2005年07月
アマチュア無線 軍用無線 その他 イラク戦線
アマチュア無線 軍用無線 その他 Kitty Hawk's
3月10日 東京大空襲【女子通信隊】戦時中、防空のため陸軍に女性だけの部隊があった。その部隊は、敵機の情報を司令室に伝える役割を担っていた。
【女子通信隊】戦時中、防空のため陸軍に女性だけの部隊があった。その部隊は、敵機の情報を司令室に伝える役割を担っていた。
戦時中、少女たちが憧れた「女性だけの陸軍部隊」。元隊員が見た「戦争」とは
に設置された「超短波警戒機乙」はマリアナから出撃するB-29を真っ先に捉えることができたが、乙型レーダーの探知距離は最大で250㎞であり、八丈島から東京までの距離が300㎞で合計550㎞の距離しかなく、巡航速度が約400㎞/hのB-29であれば一時間ほどで到達してしまう距離で、八丈島から報告を受けて日本軍が迎撃の準備を行う時間的余裕はあまりなかった
そこで富士山に中継所をもうけ東京に伝達したそれが逓信省~電電公社~NTTに受け継がれた
富士山無線中継所です
【女子通信隊】
東部軍女子通信隊 第一回
東部軍女子通信隊 最終章
昭和東京カラー映像②
東京大空襲
映画『樺太1945年夏 氷雪の門』予告編
東京都平和の日(3月10日 記念日)
東京都が1990年(平成2年)7月に「東京都平和の日条例」で制定。
1945年(昭和20年)3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B29爆撃機344機による焼夷弾を用いた大空襲が行われた。東京は一夜にして至る所が焼け野原と化し、多くの尊い命が失われた。死者約10万人・焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害であった。
記念日は平和国家日本の首都として、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓い制定された。東京都では、東京空襲で犠牲となられた方々を追悼すると共に、平和意義を確認し、平和の意識の高揚を図るため、この日に「東京都平和の日記念式典」及び「東京空襲資料展」を実施している。
東京空襲の史実を風化させることなく、今日の平和と繁栄が尊い犠牲の上に築き上げられていることを次代に語り継ぎ、平和が永く続くことを祈念するため、2001年(平成13年)に東京都は「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」を東京都墨田区の都立横網町公園の中に設置した。
東京
- 1942年(昭和17年)4月18日 - ドーリットル空襲。
- 1944年(昭和19年)11月24日 - マリアナ諸島のB29による初空襲。B29・111機が出撃し、途中故障で引き返した機を除き88機が爆撃に参加。中島飛行機武蔵製作所(現在の武蔵野市)が目標。 東京はこれ以後106回の空襲を受けた。11月27日には中島飛行機武蔵製作所2回目の空襲。中島飛行機武蔵製作所は初回から最後の翌年の4月12日まで11回空爆される。
- 1945年(昭和20年)2月16日 - 米空母機動部隊艦載機による本土初空襲(ジャンボリー作戦)。関東の航空基地と軍需工場が標的。(ドイツでは2月13日からドレスデン爆撃)
- 3月10日 - 東京大空襲(下町大空襲)。死者約8万-10万。負傷4万-11万名。焼失26万8千戸。
- 4月13日 - 城北大空襲。B29・330機。死者2459名。焼失20万戸。主として豊島・渋谷・向島・深川方面。
- 4月15日 - 城南京浜大空襲。B29・202機。死者841名。焼失6万8400戸。主として羽田・大森・荏原・蒲田方面。隣接している川崎市も同時に空襲を受けた。
- 5月24日 - B29・525機。死者762名。焼失6万5千戸。主として麹町・麻布・牛込・本郷方面。
- 5月25日 - 山手大空襲。B29・470機。死者3651名。焼失16万6千戸。主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。国会議事堂周辺や皇居の一部も焼失。
名古屋
1944年(昭和19年)12月13日以降、名古屋は軍需工業地帯が集中していたため下記の大空襲を含む63回の空襲を受けて死者8630名、負傷者11164名、罹災者52万3千名の被害を出した。実際には死者は1万名以上にのぼるとみられる。
- 3月19日 死者1037名。負傷者2813名。焼失3万6千戸。
- 5月14日 B29・480機。この日の空襲で名古屋城が焼失した。
- 6月9日 熱田空襲 B29・43機。死者2068名。負傷1944名。
- 6月21日 B29・120機。死者426名。負傷者327名。
大阪
大阪は1945年(昭和20年)2月26日以降、 下記の大空襲を含む33回の空襲を受けた。
神戸
神戸は1945年(昭和20年)1月3日以降、下記の大空襲を含む83日・128回、死者8841名、負傷18404名、焼失12万8千戸の被害を終戦までに受けた。同年3月17日の大空襲で旧市街地の西の地域を中心に焼失する。
- 1945年3月17日 神戸大空襲 B29・309機。死者2598名。負傷者8558名。全焼6万5千戸。罹災人口23万6千名。
- 5月11日 B29・92機。死者1093名。負傷者924人。
- 6月5日 B29・481機。死者3184名。負傷者5824名。全焼5万5千戸。罹災人口21万3千名。
京都
京都は1945年(昭和20年)1月16日以降、合計20回以上の空襲を受けて死者302人、負傷者561人の被害を出した(京都空襲)。
- 1945年1月16日 死者41人
- 3月19日
- 4月16日
- 4月22日
- 5月11日 京都御所へ空襲。
- 6月26日 死者43人、負傷者66人、被害家屋292戸(全壊71戸、半壊84戸、一部損壊137戸)。被災者850名
横浜
- 1945年(昭和20年)5月29日 横浜大空襲 B29・475機、P51・約100機。死者3787人。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千-1万人にのぼることが確実と考えられている。
- 神奈川県下の空襲は合計52回。 罹災者64万4044名、焼失14万3963戸の被害。横浜は内25回(上記の大空襲を含む)#
