Camp Fujiに訓練遠征している沖縄海兵隊の部隊が富士登山しました

1962年 7月9日 アメリカが高高度核爆発実験「スターフィッシュ・プライム」を実施


スターフィッシュ・プライム Starfish Prime

1962年7月9日 09時00分 ジョンストン島  1.4メガトン
フィッシュボール作戦での実験。高度400kmの外気圏で実施され、通信衛星テルスターNASAの人工衛星トランシット4A、イギリス初の人工衛星アリエル1号[など、当時低軌道を飛んでいた人工衛星の3分の1が破壊された。
また、核爆発によって発生した電磁パルスの影響は予想外の広範囲に及び、人工のオーロラを発生させると共に、爆発した上空から約1,400km離れたハワイでも数百の街灯故障を引き起こしたほか、ハワイの電話システムをダウンさせた


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キングフィッシュ Kingfish

1962年11月1日 12時10分 ジョンストン島 410キロトン
フィッシュボール作戦での実験。PGM-17型ソー・ミサイルと、W-50型核弾頭を組み合わせて高度97kmで行われた。
爆発の影響で美しいオーロラが発生したが、同時に広い範囲の電離層が崩壊したため、太平洋中部の無線通信が3時間以上に渡って混乱した

ドミニク作戦

ドミニク作戦は、1962年にアメリカ合衆国が行った105回にも及ぶ核実験である。実施された作戦のうち、太平洋核実験場で行われたものをドミニク作戦Iネバダ核実験場で行われたものをドミニク作戦IIと呼ぶことがある

本作戦は、ソビエト連邦が1958年から1961年にかけて行っていた核実験の一時停止を放棄したことに対して、アドバンテージを取るために迅速に実施された。核実験の多くは、B-52爆撃機からの空中投下により行われた。実験のうち20回では、新型兵器のテストが行われた(6回は兵器の威力のテスト、そして数回は現存兵器の信頼性確認テストが実施された)。また宇宙空間に近い高高度核爆発のテストでは、核弾頭を打ち上げるために“PGM-17型ソー”ミサイルが使用された(これらの実験は、まとめてフィッシュボール作戦と呼ばれた)

ドミニク作戦は、キューバで起きたピッグス湾事件から間もない、米ソ冷戦の緊張が最も高い時期に実施された。1961年8月30日に当時のソ連共産党書記長ニキータ・フルシチョフは、ソ連が3年間続けていた核実験の一時停止を終了し、9月1日から実験を再開すると宣言した。この再開後の実験の中には、人類史上最大の核実験であるツァーリ・ボンバも含まれていた。当時の米国大統領ジョン・F・ケネディは、これにドミニク作戦の実施を承認することで応えた。なお実験の翌年である1963年には、モスクワで米国、ソ連、及びイギリスの間で部分的核実験禁止条約が調印され、以降の大気中での核実験が禁止された(本条約の調印以降は、地下核実験が主体となって行った)。



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「電磁パルス攻撃」の脅威 上空の核爆発で日本全土が機能不全に

北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルで挑発を続けるなか、もう一つの深刻な脅威として「電磁パルス攻撃」の可能性が指摘されている。上空で核爆発を起こし、広範囲で都市機能を破壊するものだ。北朝鮮は既に攻撃能力を持つとみられるが、日本の対策はほぼ手つかずで、専門家からは懸念の声が上がる。(小野晋史)

大規模停電の恐れ

 電磁パルス攻撃は、高度30~400キロの上空で核爆発を起こして行う。その際に生じたガンマ線が大気を構成する窒素や酸素などの分子に衝突。分子に含まれる電子がはじき飛ばされて雷のような巨大な電流が発生するなどした結果、強力な電波の一撃である電磁パルスが地上に襲いかかる。

 電磁パルスは送電線を伝ってコンピューターなどの電子機器に侵入。その電圧は5万ボルトに達するため、機器はIC(集積回路)の機能停止で損壊し、同時に大規模な停電も発生すると予測されている。核爆発に伴う熱線や衝撃波は、地上には届かない。

 影響範囲は爆発の高度や規模によるが、高度100キロで広島型原爆の3分の2に相当する10キロトン(TNT火薬換算)の場合、日本全土をほぼ覆う半径約1100キロにも達する。

 1962年に米国が北太平洋上空で行った高高度核実験「スターフィッシュ・プライム」では、高度400キロの宇宙空間での核爆発で電磁パルスが発生。爆心から1400キロも離れた米ハワイ・ホノルルなどで停電が引き起こされ、その威力が実証された

