軍用無線のブログ JA2GZU suzuki shinichi

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2006年07月

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USS Theodore Roosevelt (CVN 71)
原子力空母テオドアルーズベルト号 です


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原子力潜水艦です
















イラク サマーワ自衛隊宿営地



自衛隊イラク派遣(じえいたいイラクはけん)は、イラク戦争初期の2003年(平成15年)12月から2009年(平成21年)2月まで行なわれていた、日本自衛隊イラクへの派遣行為の総称である。その目的は、イラクの国家再建を支援するためである。


イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(イラク特措法)に基づくもので、活動の柱は人道復興支援活動安全確保支援活動である。活動は「非戦闘地域」に限定されていたが、自衛隊創設以来初めて、戦闘地域ではないかとの論議のある地区に陸上部隊を派遣した。

陸上自衛隊は「人道復興支援」のため、比較的治安が安定しているとされたイラク南部の都市サマーワ宿営地を中心に活動し、2006年(平成18年)7月に撤収した。航空自衛隊は陸自の撤収後も輸送活動を継続していたが、2008年(平成20年)12月に輸送活動を終了した。


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派遣内容

規模

派遣期間
11月28日:安全保障会議において航空自衛隊の活動終結を決定。派遣輸送航空隊に対し撤収命令を発出。
12月23日:空自派遣輸送航空隊の全隊員が帰国。
2月:空自イラク復興支援派遣撤収業務隊の任務が終了
7月:イラク特措法、2年の延長期限が切れ失効
人数
  • 陸上自衛隊 約550人(基本計画で600人以下と制約)
  • 海上自衛隊 約330人
  • 航空自衛隊 約200人
派遣機材
  • 航空機 - C-130H(輸送機)
宿営地
  • ムサンナー県サマーワ郊外(北緯31度16分・東経45度13分)、広さ約350ha
  • 活動内容


  • 陸上自衛隊

    陸自によるサマーワでの活動の3本柱は「給水」「医療支援」「学校・道路の補修」の人道復興支援活動であった。

  • 給水
約5万3500トン(1日平均200トン、多い日で250トン以上を給水。延べ約1189万人分)
自衛隊が供給していた浄水装置の10倍強の浄水装置6基の寄贈、設置。
医官らがサマーワ総合病院を筆頭に医療機材の使用法などの医療技術の指導。(277回)
  • 学校等の公共施設の復旧・整備
学校(36校)
道路(31ヵ所、延べ約80km)
診療所(66ヵ所)
  • 現地住民の雇用
公共施設の復旧などで1日平均700人の現地住民を雇用。
  • 復興関連物資の輸送
海上自衛隊

陸上自衛隊の派遣時に、車両約70両などの部隊輸送を艦艇で行った。(平成16年2月20日〜4月8日)

航空自衛隊

空自は主にC-130輸送機による輸送活動が任務。拠点はクウェートのアリ・アルサレム空軍基地に置かれ、イラク南部ナシリヤ近郊のタリル飛行場との間を往復していたが、陸上自衛隊のイラク撤収に伴い多国籍軍・国連のための輸送活動が強化され、危険性が高く避けられてきたバグダッド国際空港やイラク北部のアルビルへも活動を広げている。国連の人員・物資輸送は平成18年(2006年6月20日の計画変更により任務となった。

  • 人道復興支援活動
日本の人道復興支援関連物資や陸上自衛隊が使用する物資・隊員などを輸送。
  • 安全確保支援活動
イラクの治安回復活動に関連した多国籍軍の物資・兵員などを輸送。

兵員輸送と武器・弾薬の取り扱い

武器・弾薬の輸送は行わないとしており(平成15年12月9日小泉首相記者会見)、実施要項の中でも同様に定められているが、兵員輸送などの際に兵士らが通常携行する小銃などの武器・弾薬は人員輸送の一環として輸送している(平成16年8月2日小泉首相答弁)。

輸送活動の実績(平成16年3月3日〜平成20年12月12日)

