連絡船記念館摩周丸)を訪問したタモリ一行は、現役当時のまま残されている、同船の無線通信室に案内された。

 

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青函連絡船で長年にわたり通信長を務めた野呂 功氏がタモリ一行を出迎え。電鍵操作を促した(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 

青函連絡船で長年にわたり通信長を務めた野呂 功氏の案内で、通信士の席に着いたタモリは、野呂氏が指導するよりも早く、備え付けの電鍵で「CQ CQ DE JA6…」と自分のコールサイン「JA6CSH」(※現在、同コールサインは失効中)を打ち始めた。

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野呂氏の指導よりも早く、しっかりとした手つきで縦ぶれ電鍵を使い「CQ CQ JA6…」と打ち始めるタモリ(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 

相棒の桑子真帆アナウンサーから「タモリさん、今(モールス符号で)なんておっしゃったんですか?」と尋ねられたタモリは、「いや、自分のコールサインを、一応…」と照れ、野呂氏は「いやすごい、アマチュアをやられていたんですか」と感心するシーンがあった。

 

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自分のコールサインを打ってみたと照れるタモリ。実際は「CQ CQ DE JA6」以降、かなり手崩れを起こしてしまったのだが…(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 

 このやり取りで野呂氏はタモリが無線に興味を持っていることに気付いたのか、続いて通信室内にある主送信機(アンリツ製)のラックに案内。普段は外してある終段管を取り付けるところを披露したり、タモリに固定チャンネル用の水晶発振子を抜いてみることを許可した。

 

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絶対にシロウトは使わない「終段管」という言葉がタモリから飛び出した(NHK「ブラタモリ」の映像より)

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桑子アナもスタッフも置き去り。野呂氏とタモリによる無線のディープな会話が続いたため、「※しばらく無線好きの2人の時間をお楽しみください」というテロップが出た(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 

タモリは「あ、(ここに入るのは)終段管ですね。これはすごいなあ」「(送信機前段の真空管は)6AQ5! 俺、確か持ってると思うんです、6AQ5。それでキャリア…搬送波を作っているんだ」「クリスタルでやってるんだ。水晶発振子、懐かしいですねえ~。一番安定度が…お、大きい大きい!」など、無線好きが伝わってくる言葉を連発した。

 

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「俺、確か持ってると思うんです、6AQ5」という発言には見ていたアマチュア無線家たちもビックリしたようだ(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 

さらに桑子アナウンサーに、水晶発振子について「これは、クリスタル発振子って言って、ある一定の電圧をかけると、これが振動して“電波の素”になるヤツを作るんです。本当に微弱なものなんです」と説明。最後にはトレードマークのサングラスをずらし、送信機のパネルを食い入るように眺めるシーンもあり、ナレーションの草彅剛から「ちょっとちょっとタモさん、今日のテーマから脱線してはいけませんよ!」とたしなめられる一幕があった。

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目を凝らして送信機の内部を見るタモリ(NHK「ブラタモリ」の映像より)


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ついにはトレードマークのサングラスをずらしてパネルを凝視(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 

 このシーンを見たアマチュア無線家は、TwitterやFacebookなどで「タモリ、やっぱり無線が好きなんだねえ~」「タモリから“終段管”なんて単語が出るとは!」「一通(第一級無線通信士)の通信長と対等に渡り合っている」など、タモリの無線に対する興味と知識に感心する書き込みが多く見られた。

 

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送信管を手にしたタモリと、野呂氏、桑子アナウンサー(NHK「ブラタモリ」の映像より)

 


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<人気深夜番組「タモリ倶楽部」>タモリが“縦ぶれ電鍵”でモールス通信の腕前を披露、「CQ CQ DE JA6CSH」とキーイング!!

テレビ朝日系の人気深夜番組「タモリ倶楽部」。関東地方で1月17日深夜に放送された回に、モールス通信を愛好するアマチュア無線グループのメンバーが登場した。番組中ではタモリが「触るのは高校生以来だよ」と言いながら、縦ぶれ電鍵を使って“CQ CQ DE JA6CSH”とキーイングするという貴重なシーンが見られた。


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「CQ CQ DE JA6CSH」とキーイングし、「高校生以来だよ、触ったの」と照れるタモリ(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)

 

この日のタモリ倶楽部のテーマは「A1グランプリ グランプリ」。世間にある各種のコンテスト(競技会)の中から「A」の文字がつくものを選んで紹介し、その頂点に立つものを選定する、という企画だった。

 冒頭で登場したのが、アマチュア無線のCW愛好者で組織されたクラブ。2001年に同クラブで開催したという、「縦ぶれ電鍵操作コンテスト」の優勝者と同クラブの代表者が登場し、実際に縦ぶれ電鍵でのキーイングを披露した。アマチュア無線技士の資格を持ち、過去JA6CSHというコールサインも取得していたタモリは、「これは渋いね」「もうモールス信号自体が、ほとんどアマチュア無線でしかやっていない」と興味津々でコメント。優勝者がキーイングを披露すると、タモリも「コレぐらいならできるよ」と立ち上がり、縦ぶれ電鍵で「CQ CQ DE JA6CSH」とモールス符号を打つという貴重なシーンが見られた。

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縦ぶれ電鍵で「CQ CQ CQ DE JA6CSH」と打つと、タモリは「あ、私のコールサインだ」と気がついた(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


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画面を拡大。テーブルの上に用意された各種の電鍵、パドル類。パドル・トレーナーIIやKX3も見えるが、番組中での説明はなかった(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


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テレビでこのシーンを視聴していた無線家の間からは、「タモさんのモールス似合う!」「タモリのコールサインはJA6CSHだったんだ!」「タモリって上級資格もってんだっけか?」「ちょっと崩れたけど、高校生以来とはお見事」「いいとも辞めたら再免許取るのかな?」など、さまざまな感想がTwitterやFacebookなどで流れた。

タモリ倶楽部でA1グランプリ放映

昨夜(深夜=今朝早朝)0:20からテレビ朝日の「タモリ倶楽部」の番組で「A1グランプリ」の紹介があった。あゆ釣り選手権とか色んなジャンルの「A1グランプリ」の紹介の中で所属している「A1クラブ」で実施した「縦振り電鍵選手権?」の紹介があり、クラブの代表のTRVさんとその選手権の優勝者?であるVJQさんが出演され、タモリさん含む出演者に説明をされた。タモリさんもアマチュア無線の経験者で(高校時代にやっていたらしい)「今はアマチュアにしか残っていないモールス通信だが懐かしい!」と楽しそうだった。実際に自分のコールサインを打ってみていたが久しぶりにしては素晴らしかった。
収録はかなりの長時間であったが放映は短時間で、でも良くまとまっていたと思う。
タモリさんが実演しているところ。楽しそうだった

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<各校のディープな報告、理解できたのはタモリだけ!?>人気番組「タモリ倶楽部」で「大学アマチュア無線部 最新活動報告会」が放送される

テレビ朝日系の人気番組「タモリ倶楽部」で1年10か月ぶりにアマチュア無線が取り上げられた。関東地方で2015年11月20日(金)の深夜に放送された同番組は「大学アマチュア無線部 最新活動報告会」がテーマ。首都圏にある4つの大学のアマチュア無線部員が登場し、部の活動紹介や部員勧誘などを行った。ディープな無線用語が飛び交う内容に、ゲストのガダルカナル・タカ、カンニング竹山、大原櫻子は理解不能に陥る場面が多かったが、アマチュア無線技士の資格を持つタモリ(元・JA6CSH)はしっかり理解できたようだ。
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11月20日放送、テレビ朝日「タモリ倶楽部」の「大学アマチュア無線部 最新活動報告会」より

この日の「タモリ倶楽部」は、9月19日(土)に東京・秋葉原にある「OMG PARTNERSビル貸会議室」で収録されたもの。登場したのは、筑波大学アマチュア無線クラブ(JR1ZTT/創部39年、部員数25人)、芝浦工業大学無線研究部(JA1YXP/創部50年、部員数31人)、中央大学アマチュア無線クラブ(JA1YGX/創部50年、部員数23人)、日本工業大学無線部(JA1YYE/創部48年、部員数15人)の4校の部員それぞれ3名ずつ。いずれも国内コンテストなどでアクティブな活動を行っているクラブだ
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参加した4大学の無線部メンバー(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)