空から襲う“津波”

 現代社会は電気なしでは成り立たない。電磁パルス攻撃によって大規模な停電が発生し、公共インフラを支える電子機器が損壊すれば、都市機能はまひする。

 電話やインターネットなどの通信やガス、水道の供給が停止。飛行中の航空機が操縦不能になったり、電力を絶たれた原子力発電所が制御不能に陥ったりする恐れも指摘されている。

 米国の専門家チームが今世紀に入ってまとめたシナリオでは、10キロトンの核爆弾がニューヨーク付近の上空135キロで爆発した場合、被害は首都ワシントンを含む米国東部の全域に及ぶ。

 損壊した機器を修理する人員や物資が大幅に不足し復旧には数年を要し、経済被害は最悪で数百兆円に達する。電磁パルスは健康に直接影響しないとされるが、食糧不足や病気などで死傷者は数百万人に上ると推定している。

 元陸上自衛隊化学学校長の鬼塚隆志氏は「電磁パルス攻撃は宇宙から襲う津波のようなものだ。被害を完全に防ぐことは難しくても、備えを固めるなどして減災に取り組む必要がある」と強調する

「日本は無防備」

 電磁パルス攻撃は地上への核攻撃と違い、ミサイルの弾頭部分を大気圏再突入時の高熱から守る技術は必要ない。小型の核弾頭を搭載したミサイルを発射し、目標上空で起爆するだけだ。

 米国防総省の内部では、北朝鮮が既に核弾頭の小型化に成功したとの見方もある。成功が事実なら、弾道ミサイルや人工衛星を搭載したロケットが上空を通過するとみせかけ、日本の真上の宇宙空間で核爆発を起こすことも可能だ。日本の領土や領海に着弾する恐れがない場合、迎撃ミサイル発射のタイミングを逃す可能性は十分にある。

 電磁パルス攻撃は米国やロシア、中国も能力を保有しているとされる。核爆発以外の方法でも可能だ。米露中のほか、北朝鮮や中国の脅威にさらされる韓国や台湾でも、インフラや軍などの防護対策が進んでいる。

 これに対し日本は取り組みが遅れている。電子戦に関わる研究開発を担う防衛省の電子装備研究所は、電磁パルス攻撃を受けた場合に「(自衛隊の)指揮・統制機能が無力化される恐れ」があるとして、今秋にも防護技術の動向調査を始める。

 だがその内容は攻撃の脅威に関する調査や、防護技術の実現に向けた課題の明確化など基礎的な検討にとどまる。

 電磁パルスが防衛装備品に与える影響に詳しい企業関係者は「日本には、電磁パルス攻撃への備えがまともに存在しない。社会全体が無防備な現状は非常に危険だ」と警鐘を鳴らす。



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フィッシュボール作戦
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「核のフットボール」

【広島訪問】原爆慰霊碑前でも機密装置「核のフットボール」
2016年5月28日


来日したオバマ米大統領が帯同した軍人が、ずっと持ち歩いていた黒い革かばんがある。
 オバマ氏が27日に訪れた広島の原爆死没者慰霊碑前でも、軍人の足元に置かれていた。かばんは、
「核のフットボール」と呼ばれる機密装置。大統領が米軍最高司令官として核攻撃をいつでもどこでも承認できる
ようになっている。
 「スミソニアン・マガジン」(電子版)によると、機密装置は、アルミニウムのフレームと黒い革でできており、
重さは約45ポンド(約20キロ)。一般に信じられているような大きな赤いボタンはない。軍事顧問が寄り添い、
大統領が持つ認証コードで身元を確認する。国防総省の軍事指揮センターと連絡が取れ、「一撃で米国の全ての
敵を破壊する」「特定の都市を消失させる」といった攻撃手法を選べる。