  • 輸送回数:821回(ここでいう回数とは輸送を行った日数)
  • 輸送物資量:673トン

派遣部隊の交代

陸上自衛隊

  • イラク復興業務支援隊
派遣期間は各期約6ヶ月。隊長は1等陸佐をもって充てられていた。

実活動期間は各期約3ヶ月(表中の期間は編成命令受領から隊旗返還まで)。1等陸佐の群長以下各期500名前後が任務に従事した。
歴代のイラク復興業務支援群
派遣期間 群長 前職 派遣主力部隊
1 2004年1月26日〜2004年6月10日 番匠幸一郎 第3普通科連隊 北部方面隊第2師団
2 2004年4月27日〜2004年9月15日 今浦勇紀 第11後方支援連隊 北部方面隊第11師団
3 2004年7月28日〜2004年12月18日 松村五郎 第21普通科連隊 東北方面隊第9師団
4 2004年11月5日〜2005年3月11日 福田築 第20普通科連隊 東北方面隊第6師団
5 2005年1月28日〜2005年6月10日 太田清彦 第35普通科連隊 中部方面隊第10師団
6 2005年4月26日〜2005年9月3日 鈴木純治 第36普通科連隊 中部方面隊第3師団
7 2005年7月19日〜2005年11月26日 岡崎勝司 第16普通科連隊 西部方面隊第4師団
8 2005年10月11日〜2006年3月4日 立花尊顯 第43普通科連隊 西部方面隊第8師団
9 2006年1月20日〜2006年6月10日 小野寺靖 第34普通科連隊 東部方面隊第1師団
10 2006年4月28日〜2006年7月29日 山中敏弘 第30普通科連隊 東部方面隊第12旅団
  • 陸上自衛隊 後送業務隊
陸上自衛隊のサマーワからの撤収支援を実施(2006年6月26日〜2006年9月9日)。
1等陸佐加治屋裕一隊長(輸送科)以下中央輸送業務隊中央会計隊などを基幹に約100名で編成されていた。

航空自衛隊

  • イラク復興支援派遣輸送航空隊
各期の活動期間は約3ヶ月。1等空佐の司令以下約200名が16期、5年間にわたり輸送活動に従事した。
歴代のイラク復興支援派遣輸送航空隊
派遣期間 司令 派遣期間 司令
1 2004年1月〜2004年4月 新田明之 9 2006年3月〜2006年7月 西野厚
2 2004年4月〜2004年7月 日暮正博 10 2006年7月〜2006年11月 田中久一朗
3 2004年7月〜2004年10月 寒河江勇美 11 2006年11月〜2007年3月 岩本真一
4 2004年10月〜2005年1月 永井昭雄 12 2007年3月〜2007年7月 渡邊弘
5 2005年1月〜2005年4月 野中成竜 13 2007年7月〜2007年11月 新井正弘
6 2005年4月〜2005年7月 金子康輔 14 2007年11月〜2008年3月 赤峯千代裕
7 2005年7月〜2005年11月 池田吉夫 15 2008年3月〜2008年7月 関俊彦
8 2005年11月〜2006年3月 中島聡明 16 2008年7月〜2008年12月23日 北村靖二
  • イラク復興支援派遣撤収業務隊
派遣輸送航空隊撤収後の残務処理に従事。司令は第3期派遣輸送航空隊司令を務めた寒河江勇美1等空佐が補せられた。

部隊編成

派遣された陸上自衛隊の部隊は次のような編成である。

  • イラク復興業務支援隊(隊長:1等陸佐
  • イラク復興支援群(群長:1等陸佐)
    • 本部
    • 本部管理中隊:整備小隊・通信小隊などから構成される。
    • 施設隊
    • 給水隊
    • 衛生隊
    • 警備中隊(中隊長3等陸佐
  • イラク復興支援警務派遣隊(隊長:3等陸佐)
  • 後送業務隊

表彰

2006年(平成18年)11月27日に、イラク復興支援群の編成を担任した部隊等22個部隊等に対して、陸上幕僚長から第2級賞状、第3級賞状が授与された。第2級賞状を授与されたのは、第1師団第2師団第3師団第6師団第8師団第9師団第10師団第11師団第12旅団警務隊第1空挺団中央輸送業務隊特殊作戦群である。また、第3級賞状を授与されたのは、陸上自衛隊研究本部陸上自衛隊補給統制本部自衛隊中央病院通信団情報保全隊北海道補給処第1施設団関東補給処部隊訓練評価隊である。また、本任務に参加した隊員総員に対し第17号及び第35号(当時)防衛記念章が授与された。