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この日のゲストはガダルカナル・タカ、カンニング竹山、大原櫻子。タモリ以外はアマチュア無線に冠する知識は乏しい(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)

番組はまず、アマチュア無線の現状に触れ「かつて“趣味の王様”ともてはやされたアマチュア無線も、いまやその人口は激減。しかし各大学には、この硬派な趣味に今なお情熱を注ぐ若者たちが存在する。そこで今回は4大学の無線部を緊急招集!」と4校を紹介。まずアマチュア無線の交信実演が行われた。
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アマチュア無線による交信実演風景(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)

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聞き慣れない和文通話表によるオペレータ名の紹介に大原櫻子が笑い出す(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)

ゲストからの無線に関する質問に部員らが答えるが、意味がうまく伝わらない場合はタモリがフォロー。「スマホ全盛の時代に、あえてアマチュア無線をやる理由」について、タモリは「コンビニで弁当買ってくるか、自分の家でご飯作るかの違いだよねー」と一言で説明。“それだ!”“超わかりやすい!”とゲストから賞賛された
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番組ではアマチュア無線の説明のため、さまざまな図も登場(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より

続いて4校が“自分の無線部のセールスポイント”を披露。筑波大学は「素晴らしいロケーションで電波を飛ばせる(7アンテナで同時に12バンドの運用が可能)」「ベランダのモービルホイップの50W出力でアルゼンチンと交信」、芝浦工業大学は「敷地内に高さ30mの自立タワーがあり、部員たちが上ってメンテナンスを行っている」「1時間に80局と交信できるモールス信号の早打ち」「2400MHz帯用パラボラアンテナを製作中」、中央大学は「国内コンテスト用に国内向け水平ループアンテナを製作」、日本工業大学は「部員が真空管の無線機を現役で使用中」「韓国でペディション運用を実施」などを挙げ、写真や実演などで紹介した
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各校が無線部のセールスポイントを説明(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)

しかしその“凄さ”と、次々に出てくる無線用語--「サンハン(3.5MHz帯)がフルサイズのダイポールで…」「バンド」「対蹠点効果」など--にゲストは立ち往生気味。タモリだけが「本当か!?」「早いねえ~!」「えっ、そんないるの!?」と理解を示す場面が随所に見られた
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タモリもゲストに解説を加える。これは電離層の説明シーン(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)

無線部のセールスポイントの中で、芝浦工業大学が自慢した「我が部にはYLが4人も在籍している」という発言から、話題は大学のアマチュア無線部における女性部員獲得の難しさへと話が移り、「緊急特別企画 YL勧誘問題を考える」がスタート。各校の女性部員獲得のための涙ぐましい努力や、“YLハンター”を自認する部員の勧誘テクニックなどが紹介された。

 

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急遽始まった「緊急特別企画 YL勧誘問題を考える」(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


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視聴者に向けて「YL」の説明(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


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女性部員獲得は悩みの種と説明(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


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各校の女性部員獲得のための涙ぐましい努力を紹介(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


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各校の女性部員獲得のための涙ぐましい努力を紹介(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


番組の最後は、各校からの新入部員募集の一言コメントが行われたが、最後に登場した中央大学が述べた「僕たちと一緒にQSOしようよ!!」というコメントに、タモリが「えっ? ああ“QSO”ね。わかんない、わかんない、Q符号使っちゃ!」とツッコミを入れ、これがエンディングとなった。

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最後は各校の「部員募集コメント」(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


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「QSO」という言葉に「わかんない、Q符号使っちゃ!」とタモリがツッコミを入れてエンディング(テレビ朝日「タモリ倶楽部」より)


「タモリ倶楽部」で久しぶりのアマチュア無線がテーマの回だったが、Twitterでは一般人から「タモリ倶楽部のアマチュア無線回、面白い」「無線のことはよくわからないけれど、タモさんが楽しそうなので良かった」「母校が出ていてビックリした」「想像通りの展開」「アマチュア無線部といえば兄が入ってて、何やってたのかさっぱりだったんだけど。タモリ倶楽部のおかげでちょっとわかった気がする」「内容がマニアックすぎて、周りがついてこれない感が見てて楽しい」など、好意的な内容が多く見られた。

なお 「タモリ倶楽部」は全国25局で放送中だが、ネットされている地域によっては放送日が異なることが多く、テレビ朝日での放送から数か月遅れとなる局もある。関東地方では11月20日深夜に放送されたが、これから放送される地域もある。詳しいスケジュールはウィキペディアなどで確認が必要である。


モリ倶楽部では以前もアマチュア無線が取り上げられた事がありました。

新しいとこでは、2012年5月 アマチュア無線と真空管オーディオのショップ
が取り上げられ、タモリさん真空管アンプに興奮する場面がありました。

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さらにその前の2008年の放送では、衛星(JQ1YGU)を自作アンテナで受信
しようというのもありました。これも結構面白かったです。
ブームは木でエレメントを所定の長さに切り自作する。ハンディー機で受信
無事受信出来ました
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タモリ倶楽部 我ら電波ホットスポット探検隊

ゲルマラジオ(鉱石ラジオ)を野外へ持ち出し、一番強く受信できる地点を探索する趣味を取り上げた。
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タモリ倶楽部 ベル生誕




タモリ倶楽部 細渕電球













真空管アンプについて語る甲本君と森田さん






















摩周丸(青函連絡船)の無線室にてモールス信号の実演





タモリのジャズスタジオ マイルス・デイヴィスの話




タモリ倶楽部 役に立たない機械2015 2015年10月7日


 

タモリ倶楽部で「インド数学」登場



 

アマチュア無線 無線局訪問編




#007 「8J1ITU」アマチュア無線局のご紹介





タモリ倶楽部 今夜だけ!タモリ倶楽部スペシャル









護衛艦たかなみ1 2 FC2 Video








地球の街角 ラジオ少年の夢、育んで  東京・秋葉原 19961229 W VHS



ラジオ少年の思い出、秋葉原の東京ラジオデパート。




昭和30年代の秋葉原の街並とラジオ少年技師












The Last War Dubbed   世界大戦争



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The Last War Dubbed   世界大戦争

世界大戦争

ごく平凡な市民の目を通して、不可避的に進行していく世界戦争への恐怖を描いたSF。主人公・田村家にはささやかな幸せが訪れようとしていた。しかし東西の緊張は極限に達し、平和会議もむなしく、ついにICBMは地上を飛び立つ。人類の未来を失わせる世界戦争が始まったのだ......。

世界大戦争


世界大戦争』(せかいだいせんそう)は、1961年10月8日に公開された、東宝制作の特撮SF映画カラー東宝スコープ多元磁気立体音響[2]。上映時間110分。
芸術祭参加作品。併映は『アワモリ君乾杯!』(原作:秋好馨、監督:古澤憲吾)。



東宝プロデューサーの田中友幸は、当時の世界情勢から第三次世界大戦を題材とした映画の製作を構想し、橋本忍による脚本で製作準備を行なっていた。しかし、東映でも同様の題材を扱った映画『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』を製作していることが判明したため、東宝側も監督に堀川弘通を立てて『第三次世界大戦 東京最後の日』の製作を急ぎ決定し、両社は競い合う形で製作を進めていった。マスコミもこの競合を報道するが、東宝側の脚本が先に完成していた東映側との類似を指摘され、東宝側は脚本の改稿を余儀なくされるも十分な解消には至らず、製作の中止を決定した。その後、内容を一新して製作が再開され、本作の完成に至った

概要

「連邦国」と「同盟国」の2大勢力間で勃発した世界最終戦争を、市井に生きる人々の姿を通して描く反戦映画である。また、製作当時は劇場公開直前に起きたベルリンの壁構築や翌年のキューバ危機に代表されるように東西冷戦の危機感が強く、それを反映した人間ドラマでもある。『私は貝になりたい』のテレビドラマ版と映画版の両方に主演したフランキー堺が、理不尽な運命に翻弄される平凡な小市民を熱演している[9]

兵器や軍服のデザインや国章から、連邦国は資本主義陣営、同盟国は社会主義陣営を意識して描かれているが、劇中の台詞には両陣営とも英語が用いられている。準備稿の段階では、アメリカやソビエトといった実在の国名で書かれていた