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核のフットボール
核のフットボールとは、司令部を離れたときでもアメリカ合衆国大統領が核攻撃に許可を出せる道具が入った黒いブリーフケースである。このブリーフケースは、アメリカ軍の戦略的防衛システムにおいて、ホワイトハウス地下のシチュエーションルームなど、固定された司令部に対する、移動可能な拠点として機能する。2016年5月27日、オバマ大統領の広島訪問に伴い、71年前の世界初の原爆投下地点の真下に持ち込まれた
ワシントン・ポストの報道によれば、米大統領には核兵器の発射コードとフットボールを携帯した軍事顧問1名(military aide)が常に随伴している[2]。このフットボールとは、ゼロハリバートン社の金属製のブリーフケース(アタッシェケース)であり、黒い革のカバーで覆われている[3]。鞄の重さはおよそ20キログラムで、持ち手のところには、小さなアンテナが伸びている[4]。
ホワイトハウス警護室(英語版)のトップであったビル・ガリー(Bill Gulley)は、著書である「ブレイキング・カヴァー」のなかで、こう書いている[4]。
フットボールには4つのものが入っている。報復措置を記した黒い手帳(The Black Book)、“極秘の場所”を一覧化した本、緊急警報システムの手続きをまとめた、8ページから10ページほどの紙をはさんだマニラフォルダー[5]、認証コードが書かれた3×5インチサイズのカードの4つだ。黒い手帳は9×12インチの大きさで、黒と赤で印刷された75枚のルーズリーフがはいっている。機密扱いの場所が載った本は黒い手帳と同じぐらいの大きさで、やはり黒い装丁である。アメリカ国内で緊急時に大統領を受け入れ可能な場所が載っている。
— ビル・ガリー『ブレイキング・カヴァー』より
最高指揮官である大統領が核兵器の使用を決断した場合、フットボールの「運び人」がそばに呼ばれ、鞄が開けられる。すると統合参謀本部に指令信号、あるいは「警告」のアラームが送られる。大統領は顧問と攻撃についてとりうる選択肢を協議し、単発の巡航ミサイル射撃から大陸間弾道ミサイルの連射まで幅広い手段のなかから攻撃案を決定する。これらはOPLAN 8010(以前の単一統合作戦計画)のもとで予め決められた戦争計画の一部である。そして鞄の中にある何らかの通信技術を用いて、顧問は国家軍事指揮センターと連絡をとる。あるいは報復攻撃の場合であれば、複数の空挺部隊の司令部(おそらくボーイングE-4Bを出動させる)または、あるいは同時に核武装した潜水艦とも交信を行う。
命令が軍によって実行されるためには、プラスチック製のカードの形で発行された特別なコードを使って大統領が本人と認識される必要がある。このコードは「ビスケット」というニックネームがつけられておりゴールド・コード(英語版)とも呼ばれる[6]。アメリカはツーマンルールを実施しており、大統領だけが核兵器の発射を命ずることができるのだが、その命令は国防長官の確認を受けなければならない(大統領が攻撃によって殺害された場合は権限の継承順位に従う)[6]。コードが全て認証されると、軍はしかるべき部隊へ攻撃命令を出す。これらの命令は下されてからもその真偽の再確認が続く。
フットボールは大統領の軍事顧問が交代制で運搬につとめる。そのスケジュールはトップシークレット扱いである(派生組織である5つの組織から1人ずつ)。顧問は手首に特殊なケーブルを巻いて物理的にブリーフケースを身につけることもある。アメリカ軍の士官にあたり、給与等級はO-4かそれ以上、任命にあたってはきわめて厳しい身元調査が行われ、いわゆるヤンキー・ホワイト(英語版)に該当するかが調べられる[7]。彼らにはいかなる時でも大統領が容易にフットボールを使用可能な状態にしておくことが求められる。
フットボールの歴史はドワイト・D・アイゼンハワーまで遡ることができるが、現在の使われ方になったのは、ソ連軍将校がモスクワの許可を得ずにキューバでミサイルを発射することを懸念していたジョン・F・ケネディ以降のことである[7]。
AP通信の記事によれば、この「フットボール」という通称は、ある攻撃計画につけられた「ドロップキック」というコードネームに由来するものである[4]。フットボールという名前は、実際の鞄の性質や形状に誤解を生じることがある。実際、ケースのカバーは本物のフットボールを包めるぐらい大きいからである。グラフィック・ノベルのウォッチメンには、1985年にまだ大統領であったという設定でリチャード・ニクソンが登場するが、彼の腕には危機にそなえて文字通り「核のフットボール」(フットボールの形をした金属製の機器)が繋がれている。作中でそうだと明示されることはないのだが、この機器には現実のフットボールと同じかあるいは核攻撃の電子起動装置が内蔵されていることがほのめかされる。
ジミー・カーターもロナルド・レーガンも、大統領在職中は背広のポケットに発射コードをいれたままにしていたと語っている。下院議員のジョン・クラインは海兵隊の元大佐であり、カーターとレーガンの時代にフットボールを運んでいる。
運びまわるのはそう難しいことじゃない。下に置くこともできるし、私はしょっちゅうそうしていた
1981年の暗殺未遂事件直後、ロナルド・レーガンとフットボールは別々の場所にあった[9]。レーガンは、前任者であるカーター同様、カードをポケットに入れて歩くことを好んでいたのだが、ERの外科治療の際に衣服が切り取られたときに、レーガンはカードをなくしてしまった。後にそのERの床にあったレーガンの靴から無造作にしまわれたカードが発見されたため、レーガンはカードを靴下にいれて持ち歩いているという都市伝説がうまれた。このときはカード以外の中身もレーガンと離ればなれになった。運び役の士官が、怪我を負った大統領を運び去る車の行列に置いて行かれたためだった。このように大統領がフットボールを運ぶ人間と離ればなれになることが時にはある。1973年のニクソンにもこれが起こった。ニクソンはキャンプ・デービッドでソ連の指導者ブレジネフにリンカーン・コンチネンタルを贈ったのだが、そのリンカーンにニクソンを乗せたブレジネフは不意に高速を逆戻りしたのである。ニクソンのシークレットサービスは置き去りにされ、フットボール(と彼の警備部隊)は30分近くもばらばらになったままだっ。フォード、カーター、ブッシュ、時代が下ってクリントンにもフットボールと離れた時間帯がある。こうした事件において、フットボールの完全性が損なわれた例はなかった。
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民間防衛準備庁のステーションWGU-20