また、同年12月14日には、テロ対策特措法及びイラク人道復興支援特措法に基づき派遣された自衛隊員(イラク派遣隊員・インド洋派遣隊員で、幹部自衛官から下は2等陸曹まで)並びに在サマーワ外務省連絡事務所職員等約180名を天皇皇后皇居宮殿で接見。

2007年(平成19年)2月8日には、第10期イラク復興支援派遣輸送航空隊(2006年8月25日から同年12月24日までの間任務に当った。司令は田中久一朗1等空佐)及びその支援部隊に、久間章生防衛大臣から第1級賞状が授与された(省移行後初の第1級賞状授与)。また、同日、齋藤隆統合幕僚長から、田中久一朗1等空佐及び井筒俊司1等空佐に対して、第2級賞詞がそれぞれ授与された。

2007年(平成19年)3月13日に、訪日していたジョン・ハワード豪州首相は、小野寺靖1佐(元第9次イラク復興支援群長)以下12名の元日本部隊隊員と面会し、感謝の言葉を述べた。
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イラク南部サマワから撤退した陸上自衛隊の第10次人道復興支援群の山中敏弘群長(45)ら277人が25日午前7時半ごろ、民間のチャーター機で羽田空港に到着した。派遣された計約600人全員の帰国が終了、2年半に及んだイラク派遣は終わった。今後は航空自衛隊が活動地域を広げて輸送業務にあたる。
 
イラク サマーワ自衛隊宿営地(衛星画像)です
いまはつわものどもの夢のあとでしょうか
後半の画像はサマーワ市内です


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サマワ派兵の陸自宿営地

「攻撃の危険を念頭」に

三重のゲート、重装備

政府・防衛庁が、イラク南部の都市サマワに派兵しようとしている陸上自衛隊部隊の活動拠点として、かつてない厳重警備の宿営地をつくる方針であることが分かりました(図)。陸自部隊が「攻撃などを受ける危険を念頭に置いた」(関係者)措置。「(サマワの)治安状況は比較的安定している」(神崎武法・公明党代表)などというのがごまかしであることを示すものです。

フェンスは二重

 陸自部隊の宿営地には、二重のフェンスを張り巡らし、堀や壕(ごう)も設けます。入り口には、車両が突入できないように障害物を設けてジグザグの通路をつくります。そこに、(1)警備員による検問ゲート(2)金属探知機などによる車両・人員の点検ゲート(3)前方の合図で開閉する後方ゲート-の三重の開閉式ゲートを設置。それぞれのゲートで、武装した自衛隊員が警備にあたります。監視カメラも取り付けます。

 宿営地外で移動する場合は、襲撃に備え、車列の前方と後方に高機動車などを配置し、警戒にあたります。

 政府はすでに、陸自部隊に無反動砲や対戦車弾、装輪装甲車など、かつてない強力な武装をさせることも明らかにしています。

 防衛庁は、陸自部隊の武器使用について定める「部隊行動基準」(ROE=交戦規則)を作成。同規則について「(隊員が)ちゅうちょすることなく適切に武器を使用する」(関係者)よう定める考えです。

給水も宿営地内

 陸自部隊は、宿営地を活動拠点にして給水支援を行うとしています。

 しかし、攻撃を避けるため、基本的には、地元自治体が保有・契約している水タンク車に、自衛隊の宿営地までわざわざきてもらい、給水する形をとります。自治体の水タンク車は、三重のゲートを通り、宿営地の中まで入らなければなりません。イラク国民に直接給水するのは「現地の状況に応じて行う」(関係者)というだけです。

 宿営地などの警備にあたる兵員は百三十人にのぼり、給水などの活動に携わる兵員百二十人を上回るとも報じられています。

 政府内からもすでに「NGO(非政府組織)にお願いして、ミネラルウオーターを送った方が安いという話にもなる」(高官)との声が上がっています。

 陸自部隊は給水支援のほか、建設・修理や医療分野での支援も行うとしています。しかし、建設・修理は、(1)学校の建具などの軽易な補修やグラウンドの整備(2)交通量が少ない道路を選んでの補修や側溝づくり-と極めて限定的なもの。医療も、診療・看護・検査などの技術指導・助言が中心です。