従来の近未来SFでは、希望的な未来を描いていたのに対し、本作品ではそれらを否定する結末となっているのが特徴である僧侶でもある監督の松林は、本作の根底を流れるテーマとして、仏教の「無常」観を挙げている。

東宝プロデューサーの田中友幸は、1980年代のインタビューで現実の兵器類が本作品中のものに近づいていることに恐ろしさを感じていることを語っていた。



ストーリー

戦後16年が経過し、急速な復興を遂げた日本。主人公・田村茂吉は家族の幸せを願いながら、外国人記者の集まるプレスセンターの運転手として日々働いていた。そんな中、田村の長女・冴子は下宿中の青年航海士・高野と恋仲になっており、長い航海を終えて帰還した彼と久々の再会を喜ぶ。そんな2人はついに茂吉に対して結婚の決意を語り、驚く彼に反して妻のお由も賛同し、2人は結ばれることになる。

一方、世界は連邦国と同盟国の2大陣営に分かれ、両陣営はお互いに核兵器を持ってにらみ合っていた。まもなく、北大西洋で行われた同盟国陣営の軍事演習エリアへ連邦国陣営の潜水艦が侵入したことをきっかけに、両者の関係は緊迫する。田村が担当する記者・ワトキンスもその状況を危惧し始めた。日本政府も国民の間に動揺が広がりつつあることを考慮し、両国の関係改善の道を探ろうとする。だが、ワトキンスが緊迫した朝鮮半島・北緯38度線の情勢を取材に向かったその数日後、小型ながらも実戦で核兵器が使われるという事態が発生し、連邦国・同盟国陣営双方で発射装置のボタンが押されれば弾道ミサイルが発射される状況となっていた。

日本では総理が病身を押して公務を行い、両国の緊張をこれ以上高めまいと懸命の努力を行う。現場にいる軍人たちも最悪の事態だけは避けたいという思いを胸に、想定外の事故や発射装置の故障による開戦を阻止していた。やがて、南北朝鮮間で停戦協定が結ばれたことによって緊張が解け始めるが、北極海上で発生した軍用機同士の戦闘をきっかけに再び悪化し、世界各地で国同士の対立が激化してしまう。政府は核兵器の使用だけはあってはならないと訴え続けるが、日本でもついにミサイルへの警戒が始まり、人々の不安は頂点に達した。

大都市から避難しようとする人々でターミナル駅は大混乱となり、街は無人と化す。しかし、田村一家は自宅に残り、最後の晩餐ばんさんを開く。冴子は数日前に再び長い航海に出た高野へ向け、覚えたてのアマチュア無線で最後のモールス通信を行い、洋上の高野もそれに応える。「サエコ・サエコ・コウフクダッタネ」「タカノサン・アリガトウ」。また、夕陽を前にして茂吉は叫ぶ。「母ちゃんには別荘を建ててやるんだ! 冴子には凄い婚礼をさせてやるんだ! 春江はスチュワーデスになるんだ! 一郎は大学に行かせてやるんだ! 俺の行けなかった大学に……!!」

その夜、東京は核の閃光に包まれ、溶解する。翌朝、洋上の高野たちは自分たちにも残留放射能による死が訪れることを覚悟のうえで、東京へ帰ることを決意するのだった。




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戦後16年経った高度成長期の昭和の日本が舞台ですが、十分現代に、いや現在に通じる恐ろしさが伝わってきます。
復興後の社会で慎ましく平和に暮らすフランキー堺(当時32歳)演じるタクシー運転手の一家が中心に描かれます。
その妻には音羽信子(当時37歳)、娘は星百合子(当時18歳)、娘の恋人に宝田昭(当時27歳)、娘の下にもまだ小さな二人の姉弟がおり、冒頭はその子たちの七五三のシーンから。
ささやかな明るい未来を夢見る主人公たちの生活と並行して、冷戦下の東西の小競り合いが見えないところで徐々に進行し、最悪の事態に向かっていきます。

本作ではあくまで主となるのは人間ドラマであり、特撮技術はそれを支える役割ですが、要所を押さえた円谷英二によるミニチュア特撮には目を見張るものがあります。
特撮によって描かれる大惨事が地震や津波などの自然災害、ましてや怪獣・異星人の襲来によるものでなく、人間同士の醜い戦争が原因であることが却って虚しさを際立たせます。

出演は上記の他にも笠智衆、白川由美、東野英治郎、山村總、上原謙、中村伸郎などベテラン揃い。序盤ではフランキー堺とジェリー伊藤が同年公開の『モスラ』と同じく揃って登場。初々しい星百合子はレギュラーとなる若大将シリーズも同年に始まります。“ニッセイのおばちゃん”こと中北千枝子がプロデューサー田中友幸の奥さんだったとは初めて知りました。

刻々と変わる世界情勢も描かれるため外人の出演者も多く、子供用の怪獣映画なら吹替のところを本作では全て字幕で通しています。
音楽は『パイプのけむり』などエッセイストとしても有名な團 伊玖磨。
監督はコメディ(『社長シリーズ』他)から戦争物(『連合艦隊』他)まで器用にこなす松林宗惠。僧侶でもある変わり種の監督で本作では無常観を表現したかったとか。

昭和世代には懐かしき昭和の風物もしっかりと描かれているのも印象的。
船上の笠智衆のセリフが切ないラストは『渚にて』に通じるところも。
タイトルがドストレートで趣も何もありませんが、今だから多くの人に観てもらいたい映画です。


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The Last War English Trailer/世界大戦争 予告篇(英語版)






世界大戦争 (1961) - 日本版 予告編 (復興)







冴子は数日前に再び長い航海に出た高野へ向け、覚えたてのアマチュア無線で最後のモールス通信を行い、洋上の高野もそれに応える。「サエコ・サエコ・コウフクダッタネ」「タカノサン・アリガトウ」。
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登場兵器

連邦国側

無人戦車
装軌式の車体に、12連装の戦術核搭載ミサイル発射台を装備する。また、回転式のマストがあり、V-107ヘリコプターから遠隔操作される。38度線で同盟国側の砲台を攻撃するが、同盟国側の攻撃機の反撃によって指揮ヘリコプターもろとも全滅する。
核ミサイル
連邦国側のICBMで、核弾頭を装備。運搬車のトレーラーはそのまま垂直に直立し、ミサイルの発射台として使用できるほか、C-130による空輸もできる。極東ミサイル基地に6基が配備された後、地下陣地へ格納される。
105戦闘機
連邦国側の戦闘機。
SA-42号
連邦国側の潜水艦。涙滴型の艦体上面が平滑になっている。北大西洋で行なわれた同盟国陣営の軍事演習に乱入したために追跡され、防潜網に引っかかって拿捕される。

同盟国側

モク戦闘機
同盟国陣営の戦闘機。形状はMiG-21をモデルとしているが、主翼が後退翼となっている、機首のピトー管の位置が異なるなどの相違点がある。北極海上空で、連邦国陣営の105戦闘機と空対空核ミサイルを交えた空中戦を展開する。
同盟国攻撃型潜水艦
同盟国側の潜水艦。第二次世界大戦時の潜水艦と同様の艦体をしている。軍事演習に乱入した連邦国攻撃型潜水艦を、2隻で追跡する。

製作

製作経緯

東宝プロデューサーの田中友幸は、当時の世界情勢から第三次世界大戦を題材とした映画の製作を構想し、橋本忍による脚本で製作準備を行なっていた。しかし、東映でも同様の題材を扱った映画『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』を製作していることが判明したため、東宝側も監督に堀川弘通を立てて『第三次世界大戦 東京最後の日』の製作を急ぎ決定し、両社は競い合う形で製作を進めていった。マスコミもこの競合を報道するが、東宝側の脚本が先に完成していた東映側との類似を指摘され、東宝側は脚本の改稿を余儀なくされるも十分な解消には至らず、製作の中止を決定した[その後、内容を一新して製作が再開され、本作の完成に至った。脚本の改訂は12回におよんだ

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松林宗恵監督(前列左から4人目)と松林組スタッフ。


特撮

東京ニューヨークロンドンパリモスクワ核ミサイルによって破壊されるクライマックスシーンは、天地を逆にしたミニチュアの下から圧縮空気を吹き出させる方法で撮影された。このシーンでのミニチュアはウエハースで作られており、ネズミがかじるため、管理に苦労したという