アメリカはWGU-20で大きな波に陥った
知っている人は少ないが、米国は大きな波ですべての州を覆うための広大なプロジェクトを開発した。 それはCONELRADに起こったはずだ。
そういえば、179kHzで「こんばんは」という有名なメッセージが聞こえてきましたね。中央に緊急情報提供する民間防衛準備庁のステーションWGU-20です。 東部標準時間20分20秒 "!
それは、極端な状況に備えて、連邦、民間、軍当局から緊急メッセージを人口に届けることを目的とした新しい意思決定情報発信システム(DIDS)の最初のリンクでした。
アメリカ48州すべてをカバーするためにさらに9つの駅が建設され、ハワイに1つ、アラスカに1つが計画された。 すべての局は167 170と191 kHzで放送する予定だった。
1台は1973年に200万米ドルで建てられた:10の「流通ステーション」のDIDSネットワークの原型だった
最初の駅は、北東ボルチモアのチェイスに位置し、39°21'02.7""N 76°20'41.6""Wで、シングルマストアンテナを使用し、高さ219.45メートル(720フィート)で、National Warning Center at Olney dan In the State of Mar イランド
駅には55 kWのウェスティングハウスの送信機と半径400マイルを覆う700フィートのアンテナが備わっていた。
広範なプロジェクト:配給ステーションは、カンザス州アルト、コロラド州、ケンブリッジにある61.15 kHzの「コントロールステーション」の2つで発電されます。 2つの駅は1260フィートのタワーから200 kWで走る。 連邦当局は電子レンジと固定電話でチェックステーションを「移動」するだろう。 10の配布局はその後、記録されたメッセージを国民に接続し放送する。
地上信号は広範囲で、核爆発の影響に対する比較的免疫があるはずだったため、長波の選択。
レセプションは、ラジオ、テレビ、煙探知器まで含む多くの国内機器に頼っていて、長波受信機を内蔵するべきだったが、攻撃メッセージを確実に伝える
決して始まったことのない大きなプロジェクト、部分的には高価すぎるから。
既存の施設は時間を放送するために使用され、その後軍の緊急システムとして:地上波緊急ネットワーク(GWEN)
最終的に、放送者は90年代に完全に無関心で逮捕された。 この施設は2011年に解体された
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【物理学】ヤバい実験史 第2回 スターフィッシュ・プライム【ゆっくり解説】






Operation Dominic — Starfish Prime




世界を終わらせていたかもしれない10の科学実験





A Brief History of: The Starfish Prime Nuclear Test (Short documentary)







Starfish Prime Test Interim Report

Operation Dominic (1962)



Starfish Prime Interim Report By Commander JTF-8 (1962)




































Why Did We Test Nukes in Space?




實拍~ 中印部隊在中國班公湖對峙畫面 China- india border tensions LIVE





US Sends 108 Abrams Tanks and 250 Stinger Surface-to-air Missiles to Taiwan in Tension With China




最新バージニア級原子力潜水艦の内部 - USSコロラド(SSN-788)












America's Backpack Nuke - The Littlest Boy