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際だつ安全への配慮 イラクでの陸自活動、具体像判明
イラクの治安悪化の中で、政府がイラク南東部サマワに派遣をめざす陸上自衛隊の部隊編成と安全確保策が明らかになった。派遣要員のうち警備担当に約130人を割き、人道復興支援にあたる約120人を上回った。過去の国連平和維持活動(PKO)とは異質の部隊編成だ。また、主な活動となる給水支援は基本的に鉄条網や壕(ごう)で囲まれた宿営地の内側で行い、移動中に襲撃に遭う危険を最小限に抑える。要員の安全をどう確保するか、政府の苦心が浮かび上がる。

 警備にあたる要員は550人中約130人で、給水、医療、施設といった「人道復興支援活動」に直接従事する要員に匹敵する。

 陸上幕僚監部は、給水や医療などの部隊が少人数で移動し、宿営地外で活動している時が最も危険と判断。機関銃などを載せられる装甲車や軽装甲機動車に分乗した専門の警備要員による護衛をつけることにしている。

 この護衛にあたるのが警備中隊。約130人(3個小隊)は、機関銃や対戦車火器の射撃技術を持った隊員や、装甲車両の操縦ができる隊員などが中心となっている。

 一方、基本計画で「人道復興支援」と規定された活動に直接従事するのは計約120人。内訳は浄水・給水活動にあたる給水隊が約30人、派遣隊員の治療と同時に現地での医療支援にもあたる衛生隊が約40人、宿営地の設営後に公共施設の復旧活動にもあたる施設隊は約50人となっている。

 残る約300人は司令部にあたる部署のほか、通信、整備、補給、輸送など部隊全体の後方支援にあたる要員が占めている。

 これまでのPKOでも警備要員が派遣されたが、ごく少人数で、100人を超す中隊規模の警備部隊の設置は初めて。

 陸自部隊の宿営地はサマワ市街地から南十数キロの見通しが良い砂漠地帯に設営する。自爆テロのトラックなどが突っ込んできても早く気づくことができ、無反動砲や個人携帯対戦車弾による阻止が可能になるからだ。

 約800メートル四方の土地を鉄条網で二重に囲み、堀や壕を掘る。施設内や周辺には赤外線センサーや監視カメラを設置。進入路には互い違いに防護壁を築き、車が一直線に突っ込んで来られないようにする。ゲートも数カ所築き、警備員による検問、金属探知器による点検を重ねる。

 陸自が担う代表的な支援活動は浄水と給水だ。提供する飲料水は1日に約2万人分にあたる70~80トンに及ぶ。

 宿営地内は一定の安全が確保されても、「宿営地の外は危険」(陸自幹部)。このため、浄水・給水活動も基本的に宿営地のなかで行う。宿営地に隣接する水路から水を引き、二重の鉄条網の内側に設置した浄水車で濾過(ろか)。鉄条網と鉄条網の間にサマワ市などが所有する給水車に来てもらい、水を補給する。市民に水を配るのは主にこの給水車の役割になる。

 とはいえ、宿営地内に閉じこもりきりというわけにはいかない。状況が許せば陸自の給水車での配水も行うほか、医療、建設などの支援も予定しており、これらは宿営地の外での活動が中心になる。医療支援ではサマワ周辺の二つの病院に医官を派遣。診察や医師への技術指導にあたる。建設支援では学校や道路の補修を予定している。

 移動の際には車列の前後を走る車が狙われ、車列が動けなくなったところで襲撃されることが多い。このため、先頭と最後尾には装輪装甲車や軽装甲機動車を配置する。 (12/20 06:07)

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防衛省が公表 イラク派遣日報「戦闘拡大」の表現も(18/04/17)




 

サマーワの反応

第1次イラク復興業務支援隊の佐藤正久1佐は、到着直後から積極的に地元首長など有力者と接見し、自衛隊の活動への理解を求め、住民側はこれを快く受け入れた。これは当初、サマーワの住民が、自衛隊が派遣されることにより雇用問題などが劇的に解決されると過剰に期待していたことから[8]、これを訂正する目的もあった。佐藤1佐が帰還する際、有力者に率いられた住民が、宿営地前でデモ活動をして、これが当初、自衛隊に反対するデモと見られたが、実際は日章旗を振りながら佐藤1佐に感謝するデモ活動であった。