このシーンの映像は完成度が高く、その後も『ノストラダムスの大予言』などの劇場用作品のほか、円谷プロ制作の特撮テレビドラマ『ウルトラセブン』の最終話「史上最大の侵略(後編)」など、さまざまな作品に流用された。また、上記のシーンを含めて劇中に登場するクレムリンのミニチュアは、『海底軍艦』などの別作品にも流用された。

東京が核爆発で溶解するシーンは、『空の大怪獣 ラドン』や『日本誕生』などと同様に、溶鉄を使用している。このシーンのミニチュアは燃えやすい炭団で作られており、撮影は千葉県の製鉄会社の敷地内で行われた。上部だけ残る国会議事堂は、ミニチュアが偶然燃え残ったものであった。

同シーンで撮影を担当した有川貞昌は、離れた場所に櫓を組んで安全帯で体を固定していたが、熱によりカメラやフィルムへの危険を感じ退避しようとするも、アングルが熱くなって触ることができずパニック状態となり、どうにか櫓から飛び降りたあとはしばらく放心状態であったという。後年のインタビューで有川は、「ノロの怖さを甘く見ていた」と述懐している。

核爆発によるキノコ雲は、水槽に落とした絵の具を逆さに撮影してい。海上の笠置丸が目撃するキノコ雲は、ホリゾントに描かれた背景である。

廃墟から上る煙には、従来の硫酸を溶かしたアンモニアではなく四塩化チタンを用いているが、特技監督の円谷英二には無断であったため、特殊効果の渡辺忠昭は普段と違う状態に気づいた円谷から叱責されたという。その後、戦闘機の噴射炎で四塩化チタンを用いた際は表現に成功し、それ以降は定番の手法となっていった

東京を襲う洪水のシーンは、『日本誕生』と同じくプールに沈めた鉄板をトラックで引っ張るという手法が用いられたが、本番では波が大きくなりすぎてしまい、スタジオが水浸しになってしまったという

黒い雨の描写では、ドブのような汚い水を降らせているが、照明が汚れるなどしたため、有川は助監督の浅井正勝に事前に相談するよう苦言を呈したという。

本作品ではミニチュアの操演技術が高く評価されている。円谷は、アメリカを訪れた際に本物を使っていると錯覚した人物から「飛行機を何機飛ばしたんだ」と質問されたという。

  • ベーリング海での空中戦では、ミニチュアの動きに合わせてカメラもスクロールするなど、従来の左右に動くのみの描写ではなく、三次元的な動きが描写された。輸送機の着陸シーンや潜水艦の航行シーンなどでも、立体的な画面作りを意図している。
  • 38度線での戦闘シーンでは、戦闘機の攻撃を受ける戦車がミサイルのGで後方に押し戻される動きをつけるなど、細かな描写を行っている。
  • 潜水艦のミニチュア特撮は、すべて水中プールで撮影された。原潜から発射される核ミサイルも、炎を噴出するミニチュアを実際に水中から操演している。

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特撮セットにて、円谷英二特技監督(前列左から2人目)と特技スタッフ。


キャスト

※以下ノンクレジット出演者



【 End of The World】アメリカが“地球最後の日に使われる飛行機”『E-4B』の訓練実施! ついにバイデンも「核戦争を覚悟」か
2022/03/05(土)
ロシアによるウクライナ侵攻が米ロの核戦争に発展する危険性も指摘されているが、先日トカナでお伝えした通り、プーチン大統領はすでに核戦争に備えて家族をシベリアの極秘「地底都市」へと移送した可能性があるという。ますます最悪の事態が懸念される状況下、今度は米国側でも動きがあった模様。なんと、国家空中指揮機「E-4B」が訓練飛行を行っていたことが判明したというのだ。なぜ、E-4Bの訓練飛行がそれほどまでにヤバいことなのか? その理由はこの軍用機の成り立ちにある。実はE-4Bは、核戦争の勃発時に、(地上が壊滅的被害を受けたとしても)大統領や国防長官ほか米中枢のリーダーたちを乗せて機動指揮本部として運用できるようボーイング747-200B型機に特別な改造を施した機体なのだ。つまり、E-4Bが訓練以外で飛行する時は核戦争が勃発した時に他ならず、そのことが「世界終末の飛行機」の異名をとる理由になっている。今回E-4Bは2月28日夜(現地時間)にネブラスカ州の米空軍基地から飛び立ち、約4時間の訓練を行っていたという。バイデン大統領は「核戦争の心配はNOだ」と語っているようだが、その裏では着々と“来たる時”のために準備を整えているということか――。今はもう全てが杞憂に終わることを祈るしかない。

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「電磁パルス攻撃」の脅威 上空の核爆発で日本全土が機能不全に

北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルで挑発を続けるなか、もう一つの深刻な脅威として「電磁パルス攻撃」の可能性が指摘されている。上空で核爆発を起こし、広範囲で都市機能を破壊するものだ。北朝鮮は既に攻撃能力を持つとみられるが、日本の対策はほぼ手つかずで、専門家からは懸念の声が上がる。(小野晋史)

大規模停電の恐れ

 電磁パルス攻撃は、高度30~400キロの上空で核爆発を起こして行う。その際に生じたガンマ線が大気を構成する窒素や酸素などの分子に衝突。分子に含まれる電子がはじき飛ばされて雷のような巨大な電流が発生するなどした結果、強力な電波の一撃である電磁パルスが地上に襲いかかる。

 電磁パルスは送電線を伝ってコンピューターなどの電子機器に侵入。その電圧は5万ボルトに達するため、機器はIC(集積回路)の機能停止で損壊し、同時に大規模な停電も発生すると予測されている。核爆発に伴う熱線や衝撃波は、地上には届かない。

 影響範囲は爆発の高度や規模によるが、高度100キロで広島型原爆の3分の2に相当する10キロトン(TNT火薬換算)の場合、日本全土をほぼ覆う半径約1100キロにも達する。

 1962年に米国が北太平洋上空で行った高高度核実験「スターフィッシュ・プライム」では、高度400キロの宇宙空間での核爆発で電磁パルスが発生。爆心から1400キロも離れた米ハワイ・ホノルルなどで停電が引き起こされ、その威力が実証された

空から襲う“津波”

 現代社会は電気なしでは成り立たない。電磁パルス攻撃によって大規模な停電が発生し、公共インフラを支える電子機器が損壊すれば、都市機能はまひする。

 電話やインターネットなどの通信やガス、水道の供給が停止。飛行中の航空機が操縦不能になったり、電力を絶たれた原子力発電所が制御不能に陥ったりする恐れも指摘されている。

 米国の専門家チームが今世紀に入ってまとめたシナリオでは、10キロトンの核爆弾がニューヨーク付近の上空135キロで爆発した場合、被害は首都ワシントンを含む米国東部の全域に及ぶ。

 損壊した機器を修理する人員や物資が大幅に不足し復旧には数年を要し、経済被害は最悪で数百兆円に達する。電磁パルスは健康に直接影響しないとされるが、食糧不足や病気などで死傷者は数百万人に上ると推定している。

 元陸上自衛隊化学学校長の鬼塚隆志氏は「電磁パルス攻撃は宇宙から襲う津波のようなものだ。被害を完全に防ぐことは難しくても、備えを固めるなどして減災に取り組む必要がある」と強調する

「日本は無防備」

 電磁パルス攻撃は地上への核攻撃と違い、ミサイルの弾頭部分を大気圏再突入時の高熱から守る技術は必要ない。小型の核弾頭を搭載したミサイルを発射し、目標上空で起爆するだけだ。

 米国防総省の内部では、北朝鮮が既に核弾頭の小型化に成功したとの見方もある。成功が事実なら、弾道ミサイルや人工衛星を搭載したロケットが上空を通過するとみせかけ、日本の真上の宇宙空間で核爆発を起こすことも可能だ。日本の領土や領海に着弾する恐れがない場合、迎撃ミサイル発射のタイミングを逃す可能性は十分にある。

 電磁パルス攻撃は米国やロシア、中国も能力を保有しているとされる。核爆発以外の方法でも可能だ。米露中のほか、北朝鮮や中国の脅威にさらされる韓国や台湾でも、インフラや軍などの防護対策が進んでいる。

