富士山頂臨時無線公衆電話
7月1日は富士山の登山開山日ですが今年は残雪が多いので1週間ほど遅れそうですがこの富士山山頂や5合目から9合目までかく室(山小屋)に臨時無線電話を開通させなければならない富士山頂には我社の富士山頂無線局舎があるが去年に廃止したいまは御殿場と富士宮から2.5GHzの無線でかく室(山小屋)にデジタル無線で結んでいるが毎年7月の初めに室(山小屋)の開設と同時にANTを設営して無線電話を開通させて
8月の下旬にまたANTを撤去する仕事がある7月の開設時はまだ梅雨明けまえであるので風雨にて設営が非常に困難で高所で酸素不足で作業員は過酷な仕事である最近はこのデジタル回線で富士山頂のDOCOMOとAUの携帯電話基地局もでき富士山頂で7月~8月には携帯電話がつかえます作業員は富士山頂まで行きはブルトーザーで乗っていきかく室(山小屋)の無線電話を開通させ徒歩で下山していきます富士山頂までブルで行ける知ってましたか!!昔は強力が活躍してましたがこの強力組合が富士山特注のブルトーザーを導入したんですあの富士山レーダー建設のときからです富士山頂に電話が開設されたのは明治40年からだそうで富士山頂に無線局舎ができたのは昭和19年に富士山ー八丈島回線(B29防空警報用)ができてから現在にいたりますが戦後は60MHz帯の多重回線でやってましたがそのご450MHz帯の多重回線になりまして富士山頂局舎に泊り込み無線機を保守しました特に雷の雷害が激しく無線機が半導体化したたときは無線機が全滅して真空管の無線機に戻した歴史もありました保守員は高山病で1度も起き上がれず下山した者も多かったです今年の夏はこんなことを頭にいれて富士登山しませんか
逓信省富士無線中継所
案内 1944(昭和19)年11月、開発されたばかりの超短波多重電話方式を使い東京-八丈島間を結ぶ電話回線が開通した。このとき東京-八丈島を結ぶ無線中継所として逓信省富士無線中継所は開設された。
この電話回線は本土と八丈島を結ぶ老朽化した海底ケーブルに代わる回線として、軍部から短期間に開設するよう要求されていた。このため少ない数の中継所で結ぶために富士山頂に中継所が建設されたのである。1944(昭和19)年7月からはじまった工事は超突貫工事の末4ヶ月後の11月に完了した。その後1948(昭和23)年6月に三宅島経由の新しい電話回線が開通し廃止されるまで使用されていた。
現在もやぐらの基礎や機械室などが残っている。機械室は、元は臨時富士山観測所(富士山測候所の前身)として鈴木靖二氏(故山階宮菊麻呂王殿下の運転手を経て東京自動車学校を設立した実業家)が寄贈した建物で、通称『佐藤小屋』と呼ばれていた。※1
また富士無線中継所跡地に立つ二つの記念碑『富士無線中継所記念碑』と『栗山國雄君殉職碑』(超短波多重通信電解強度試験のために登頂、滞在中に強度の高山病のため亡くなる)には、建設・保守の困難さ過酷さが刻まれている。
富士無線中継所は各方面に多大な影響を与えた。富士無線中継所のために敷設された送電線は富士山の山室を電化し、富士山レーダー誘致につながった。また富士無線中継所に携わった技術者は、この経験を生かしてマイクロ波通信網の建設や衛星通信開発に携わり、無線中継技術発展に寄与した。
※1 臨時富士山観測所(佐藤小屋)については、新田次郎の小説『凍傷』に詳しく書かれているので興味がある人はこちらを参考にしてください。(なお『凍傷』は新潮文庫『強力伝・孤島』におさめられています。)
富士山御殿場口登山道 2合目(1440m)
大石小屋
TZ-2201 加入者無線(2.5GHz)
Camp Fujiに訓練遠征している沖縄海兵隊の部隊が富士登山しました
7月1日は富士山の登山開山日ですが今年は残雪が多いので1週間ほど遅れそうですが
この富士山山頂や5合目から9合目までかく室(山小屋)に臨時無線電話を開通させなければならない
富士山頂には我社の富士山頂無線局舎があるが去年に廃止した
いまは御殿場と富士宮から2.5GHzの無線でかく室(山小屋)にデジタル無線で結んでいるが
毎年7月の初めに室(山小屋)の開設と同時にANTを設営して無線電話を開通させて
8月の下旬にまたANTを撤去する仕事がある
7月の開設時はまだ梅雨明けまえであるので風雨にて設営が非常に困難で高所で酸素不足で
作業員は過酷な仕事である
最近はこのデジタル回線で富士山頂のDOCOMOとAUの携帯電話基地局もでき
富士山頂で7月~8月には携帯電話がつかえます
作業員は富士山頂まで行きはブルトーザーで乗っていきかく室(山小屋)の無線電話を開通させ
徒歩で下山していきます富士山頂までブルで行ける知ってましたか!!
昔は強力が活躍してましたがこの強力組合が富士山特注のブルトーザーを導入したんです
あの富士山レーダー建設のときからです
富士山頂に電話が開設されたのは明治40年からだそうで
富士山頂に無線局舎ができたのは昭和19年に富士山ー八丈島回線(B29防空警報用)ができてから
現在にいたりますが戦後は60MHz帯の多重回線でやってましたがそのご450MHz帯の多重回線
になりまして富士山頂局舎に泊り込み無線機を保守しました特に雷の雷害が激しく無線機が半導体化
したたときは無線機が全滅して真空管の無線機に戻した歴史もありました
保守員は高山病で1度も起き上がれず下山した者も多かったです
今年の夏はこんなことを頭にいれて富士登山しませんか