自衛隊では地元住民と融和する為、文房具を配ったり[9]、各部族長に羊肉を贈答したり[10]、子供達の前で演奏会を行い[11]スーパーうぐいす嬢作戦を行うなど、様々な対策を行った。「スーパーうぐいす嬢作戦」とは、日本の選挙活動での街宣車うぐいす嬢を捩ったもので、車両で移動する際に市民を見かけたら、自衛隊員から手を振るようにしたものである。この作戦の成果は絶大で、自衛隊の車両が通るときには子供達が自分から手を振るようになった。車列を組む為に車道に進入する際は、地元の車両に対して機銃等ではなく、手を使って合図を送った。また日本の風習を紹介しようとこいのぼりを記事にしたところ、「鯉が竜神になる」点が唯一神教イスラーム教のタブーにふれる事を指摘され修正するなど、地元住民の宗教に対しても気をつかった[12]。佐藤は地元住民との友好関係を「信頼と安全の海」と述べている[13]

しかし、自衛隊の主要任務は水道病院施設などのインフラストラクチャー整備による復興計画であり、直接的な雇用の回復などを期待していたサマーワの住民の思惑とは違っていた[8]。自衛隊との思惑の齟齬でサマーワ市内で自衛隊撤収を求めるデモが起こるが、その数日後には、治安の悪化や劇的ではないにしろ助けにはなっていると、自衛隊の活動を支持するデモも行われる。また、迫撃砲ロケット弾による宿営地攻撃が13回計22発にわたって発生したが、奇跡的に死傷者は出なかった。地元警察、オランダ軍、友好的住民がすぐかけつけるため、照準修正ができなかった事が原因とされる[14]。さらにサマーワは地方都市であるため首長間や住民同士の付き合いが濃密で、市外からのテロリスト・武装勢力が侵入しにくい点が、専守防衛に徹しなければならない為にテロを阻止することができない自衛隊の救いになっている。首長の1人は「日本の自衛隊を攻撃したものは一族郎党皆殺しにする」と公言し、自衛隊の安全確保に一役買った[15]

2005年(平成17年)1月19日に陸上自衛隊をイラクのサマーワに派遣してちょうど1年を迎えるにあたって、同年1月上旬に地元紙アッサマワが現地のムサンナ州の住民1000人を対象アンケート調査が行われた。その調査によると、日本国政府の陸上自衛隊派遣延長についての支持が78%、不支持は13%であることが明らかになった。また、自衛隊の活動に対して不満と答えた人は約3割おり、その主な理由を「事業が小規模」とあげた人が半数近く上るなど、大規模な都市整備などの活動が望まれている。自衛隊の望ましい駐留期間も、「1年」と「1年以上」で約70%以上を占め、2004年の調査の結果とほぼ変化はなかった。

オランダ国軍が2005年(平成17年)3月でイラク派遣(ムサンナ州の警備)を終了する旨を表明。当初、撤収の後には米軍か英軍が進駐すると思われ、その際にはこれらを狙う武装勢力も侵入する恐れがあり、自衛隊の安全が保たれるか不安の声が上がった。また武装勢力によってサマーワの治安が悪化することも考えられたが、オランダを引き継いでムサンナ州入りしたのは、米軍よりは評判のよいオーストラリア軍と英軍であり、混乱は起こらなかった。

しかし、2005年(平成17年)5月末から6月にかけて、自衛隊への投石、日章旗落書き、手製爆弾攻撃(負傷者なし)が一時的に発生した。このため急遽、任務が終わった給水要員の一部を転用して警備要員を増やし、宿営地外での活動を3時間から1時間に削減するなどの対応をとった。用件を1時間以内で終わらせて宿営地へ帰還する自衛隊に対し、市民からは「自衛隊は市民を怖がっている」「自衛隊は隠れているだけ」といった批判も聞こえるようになった。

これらの事件の背景には、自衛隊の活動内容と一部の地元首長や住民の要望に乖離があったためと見られるが、日本はサマーワに対して資金的な援助(道路・橋梁・学校・病院の建設や修繕にかかわる援助と円借款)も行っており、この資金の分配(主に地域別の建設や修繕の優先順位)を巡って首長間の意見対立が起こり、一連の事件の要因になっているとも言われる。事件後に陸上自衛隊がサマーワ市長に苦言を告げたところ、このような行動は一切無くなった。また自衛隊では、これらの事件のたびに各首長と面談し、自衛隊の活動に理解を求めると共に、自衛隊の活動停止をカードとして、首長や住民代表と慎重な調整を行っており、サマーワの平穏をもたらしてきた。