 これに対し日本は取り組みが遅れている。電子戦に関わる研究開発を担う防衛省の電子装備研究所は、電磁パルス攻撃を受けた場合に「(自衛隊の)指揮・統制機能が無力化される恐れ」があるとして、今秋にも防護技術の動向調査を始める。

 だがその内容は攻撃の脅威に関する調査や、防護技術の実現に向けた課題の明確化など基礎的な検討にとどまる。

 電磁パルスが防衛装備品に与える影響に詳しい企業関係者は「日本には、電磁パルス攻撃への備えがまともに存在しない。社会全体が無防備な現状は非常に危険だ」と警鐘を鳴らす。

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「核のフットボール」

【広島訪問】原爆慰霊碑前でも機密装置「核のフットボール」
2016年5月28日


来日したオバマ米大統領が帯同した軍人が、ずっと持ち歩いていた黒い革かばんがある。
 オバマ氏が27日に訪れた広島の原爆死没者慰霊碑前でも、軍人の足元に置かれていた。かばんは、
「核のフットボール」と呼ばれる機密装置。大統領が米軍最高司令官として核攻撃をいつでもどこでも承認できる
ようになっている。
 「スミソニアン・マガジン」(電子版)によると、機密装置は、アルミニウムのフレームと黒い革でできており、
重さは約45ポンド(約20キロ)。一般に信じられているような大きな赤いボタンはない。軍事顧問が寄り添い、
大統領が持つ認証コードで身元を確認する。国防総省の軍事指揮センターと連絡が取れ、「一撃で米国の全ての
敵を破壊する」「特定の都市を消失させる」といった攻撃手法を選べる。

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核のフットボール
核のフットボールとは、司令部を離れたときでもアメリカ合衆国大統領が核攻撃に許可を出せる道具が入った黒いブリーフケースである。このブリーフケースは、アメリカ軍の戦略的防衛システムにおいて、ホワイトハウス地下のシチュエーションルームなど、固定された司令部に対する、移動可能な拠点として機能する。2016年5月27日、オバマ大統領の広島訪問に伴い、71年前の世界初の原爆投下地点の真下に持ち込まれた
ワシントン・ポストの報道によれば、米大統領には核兵器の発射コードとフットボールを携帯した軍事顧問1名(military aide)が常に随伴している[2]。このフットボールとは、ゼロハリバートン社の金属製のブリーフケース(アタッシェケース)であり、黒い革のカバーで覆われている[3]。鞄の重さはおよそ20キログラムで、持ち手のところには、小さなアンテナが伸びている[4]。
ホワイトハウス警護室(英語版)のトップであったビル・ガリー(Bill Gulley)は、著書である「ブレイキング・カヴァー」のなかで、こう書いている[4]。
フットボールには4つのものが入っている。報復措置を記した黒い手帳(The Black Book)、“極秘の場所”を一覧化した本、緊急警報システムの手続きをまとめた、8ページから10ページほどの紙をはさんだマニラフォルダー[5]、認証コードが書かれた3×5インチサイズのカードの4つだ。黒い手帳は9×12インチの大きさで、黒と赤で印刷された75枚のルーズリーフがはいっている。機密扱いの場所が載った本は黒い手帳と同じぐらいの大きさで、やはり黒い装丁である。アメリカ国内で緊急時に大統領を受け入れ可能な場所が載っている。
— ビル・ガリー『ブレイキング・カヴァー』より
最高指揮官である大統領が核兵器の使用を決断した場合、フットボールの「運び人」がそばに呼ばれ、鞄が開けられる。すると統合参謀本部に指令信号、あるいは「警告」のアラームが送られる。大統領は顧問と攻撃についてとりうる選択肢を協議し、単発の巡航ミサイル射撃から大陸間弾道ミサイルの連射まで幅広い手段のなかから攻撃案を決定する。これらはOPLAN 8010(以前の単一統合作戦計画)のもとで予め決められた戦争計画の一部である。そして鞄の中にある何らかの通信技術を用いて、顧問は国家軍事指揮センターと連絡をとる。あるいは報復攻撃の場合であれば、複数の空挺部隊の司令部(おそらくボーイングE-4Bを出動させる)または、あるいは同時に核武装した潜水艦とも交信を行う。
命令が軍によって実行されるためには、プラスチック製のカードの形で発行された特別なコードを使って大統領が本人と認識される必要がある。このコードは「ビスケット」というニックネームがつけられておりゴールド・コード(英語版)とも呼ばれる[6]。アメリカはツーマンルールを実施しており、大統領だけが核兵器の発射を命ずることができるのだが、その命令は国防長官の確認を受けなければならない(大統領が攻撃によって殺害された場合は権限の継承順位に従う)[6]。コードが全て認証されると、軍はしかるべき部隊へ攻撃命令を出す。これらの命令は下されてからもその真偽の再確認が続く。
フットボールは大統領の軍事顧問が交代制で運搬につとめる。そのスケジュールはトップシークレット扱いである(派生組織である5つの組織から1人ずつ)。顧問は手首に特殊なケーブルを巻いて物理的にブリーフケースを身につけることもある。アメリカ軍の士官にあたり、給与等級はO-4かそれ以上、任命にあたってはきわめて厳しい身元調査が行われ、いわゆるヤンキー・ホワイト(英語版)に該当するかが調べられる[7]。彼らにはいかなる時でも大統領が容易にフットボールを使用可能な状態にしておくことが求められる。
フットボールの歴史はドワイト・D・アイゼンハワーまで遡ることができるが、現在の使われ方になったのは、ソ連軍将校がモスクワの許可を得ずにキューバでミサイルを発射することを懸念していたジョン・F・ケネディ以降のことである[7]。
AP通信の記事によれば、この「フットボール」という通称は、ある攻撃計画につけられた「ドロップキック」というコードネームに由来するものである[4]。フットボールという名前は、実際の鞄の性質や形状に誤解を生じることがある。実際、ケースのカバーは本物のフットボールを包めるぐらい大きいからである。グラフィック・ノベルのウォッチメンには、1985年にまだ大統領であったという設定でリチャード・ニクソンが登場するが、彼の腕には危機にそなえて文字通り「核のフットボール」(フットボールの形をした金属製の機器)が繋がれている。作中でそうだと明示されることはないのだが、この機器には現実のフットボールと同じかあるいは核攻撃の電子起動装置が内蔵されていることがほのめかされる。
ジミー・カーターもロナルド・レーガンも、大統領在職中は背広のポケットに発射コードをいれたままにしていたと語っている。下院議員のジョン・クラインは海兵隊の元大佐であり、カーターとレーガンの時代にフットボールを運んでいる。
運びまわるのはそう難しいことじゃない。下に置くこともできるし、私はしょっちゅうそうしていた
1981年の暗殺未遂事件直後、ロナルド・レーガンとフットボールは別々の場所にあった[9]。レーガンは、前任者であるカーター同様、カードをポケットに入れて歩くことを好んでいたのだが、ERの外科治療の際に衣服が切り取られたときに、レーガンはカードをなくしてしまった。後にそのERの床にあったレーガンの靴から無造作にしまわれたカードが発見されたため、レーガンはカードを靴下にいれて持ち歩いているという都市伝説がうまれた。このときはカード以外の中身もレーガンと離ればなれになった。運び役の士官が、怪我を負った大統領を運び去る車の行列に置いて行かれたためだった。このように大統領がフットボールを運ぶ人間と離ればなれになることが時にはある。1973年のニクソンにもこれが起こった。ニクソンはキャンプ・デービッドでソ連の指導者ブレジネフにリンカーン・コンチネンタルを贈ったのだが、そのリンカーンにニクソンを乗せたブレジネフは不意に高速を逆戻りしたのである。ニクソンのシークレットサービスは置き去りにされ、フットボール(と彼の警備部隊)は30分近くもばらばらになったままだっ。フォード、カーター、ブッシュ、時代が下ってクリントンにもフットボールと離れた時間帯がある。こうした事件において、フットボールの完全性が損なわれた例はなかった。

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人類滅亡の扉が開く日も近い!? ~米露による核の冬到来とは~