1944年
- 6月15日 八幡空襲 中華民国の成都の基地から初めてB29が本土を空襲した。
- 10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての米艦載機による空襲(フィリピン進攻の準備作戦)。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
- 10月25日 大村大空襲 当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。
- 11月21日 熊本初空襲
1945年3月
- 3月1日 台南初空襲 日本統治時代の台湾台南市
- 3月18日朝大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
- 3月18日朝 鹿児島初空襲 グラマン・カーチス等の艦載機40機が桜島上空に現れ、郡元町にある海軍航空隊を急降下爆撃。
- 3月19日 呉軍港空襲 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しての日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。呉市における初の空襲であり、軍人・軍属の死者62名。またその進路下の民間人の罹災者347名(うち死者29名)
- 3月27日 小倉大空襲
1945年4月
- 4月4日 立川空襲 死者144名。陸軍航空工廠と立川飛行場がターゲット。残堀川沿いにあった山中坂の防空壕に焼夷弾が直撃し、42名が死亡した。
- 4月8日 玉野空襲
- 4月12日 郡山空襲
- 4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
- 4月20日 倉敷空襲 帯江地区が被害を受けた。
- 4月21日 鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。時限爆弾が投下され、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理にあたった。
1945年5月
- 5月5日 呉市空襲 広地区海軍工作庁を中心に爆撃。B29延べ130機が爆撃、広工廠・11航空廠は大半焼失。軍属の死者112名(軍人除く)。民間死者32名。被災者1,000人以上。
- 5月10日 徳山大空襲 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・117機。死者500人以上、負傷者約1000人。
1945年6月
- 6月1日 尼崎空襲 死者231人。奈良市内に初空襲。
- 6月10日 阿見大空襲(土浦海軍航空隊一帯) 死者374人。
- 6月10日 日立空襲 死者1200人。
- 6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
- 6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
- 6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
- 6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
- 6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
- 6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射など小規模な爆撃を受けている。
- 6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
- 6月22日 姫路空襲(川西航空機姫路製作所とその周辺) B29・52機、死者341人、罹災者10220人。
- 6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
- 6月22日 各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
- 6月22日 呉空襲 工廠への爆撃 死者1600人。
- 6月26日 奈良空襲
- 6月28日 呉大空襲
- 6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
- 6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。
1945年7月
- 7月1-2日 熊本大空襲
- 7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人
- 7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
- 7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29・106機。死者173人、重軽傷者160人余、罹災者45,182人、全焼家屋約1万300戸。姫路城は焼失を免れる。
- 7月4日 高松空襲 B29・116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
- 7月4日 徳島大空襲 B29・129機 死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
- 7月4日 高知大空襲 B29・125機 死者401人、重傷95人、軽傷194人、不明22人、罹災人口40,737人。罹災面積4,186,446平方m、全焼壊11,804戸、半焼壊108戸。
- 7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。
- 7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。
- 7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
- 7月7日 明石空襲 6回目 B29・124機。油脂焼夷弾・約70,000発(975トン)。死者355人。市街地の63%が焼失。