日本政府は2006年(平成18年)6月に自衛隊の撤収を命令した。これを受け、共同通信社がサマーワ市民に、自衛隊の活動に対する評価アンケートを行ったところ、78.7パーセントが復興支援に「満足している」と答えた。一方、「自衛隊は占領軍である」と答えた住民は12.4パーセントで、過去4回の調査で初めて1割を超えた。朝日新聞が8月31日に発表した調査では、自衛隊駐留に対し肯定的評価が71パーセント。自衛隊の活動について、「人々に大いに役立った」が28パーセント、「ある程度役立った」が39パーセントという評価となった[16]。自衛隊は給水水量5万3500トン、医療技術指導277回、新生児死亡率1/3、総雇用人員48万8000人の数字を残して撤収した[17]

撤収発表と前後して、サマーワ市内や郊外で爆発や市幹部の暗殺が発生した。イラクの他の地域より安定しているとされてきたサマーワも、治安の悪化が問題となっている。

自衛隊のサマーワ撤収より6年後、2013年3月20日、朝日新聞の元現地助手が報告したところによると、自衛隊による道路の整備については質が悪く、多くをやり直す必要があったとして「失敗」としている。ただ、サマーワの人々の批判は、自衛隊ではなく、武装勢力の妨害や州政府の腐敗に向かっており、自衛隊には感謝しているとされる。また、サマーワの病院への支援や、火力発電所の建設は高く評価されている。サマーワの病院では難しい手術を実施できるようになり、イラクの南部地域でも最高のレベルの医療技術を持つようになったという。他、復興支援活動で、莫大な資金が投入された結果、人々の経済格差が開いたともされる[18]


サマーワ・ムサンナー県の治安状態

陸上自衛隊活動期間中のサマーワを中心としたムサンナー県の治安に関わる主な攻撃・事件。

陸自に関わるもの
2004年10月22日から2005年7月4日まで4回連続して各1発ずつのロケット弾が宿営地内に着弾した。うち2004年10月31日の攻撃は、宿営地西側に置かれた荷物用コンテナを貫通した。当時の隊員の宿舎はテントであったが、陸上自衛隊は隊員の安全強化のため砲弾を通さないコンクリート宿舎を築造した[20]
  • 2005年6月23日 - サマーワ郊外で陸自車両に対する路肩爆弾(IED)による攻撃(車両が破損)[21]
路肩爆弾による攻撃の発生は、これがイラクで活動する米兵に対する主要な攻撃法であり、また米兵の主要な死亡要因であるため治安の悪化が懸念された。
空自に関するもの
  • 米兵をバグダッド空輸の際、地上から携帯ミサイルで狙われた。[22]
オランダ軍に関わるもの
オランダ軍部隊は陸自と同じくムサンナー県で活動していた。陸自が人道復興支援活動を行なうのに対してオランダ軍は治安維持活動にもあたっていたため、武装勢力などとの衝突もいくらか発生し、2005年3月のイラク撤収までに死者2人を出す一方で、任務活動によってイラク人数人を殺害ないし死亡させている。
  • 2004年5月10日 - サマーワ中心部で警備中に手榴弾の攻撃があり、オランダ軍兵士1人が死亡、1人が重傷を負った[23]
  • 2004年8月14日 - サマーワ近郊のルメイサで、パトロール中の車両にロケット弾の攻撃があり、オランダ軍兵士1人が死亡、5人が重傷を負い、武装勢力側のイラク人2人も死亡した[24]
  • その他パトロール隊などへの攻撃に加え、オランダ軍の宿営地に対しても陸自と同様の攻撃が継続して発生した。
地元住民に関わるもの
サマーワでは停電や雇用に関する不満が大きく、地元行政当局などに対して住民によるデモが度々起こり、暴徒化によって警官隊との銃撃戦に発展することもある。特に2005年8月7日の州知事の解任を要求した1000人以上の大規模デモでは、暴徒化によりデモ隊の1人が死亡、警官20人を含む約60人が負傷する事態となった[

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VRC-83 VHF/UHF AM RADIO
AN/PRC-113 送受信周波数116MHz~149.975MHz, 1360チャンネルと
225MHz~399.975 MHz, 7000 チャンネル, 電波形式AM, 送信出力3 W.
これをVRCタイプにして30Wアンプを組み込んであります

最後の画像は我が家のムサシ(茶トラ3才オス)わたしが新聞を読み始めると必ず邪魔します

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