1950年代の市民防衛放射性降下物シェルター用品フィルム29072






人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢 ~世界が終わる10のシナリオ~ 1/4





人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢 ~世界が終わる10のシナリオ~ 2/4





人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢 ~世界が終わる10のシナリオ~ 3/4





人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢~ 世界が終わる10のシナリオ~ 4/4





映画「エンドオブザワールド」核戦争・放射線・人類滅亡の恐怖1/2




映画「エンドオブザワールド」核戦争・放射線・人類滅亡の恐怖2/2





U.S. Army Atomic Bomb Blast Effects - 1959 Atomic Bomb Explosion Test Footage





Atomic Alert (1951) Elementary Version




Survival Under Atomic Attack 1951 NUCLEAR BOMB SHELTER FILM 29180 HD





BBC 核攻撃の時の予定原稿(日本語)






ATOMIC BOMB TEST IN NEVADA w/ JC PENNEY MANNEQUINS 34512




世界の終わりを描いたパニック映画ランキングTop10






SINCGAR Setup and Operation






ITT Defense - Sincgars










                     




























報道の日2016 世界を揺るがすテロ~激動のアメリカと日本    2016年12月30日      
今日TBS系列での暗号放送の解読方法が放映された
この最終実行命令は北朝鮮では有名な(ナムサンの青い松)の音楽が流れたら実行せよとのことだつた
宇出津(うしつ)事件

1977年(昭和52年)9月19日拉致
東京都三鷹市役所勤務警備員男性、久米裕(1925年(大正14年)2月17日 - 当時52歳)
石川県宇出津海岸付近にて失踪
北朝鮮側は、三鷹市役所勤務警備員男性の入国を完全否認しているが、北朝鮮工作員に包摂され土台人にされた在日朝鮮人・李秋吉が「45歳から50歳位の日本人独身男性を探せ」との指示を受け、かねてから知り合いであった三鷹市役所勤務警備員男性を海岸に連れ出し、不審船(工作船)で迎えに来た別の北朝鮮工作員に同人を引き渡した事実が判明している。この1件だけで、「拉致したのは13人だけ」との北朝鮮の主張は嘘であることが分かると指摘されている。警視庁公安部と石川県警察は主犯格の金世鎬(キム・セホ)を国際指名手配し、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを要求している。なおこの事件で石川県警察警備部は押収した乱数表から暗号の解読に成功したことが評価され、1979年に警察庁長官賞を受賞している。この事実は長年秘匿事項とされ、単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいたという小さな話題として報道された。このことが、日本海沿岸部に居住する国民の防犯意識を弛緩させ、後述の拉致事件を招いたとする論調も一部にある。ただし、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺や、新たな情報の収集困難を招き、ひいては事件解決が困難になるリスクも伴い、警察庁の立場からは安易に公開に踏み切るわけにはいかない事情があったことも考慮する必要がある。なお、李秋吉は起訴猶予処分となり日本への帰化を許され、日本国民・大山秋吉として現在も都内で自営業を営んでいる。




宇出津事件 北朝鮮 暗号放送 暗号表 在日朝鮮人工作員 日本人拉致
三鷹市 警備員 久米裕 石川県 紫雲荘 船隠し 日本人初の拉致事件 宇出津事件 北朝鮮

    2016年12月30日      PC300111



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宇出津事件 北朝鮮 暗号放送 暗号表 在日朝鮮人工作員 日本人拉致
三鷹市 警備員 久米裕 石川県 紫雲荘 船隠し 日本人初の拉致事件 宇出津事件 北朝鮮


☆ KCTV HD ☆ 실황음악 - 남산의 푸른 소나무 - 공훈국가합창단 (2016-05)

今日TBS系列での暗号放送の解読方法が放映された
この最終実行命令は北朝鮮では有名な(ナムサンの青い松)の音楽が流れたら実行せよとのことだつた
宇出津(うしつ)事件
1977年(昭和52年)9月19日拉致
東京都三鷹市役所勤務警備員男性、久米裕(1925年(大正14年)2月17日 - 当時52歳)
石川県宇出津海岸付近にて失踪



北朝鮮 乱数数字暗号放送

2014/06/14 に公開
日本に潜伏していた北朝鮮工作員がこの放送の数字を乱数解読表で解読し、国からの指示に従って活動していました。


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横田めぐみさん拉致事件

横田めぐみさん拉致事件 1977年11月15日、新潟市で横田めぐみさんが中学校からの帰宅中、海岸から数百メートル離れた地点で行方不明になった。97年に北朝鮮による拉致の疑いが浮上。2002年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮は日本人拉致を認め、めぐみさんについては「死亡した」と主張した。04年11月には、めぐみさんの「遺骨」とされるものを提供したが、日本政府が実施したDNA型鑑定で別人のものと判明した。めぐみさんは北朝鮮で結婚、出産したとされ、娘のキム・ウンギョンさんの存在が確認された。


1977年(昭和52年)11月15日拉致
新潟の女子中学生、横田めぐみ(1964年(昭和39年)10月5日(55歳) - 当時13歳)
新潟県新潟市において新潟市立寄居中学校からの下校途中に自宅付近(現中央区西大畑町、新潟大学付属新潟小学校前)にて失踪。新潟県警察は、失踪直後から誘拐事件として捜査を行ったが、何の手がかりも得られなかった。
北朝鮮側の説明によれば、横田めぐみは1986年に結婚し、1987年に一児(キム・ウンギョン)を出産するも、1994年4月(2002年10月の報告では「1993年3月」としていたが後に訂正)に入院先の病院自殺、1997年に火葬したとしている。2004年11月の日朝実務者協議を通じ、横田めぐみ本人の「遺骨」として提供された骨の一部からは、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出された(「ニセ遺骨問題」も参照)。遺体は未確認。2006年6月29日に行なわれた会見で、横田めぐみの夫とされる金英男は、「めぐみは1994年に自殺した」と述べた。この発言について、彼女の両親である横田滋横田早紀江夫妻は「予想通りの証言。こういうことを平気で言わせる国(北朝鮮)にはらわたが煮えくり返るばかりだ」とした。また、安倍晋三内閣官房長官(当時)も「発言内容は信憑性がない」とした。
帰国した拉致被害者たちの証言によると、1978年(昭和53年)8月18日から1980年(昭和55年)頃まで平壌市内で曽我ひとみと同居し、1984年(昭和59年)頃には平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で拉致被害者田口八重子および工作員女性1名と同居していたとされている[14]1986年(昭和61年)に平壌へ転居した後、1994年(平成6年)頃までは地村夫妻や蓮池夫妻と同じ地区で暮らしていたとされている[14]
1997年には、朝鮮労働党書記の一人が朝鮮総連を通さずに直接当時の橋本龍太郎政権に対し非公式に横田めぐみの生存を伝えたという報道[15]がなされたことがあり(通知が事実であれば当然のことながら1994年死亡という自らの説明と矛盾する)、横田めぐみの火葬をしたとされる「オボンサン火葬場」も、火葬をした1997年当時には無く1999年に建設されたものだと複数の脱北者が証言している[16]。また、帰国した地村富貴恵が「(自殺より後の)1994年6月にめぐみさんが隣に引っ越してきた」と証言している[17]。また2011年には、韓国自由先進党議員の朴宣映が脱北者から得た北朝鮮高官の話として「横田めぐみは生存しており、知ってはいけないことを知りすぎたため日本に帰すことができず、他人の遺骨を日本側に渡した」とする証言を日本政府に伝えている[18][19]。さらに週刊朝鮮の報道によって2005年に作成された北朝鮮平壌市民名簿に横田めぐみとみられる記載があったことも確認されている[20]。なお、失踪直後に自宅近くの日本海の方から暴走族の爆音に似た音を近隣住民の多くが聞いていることがわかっており、ジャーナリストの石高健次は、1971年加賀市沖不審船事件同様に不審船から発せられた船舶用ディーゼルエンジンの音ではないかと推測している。横田めぐみに関して中国では、彼女は病死したのでもなく事故死でもなく自殺でもなく、処刑され、骨は他の処刑者と一緒に火葬したため行方が知れず、故に偽物の骨を提出したという見方もある[21]
横田めぐみは北朝鮮で金賢姫の同僚工作員金淑姫に日本語の指導を行っていたとされる[22]。また、金正恩が早くに亡くなったため、彼を育て上げたのは横田めぐみとの説がある[2