- 7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
- 7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
- 7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
- 7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
- 7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。
- 7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。日本海側初の空襲
- 7月13日 1回目の一宮空襲。午後8時頃、B29約20機の編隊が、愛知県一宮市内北部の葉栗・西成両地区と今伊勢町に油脂焼夷弾を投下、20数名の死者。
- 7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
- 7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土と青森県に及んだ。青函連絡船全12隻も被害に遭い、青函航路が途絶した。
- 7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
- 7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
- 大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。一連の空襲での死傷者は1,193人。
- 7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名
- 海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
- 7月17日 沼津大空襲 B29・130機 焼夷弾9,000発。死者274人。沼津海軍工廠・海軍技術研究所音響研究部が置かれた同市はこの他にも7回の空襲を経験。
- 7月17日桑名空襲
- 桑名は7月24日にも空襲を受けた。
- 7月17日 日立艦砲射撃(日立市・ひたちなか市)。死者394人。アメリカの戦艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦9隻とイギリスの戦艦3隻によるもの。
- 7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
- 7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。
- 7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。
- 7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。
- 7月19-20日 岡崎空襲 B29・126機。死者203人。
- 7月23日 犬山空襲
- 7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
- 7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
- 7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。
- 7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍のF6F艦上戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。
- 7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている
- 7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)なお、松山地方裁判所検事正からの7月30日付の報告書には、死者301名、重軽傷者520名、行方不明12名、罹災民約82,000名と記されている。
- 7月26日 平空襲
- 7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
- 7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。
- 7月28日 青森大空襲 B29・61機。死傷者1767人。焼失家屋18,045戸(市街地の88%)。新型のM74六角焼夷弾が使用され、東北地方では最大の被害を出した。
- 7月28日-29日 2回目の一宮空襲。午後10時頃、B29約260機が愛知県一宮市上空に侵入し、油脂焼夷弾の波状攻撃を行った。2回に及ぶ空襲で市街地面積の80%が灰燼に帰し、罹災戸数は全市戸数の83%にあたる10,468戸、罹災者は全市人口の71%にあたる41,027名、内死者727名、負傷者4,187名に達した。
- 7月28日-29日 宇治山田空襲。市街地面積の5割に相当する27,751.35m2、全戸数の3割に相当する4,517戸を焼失、総人口の35%に相当する22,600人が罹災(死者75人、負傷者111人)。伊勢神宮の正殿は内宮・外宮とも無事であった。
- 7月29日 浜松艦砲射撃。死者177人。周辺の被害も含む。
- 7月29日 大垣空襲。死者50人、負傷者約100人、全半壊家屋約4,900戸、罹災者約30,000人。大垣城、開闡寺などが焼失。
- 7月29日 津市の国宝建造物である観音寺本堂、大宝院本堂(阿弥陀堂)、西来寺奥殿が戦災で焼失。
- 7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。
- 大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。一連の空襲での死傷者は1,193人。
- 海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