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【横田滋さん死去〜めぐみさんの消息は】(報道特集6/13放送)

【横田滋さん死去〜めぐみさんの消息は】(報道特集6/13放送)
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父・滋さんが6月5日に亡くなった。報道特集では、めぐみさんの消息につながる情報を脱北者などから入手しその都度、横田さん夫妻に伝え続けできた。家族が高齢化する中、拉致被害者を救出するためにいま何が求められているのか。
(報道特集 6月13日放送)


横田めぐみさん拉致から39年 両親が心境語る(16/11/16)





横田めぐみさん 拉致直後に日本語で“義務教育”(17/11/16)




横田めぐみさんら拉致事件が映画に 滋さんの希望で(20/02/13)






映画「めぐみへの誓い」PV=7月7日23時クラウドファンディングスタート!=




拉致問題啓発舞台劇「めぐみへの誓いー奪還ー」PV






映画「めぐみへの誓い」制作発表記者会見ー令和2年2月13日完全版ー





平壌で、 短波放送しおかぜを受信




北朝鮮拉致被害者向け放送「しおかぜ」2006年





なぜ北朝鮮は「横田めぐみさんは死んだ」とウソをつき続けるのか

■「横田滋さんの娘を拉致したことが、北朝鮮の最大の失敗だった」

めぐみさんと再会させてあげたかった。だれもがそう思ったに違いない。

北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)の父親、横田滋さんが6月5日、老衰で亡くなった。87歳だった。拉致被害者の家族会に参加し、拉致被害者の救出活動で先頭に立って家族会を引っ張ってきた。被害家族の象徴的な存在だった。


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写真=時事通信フォト
トランプ米大統領との面会を終え、記者会見する横田めぐみさんの母早紀江さん(左)ら=2019年5月27日、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト

新潟市の中学1年生だっためぐみさんがバドミントン部の練習の帰りに行方不明になったのが、1977年11月。北朝鮮の工作員による拉致だった。あれから42年余り。その間、横田滋さんは決してあきらめることなく、拉致問題の解決を訴え続け、政府関係者をして「滋さんの娘を拉致したことが、北朝鮮の最大の失敗だった」とまで言わしめた。

横田滋さんは生きて娘と再会できなかったが、めぐみさんら拉致被害者全員が無事に帰国できることを願う滋さんの魂は消えない。

■娘に対する熱い思いが横田滋さんの原動力だった

2002年10月15日の羽田空港。政府チャーター機のタラップから地村保志さんや蓮池薫さんら5人が降り立ち、親や兄弟と抱き合った。拉致被害者の喜びの帰国だった。しかし、そこには横田めぐみさんの姿はなかった。

この1カ月ほど前の9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)=2011年12月17日に70歳で死去=と初の首脳会談に臨んだ。この会談で北朝鮮はそれまで全否定していた拉致の事実を認めて謝罪した。だが、北朝鮮は5人の生存を認めたものの、めぐみさんら8人については「死亡した」と説明した。「めぐみは本当に死んだのか。信じられない」。横田滋さんは絶望の淵に立たされた。

その後、北朝鮮はめぐみさんの遺骨の一部を日本に提出したが、日本側のDNA鑑定によって別人のものと判明した。滋さんは記者会見で「めぐみの生存の可能性が強くなった」と語り、拉致被害者の救出活動に力を注ぐことを誓った。そこには父親の娘に対する熱い思いがあった。


■めぐみさんの娘にも会ったが、めぐみさんの消息は不明のまま

小泉首相の訪朝後、めぐみさんの娘だという少女(当時15歳)が現れた。現在32歳になるとみられるキム・ウンギョンさんである。日本のDNA鑑定によって彼女がめぐみさんと血のつながりがあると証明されたが、横田滋さんは北朝鮮が拉致問題の幕引きに利用する恐れがあると考え、訪朝してウンギョンさんに会うことを止めた。

滋さんがウンギョンさんと会ったのは2014年3月だった。日本政府が北朝鮮と交渉して第三国のモンゴルで面会した。女の子のひ孫とも会えた。しかし、めぐみさんの消息は分からなかった。

めぐみさんは生きているのか。生きているとしたら、なぜ北朝鮮はめぐみさんを日本に帰さないのだろうか

■韓国紙は「精神安定剤の過剰投与で死んだ」と報道したが…

2014年11月7日付の韓国紙の東亜日報が突然、「めぐみさんは精神安定剤や睡眠薬を過剰に投与されて1994年4月に29歳で死亡し、病院近くの山に埋められた」と報じた。しかし、日本政府はこの記事を「事実関係と異なる部分が少なくない」とすぐに否定した。

※編集部註:初出時、「50歳で死亡」としていましたが、「50歳」は東亜日報が出た2014年11月の時点での年齢でした。正しくは「29歳で死亡」です。訂正します。(6月12日12時30分追記)

少しこの記事に触れてみよう。東亜日報は日本政府の拉致問題対策本部が2014年9月に韓国の「拉北者家族会」の代表と共同で脱北者の調査を行ったときの報告書を入手したと報じ、記事はその報告書がもとになっている。

記事によると、2人の脱北者が東亜日報に証言した。2人はめぐみさんが入院していた北朝鮮の平城にある国家安全保衛部の病院に勤務。めぐみさんの朝鮮名「リュミョンスク女」と書かれた診療記録を見たことがあり、そこには「1964年10月5日生まれ。1977年に日本で北朝鮮につかまって連れてこられた」と記載されていた。さらに2人は「めぐみさんは1994年4月10日に死亡した」と話し、「死因は睡眠剤などの過剰な投与だった」と述べたという

この東亜日報の記事は事実なのか。韓国の「拉北者家族会」は「東亜日報の報道は欺瞞(ぎまん)に満ちている」と全否定している。どうやら東亜日報が工作をたくらむ北朝鮮にのせられた可能性があるというのが一般的な見方のようである。

■めぐみさんは金正恩委員長の日本語教師の可能性がある

拉致問題を精力的に報道し、日本新聞協会賞も受賞している産経新聞は、2017年11月29日付紙面でこんな記事を掲載している。

記事は「乗客乗員115人を乗せた大韓航空機が1987年に爆破されたテロ事件から29日で30年となる」と書き出し、同事件の実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員が韓国国内で産経新聞のインタビューに応じ、横田めぐみさんについて「生存情報を確認している。めぐみさんは生きている」と証言。北朝鮮が帰国させない最大の理由は「めぐみさんが金正日一家の秘密を知ったからだ」と語ったと報じている。

産経の記事によると、金元工作員は1984年6月ごろ、同僚工作員の日本語教育係だっためぐみさんに会っている。金元工作員は「めぐみさんは韓国人拉致被害者の夫との間に女児を出産したが、工作員教育に関わったうえに公にできない『秘密』を知ってしまった。それで北朝鮮は死亡したことにしている。一番は金正日一家との関わりだ」と話した。

金元工作員は、「めぐみさんは離婚した後、金正日一家の日本語教師をしていたとの情報を得た」とも話した。産経の記事は、金正日の息子で現在の最高指導者の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が幼少時に日本語を学んでいたことから「金一家の子供たちが対象だった可能性もある」と指摘している。

■北朝鮮が公にできない「秘密」とは何なのだろうか

北朝鮮が公にできない秘密とは一体、何なのだろうか。さまざまな情報や推測が飛び交い、謎は深まるばかりだが、北朝鮮にとってよほど国際社会に知られては困る秘密があるのだろう。

そもそも日本から無理やり連れてきた13歳の少女がいかにして北朝鮮の最高指導者一家に信頼され、家庭教師という側近中の側近にまで上り詰めたのだろうか。めぐみさんは「必ず日本に帰れる。優しい父が助けに来てくれる」と固く信じ、北朝鮮で相当な努力を続けたはずだ。あの横田滋さんの娘であることから考えると、賢くしっかりした女性に成長したことは間違いない。

滋さんは体が弱り、2017年4月の拉致被害者の救出を求める国民大集会を欠席した。そのときにこんなビデオメッセージを寄せている。

「めぐみちゃん、お父さんですよ。ここら辺で必ず解放されると信じています。いま、めぐみが隣の部屋で待っているような感じがしています。もうすぐ会えるかもしれませんが、体だけは気をつけてください」