- 桑名は7月24日にも空襲を受けた。
1945年8月
- 8月1日 水戸空襲 B29・99機。死者242人。負傷者1293人。罹災人口5万605人。
- 8月1日 八王子空襲 B29・169機。死者445人。負傷者2000人以上。焼失家屋14,000戸。罹災人口77,000人。
- 8月1日 長岡空襲 B29・125機。死者1486人。焼失家屋11,986戸。
- 8月2日 富山大空襲 B29・174機。死者2737人。負傷者7900人。焼失家屋24,914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
- 8月5日 前橋空襲 B29・92機。死傷者1323人。
- 8月5日 佐賀空襲
- 8月5-6日 今治空襲 B29・約70機。死者454人、重傷者150人、被災者34,200人、市街地の80%が焼失。
- 8月6日 広島原爆
- 8月7日 豊川空襲。豊川海軍工廠が空襲で壊滅。死者2477人。
- 8月8日 福山大空襲 B29・91機。死者354人、負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人(福山市民82%が被災)。同年6月にはグラマンF6F艦上戦闘機によって福山海軍航空隊への機銃掃射が行われていた。
- 8月8日 八幡大空襲。B29・127機。死者2952人、焼失家屋数14,380戸。このときの火災による煙が、翌日の原爆の投下目標を小倉から長崎に変更させる一因となった。
- 8月9日 長崎原爆
- 8月9日 大湊空襲。死者129名、負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。
- 8月9日 釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人。爆音は秋田市まで響いたという。
- 8月10日 花巻空襲、熊本空襲
- 8月11日 久留米空襲。日中、B-24が市街地を空襲し、久留米駅が全焼。死者約210人。焼失家屋4,506戸。
- 8月11日 加治木空襲 ダグラスA-20爆撃機18機による2回目の空襲。死者26人。役場をはじめ、諸官庁、学校がほとんど焼失。送電線・電話線も焼け、ラジオも聞けなかった。
- 8月12日 阿久根空襲 日中、ロッキードP-38爆撃機が阿久根市中心部と市街地を空襲。死者14名、負傷者多数、被災家屋850戸以上。市街地が壊滅状態となり行政機関や阿久根駅も全焼。
- 8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機62機による空襲。
- 8月14日 岩国空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
- 8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
- 8月14-15日 熊谷空襲 B29・89機。死傷者687人。
- 8月14-15日 伊勢崎空襲 B29・93機。
- 8月14-15日 小田原空襲 死者30-50人。伊勢崎と熊谷を空襲したB29が帰路に余った爆弾を投下した[63]。
- 8月14-15日 土崎空襲 B29・132機。死者250人超、製油所全滅。
- 8月22日 豊原空襲 樺太の戦いにおいて、ソ連軍機が南樺太の豊原市街を爆撃。民間人死者100人以上、焼失家屋400戸以上
- 8月5日 前橋空襲 B29・92機。死傷者1323人。
- 8月5日 佐賀空襲
- 8月5-6日 今治空襲 B29・約70機。死者454人、重傷者150人、被災者34,200人、市街地の80%が焼失。
- 8月6日 広島原爆
- 8月7日 豊川空襲。豊川海軍工廠が空襲で壊滅。死者2477人。
- 8月8日 福山大空襲 B29・91機。死者354人、負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人(福山市民82%が被災)。同年6月にはグラマンF6F艦上戦闘機によって福山海軍航空隊への機銃掃射が行われていた。
- 8月8日 八幡大空襲。B29・127機。死者2952人、焼失家屋数14,380戸。このときの火災による煙が、翌日の原爆の投下目標を小倉から長崎に変更させる一因となった。
- 8月9日 長崎原爆
- 8月9日 大湊空襲。死者129名、負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。
- 8月9日 釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人。爆音は秋田市まで響いたという。
- 8月10日 花巻空襲、熊本空襲
- 8月11日 久留米空襲。日中、B-24が市街地を空襲し、久留米駅が全焼。死者約210人。焼失家屋4,506戸。
- 8月11日 加治木空襲 ダグラスA-20爆撃機18機による2回目の空襲。死者26人。役場をはじめ、諸官庁、学校がほとんど焼失。送電線・電話線も焼け、ラジオも聞けなかった。
- 8月12日 阿久根空襲 日中、ロッキードP-38爆撃機が阿久根市中心部と市街地を空襲。死者14名、負傷者多数、被災家屋850戸以上。市街地が壊滅状態となり行政機関や阿久根駅も全焼。
- 8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機62機による空襲。
- 8月14日 岩国空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
- 8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
- 8月14-15日 熊谷空襲 B29・89機。死傷者687人。
- 8月14-15日 伊勢崎空襲 B29・93機。
- 8月14-15日 小田原空襲 死者30-50人。伊勢崎と熊谷を空襲したB29が帰路に余った爆弾を投下した[63]。
- 8月14-15日 土崎空襲 B29・132機。死者250人超、製油所全滅。
- 8月22日 豊原空襲 樺太の戦いにおいて、ソ連軍機が南樺太の豊原市街を爆撃。民間人死者100人以上、焼失家屋400戸以上