このメッセージをテレビのニュースで見て目頭が熱くなったのを覚えている。北朝鮮の金正恩委員長も見ていたと思うが、彼に人の心というものがあるのなら、めぐみさんたち拉致被害者全員を早く帰国させてほしい。

■横田滋さんは講演の依頼を断らない人だった

横田滋さんの死去については新聞各紙が一斉に社説で取り上げた。6月7日付の朝日新聞の社説はこう指摘し、滋さんの死を弔う。

「滋さんは、拉致被害者家族連絡会の代表に就き、妻の早紀江さんとともに全国で1400回以上の講演に駆け巡った」
「やさしい表情で親の情を貫徹する姿を通じて、北朝鮮問題の現実を知り、被害者に思いを寄せた人々は数知れない。重く、つらい人道問題の象徴的な存在だった」

滋さんは講演の依頼を断らなかった。その講演で話す、滋さんのめぐみさんを思う心根に感動した人は多かったはずだ。沙鴎一歩もその1人である。

朝日社説は「2月には有本恵子さんの母、嘉代子さんが亡くなった。未帰還の政府認定被害者の親で生存しているのは、(横田)早紀江さんと有本恵子さんの父の明弘さんだけになってしまった」と高齢化の問題も指摘する。安倍政権はこれまで以上に全力で拉致問題に取り組んでほしい。

最後に朝日社説は「日朝間には、(2002年9月の小泉首相訪朝の際の)平壌宣言を踏まえて6年前に結んだ『ストックホルム合意』がある」と指摘し、こう主張する。

「当時、横田さん夫妻がモンゴルで孫娘と面会したことで機運が生まれ、この合意ができた。滋さんの遺志を引き継ぐためにも、安倍政権はこの合意にもとづく交渉を再開させるよう全力を注ぐべきだ」

この朝日社説の主張は正しいと思う。なぜなら安倍政権は、日朝平壌宣言とストックホルム合意を有効に利用していないからである。

■安倍首相は就任前から「拉致問題解決」を使命とするが…

毎日新聞の社説(6月7日付)は後半で安倍政権に発破をかける。

「会談に官房副長官として同席した安倍晋三首相は拉致問題での強硬姿勢で存在感を高めた。政権に就いてからは自らの手で解決する決意を繰り返し語ってきた」

会談とは、小泉首相訪朝の際の金正日総書記との会談のことである。安倍氏は首相に就く前から拉致問題解決を自らの使命に挙げている。政治的に利用するのはまだ許せるが、一度ぐらいは解決に政治生命をかける強い意志を示し、その結果を私たち国民に見せてほしい。

毎日社説も指摘する。

「ただ取り組みは、ほとんど実を結んでいない」
「14年のストックホルム合意では北朝鮮に再調査を約束させたが、何も得られないまま終わった」
「その後は核・ミサイル問題と同時に解決を図ろうとトランプ米大統領の『最大限の圧力』路線に同調したが、昨年5月には一転して無条件の首脳会談を金正恩朝鮮労働党委員長に呼びかけた。北朝鮮が前年に米韓との対話路線に転じたことを受けたものだが、いまだに反応はない」

要は、金正恩氏は安倍首相を相手にしていないのだ。金正恩氏はトランプ氏と直接交渉できればそれで十分だからである。安倍政権は前述したように、拉致問題の包括調査などを盛り込んだストックホルム合意などを駆使して国際社会に日本の立場を主張して北朝鮮に圧力をかけていかなければ、秘密のベールに覆われた拉致問題の解決はできない。

■「最重要、最優先課題である」と繰り返してきた安倍首相

次に6月7日付の産経新聞の社説(主張)を読んでみよう。他紙とは違い、大きな1本社説である。

その産経社説は「改めて、拉致誘拐という北朝鮮の国家犯罪に怒りを新たにする。北朝鮮は拉致を認めて謝罪した後も再調査の約束すら反故にしたままだ」と強調した後、安倍首相に要望する。

「怒りを国民全ての思いとして結集し、これをぶつけるべき相手は北朝鮮であり、独裁者である金正恩朝鮮労働党委員長である」
「そして国民の怒りを突きつけ、被害者全員の奪還を実現させるのは、日本政府の責務である」
「とりわけ安倍首相は拉致問題の解決を政権の『最重要、最優先課題である』と繰り返してきた。なんとしても自身の手で、めぐみさんらの救出を果たしてほしい」

拉致問題の解決は安倍首相の手腕にかかっている。問題はそれを安倍首相自身がどこまで自覚しているかだ。安倍首相はどんなに忙しくとも、産経新聞の社説だけは読むと聞いたことがある。今回の産経社説の「自身の手で、救出を果たしてほしい」との呼びかけに即時に応えてほしい。

■安倍首相には日朝間の膠着を打開する義務と責任がある

産経社説は「拉致問題は膠着(こうちゃく)状態に陥っている」とも指摘し、こう書く。

「5月19日の閣議で報告された『外交青書』は拉致の解決を『最重要課題』と位置づけ、安倍首相が昨年5月に『条件を付けずに金正恩朝鮮労働党委員長と会い、率直に話をしたい』と表明したことを盛り込んだ。だがその表明からも、すでに1年を過ぎている」

繰り返すが、結局、安倍首相は金正恩氏に馬鹿にされているのである。しかも米朝首脳会談は2度の開催でストップし、北朝鮮は今年に入って短距離弾道弾ミサイルを何度も発射してアメリカをはじめとする国際社会を挑発している。国際社会が経済制裁を緩和しなければ、核・ミサイルの開発を続行するという挑戦状である。

産経社説は訴える。

「安倍首相は滋さんの死去に『痛恨の極み』と言葉を詰まらせ『チャンスをとらえて果断に行動し、(拉致被害者の帰国を)実現したい』と強調した。だが、待っていてもチャンスはやってこない。政府は自ら膠着を破る行動を起こすべきだ。拉致の解決なしに北朝鮮は未来を描けないと理解させる、交渉の原点に返るべきだ」

大賛成だ。安倍首相には膠着状態を打開する義務と責任がある。「拉致の解決なしに北朝鮮は未来を描けないと理解させる」には何が必要か。やはり、トランプ氏に頼らず、既存の日朝平壌宣言とストックホルム合意をうまく使うのがベストだろう。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)











北朝鮮金王朝の家系図 身内も殺害する独裁者金正恩を誕生させた

身内も殺害する独裁者金正恩を誕生させた金王朝3代、満州派抗日パルチザンとして活動した金日成は朝鮮戦争直後、多くの共産派閥の首領たちや自らの派閥の気に入らない輩を次から次に粛清し、誰一人反対派がいなくなり頂点に上り詰めた男。それでも民衆を飢餓させてはならぬとした政治姿勢を貫き、民衆の信用も取り付けていた。
しかし、2代目の金正日になると、そうした統治能力はなく、権力を集中させることだけに務め、対外的にも核開発を行い世界から注目されるようになった。正日は「喜び組」を作るほどの女狂いの人物。

3代目の正恩は、若くして権力を握ったことから、権力集中を完全な形にするため、中国とのパイプ役だった義理の叔父の張成沢(当時№2)を連射砲で処刑、また大幹部の玄永哲大将(人民武力部長)を高射砲で処刑するなど恐怖政治を進めている。
女には狂っていないが、楽団員だった妻の同僚9人を公開処刑するなど、身内・軍や党に関係ない者たちまで処刑するなど、恐怖政治どころか凶悪政治を続けている。まだ33歳、怖ろしや。

金日成の妻は日本軍に対するゲリラ活動の中で、現在、中朝国境線にある白頭山で正日を生んだとされる。権力を承継した正日は、自らを正当化するために白頭山を神格化させ、白頭血統として君臨した。

その息子の正恩が3代目として権力を引き継いだが、コントロールの効かない白頭の血統者が何人もいては寝首を欠かれるやもしれず、今回、マレーシアの空港で、第一血統者である義兄の正男氏を暗殺した。その正男氏の直系血筋の息子ハンソン氏もその対象にあり、中国政府が保護下においている。
正男氏は、父親の正日の女狂いの血を引いてしまったのか、マカオに奥さんとも一人、マレーシアにも現地妻がいるという。日本人女性など何人も各地にいるとされる。


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